第11話

 真雪先輩はそう言ったきり、話題を変えようとしたので、私も無理にその先を聞くことはできなくなった。何より、先輩の声色がそれを許していなかった。


 真雪先輩の話し方は優しいけれど、誰にも何にも触れさせないという、強い意志を感じた。この先に進むことは許されていない。少なくとも、今の私には。


 何でもない話をしながら、スワンボートを漕いで、フルートパートの四人は、ちょうど良い時間に皆と合流した。今日のことは私たちだけの秘密なのだ。それだけは、なんだか嬉しかった。


 夕食のあとは、全体練習があった。しかし、なぜかこの練習も早めに切り上げられてしまった。指導に来てくれていた先輩が、みんなで花火をしようと、サプライズの提案をしてくれたからだ。


「桜花! お疲れ様!」

「あ、菜奈。お疲れ様」


 合宿所の庭に出て準備をしていたら、まるでこの展開に備えて用意していたかのような甚平姿の菜奈が、花火を持って寄ってくる。ちょこちょこと小走りに、まるで小さい子みたいな動作が、いつもどおり愛らしかった。


「さっきはごめん、ミスっちゃって。私、ほんと全然だめだよね」

「そんなことないよ。菜奈は今年始めたばかりなんだから、充分すごいよ。もっと自信もって大丈夫だと思うけど」


 申し訳なさそうに話す菜奈をフォローする。実際、お世辞じゃなくて、春の頃と比べると、菜奈の成長には目を見張るものがあった。実際、菜奈の方が、私なんかよりもずっと努力しているのだから、それが結果に現れているというだけなのだ。


「ありがとう。あっ、花火、桜花もやろーよ!」

「うん」


 私のフォローですっかり笑顔に戻った菜奈は、スタンダードなススキ花火を手渡してくる。懐かしい。子供の頃にやったなあ、と思う。


「真雪せんぱーい! 火、くださーい」


 菜奈が、真雪先輩から火をもらってきて、私の花火にも移してくれる。シューッという音を立てて、カラフルな火花が弾け出す。


 真雪先輩は、皆からちょっと離れたところで、花火を持ったまま、美冬先輩と何かを話していた。私はなんとなく邪魔したら悪いかな、と躊躇してしまっていたけど、そういうところ、菜奈はお構いなしに入っていくから、羨ましい。


「この後、部屋に戻ったら、美冬先輩と恋バナする約束してるんだ! 楽しみ-」

「本当に? 菜奈が無理矢理押し切ったんでしょ、どうせ」

「まあ、そうなんだけどね。でもさ、桜花も聞きたくない? 真雪先輩の好きな人とかもさー」


 そう笑う菜奈には、悪気なんてちっともないのだろう。だけど、昼間、真雪先輩とスワンボートでのやりとりをした後では、『好きな人』なんて単語に無邪気に食いつく気分には到底なれそうもなかった。


「桜花はどうなの? 後で聞かせてね」

「さあ、どうだろうね」


 私の好きな人。そんなの、決まっている。『好きな人』なんて単語から思いつく人なんて、一人しかいなかった。


 ……真雪先輩。


 真雪先輩が、美冬先輩と二人で、一足早く部屋に戻るのが見えた。胸の奥が痛む。菜奈に気づかれるのは嫌だったから、必死でうわべだけを取り繕った会話をしていた。だからその後、何の話をしたのかも、よく覚えていない。


 花火の時間が終わって、身体についた煙の匂いをお風呂で洗い流してから、菜奈と共に部屋に向かった。部屋は木管楽器セクションのメンバーが同室で、部屋に戻ると既に真雪先輩と美冬先輩が、みんなの分のお布団を敷いて待っていてくれた。


「美冬せんぱーーーい! 恋バナしますよーーー!」


 先輩方へのお礼もそこそこに、菜奈が美冬先輩に突撃していって、ハグをする。見るからに暑苦しいのだけど、美冬先輩はちっとも嫌そうな顔をすることなく、菜奈をハグし返していた。


 菜奈がノリノリで皆を円状に座らせて、いつのまにか来ていた他のメンバーと共に恋バナ大会が始まってしまった。ちらりと真雪先輩のほうを見たけど、別に嫌がっているような様子はなくて、むしろノリノリな菜奈をうまくかわしつつ、会話を楽しんでいるようだった。


「それで結局、真雪先輩が好きなのって、男なんですか女なんですか」


 菜奈はいつのまにか、無遠慮にそんな質問まで投げかけていた。


「さあ。どっちだと思う?」


 私たちの興味を引くような、わざわざネタにするような言い方で、真雪先輩は笑う。


「さては、どっちもですか! 欲張りなんだから、もう」


 菜奈はずけずけと、そんなことまで言う。違う、そんなふうに言わないでほしい。私は密かに思う。別に、男も女もとか、そういうんじゃない。ただ、好きになってしまっただけなのに。


 自分のことを言われているわけでもないのに、私は勝手にそんなことを思う。


 中学の時、私はやっぱり、同じフルートパートの先輩に憧れていた。その先輩は男の人で、一番フルートが上手くて、他の女子からもすごく人気があったけど、なぜか卒業式の日に、私に第二ボタンをくれた。


 別にだからといって、その後に何があったというわけでもない。先輩が高校入学する前の春休みに、一緒にテーマパークに行こうと誘われたけれど、断ってしまった。私は確かにその先輩のことを好きだったけれど、それは別に、二人でデートしたいとか、そういう類いのものではなかったのだ。


 だけど、今の私の、真雪先輩に対する気持ちは、そのときとは全然違うものだ。多分先輩に誘われたら、私はどこまででもついて行ってしまうと思う。そして、できればそれは、二人きりがいい。美冬先輩とか、菜奈ですら、ちょっと邪魔に思ってしまいそうで。だから、そんな自分の気持ちが、少し怖かった。

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