第2話 2022年 3月

..2022年03月20日


....常に他国を非難していないと存在できない国

韓国や台湾


....龍は雲に乗り、風は虎になびく




..2022年03月19日


....誰が正気を保ったか

ラスバタの相手にするのは、この狂気の時代、誰が最後まで正気を失わずに生き抜いたか、にある。


三国人のような初めから狂気の人間など相手にしていない。そして、三国人によってその狂気菌に感染させられた者たちの内、誰がそれに感染させられずに、感染させられても正気を失わなかった者たちか。




..2022年03月17日



....日本拳法やってる ?

徳(法ではない律と文化)で戦う

台湾でそれを期待したが、10年いてもなかった。台湾人には文化と律がないからだ。品性で勝負。




東洋大学の先輩である坂口安吾は言いました「徹底的に堕落したところに希望がある」


黒澤映画「悪い奴ほどよく眠る」では、観客に希望は一切与えられない。


....日本拳法とは気合いが違う

中国料理と台湾料理の違い

気合いが違う。





....リーダーの創出・創生(創製)

一人ではなく、大量生産するシステム。

コピーではなく、その人独自の「リーダーシップ力」を要請する場としての日本拳法部。


 → 現実に殴る・殴られる体験を人一倍した者。

 → 勝利と敗北をたくさん経験した者

 → 栄光と挫折を何度も繰り返した者

栄光だけ知る者は独裁者となる。

敗北ばかりの者は、その要因・原因を正しく理解していれば、その敗北はそのまま勝利として再体験することができる。




....リーダーの条件

物事の本質を見て、人や世間、政府やマスコミに欺されない人間。

自分が自分であるべき最良・最適・最善の道を見いだし、且つ、水火の中でそれを実行することができる者。

自分ばかりでなく、周囲の人間を少しでもたくさん、その「正しい水先案内人のいる船」に乗せ、助けてあげる。




....天国へ行ける者とは

死ぬか生きるかの一瞬を知っている者が、最後の最後、天国と地獄の分かれ道で正しい選択ができる。

自分が自分であることを実感できる者。




..2022年03月16日



ブログで行う日本拳法


日本拳法とは、場と間合いとタイミングの芸術です。


....日本拳法的なる文章・日本拳法的なる物の捉え方、そして、日本拳法的なる存在の仕方


○ 場

全体を見ながら個々を述べる → バランスを取る難しさ

1年生 → みんなしっかり者グリーンハーツ

2年生 → 拳法部の太陽イエローハーツ

3年生 → 個性派集団、全員推せるブルーハーツ

同期  → 大好きなラブラブ


○ タイミング

瞬発力の連続としての時間の流れ(デジタルで刻むアナログの時間)

一年間真面目に部活に取り組み

1年間よく頑張った

たった1年で

怪我に苦しんだ1年だった

見学に来てくれた日

拳法部で過ごす時間

入部当時から

拳法部のイベント

コロナ明けの去年の秋

たえちゃんが拳法部にきた時は

ここ1年で

2年の初め

最後の一年

一緒に過ごした時間

1年の頃は

4年間

最初の1年で

4年間おつかれ様

1年の頃

1年の頃からずっと

4年間で教わったこと

この2年間で

1年生の頃から

2年間も

1年生の時に

入学前に思い描いていた

4年間でした

全力疾走の4年間

最高の4年間




○ 物理的・心的間合い

器と道 すなわち、目に見えるもの(事象)と、その上の心(心象風景)を見て物事を判断し、その上で自分の言動を決める(文章を組み立てている)。


ミクロとマクロ、緩急自在、形而上下。この3次元で人と事象を捉え、それを記述する。


言葉の使い方 → 場と間合いとタイミング

リズム感


青山も立教もキャプテンとなるような人は、人の内面までよく見ている。


天下を取るという大目標に向かって、まず自分が部員たちを守り覆うような大きな木となるために、精進し邁進する。



庭の鉢植えを毎日見て、水をやり、剪定ばさみで手入れをする。一つ一つの盆栽の個性と調和によって全体の存在感を演出する。


日露戦争の日本海海戦における、昼間の巨大戦艦同士の遠距離からの巨砲の打ち合い合戦と、夜間に行われた魚雷艇による肉薄戦。



自分個人・自分たちチームの自己満足に、どこまで普遍性を持たせられるか。

どこまで自然に(無理に説得することなく)、人を納得させることができるか。

肉体的に苦しみ・精神的に苦悩しながらも、それをどう解決し解消したか。

苦しかったけど優勝できた。苦しかったけれど、肉体的・精神的に成長できた。

優勝トロフィーという勲章のあるなし、段位という認定のあるなしにかかわらず、自分自身の気持ちとしての達成感を持てたか。

そして、それを人に納得させることができるだけの材料を持っているか。

私の場合、卒業時点ではそういう達成感、日本拳法をやっていてよかったという満足感はなかった。それが出てきたのは、10年前から。






もとからある素養か、大学での日本拳法によるものなのか。

もとからあるこれら素養が、大学時代という青春時代の最高潮の時代、日本拳法という超現実世界で強化された。

超現実の肉体酷使であるスポーツであり、それ故に、精神世界に入る道が開ける武道である、日本拳法。現実に殴ることで、間合い・タイミング・場の取り方をリアルに習得できる。


仮想空間での戦いでは、本当の人との間合いや話のタイミング、場の作り方(取り方)は身につかない。


栗は現実を見て戦うことができた。

いま目の前にある事象(人やもの)を、仮想空間で生きてきた人はこう理解する(受け止める)。

しかし、栗の場合、全く違った事象と受け止め、更にはそのなかでの自分の言動もまた、仮想空間人間とは全く違い、(真の)     現実に即した行動となった。


南米のナイフ使いとの戦い → ギリギリのところまで前へ出ることができた。現実を見ていたから。




 私たちは、ぶん殴るという、単なる物理的な現象を追い求めているのではない。殴るという行為は、相手の顔面にパンチをぶち込む、という動機だけでは成り立たない。ぶっ飛ばすという動機・意志と同じくらい強い、相手の心に波長を合わせる(同期する)心が必要なのです。

 「日本拳法はオナニーではない」という箴言がありますが、それは、日本拳法とは、心で動く相手との戦い(相互作用)であり、そこで自分がリードするには、先ず、相手の心に同期する必要がある、ということを説いているのです。

 ぶっ飛ばしてやる、という強い意志と同じくらい強力な、相手の心に寄り添う(同期する)心が必要なのです。


 具体的に言えば、相手がこちらを殴ろうとするその心のコンマ1、コンマ01秒前にこちらが打つ。或いは、コンマ01秒後にタイミングをずらして打つ。


○ 寸止めという仮想空間

 打った者と打たれた者、そして、その両人を見て判定を下す審判員(たち)、さらに大きな視点でそれを見守る観客も、バラバラの判断・判定に甘んじるしかない、という「寸止め」の世界とは違うのが日本拳法。

 少なくとも、日本拳法では、殴った・殴られた当人たちが一番事実を知ることができる。審判も観客もそれを追認しているに過ぎないのですが、それでいいのです。

 何時でも何処でも誰に対してでも、現実を正しく知ること。実際に思いっきりぶん殴るという痛い目をしてまでやる日本拳法の価値とは、そこにこそあるといえるかもしれません。



一つの事実から、形而上的(抽象的)事実を見て、それと自分の心を一致させる。そこで事実は(真の)事実となる


ノートの振り返りも丁寧で、けがをしても笑顔で弾き飛ばす・関西の選手ともいい試合ができる → せりなは強い子(精神的にも強い)です → たまには弱音を吐いてもいいんだよ。 


練習外でもトレーニングしていた → あなたには努力を継続する力がある → そんな井上を私は尊敬する


開米の試合での強さ(という目に見える次元での事実) → そこに「ハートの熱さと人間性」という形而上の事実を見出す → そして、そういう彼の心を他の人にも応援や励ましとして与えてくれることに対する感謝と共感




見た目の事象で接近し、心で接近し、単に「見るだけ」以上の「見る」を実現させている。

事実を真実に昇華する手法であり、思想であり、手法と思想が一体化した、彼女の(毎日の)生活と(長いレンジでの)人生そのものといえる。




三段論法というか弁証法的な現実の捉え方というべきか。



「妻なし・子もなし・家もなし。友なし・金なし・未来なし」という、日本拳法経験者に朗報 !


(大学)日本拳法経験者限定 天国への優待券

高橋さんのブログを読んで、自分の中にある日本拳法的なる素養を発見し、金で買えない・物で代替えできない、真の安心感(心の置き所を見出す)を得ることができる。





もうこうなれば、この人が、鬼か化け物だろうが、バーチャル・リアリティでも幻想でも、或いは、実は新興宗教の勧誘員だったなんてことになっても、気にしない。


このキャプテンとは、自らの内にある純粋な心を貫徹するために国家と戦ったという意味でイエス・キリストと同じ、かの戦士ジャンヌ・ダルクや、一人の女としての意地と度胸で時代と戦った満州お菊と同じく、そして、「文明開化」という物・カネ、軍事力と経済力に邁進した、あの時代風潮と真っ向から戦った北村透谷の如く、「空の空なるものを撃つ」ことのできる人です。

そうであれば、物も金も、権威も宗教も。




というのも、あくまでネット上で刺激され啓蒙されたというだけで、彼女のブログには「下記の口座に会費をお振り込みください」なんてことも書いていない。






....べんしょうほう【弁証法】

[名]

哲学で、自己自身の中で自己と矛盾する有限なものによって自己を止揚し、より高次なものへと発展する運動・発展の論理。一般には、正・反・合、定立・反定立・綜合の3段階によって説明される。



....我、斯く戦えり

空の空を撃つが如く

優勝できなくてもかまわない。段位が取れなくてもいい。

「我、かく戦えり」

これが日本人の特性であり、これがそのまま徳性という免罪符・通行手形となって、来世を約束してくれる。


初段をとれずに卒業した人がいますが、彼らは「魂の段位」を持っているのですから、その意気込みを忘れずに人生を全うすれば、来世では「君の名は。」のように、別の展開をもたらされる機会を得ることができる。






..2022年03月11日



....ウクライナ戦争

現在のアメリカのバカさ加減を世界に見せつけるために起こさせた戦争、にも見える。



....日本拳法やってる ?

○ 「明治の木村」これぞ日本拳法。

○ 青学のシュールな写真や自己紹介

○ 日大の超現実的な写真や芸術的な作品 → 

面と胴とグローブという、日本拳法の基本道具(3点セット)をシンボル化した写真。

現実にぶん殴り蹴って投げるという日本拳法の神髄・醍醐味を3点セットに集約した。

この、「現実の戦い」に即したシャープな感覚、しかし、見た目は極めて鈍臭い3点セットに、日本拳法の神髄が凝縮されている。これぞ日本拳法、というべき道具たちを、カメラという道具によって、見事に、一枚の写真としてシンボル化・記号化している。日本拳法をやった者にしかわからない「日本拳法の心」を、日本拳法をやったことのない人たちに一瞬で理解させてくれる。

「日本拳法の3点セット」に見る「日本拳法の超現実感」

現実を素直に見て、それを自分の中で記号化・象徴化できる。観の力で事象・現象を深く細かに観察すると同時に、その動的で生々しい現実を、大局的な見の目によってシンボル化してしまう。




...○ 超現実を体験している者は

....「パニクらない」

どんな時にも、理知的で穏やかな心で現実を見てそこから離れない。


.... 物事の順序を弁える

正しい順序が身体に染みこんでいるから、世相に惑わず世論に流されない。自分のスタイル、自分の流儀・自分のポリシーで物事を見て判断し、正しい流れで行動できる。


....常に再現性を追及する(科学的な心)


....神の目線(観見自在の境地)で見れる

 → 目の前に展開される俗っぽい出来事を冷静に見て、的確に判断し、現実的な行動を取ることができる。


....鈍感な神経(騒がない・動揺しない・心を動かされない)

しかして、敏感に感じ、機敏に行動。




....立教の写真には、

彼らの素直で純粋な心が溢れている。




....気安さ・軽薄さも「日本拳法のうち」

ベルギー・ブリュッセルの空港におけるドイツ人との対話。いきなり日独親善。



....「お前は、最早、物金ではなく魂の涵養(鍛錬と成長)に賭けるのではなかったのか」




..2022年03月10日


....確証はないが確信している

確かな証拠はない。しかし、私自身の心の中では絶対確実であると信じている。





..2022年03月07日



....日本人の持つアニメ力

現実からの逃避なのか、現実を作り替えてしまう力なのか。

空想によって現実から逃れようとする、ということなのか、現実に自分の心の中の風景・事象をアニメにしてしまう力なのか。

どんな辛い現実・理不尽な仕打ちに対しても、それをアニメ(漫画)化することで、苦悩や辛さを「架空のもの」にしてしまう。

GIGAZINEで取り上げる数々の投稿に見る「日本人のアニメ力」

「日本人のアニメ」とは、特別なクリエーターたちの能力ばかりではない、どんな些細なことでも面白み、味わい、楽しさに変えてしまうことのできる日本人全員が持つ固有の能力なのです。





....成長

アメリカは物を作るだけでなく、使いやすくするための細かな機能や徳をふかすることができない。


情緒、もっと使いたくなるような色や柄といった「文化力」を見せなければならないのに、それができない。

一方、中国人ははじめはものまねでも、すぐに自分たちの持つ長い歴史と濃い血から来る文化力で、どんどん進歩していく。

一つの商品が成長し進化していくのである。


機能を追加して所謂「付加価値」をつけるというのではない。値段は同じでもずっと使いやすく、親しみやすく、好きになるような「物の文化」が成長して現れてくる。これが文化力のある国とその国の人民(国民・民族)のもつ文化というものなのです。





....安定性・継続性・再生産性

放っておいても自然に部員はある一定数は確保されている。

安定しているから行事も滞りなく継続できる。



支配者が中国人若しくは田中角栄のような縄文人であったなら、とっくの昔に伊豆七島には橋が架かっていただろう。


金持ちたちは「平等」を嫌う。

差別・格差がなければ、金が金を生み出すことができないから。少数の金持ちが多数の貧乏人を使い、賃金を払う。しかし、その金は金持ちの経営する銀行に貯金され、再び金持ちのものとなる。






..2022年03月04日


朝9時半頃から14時まで停電。

一旦復旧。内ぷへ自転車で行くと、コンビニを始めどこも停電。

全スーパーと814は平常通り。

814でサバ缶を二ケース購入1400元

帰宅するとやはり停電。結局、夜の9時半まで真っ暗だった。





..2022年03月03日



....伝統を伝える

日本人の血が根底にあるとはいえ、赤の他人同士でその大学の(日本拳法部としての)伝統を何十年もの間継承してきた、というのは、それだけで大会に優勝するという匹敵する大きな偉業といえる。




....これはマネーボールの世界とは違う。

金が無いのではない。(スポーツの)楽しみ方が違うのだ。「(日本拳法・チームを)愛する・自分と仲間を育てる・(心から)日本拳法を楽しむ」


映画「マネーボール」における「セイバーメトリクス」の考え方は、私たち大学日本拳法の参考になる。楽しみ方の一つのヒント、もしくは刺激(薬味)となる。









  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

台湾メモ @MasatoHiraguri

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る