第12話

「そういえば、桜花は、好きな人とかいるの?」


 突然、真雪先輩に話を振られたから驚いた。さっきまで、菜奈と『女の子とキスってどんな感じなんですかねえ』『実験しようか?』なんてお馬鹿な会話をしていたとは思えないほど、なんでもないように聞いてきた。


「いますよ」


 精一杯、平然を装って答えた。真雪先輩の前で、ごまかしなんてしたくなかった。


「えー、どんな人?」

「ねえ、誰、誰? どういうところが好きなの?」

「内緒です」


 皆が食いつくけど、絶対に口を割ったりなんかする気はなかった。当然だ。だって目の前に本人がいるんだから。だけど、どんなところが好きか、という質問にだけは答えておいた。


「……そうですね。何かに夢中になってるところとか、そういう何か好きなものがある人って素敵だなって」


 それは、心の底からの正直な言葉だった。私は真雪先輩の、フルートを吹いているときの真剣な横顔が、なにより好きなのだ。


「それ、わかる……」


 横にいた美冬先輩が、ぼそっと、私の言葉に共感を示す。『誰のこと?』と美冬先輩に集中砲火が行われる中、ふと見れば真雪先輩が寝落ちしていた。


 その寝顔が、可愛らしいと、つい思ってしまって。その後は、他の子達の会話なんて、ちっとも耳に入らなかった。真雪先輩の唇は、お風呂上がりでメイクなんかしていないはずなんだけど、やっぱり綺麗なコーラルピンクで、柔らかそうだった。


 そんなところを見てしまうくらいには、邪な感情が自分の中に眠っていたことを、今更になって気づく。


 ふと菜奈を見れば、皆にいじられる美冬先輩の頬をさりげなくツンツンしてみたり、腕にぎゅっとつかまったり、さりげなくベタベタと触れている。


 私だったら、真雪先輩には、絶対あんなことできない。あんな触れ方をすれば、多分、自分の気持ちを抑えきれなくなってしまうと思う。


 だから、今更ながらに認識する。私が真雪先輩を想う『好き』と、菜奈が美冬先輩に対して抱く『好き』は多分、大きく意味合いが違うのだ。


 美冬先輩が、顔を真っ赤にしている。


 話を聞いていなかったから、わからないけれど、どうも好きな人を言い当てられてしまったようだ。


 いいなあ、と思う。私もあんなふうに、普通にわかりやすい恋をしてみたかった。それか菜奈のように、恋に恋したままでいたかった。


 真雪先輩が寝落ちしていることに皆が気づいて、ようやく恋バナ大会はお開きになった。


「桜花、あのさ」


 部屋の明かりを消して、いざ寝ようというときに、隣の布団に横たわっている菜奈に小声で話しかけられた。


「桜花の好きな人って、もしかして……」

「言わないで」


 つい、余裕がなくなって、きつい口調で言ってしまった。こんなところで言い当てられたらどうしよう、って、すごく怖くなってしまったのだ。


「ごめん。つい気になっちゃって……ごめん。怒った?」

「ううん、別に。そういう話、あんまり好きじゃないだけ。ごめんね」


 きつい言い方をしたことを謝って、寝る体勢に入る。すると、菜奈は、何を思ったのか、なぜか私の布団の中に入り込んでくる。


「ちょっと、何してんの。……暑い」


 そればかりか、私のウエストまわりに腕を回して、ぎゅっと、すがりついてくる始末だ。菜奈の身体からは、お風呂上がりの女の子の匂いがする。別に、だからどうだというわけではないのだけれど、心の置き場に、ほんの少し困る。


「なんかさ。ちょっと、桜花のこと、うらやましくなっちゃって」

「うらやましいって、何が?」

「さっきのその、好きな人ってやつ。ちゃんとはっきり、好きって言える人がいるって、いいなって」


 菜奈はそんなことを、わざわざ私の耳元まで来て言う。私からすれば、菜奈のほうがよほどうらやましかった。こんなふうに、誰にでもベタベタして、親しげに振る舞えるところが。誰にでもニコニコして、誰からも愛されるところが。


「菜奈の好きな人は、美冬先輩なんじゃ、なかったの?」


 私は問いかける。意味のない言葉だとわかっていながら、菜奈の次の言葉を待つ。


「そんな、まさか。そもそも美冬先輩、女の子だし。真雪先輩でもあるまいし、私、そういうんじゃないし」


 菜奈は、当たり前にそう言う。心の中に何かが突き刺さる。菜奈に悪気なんてないのはわかっているけれど、それが痛くて仕方ない。


「まあ、でも、私、美冬先輩くらい可愛かったら、女の子でもアリだな。うん、それもいいかもしれない」


 冗談なのか本気なのかよくわからないテンションで、菜奈はそう言う。


「ねえ、桜花は女の子だったら……」


 菜奈がそう言いかけたとき、だった。


「菜奈。いい加減に寝なさい」


 ぴしゃりと、そう言ったのは、真雪先輩だった。


「はーい」


 菜奈はしぶしぶ、といった様子で、やっと自分の布団に帰っていく。菜奈を黙らせるなんて、さすが真雪先輩だ。


「おやすみ」


 真雪先輩は、私たちの会話なんて知らないと思うけれど。それでも結果として、助けてくれたことが嬉しくて、私の胸は高鳴る。


 そして、こんな時にも、思ってしまう。ああ、さっき自分に抱きついてきたのが、菜奈じゃなくて、真雪先輩だったなら、私はどう感じたのだろう、と。


 馬鹿なことを思ってしまった自分に、ため息をついた。もう、戻れる気がしなかった。


 この日、私の中の、白くてふわふわした甘いものは、真雪先輩に対する無垢な憧れの感情は、もう、まったく別のものに変わってしまったと、はっきり気づいてしまったのだった。

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