自分の気持ち 4

 ランチには、ジンジャーポークセットとポークフライセットを頼んだ。洒落た横文字だけれど、要するに生姜焼き定食にトンカツ定食だ。どうやら結城は、トンカツが好きなようだ。


 料理に洒落た名前を付けるだけあって、盛付はインスタ映えしていた。それに、生姜焼きの味付けもトンカツのソースも洋風で一味違った。


「うめぇ」


 しみじみというように、トンカツを口にした結城がつぶやいた。


「肉がめちゃくちゃ柔らかいし。なんだよ、このソース。トンカツには、トンカツソースだろうがっ。と言いたいところだが、この何が入っているのか素人の俺には解らねぇこじゃれたソースがマジ絶妙」


 そうなんだよ。ここのランチは、どれも凝っていてとてもうまいんだ。


「僕も、初めてポーク丼を食べた時に、美味くて感動したんだよ」

「だから。こんなにうまい店知ってんなら、なんで早く言わないんだよ」


 ガツガツとライスを口に運びながら愚痴る結城に、梶さんに会わせたくないからだとは言えず苦笑いが浮かぶ。


 その後、食後のコーヒーを口にした結城は、二度目のうめぇを幸せそうな顔で呟いた。ここの出すコーヒーの美味さにも気づいたようだ。


「なぁ。向かいの雑貨屋みたいなの。人が結構入ってんのな」


 結城の言葉に、体がピクリと反応してしまった。できれば、雑貨屋のことはスルーして欲しかった。結城だって可愛い輸入雑貨に興味はないはずだ。しかし、人の入りがいい梶さんの店には、つい視線が向いてしまうようだ。


「そうだな」


 多くを語ると墓穴を掘りそうなので言葉少なに返すと、美味いものにありつけてご機嫌なのかリズムをとるように体を小さく揺らした結城が言い出した。


「あとでちょっとのぞくか」


 弾むような口ぶりに驚いて目が見開く。


「はっ⁉ 雑貨に興味なんてないだろう」


 まさか結城が店を見に行きたいと言い出すとは思わず。衝撃を受けた初めの「はっ」が強すぎたことに焦り、続く言葉をできるだけ冷静に口にする努力をした。


「興味はないけど、女の子との話題にはなる」


 結城が得意気な顔を向ける。


 なるほど。そう言うことなら。って、違う、違う。そういうことでもなんでも、あの店に行くなんてことは避けたい。しかも、女の子大好きの結城を連れて行くなんて言語道断だ。


 まるでどこかの政治家並みに重厚なテーブルをげんこつで叩きつけるが如く、僕の胸中は穏やかではない。


「なんか、都合悪いことでもあんのか?」


 僕の動揺を察知したように、結城が探るような視線を向けてきた。


「い、イヤ。別に、都合の悪いことなんて」


 冷静な顔を取り繕い、食後のコーヒーに手を伸ばしズズッと音を立てて吸う。目の前では、ニヤニヤとした猜疑心丸出しの顔が僕を見据えていた。


「まったくよぉ。深沢って、本当に残念なイケメンなのな。心の声、だだ洩れだぜ」


 クツクツと可笑しそうに笑った結城は、よしっと言ってコーヒーを一気飲みすると、すっくと立ちがった。


「いくぞ」

「へ?」


 立ち上がった結城を間の抜けた顔で見上げていたら、持ったままでいたカップをテーブルに置けと強制的に促された。有無も言わさぬ態度に慌ててコーヒーを一気に飲み干すと、強引に梶さんの店に連れて行かれることとなってしまう。


 以前のように、ひょっこりとこのカフェに梶さんがやって来ないことを願っていた少し前の自分はなんと愚かなのだろう。梶さんが来なくても、こっちから行く羽目になってしまったではないか。


「ごちそうさまでした」


 レジで支払いの際、カフェの店員さんに飛び切りの愛嬌を振り撒く結城を、斜め後ろから見ていた。


「明るいお友達ね」


 店員さんは、半歩後ろに立つ僕に向かって話しかけてくる。にもかかわらず、結城がニコニコと対応する。


「長所なんです」


 しゃしゃり出てくる結城に、店員さんもおかしかったのか笑ってしまっているじゃないか。


「また来てくださいね」


 結城の顔を見たあと、再び僕に向かって笑顔を見せる。


「はい。また、来ます。ごちそうさまでした」


 軽く会釈をして、笑みを交わし合う。


 僕と店員さんのやり取りを、何やら考えながら結城が見ていた。そしてカフェから一歩出ると立ち止まり僕を見る。


「あの店員さんとは、仲がいいのか?」

「仲なんて。さっきも言ったけど、何度か来てるから、顔を覚えられた程度だよ」

「そうかそうか。あんなキレイ女性と仲がいいなんて、残念な深沢にはありえないと思ったんだよ。やっぱり、そうか」


 やっぱりってなんだよ。


 イケメンさえつけてもらえず、ただの残念な男に成り下がってしまった僕を見て結城は納得顔をしている。


 結城はSAKURAの甲板を軽快な足取りで降りると、さっそく道路を渡り梶さんの店に向かった。渋々ながらついていく僕は、梶さんが留守にしていてくれないだろうかという、とてもありえないことを願っていた。


 首を伸ばして中をのぞき込むようにしながら、結城が店に足を踏み入れる。僕はそのうしろで、このあとどんなことが起きてしまうのかとビクビクしていた。


「いらっしゃいませ」


 僕が一度だって聞いたことのない明るい声が、結城に向かってかけられた。そして、背後霊のように気配さえ残念な僕が後ろにいることに気が付いた梶さんが、一瞬だけ眉間にしわを寄せる。その後はすぐに営業スマイルを浮かべ、ゆっくり見て行ってくださいねとまた結城にだけ声をかけた。背後にいる僕には眉間のしわ一つだけだったことが、秋風のように心をカサつかせた。


 物珍し気に店内にある商品を見て歩く結城を遠巻きにし、僕は入ってすぐの場所で立ち止まっていた。これ以上中に入ったら、あの眉間のしわが一瞬ではなく、永久に向けられてしまいそうな気がしたからだ。


 近くにあったペンを手に取り眺める。試し書きに置かれていたメモ用紙に文字を滑らせてみたけれど、書き心地は普通だった。万年筆のパーカーやモンブランなどのレベルを期待していたわけではないけれど。日本の文房具が優れているということがよく分かる。いや、そもそも書き心地どうこうではないのかもしれない。可愛らしさやデザイン性が売りで、不通に書ければ充分なのだろう。


「お買い上げですか」


 店の奥に行ってしまった結城のことを気にもせず、好きな文房具のことを考えていたらいつの間にか梶さんがそばにいた。


 驚いて、持っているペンを落としそうになる。


「慌てなくても大丈夫ですよ。落としたら、買ってもらうので」


 能面のような薄い笑みを向けられて、震えあがりそうだ。


 そもそも、顔が整っている人が上辺の笑みを浮かべると、空恐ろしい雰囲気が醸し出されるのだ。お願いだから、僕に向かってその笑顔はやめてください。


「少しは、反省しましたか」


 梶さんの能面にビクついていると、思わぬことを言われた。


「はん、せい?」


 何のことを言っているのか解らず、語尾が上がった僕の言葉を聞いて、さっき見た眉間のしわが復活した。


 しまった。


 慌てた僕は、一体何をやらかしたかもわからないけれど。多分、酔って泥酔した歓迎会の日のことだろうと考え、まずは謝罪しようと口を開いた。


「えっと。何かご迷惑をかけたようですよね。すみませんでした」


 梶さんに対する迷惑行為に何一つ思い当たらないというのに、とにかく謝らなければと頭を下げる。そんな僕の行動を見て眉間のしわはそのままに、探るような目を向けられた。


「憶えてないの」


 鋭い視線と共に問い詰める表情は、まるで尋問されているみたいだ。そのうえ、厭きれたような溜息も付け加えられてしまった。僕が梶さんに対して、どんな迷惑行為を働いたのかはわからないけれど。これだけ怒っているのだから、相当なことをしたに違いない。


「ごめんなさい。会社の歓迎会で飲み過ぎて、記憶がなくて」


 ぼそぼそとした言い訳を口にすると、再び深いため息を吐かれてしまった。完璧に厭きれられてしまっている。


 このままでは嫌われて、二度と口さえ聞いてもらえなくなってしまうと、焦りに変な汗が浮いてくる。けれど、何をどう言えばいいのか言葉が見つからず、頭ごなしに叱られた子供みたいに委縮していた。


「おーい、深沢。これよくないか」


 そこで結城が声をかけながら、何やら手に持ちやってきた。その瞬間、緊迫していた空気に風が吹いて流れが変わる。


「見ろよ。このマグカップ。女の子が好きそうじゃね」


 結城が手にしてきたのは、前回僕が買わされたものと似た柄のマグカップだった。一つ一つ手描きだから、全く同じではないけれど。ほぼほぼ一緒だ。


「女の子が家に来た時に、これにコーヒーを淹れて出したら、いい話題にもなるだろ?」


 意気揚々と話す結城を、さっきまで鋭い視線で僕を睨み厭きれてしまっていた梶さんが微笑みながら眺めている。ピンと張りつめていた空気に緩みが生じて少しばかりほっとしたけれど、僕には到底向けて貰えない梶さんの微笑みを向けられている結城に嫉妬してしまう。


「買うのか」


 梶さんの微笑みを独占した結城に、素っ気なく訊ねた。


「ペアでな」


 お前が女の子とペアで使おうとしているそのマグカップは、僕ともペアになるんだぞということは黙っておくことにした。なぜなら、僕がたった今発令した梶さん独占禁止法に触れたからだ。


 二つのマグカップを手にした結城と梶さんがレジへ向かう。レジ前で何やら楽しそうに会話する二人を羨むように眺めた。


 歓迎会でしこたま飲んで酔いつぶれたりしなければ、僕だってきっとあんな風に会話することができたはずなんだ。


 ウジウジとあの日の出来事を呪ったところで、時間が戻ることはない。たらればを持ち出したところで、何の解決にもならないのは解っているから、僕は結局ガクリと肩を落とすことしかできない。


 話が途中で遮られ、置き去り感の強い僕だけれど、再びその話に戻すこともできないままマグカップを購入した結城と共に梶さんの店をあとにした。外に出ると相変わらずの快晴だというのに、梶さんに吐かれた深いため息が僕の心の中に何度も空っ風を吹かせた。


 再び駅方面に向かった僕たちは、結城の提案で娯楽施設に行くことにした。羽目を外すと言っていたわりには健全な遊び場だ。久しぶりにボーリングがしたいという結城に付き合い、何故かオンラインで関西のご老人チームと対戦することになった。張り切って挑んだ僕と結城だが、三ゲーム中三ゲーム共ものの見事に惨敗だった。伊達に充実した老後を過ごしていない。その後同じ施設内にあるカラオケに行き、重いボーリングの玉にやられた右腕をプルプルと震わせながらマイクを握り二時間ほど熱唱した。


「深沢って、歌は上手いのな」


 なぜか上から目線で結城に褒められ、ミスチルの曲を何度も歌わされた。散々騒いだあとは、駅前にあるチェーン店の安い居酒屋に向かった。


「腹減ったな」


 テーブル席でメニューを広げ、料理を注文しビールで喉を潤す。苦みと炭酸の刺激に顔を顰めながら、今日一日でかなり散財してしまったなと、心許ない財布の中身に思いを馳せる。四杯目のジョッキ辺りで、結城の酔いが回ってきていることを気遣い、帰らなくても平気なのかと訊ねると、だらしなく酔った目がニタニタと垂れ下がった。


「帰るわけないじゃん。俺、今日は深沢んちに泊まる予定だし」

「えっ?」


 語尾を伸ばして言った結城は「家に帰ってからも飲むからな」ととても楽しそうな笑みを向けるから、つられて僕も頬が緩んでしまった。


 どうせ明日も休みだ。居酒屋から宅飲みの二次会くらいなら、羽目を外すにしても問題ないだろう。財布の中身については、折角楽しい時間を過ごしているのだから、今は考えないようにする。


 結城という男は、そこそこ嫌味臭いことや感じの悪いことを言っているはずなのに、相手をあまり嫌な気分にさせないという特殊スキルを持ち合わせているようだ。懐にするりと入り込み、相手の気分を上手に盛り上げる。ペットみたいに人懐っこさかがあるものだから仕方ないなぁ、なんて許してしまいたくなるのだ。なんて羨ましいキャラだ。


 途中商店街にある酒屋で缶ビールを仕入れ。増田さんのところで摘まみになる揚げ物を買い。並びにある焼き鳥屋でも焼き鳥を買い。どんだけ食うんだよ、という僕の突込みも無視した結城が、俺が出すから遠慮するなと、他の店でもあれもこれもと山ほど買い込み満足そうにしていた。


 酔った結城を連れて部屋に戻り、宅飲みが始まった。因みに、増田さんからは「若いっていいねぇ」なんていう言葉を貰っていた。


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