第5話
三限の体育のあと、四限の授業も終えて、お昼休みにはいつも通り、音楽室前に自主練に行く。
いつもならクラスメイトたちと教室でお弁当を食べるのだけど、今日はなんとなく音楽室で食べることにした。
四階に上がって音楽室の前で桜花に会った。なんとなく、そうなるような気がしていた。どちらからともなく並んで、お昼を食べる。
同じパートで同じ学年の、相棒のような存在の桜花だけど、実はふだん、部活以外の時間で、私たちがつるむことはあまりない。
真面目な桜花と、あまり何も考えていない単純バカの私。たとえクラスメイトになっても、同じグループに所属することはないと思う。
かといって、別に気が合わないというわけでもないから、私たちは普通に、音楽の話だとか、テスト勉強の話だとかをして過ごした。
お弁当のおかずを食べ終わって、デザートの梨をいただく。お母さんの実家から、最近沢山届いたものだ。美味しいから桜花にも食べさせてあげようと、あーん、と口を開けさせようとしたんだけど、桜花は普通に指で梨を受け取ってしまった。
美少女は、友達の前でも不用意に口を開けたくないんだろうか。ちょっとショックを受けつつ、お手拭きで指を拭っていたところで、携帯がブルルっと振動した。
同じタイミングで、桜花の携帯も震えていたもうだったから、これが何の報せなのかはピンときた。
すぐに携帯電話を開き、メールを確認する。待ちに待った、真雪先輩からの連絡。パート練習は、先輩の体調不良のために中止するとのことだった。
隣で携帯をチェックしていた桜花は、やっぱり小さくため息をついている。何も言わないけれど、なんとなく何を考えているのかは、想像がつく。
多分、真雪先輩に対して、何もできない自分が歯がゆいのだ。自分だったら、と考えるとよくわかる。私だって、美冬先輩が体調不良でお休みと聞けば、気持ちのうえでは、お見舞いにでも押しかけたくなってしまうけど、現実には、さすがにそういうわけにはいかないから。
「ごちそうさま」
梨を食べ終わると、小さく手を合わせてから、桜花はお弁当箱を片付けて立ち上がる。すぐにいつもの優しい表情に戻る。
「桜花。あのさ」
「ん? どうしたの?」
心が宙に向かう、その瞬間を逃さないように、声をかけた。
「放課後、一緒に練習しない? パート練習なくなっちゃったけど、ちょっと合わせておきたくて」
「うん、いいよ。場所はうちのクラスでもいい?」
「うん! よろしく!」
これが気休めになったかどうかわはわからないけれど、桜花の表情は、さっきよりも少しだけ緩んでいる気がする。
楽器の支度を始める桜花を横目で見ながら、真雪先輩も罪な女だなぁ、なんて思う。こんな可愛い後輩を悲しませるなんて。
そのあと、チャイムが鳴るまで、お昼休みいっぱい、私たちは音楽室で自主練をしていたけれど、今日は珍しく美冬先輩まで姿を現さなかった。
きっと授業かなんかで忙しかったのかな、なんて思いつつ、私は五限の授業へと急いだ。
帰りのホームルームが終わり、約束どおり、楽器を持って桜花の教室に向かう。私はB組で、桜花はF組で、距離的に離れているから、こういうときくらいしか、桜花の教室に行くことはない。
教室のドアを開けると、美少女が一人、窓のほうを向いて立っていた。桜花だ。他の生徒は既に教室を出ていて、室内には彼女しかいなかった。
ちょっと驚かせてやろうと、そうっと背後に回る。
「桜花、おまたせ」
「わっっ」
後ろからギュッとハグをする。考え事でもしていたのか、本当に私の接近に気づかなかったみたいだった。
「もう、いきなりやめてよ。菜奈、距離近すぎ」
「えー、いいじゃん! 女の子同士なんだし! 愛情表現だよー」
「愛情表現、ねえ……」
私に対して、呆れたというような表情を向ける桜花。よし、ちょっと強引だったけど、これで憂いを帯びた美少女は、普通の美少女に戻ったぞ。
「まぁいいや。始めよう……どこから合わせる?」
「えーっとね……」
楽譜をパラパラめくりつつ、頭部管をピーピー鳴らす。こうしてちょっとだけ、時短するのだ。
「吹くかしゃべるか、どっちかにしなさい」
「はーい」
「もう、落ち着きないんだから」
ちょっと怒られた。けど、笑いながら、二人で合わせる場所を決める。
桜花と二人で練習をするのは久しぶりだった。入部してはじめての演奏会直前に、唯一の乗り番であるアンコールの曲を練習したり、合宿で時間を持て余した時に簡単なアンサンブルをして遊んでいたこともあったけど、最近はそれぞれ、先輩と二人きりでのサシ練習が中心だったから。
たまにはこういうのも、いいなあと思う。
練習のなかで、桜花は時折、経験者らしく私にダメ出しをしたり、アドバイスをくれたりした。ところどころ、言葉足らずだったり、言い方がぶっきらぼうだったり、先輩方とは違うけど、それもまた面白かった。
そして枕言葉に、大抵『真雪先輩が言ってたんだけど』の一言が入っていること、たぶん本人は気づいていなさそうで。
そう思ったら、ほんの少しだけ、周りの空気がよどむような、胸の奥がしびれるような、そんな感覚になってしまって。
きっとそれがもしかしたら、『切ない』って感覚なのかもしれないと、ふと思った。
そして私はなんだか無性に、美冬先輩に会いたくなってしまった。だけど結局その日、美冬先輩が部活に来ることはなかったのだった。
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