台湾メモ

@MasatoHiraguri

第1話2021年 11月5日

 2021年7月4日から11月2日までの毎日のメモです。

 特に何を言いたいのでもない。

 太極拳に関するメモは、日本拳法をやられる人には参考になるのでは、と思っています。


 毎日、誰とも話をしない。

 スーパー・マーケットや路上で人が話す声は(中国語がわからないので)聞こえないのと同じ。テレビはないし、知りたい情報をネットの自分の好みのサイトで読むことで、世の中を知るだけ。

 言葉もわからないし、友達もいないが、lonelinnes というよりも、solitude。ただし、nonchalant、決して投げやりではありません。


 コロナ騒ぎさえなければ、ネットも必要ない。

 12月の府立を(大阪商業大学スポーツさんの)ビデオで見れば十分というところか。

 この大学が順調に勝ち進み、決勝戦か三位決定戦のいずれかにまで出場してもらえば、計5つの学校の戦いが見れることになる。(決勝戦に関しては、必ず優勝校がアップしてくれます。)


 ここの報道部は、すべての試合を録画してリストアップし、しかも、各試合で審判が協議する場面はカットしたりしてくれているので、非常に見やすい。もちろん、大商大のガンガン後拳をぶち込む攻撃的な拳法も楽しみです。


「無観客試合」は今後何年か続くでしょうが、府立に関しては「大阪商業大学スポーツさんのビデオ」で、太極拳の如く、ゆっくり・じっくりと観戦できそうなので、その点は安心しています。



 ここまで仙人に近い暮らしになってくると、もう後がない。

「妻なし、子もなし、金もなし。いっそ死んだらええかいな」という川柳のとおりになってきた。


 おっと、忘れていた。

「大陸尋奇」をYou-Tubeで見る楽しみが残っていました。

 かつて日本のNHKがやっていた「新・日本紀行」の中国版ですが、すでに1,800回を越えている長寿番組です。

 日本の「新・日本紀行」は300回くらいまで続いたのだろうか。

 韓国や台湾なら、50回くらいでネタが尽きるだろう。

 いかに中国の(文化的な)奥行きが深いことか。

 これを週に一回くらい、ネットで見ているので、本当の仙人には、まだ当分なりきれそうにありません。


 2021年11月5日(金)

 平栗雅人





 日本拳法も太極拳も、私にしてみれば、ともに「真実を知る」ための力(ちから)です。太極拳は、しかし、この8月末にその真価を知ったばかりですが、日本拳法をやっていたおかげで、その真価がすぐにわかりました。

 とんでもないものを見落として、あの世へ旅立つところでした。


 2015年にシンガポールで開催された「28th SEA GAME」という競技会の内のWUSHU Women's Taijiquan (女子太極拳の部)における、ベトナム人Thi Minh Huyen TRANさんの演武を見て驚き、この約4分間の演武を毎日10回ほど見ているうちに、私なりの太極拳観というものが出来上がった(2ヶ月間毎日見て60項目の観点)というわけです。


 高校時代、ある同級生が「空手バカ一代」という漫画(全20巻?)を読んで空手の極意を得たと言うので、みんなで「そりゃお前、ほんとにバカだぜ」と、大笑いしたことがありましたが、それと同じかもしれません。


 しかし、この60項目、まんざら嘘や思い込みではないと思いますので、これに肉付けをし、血を通わせれば、太極拳に関する良い本ができるかもしれません。

 誰かがそんな本を書いてくれれば、それを刺激にして、いずれ私も「日本拳法と太極拳」なんていう本を書いてみたいと思っています。


 大学日本拳法の皆様へ

 大学日本拳法に携わる学生も指導者の方も、全日(府立)を終えたら、日本拳法の稽古に太極拳を取り入れることを検討されてはいかがでしょうか。


 たとえば、選手もマネージャーも毎日の日本拳法の練習の後で10分間、このThi Minh Huyen TRANさんの演武をモニターにでも写して、各人で真似をする。若い皆さんのことですから、1ヶ月もすれば、4分間の連続演武ができるようになるでしょう。もちろん、飛び上がって股を開いたまま着地するなんていう曲芸のような部分は除いてです。


 私たち日本拳法人は、如何に速く・強く・正確にを毎日の練習で追求していますが、速さや強さにとらわれて、例えば、「老子」に言う「無用の用」や「柔弱の強さ」あるいは、「汝らの内、最も若く最も強きものが斃れるであろう」といったことに無関心になり、精神的なバランスを失い、本来、見えるはずのものが見えないということも起る。


 目の前の敵(相手)に対し、(寸止めではなく)思いっきりぶん殴り、蹴って投げてという日本拳法をやるからこそ、目に見える相手のいない空、殴るタイミングも無限の空という太極拳で「ゆっくり、じっくり」と、武蔵が「五輪書」でその最後に持ってきた「空」を学ぶ(鍛錬する)べきだと思います。


 そんな「高尚」な話ではなく、もっと身近な話で、太極拳のメリットを考えてみれば・・・。


 例えば、私はいままで南米やヨーロッパでバス旅行をしてきました。数時間、時には10時間近くもぶっ続けで走ったとき、休憩時間(10分間くらい)には、トイレの後、必ず大学時代の日本拳法部での準備体操をして体をほぐしていました。


 しかし、この「早くて力強い」体操よりも、太極拳のゆっくりした動きのほうが、ずっと疲れが取れるのです。

 太極拳に関しては、最近知ったので、まだバス旅行では試していませんが、ここ台湾では毎日朝から晩まで椅子に座っているので、部屋の中でやってみたり、自転車で3時間くらい走った後や、長時間電車に乗った後で試しました。


 何のことはない、ただ身体をホニャラ・ホニャラ、クネクネゆっくりと曲げるだけですが、日本拳法体操よりよほど効果がある。もう一度くらいは南米か、今度は中国・ロシアをバスで回りたいと思っているので、そのときにはその効果が実証されるでしょう。




 この話は、宗教勧誘でもオレオレ詐欺でもない。

 論より証拠。毎日、自宅の部屋で、庭で、公園で、駅のホームででも、Thi Minh Huyen TRANさんの演武の一部分(数秒間)を真似して、あるいは、自分で勝手気ままに身体をクネクネさせるだけで、身体だけでなく、心もすっきりするはずです。

 できるだけゆっくりと、自分の身体の動きと流れ行く時間をじっくりと感じ、味わいながら。


 まあ、日本の駅のホームは危険ですから、やめたほうがいいかもしれません。

 台湾の私の住むあたりの駅は、ど田舎にもかかわらず、どの駅もホームは広く、ベンチも沢山ありますがゆったりして、乗客もまばらですから、ベンチの横に自転車(ママチャリ)を立てかけて太極拳(のまね事)をやっています。

(東京-新宿くらいの距離で、自転車の持ち込み料を入れて180円くらい。駅構内・ホームには、あの不愉快な自動販売機は一つもありません。改札口の外にトイレも無料給湯器もあります。ホームレスが、あちこちの柱の下にある電気掃除機用のコンセントからスマホに充電し、その横で脚を伸ばして気持ちよさそうに寝ています。台湾には住民税がないそうですが、インフラの整備は日本より豊か(利用料が安い)ではないかと感じます。上下水道料金が月150円とか・・・。)



 太極拳とは、先生も教科書も要らないスポーツ(武道)です。時と場所、服装の決まりもない。動きとその速度は、自分の好きでいいのです。



 日本拳法の稽古で死ぬほど速く・強く・激しい戦いをした後で、数分間、ゆっくり・じっくり自分の心と身体のチューニングをし、そこで本当に稽古が終了した、ということにする。

 整理体操だけでは身体は本当に「稽古が終えた」と思っていない。太極拳(的な動き)で、それを身体に悟らせ、心に納得させる。その日の激しい稽古の記憶をもう一度、ゆっくりと身体に覚えこませるのです。


 激しい稽古の後で「座禅」はどうか、いっそ停止したらいいではないか、と言われる人がいるかもしれません。しかし、いきなり停止しても意味がないのは、運動をする者であれば誰でもわかるはずです。



 どのスポーツや武道ともちがい、道着も道具も場所もとらないし、一人でできる。何時でも何処でも誰(子供・老人)でも、どんなスタイルでもできる、自分との空なる対話。


(太極拳らしく本格的に全身を動かすのであれば、日本拳法の道着のズボンや、ゆったりした体操着が必要でしょう。また、これは私の個人的な意見ですが、半そでのシャツや短パンではなく、長袖・長いだぼだぼのズボンがいいと思います。なるべく、肌を空気にさらさせないために。)


以下、7月4日から11月2日までのメモ。

自分用の覚書です。


 2021年11月02日(火)

 7時起床 晴 洗濯物・布団干し


「Thi Minh Huyen TRANさんの教え」だけで60個。




 マルコポーロによる中国の発見こそ、西洋の世界史にとって最大のエポック・メイキングであった。

 産業革命とは、愚図でのろまで不器用な西洋人(アングロサクソン)にとって必要であっただけで、人間の持つ繊細さと器用さと協調性で楽しい文化的な生活ができる、中国・日本をはじめとするアジア人には不要だった。「産業革命」の必要性・必然性がなかったから、東洋には起こらなかっただけ。

 イタリア料理とかフランス料理といい、中華料理のパクリだとか。




 中国4000年の歴史を知るには習字

 一つ一つの漢字をゆっくりと書き、じっくりと味わうことで中国の奥深さを体感することができる。なにも高い金を出して万里の長城を見に行くまでもない。



 般若心経というサブリミナル(洗脳)

「無」だ「無」だ、と繰り返し唱えさせて、命と財産を捨てさせる。それを拾い集めるのが禅坊主。まあ、宗教というものはすべてそういうものだが。




 2021年11月01日(月)

 7時起床 晴 洗濯物・布団干し




 存在感のない生き物 ハ○○

 陰でコソコソ。裏でヒソヒソ。

 虎の威を借るキツネ

 自分の国を愛していない。

 原点がない。



 人のフリ見て我が身を正せ ハ○○

 ハ○○の意地汚さを知り、それを鏡にして自分の行いを諭す。





 ハ○○の習性

 クリエイティビィティ(創造性)を発揮して自分たちの存在感を自覚しようというのは日本人や中国人。

 存在感の希薄な三国人は、非三国人(中国と日本)を攻撃することで自分たちの存在を自覚しようとする。


 韓国における従軍慰安婦、徴用工、台湾でも従軍慰安婦博物館がある。、台湾ハ○○は、日本人に友好、台湾と日本は永遠の友達なんて言いながら、ちゃんと脅しの種をキープしている。

「日本嫌い」で金と技術をせびるか、「日本友好」でちょろまかすか。どちらも目的は全く同じ。台湾の国鉄に乗ると、熊本県のクマモンそっくりのキャラクターがあちこちに見れる。



 三国人というのは、(優れた)人の真似をすることで、{自分たちも同じように優れている、という擬似的な}安心感を得ようとする。

 その擬似的という脆さ・弱さを人に覚られないようにする(ごまかす)ために、韓国人は必死になって日本人を批判し、ハ○○はことさら「日本人と友達だ」と一体化しようとする。


 もちろん、本心では日本人への嫉妬は韓国人とハ○○は全く同じだ。ですから、台湾ハ○○は、ちゃんと従軍慰安婦や福島産農産物の輸入というカードを使って日本を脅すことを忘れない。











 釈迦とキリスト

 仏教というのは、全員が釈迦になれる、釈迦が得たという「悟り」を誰でもが手に入れることができる、という考え。

 仏教では、「嘘も方便」ですから、自分に嘘をつき、人をだましてでも、とにかく「悟り」を得ればいい。そうすれば誰でも極楽へ行ける。

 釈迦は特別な存在ではなく、私たちと同じ人間なのだ、というスタンス。


 一方、キリスト教というのは自分たちとは全く違う存在である「神の子」イエス・キリストに助けてもらおうと祈る。救世主の再来とか復活と言って。釈迦は私たちと同じ人間だが、イエス・キリストは神の子であって、厳密には人間ではない。


 しかし、私からすれば、本来のキリスト教とは、仏教と同じで、誰でもが自分自身でイエス・キリスト(の境地)になろうとするべき、という考えで営まれるはずではなかったのか。


 イエス・キリストは何か、何をしたのか、と言えば、真実。真理(本当に正しいこと)を追究した。

 一つの例が、「神聖な神殿のなかで金貸しなんかするな」と言って、5回も神殿に一人で殴り込みをかけ、金貸しのユダヤ人たちに蹴りを入れた、という。

 それで、(金貸しの)ユダヤ人たちに恨まれ、彼ら得意の権力者(ローマ帝国)への賄賂とプロパガンダ(大衆煽動)によって、イエスは弟子に見捨てられ、大衆にも見放され、死刑になった。


 ローマ軍の総督ピラトは「嘘でもいいから、私は間違っていましたと言えば命を助けよう」と、イエスを説得したが、彼は薄ら笑い(軽蔑的な態度)を浮かべて、刑場の露と消えた。


 ところが、真実を見る・知る・追求する姿勢(神への指向)を貫いたが故に人間たちに殺され、それ故に、人間では行けない天国へ行けた。


 だが、普通の人間はイエスにはなれない。

 一般の人間は、真実を追求し、その結果、権力者・金持ち、政府や警察に殺されてはたまらない。そこで、うその毎日を送りながらも、毎週日曜日には教会へ行き、皆で聖書を読んだり賛美歌を歌ったりすることで、自分も真実に即しているという錯覚に浸り、一週間分の嘘の生活を一時間で罪滅ぼしをすることで、何とか自分も天国へ行けるようにしようとする。






 釈迦というのはOne of them に過ぎない。

 釈迦と同じくらい、否、それ以上の人間は「ガンジス川の砂の数ほど」存在した(する)。 → これは浄土真宗の坊主が言ったことです。彼が言うには、だから、貴重なのは釈迦でなく悟りであり、そのために真宗では四六時中「南無阿弥陀仏」を唱えているのだ、と。


「釈迦」は何時でも何処ででも、昔も今も誕生している。誰でもが釈迦と同じ境地で物事を見ることができる。悟りとは特別なスターだけの持ち物・特権ではない。

 一方、イエス・キリストという、突出した個性を持つ者は一人だけだ。誰もがイエスを崇拝する(人間ではなく神として崇める)が、自分がイエス・キリストになろうとはしない。真実を追究することで、真実をバラされては困る者たちの手にかかり、30幾つの若さで死にたくないからだ。





 2021年10月31日(日)

 7時起床 晴午後から曇 洗濯物・布団干し 

 終日家


 上野不忍池のガマの油売り

「斬れば玉散る氷の刃、三千世界に切っても切れぬはこのガマの油と男女の縁(えにし)」



 日本拳法的に人生を楽しむ

 真剣勝負の境地

 思いっきりぶん殴る

 自分から前へ出る

 小手先の技術や策略を使わない

 素の心で戦う


 どちらかと言われれば、釈迦ではなくイエス・キリスト的な直線人生。

 韓国人のように嘘をついたり、格好つけたり、ハッタリかましたりする必要がない。そんなことをしなくても、ガンガンとバカ牛みたいに突進していればちゃんと評価してくれた会社であり、時代であった。

 社長の評価「ああいうバカが必要なんだ。」

 頭は悪い(勉強はできない)が、バカではない(理性はある)。



「エスキモーになった日本人」

 神も仏もない

 無宗教

「生きている」「狩で獲物を仕留めて手にした瞬間、オレは確かに存在している」という実感が湧く。


 僧堂時代はよかったが、葬式坊主の空虚さ

 だから、しきりにでかい声でお経を読んでいた。でかい声を出さなければ、存在感を実感できない。それくらい、葬式坊主というのは空しい「仕事」だった。

 商社でも葬式坊主でも、自分の存在する場と自分の役割に空虚さを覚えたら、辞めた。仕事が辛いとかきついという理由ではなかった。だから、親父と最後に会った時「オレは行くべき所へ行ける」と自信を持って言えた。



 造物者






 2021年10月30日(土)

 7時起床 晴 洗濯物・布団干し



 靖国神社

「靖国で会おう」と言って、多くの日本人の若者たちが戦争に散っていった。

 この「靖国」とは、日本人であれば誰でもが持つ、魂の故郷・心の原点の象徴。日本人は死んだらその魂が日本人だけの、ある場所へ引き寄せられるということを、誰に教えられずとも知っている。そこから再び、日本人として生まれ変わる。何十万年もの間、そうやって日本人は日本人であり続けてきた。だから、日本人らしく生きて死んでいけば、宗教など不要、そのまま行くべき所へ行き、仏教やキリスト教など信じなくても、日本人として「復活」できる。

 自分の内なる日本人(縄文人)性を自覚すること。私の場合、大学時代の日本拳法における殴り合いで,日本人として覚醒できた。







 国によって異なる生き残りへの道

 韓国人やハ○○は混血で生き残ろうとする。

 タイ人はオカマになる。

 韓国人やハ○○は民族ではなく、宗教だが。




「彼ら」の目的とは

 位置情報を知るのなら、スマホで十分のハズ。



 Minh Huyenさんの教え 血の濃さ

 血の濃さがにじみ出ている。


 Minh Huyenさんの教え 芸術

 芸術と呼べるのは彼女の演武だけ。



 生き方・死に方・戦い方

 相手がどんな攻撃を仕掛けてきても、自分は自分でポリシーのある戦い方を貫く。


 コストコとカルフール

 金持ち相手のコストコと、貧乏人相手のカルフール

 成金の金を搾り取るアメリカンタイプと、「民衆の蜂起」というフランス革命に見るフランス流。

 アメリカはミニ大富豪をたくさん育て、彼らに金を使わせる(吐き出させる)道具の一つとしてコストコを用意した。


 どんな貧乏人でも、彼らなりに贅沢をしたい、少しくらい「リッチな気分」を味わいたい。そんな貧乏人たちの為の「ミニ・コストコ」がカルフール。

 10パーセントの金持ち階級からのピンハネと、40~60パーセントを占めるロウ・ミドル階級からのそれも、それほど変わらない。

 まあ、超が100個くらい付く金持ちの「彼ら」にとって、その金額などたいした意味を持たない。金持ちでも貧乏人でも、純利益(収入)の10パーセントは「彼ら」に還元する、という暗黙の習慣を身につけさせるのが、その目的なのだから。


「彼ら」にとっての三国人(の使い道)

 全人類のサイボーグ化が完成すれば、彼ら三国人に用はない。「マシン・シティ」というAIがその代わりとなるのだから。


 三国人の利用価値

 世界中に、強大国に侵略され、奴隷とまでいかずとも、何でも言うとおりにさせられた国というのはいくらでもある。

 そのなかで、なぜ「三国人」だけが三国人たりえるのか。

 一つには彼ら三国人たち自身の生き方・生き延びる術による。

 もう一つは、その地政学的な存在が、世界を支配する「彼ら」にとって利用価値があるから、という外部的な理だ。



 2021年10月29日(金)

 6時起床 晴 洗濯物・布団干し

 830に出て自転車で屏東へ。例のゴミ集積所でゴミ出し。瓶を捨てる音がすると、すかさず門の中からおっさんが出てきて回収していく。

 930にシャラク。

 1015AV屏東駅。1020の電車。

 1037鳳山AV。

 1105図書館AV

 12時に出て、自助餐へ行くが相変わらず混んでいるし、あまり腹も空いていないので、文房具屋へ。

 1350AV鳳山。1355 → 屏東駅1411

 光南で時計を看てもらったら、再び完全に止まってしまった。「壊れている」だと。

 ノート、筆箱、座頭市(盲剣客)のビデオ(6話入り)178元。

 16時 シャラクで本を受け取る。

 1620屏科大前の自助餐で60元

 1745帰宅




 2021年10月28日(木)

 7時起床 晴・曇り 洗濯物・布団干し 日向ぼっこは30分。終日家



 日本拳法で身についた戦う(前へ出る)ということ

 殴られないようにして前へ出る、自分は殴られないで相手を殴る(試合に勝つ)のではなく、殴られながら、前へ出る意思・ガッツ(バカさ)と、殴られながらも結果として試合(ビジネスで)に勝つためのmethodology(方法論;方法学、スタイル・方式の研究)。

 技術ではなくスタイル、運用(の工夫)によってボトルネックを乗り越える。前へ出れば、問題を解決すれば、必ず、その先の別の部分で新たな問題・配管の詰まり(スタック)が発生する。

 そして、それを何度も乗り越えようとする意思。



 2021年10月27日(水)

 7時起床 晴 洗濯物・布団干し



 Minh Huyenさんの教え バランスの取れた心

 日本拳法の欠陥とは何か。

 速い、強いを追求するあまり、「弱いものほど強い」「若くて強き者が死ぬであろう」ということを忘れてしまう。


 バランスの取れた心とは「ぶち殺してやる」という凶暴で強力で激しい心を持ちながら、決して殺さないこと。

 狂気(凶器)の心で戦いながら。(儒教の)徳・(キリスト教の)愛・(仏教の)慈悲のような、優しい心を常に一方で持ち続けること。

 そういう意味でのバランス。

 殺す心と活かす心、滅却と蘇生、殺と生(育てる)、破壊と建設の一体となった心で戦えば、例えば戦争において無意味な破壊や殺人はなくなり、必要最小限の破壊や人的損失で済む。更には、戦い自体が無意味という話にも持って行ける。

 MHCでの斉藤君との戦い。

 アクの強い人間ほど、その能力を発揮させると凄まじいパワーを引き出すことが出来る。





 2021年10月26日(火)

 7時起床 晴 洗濯物・布団干し

 最近の日の出(の位置)に合わせて、うまく太陽光を取り込めるように、窓際の机の配置を変えた。



 汝らの内、最も若く強い者が戦いに倒れるであろう

 強いばかりでは折れる。老子が看破したように、水や柳の枝のように柔らかい・弱いものほど強い。

 カッコいいばかりでは、精神的に行き詰まって、思わぬところで転けることがある。常に誰かに見られている、失敗は許されないという緊張感をどこかで解放する必要がある。たまには「バカになる」。コンピューターばかりやっていないで、たまには「プラグをはずす」。

 休息、リラックス、アンプラグという主に肉体的な休息・弛暖(しかん)によって精神を解放するということですが、実は、精神的な部分でのみの弛緩も必要です。精神的なリラックスによって、肉体をも休息・解放してあげる。






 2021年10月25日(月)

 8時起床 晴 洗濯物・布団干し

 15:45にバイクで出て、郵便局裏の10元屋でタワシ、金ダワシ、スマホ用画面シール(使い物にならなかった)、光南で小銭入れ状の小さなバッグ99元、ノート32元×2冊、赤インクカートリッジ3本入り29元、小北で電子辞書用のケース60元・20元、鉄製の皿50元。内埔の814に行くがやはり牛乳はない。

 帰途、屏科大近くでバイクのエンジンがかからなくなってしまった。通りがかりのバイク屋5軒目で、キックで動いた。セルモーターがだめならキックという、きわめて簡単なことをすっかり忘れていた。

 台湾人というのは、金を持っていなさそうな者だと、非常に冷たい、相手にしない、ということがよくわかった。(診てくれたのは5軒目)。私が台湾へ来た10年前に比べ、社会が豊かになってきている、ということもあるのだろう。また、ここはハ○○(台湾のユダヤ人)中心の町だし。利益優先・人情酷薄。


 パイナップルやバナナ、檳榔以外に産業などないこの町に新しいマンションが続々と建設されている。

 おそらく、台北などの北から暖かい南部のこの辺りへ、ハ○○の老人たちが移動しているのだろう。かれらは株で飯を食う。だから、住むところは選ばない。美和という看護短期大学もある。高層マンションではなく、2階建ての庭(車庫)付き長屋形式のマンションが多いのは、入居者を年寄りと想定してのことだろう。


 Minh Huyenさんの教え 四声

 太極拳とは四声を表している。

 4つの抑揚を基本にしている。


 Minh Huyenさんの教え 易経

 易経の卦を表している

 演武する度にその卦は変わるはずだ。その時々の場と気と卦を如実に反映するのが彼女の演武だから。


 日本拳法だけで終わらせることのないよう

 日本拳法の四年間とは、長い人生であなたが経験する様々な事象のうちの一つに過ぎない。

 この一通過点における栄光や屈辱を、その後の人生に引きずるべきではない。

 ○ 小森のおばちゃま「来週はモアベターよ」


 ネクストワンが、やがて大きな大団円を作り出す


 前へ出る

 というのが習慣になっている。



 日本人は叩かれるほど強くなる

 それを「彼ら」は知っている。

 三国人とは違う。三国人は逃げる、他人(他国)に意地汚くすがる。しかし、日本人は苦悩・悲しみ・怒りの底から再び這い上がる力を持っている。





 2021年10月24日(日)

 6時起床 晴 洗濯物・布団干し

 9時半に、自転車で屏東へ、1040着。

 次の(自転車可能)電車は11:14というので、夜市の自助餐へ50元。

 11時に駅に戻り、トイレ5分。

 時間配分としては最高の出来。

 11:41AV高雄 中山大学近くの○○商業市場へ。殆どシャッターが閉まっている。200軒の内、開いているのは15軒くらいか。タバコ屋2軒、日本の薬(強力わかもと、とかアリナミンAとか)を売っている店があった。

 トイレに行って、すぐに師範大近へ。


 鳳山駅15:09着、窓口で購入した切符を見ると発車は15:12 !

 エレベーターでホームに降りてドアが開くと、電車はすでにホームに停まっており、降りる客は出た後、即ち、すぐに発車の状態。一番後ろの車両へいく時間はないので、そのまま、エレベーター乗降口から最も近い先頭車両へ乗り込む。自転車置き場はないので、そのまま立って屏東まで。電車に乗り込んですぐに発車ベル、という際どさだった。

 私にはこういう「神に感謝」というか「運命」とも考えてしまうような機会・場合・事件がある。


 15:28屏東着

 カルフールへ。パン二個とワイン一本、ピーナッツ1袋で、288元。at 15:58 。

 屏科大前の自助餐で50元。16:20。

 17:30帰宅。8時間の旅でした。







 明治の○○君の書評

 日本拳法のモットーの一つ「簡潔は知恵の精神」を「知性は簡潔を好む」



 2021年10月23日(土)

 6時起床 晴曇 洗濯物・布団干し 終日家


 日本の文化とは後に残らない

 アメリカ先住民の文化と同じで、完全なる精神文化。

「浅草博徒一代」中の、主人公英治がヤクザの修業時代、朝、アサリ売りや魚屋から新鮮なアサリや魚を買い、サッと料理する。あの一瞬一瞬の過程こそが日本文化といえよう。


 毎日ポカスカ殴り合いをしていれば

 早稲田は早稲田魂が、立教は立教スピリッツが湧き出てくる。そして、四年間の経験は卒業後30年・40年経るに従って、今度は更にその根底にある日本人(縄文人)の心に回帰する。

 真剣に蹴って殴って投げる、あのガツン、ボコッ、ドスッという、現実の殴り合いの音と振動が原始日本人の血を、長い時間をかけて目覚めさせてくれる。

 日本拳法におけるあのハードな殴り合いは、大学時代(18歳から22歳頃)までという、人間の肉体が最も元気な時だけできる「特権」なのです。

 これ以前と後では、あんなハードな殴り合いなどやるべきではない。


 プロレスには「延髄蹴り」なんていう名前の技があるようですが、日本拳法における面突き(の衝撃)には、人間の原点に回帰させてくれる働きがある。

 高校生の時までは、無理無茶をしない、コンサーバティブなタイプの人間でしたが、大学(での日本拳法体験)によって、恥を気にしない、常識を無視する、徹底的に理に準じた行動を取る、ある意味では機械的、ある意味では野生動物的(動物の本能のように、人間的な常識や世間体などに囚われない)体質になった。



 2021年10月22日(金)

 7時起床 晴 洗濯物・布団干し 終日家


 彼らとの違い

 あの時代、イエス・キリストだけが確かに存在し、他のユダヤ人やローマ人たちは存在しなかったも同じだ。彼らは、みな陰でひそひそ、こそこそとイエスの悪口を言い合っていた烏合の衆だ。そんな存在感のない者が、確かに死んでで確かに生き返ることなどあり得ない。確実に、本当に死んだ人間だからこそ、再びその自分になって生き返ることができるのだから。

 イエスは、「さて、来世では一体どんな奴らと出会うのやら」と、楽しみにしながら毎回死んでいく。


 日本拳法で自分の殻を破る

 真剣勝負をしてきたから、バカになれる。

 体力的に苦しい、或いは、恥ずかしい、悲しい、みじめだ、みっともない、腹が立って仕方がない、といった精神的に追い詰められたり、沸騰してどうしようもない時でも、冷静に行動できた。

 新入社員研修の時

 配属されて孤独だった時


 日本拳法に強い人は、逆にバカになりきれないのではないか。



 私たちはテスト形式から、与えられた選択に慣れきっている

 しかし、現実の世界で生き残り、勝ち抜くには、自分で選択肢を増やす(生み出す)しかない。



 2021年10月21日(木)

 7時起床 晴 洗濯物・布団干し

 1230に出て、自転車で屏東へ。

 屏科大前の自助餐で弁当50元でヤクルト二本もくれた。教会の売店(本屋)に初めて行ってみた。通りがかったので。

 イタリア製のオリーブオイル小が150元にびっくり。神様価格なのだろう。

 16時に帰宅。頭を自分で刈って洗濯、風呂。




 2021年10月20日(水)

 イエス・キリストはなぜ

 なぜ、真実を語ったのか。

 真実とは醜いもの。語れば語るほど、人は真実から目を背け、それを語るイエスから離れていく。

 釈迦の言った「嘘も方便」とは、「人は真実を直視するよりも、嘘を聞いている方が気持ちがいい。」という人間の習性を言い当てている。

 方便(役に立つ、利用できる)というよりも、嘘を上手く使った方が人生楽しく生きられる、ということを如実に語っている。そして、これが仏教の世界観の根底にあるものなのだ。嘘でもいいから楽しく気楽に生きたい。嘘の金(自分の子供たちに借金をさせることで、自分たちの預金に利子が付き、株価が上がり、年金が増える。まさにタコが自分の足を食っているようなもの)、嘘の食べ物(添加物の入った)、嘘の話(映画やテレビドラマ)に囲まれて嘘の人生を送る。これが仏教の極楽というものだ。


 ところが、キリスト教というのはイエス・キリストが真実を言って殺されたように、真実を重要視する。短い人生であっても、真実に生きれば、植物や動物のように、再び、この自分に生まれ変わることができる。


 イエスは真実を言っても何にも得にならないことを知りながら、従容(しょうよう)として磔にかかった。

 やけくそになったのでも、投げやりになったのでもない。ある確信を持って死刑台についた。

 それは真実に徹すればこそ、

「人間的な」と揶揄される神の創造物でありながら、

 自然物とは違い、俗っぽい・人間くさい・嘘まみれの生き物でありながら、

 大自然の創造物の一つとされていながら、

 その辺りに生えている一本の百合の花以下の「自然物」である人間も、真実に徹して生き抜けば、

 再び、その人間はその人となって生まれ変わることができる、という確信による。


「人間だもの」と言い、人間の持つ非自然性を認めることで「心を楽に」しようとする人間。「科学技術」だの「スポーツにおける素晴らしい人間の能力」を自画自賛することで、自分たち人間が大自然の創造物とは違った(間違った)生き方をしている、ということを覆い隠そうとする。


 イエスは、「さて、来世では一体どんな奴らと出会うのやら・・・。」と楽しみにしている。


 イエスが批判したものとは

 イエスは単にユダヤ人たちの下劣で意地汚い生き方を批判したのではない。人間という非自然性の最たる存在、それそのものを(批判・非難の)的(まと)にしたのです。


 因みに、カントの「純粋理性批判」という本における「批判」とは、

 イエス・キリストがそういう人間そのものの存在性について批判(深く検討)したという事実を受けての「批判」という言葉です。単に、人の言動を批判するという、軽いものではなく、批判する自分を含めた人類全ての存在を賭けた「批判」なのです。







 2021年10月19日(火)

 7時起床 晴 洗濯物・布団干し


 16時に出て龍泉、2件古い文房具屋を回った。

 814で830元 。

 小北82元。

 18時帰宅。


 ピアノを弾くのと習字



 韓国人と禅坊主

 非常によく似ている

 人の不幸を見て喜ぶ・楽しむ。


 日本人の幻影、韓国人

 日本人という実体が消えたら、その化身の一つである韓国人もまた消える。と、ある中国人は言った。


 台湾ハ○○も似たような運命にある。

 もし、中国が「彼ら」 → DS,国際金融資本、奥の院によって完全にコントロールされたなら、三国人は不要となる。


 1を知って十を知る 中国人

 日本人や台湾人が中国人に作らせている、というのは幻想だ。1割の指示で10の仕事を完成できる中国人だからこそ、安い価格で良い製品が大量生産できる。他の国・民族では、中国人のようなわけにはいかない。10どころか、20・30教えて、やっと9~10に手が届く、というレベルなのだから。






 文化と文明

 本来は優れた文化の後に優れた文明が発達した。 → 中国

 しかし、アメリカでは、先に(金と欲とを餌にして、無理矢理)文明を発達させたがために、その後に生まれた文化までもが歪になってしまった。


 中国人は何度も同じ人に生まれ変わる

 自分で自分を十分に生きているから、何度も「自分」をやれる(演じることができる)。

 マスコミや浮いた世間の噂や流行などに瞞されないで、本当の自分、真の自分、自分の自分を追求する一生(人生)。


 →大陸尋奇 「重慶」。現代的な町並みをテレビを背負って歩くホームレス風の男性。

 みな、人の目など気にしない。自分の人生に自信を持っているから。

「重慶」の曲芸団 → ディズニーランドのアトラクションなど子供だまし以下。




 2021年10月18日(月)

 8時起床 曇晴 洗濯物・布団干し

 1330に自転車で出て、移民局。近くの大きな電気屋2つと太平洋百貨に行くが、翻訳機はない。デパートの本屋には万年筆があったが、1500元以上のものばかり。

 ○で、腕時計の電池交換75元

 プラチナ社製の安い万年筆を発見。270元と97元。しかし、高い方は、その晩、インクを装着したがインクが出ない。

 しかも、ペン先は両方とも同じだ。それで価格差が三倍弱とは。

 日本やパーカーなどのインク(瓶入り)は、120~150とどれも高い。


 この店には翻訳機が置いてあった。




 たばこのうまさが救い

 本当に汗水流した後の一服。


「彼ら」の目的

 働かないで生き血を吸う寄生虫が増えすぎた。

 もちろん、「彼ら」が一番の寄生虫なのだが、「彼ら」が宿り木を監視・管理する為に今まで使用してきたユダヤ人や韓国人・ハ○○のような存在が重荷になってきた。

 一方で、技術の進歩によって、「彼ら」が直接宿り木を監視・管理できる道が見えてきた。この監視とコントロール技術が確立すれば、もはや中間層であるハ○○や韓国人は完全に不要となる。



 2021年10月17日(日)

 9時起床 晴・曇り 洗濯物・布団干し 終日家



 部落民

 部落出身者といえば、高校時代の同級生。肉好き女好き。

 いったい、セックスに快楽を求めるというのは、暗くて閉鎖的なイメージがある。

 私たちは、高校でも大学でも、男だけでも女性を交えての会話でも「バカ笑い」するくらいの、オープンで開放的で明るい会話というかバカ話・駄法螺を吹き合って楽しんでいた。

 高校時代などは、一つのベッドに数人が腰掛けて2・3時間もの長い時間を、与太話(くだらないバカ話)だけでエンジョイしていたのです。




「ビゴーの目」

 住み着いた土地の言葉はわからないが、それ故に透明な心で物事を観ることができる。

 外国人・部外者・素人・よそ者・非関係者としての視点。誰が勝とうが負けようが、自分には一切関係がない、という、あくまでも第三者としての気楽でノンポリシーで自由な立場。

「ひまわり革命」


 ケネディ暗殺事件の真相をもみ消した工作人たちは、その後の十年間で、そのほとんどが(事故・緊急疾患で)死亡している。

 工作に携わった人間(プログラム)もまた、その時期になれば「delete」されていく。





「彼ら」の目的

 好きな時に好きな人間になってその人の人生や生活の(一部)を体験したい。ある人間になって多くの人を虐殺する。殺した狂人はその人であり「彼ら」ではない。その人間の視覚・聴覚・触覚から入る情報は「彼ら」が憑依している間だけは「彼ら」のものだ。

 そうやって、「彼ら」は無数の人間の人生や生活を自分のものとして楽しめる。そして、すべての罪は憑依された人間に帰属するから、「彼ら」は楽しむだけ楽しんで「はい、さようなら」できる。


 老子 ノンシャラン nonchalant

 のんきで無頓着なさま。なげやりなさま。

「ノンシャランな態度」




 2021年10月16日(土)

 8時起床 晴 洗濯物・布団干し 終日家

 昨晩は22時に就寝。3回トイレで起きたが、かなりよく寝た。


 Minh Huyenさんの教え 存在するとはどういうことか 連動・連関

 すべては連動・連関している。

 この世の中、一つとして単独で動いているものなどない。必ず、何かは何かに動かされ、動かしながら、自分自身の動き(存在)を表す。

 自分が動くのではなく、他の何かを動かすことで自分の存在が証明される。他の存在によって自分の存在が明確になる。星が輝くのは、周りに暗黒という存在があることと、自分に光を与えてくれる存在があるから。


 動くことで、連動することで、自分の存在を確かなものにする。他との無意識の連携によって、自己の存在を確信できる。

 無意識こそが確信の拠り所。有意識であっては、確信にはならない。


 太陽のように自分自身で光を放ち輝くか、地球や月のようにそういう「自分で光を発する存在」によって自分の存在を主張するか。

 韓国人というのは、日本人という太陽によってその存在が認められる。韓国人だけでは技術的金銭的に自立できないということ以上に、日本人という「加害者」「支配者」の存在があって初めて彼ら自身の意識が形成される。

 自分だけでは歴史を作れない。

 ユダヤ人も同じだ。「ヒットラー」という存在無くして、彼らのアイデンティティは確立しない。ホロコーストを始めとする悪魔的な所業を行うナチス・ドイツという存在あってこそ、彼らユダヤ人は輝くことができる。たいしたことない音楽家や絵描きや文学者でさえも「あの不幸な迫害を受けたユダヤ人」だ、という「ご加護」があればこそ、その評価は十倍になる。



 一方、日本人は自分だけで存在できる。そして、世界一の強国アメリカと激闘を繰り広げたり、武器や兵器に劣っていても、カミカゼでという、強い精神性によっても存在感を誇示できる。


 アヘンによって中国人がどれだけ苦しめられたのかを歴史的事実として人々が永遠に記憶できるような記念碑・博物館を作るべきではないのか。




 2021年10月15日(金)

 6時起床 晴 洗濯物・布団干し

 905LV 945AVゴミ集積所

 1005AV屏東駅

 1020LV → 1037AV鳳山

 1105AV日台図書館

 1145LV自助餐へ

 文化会館前の庭で食す。

 高雄駅近くの電気屋に行くが、翻訳機は売っていなかった。

 1249の電車で屏東へ1316AV

 カルフールでパンとワイン600元

 1530帰宅 フロと洗濯

 食事後、ネットをやるが眠いので、2130頃就寝準備。



 奴隷を求める三国人たち

 ヤマギシ

 日本人の奴隷がなかなか入ってこない(網にかからない)ので、モンゴル人等の安い労働力を導入。

 禅坊主や東大天下りも、三国人と同じ。要は自分たちが働かなくてもいい環境を作るために、奴隷が必要なのだ。

 中国人はその長い歴史の中で、そういう不労所得者の血が絶えた。誰でも働き者だ。中国の坊主は本当に質素な生活をしている。

 中国では、たとえ坊主といえども、働かない人間・戦わない人間は軽蔑されるのだから。



 Minh Huyenさんの教え 位相と次元

 孫悟空の髪の毛は数百の異なる位相の悟空が戦う。

 如意棒は小さくなったり大きくなったりし、それぞれの次元で悟空は戦う。




 2021年10月14日(木)

 10時起床 雨 

 昼過ぎに止む

 1530にバイクで内ぷ 

 814で主に牛乳59元×4本

 1825ゴミ出し




 2021年10月13日(水)

 7時起床 曇 終日家


 ここ数日間は、台風の影響か、夜中から朝まで雨が降っている。その為、風呂後の洗濯物を外に干せない。



 Minh Huyenさんの教え 止まる

 それぞれの「決め」の部分で、必ず「止まって」いる。


 青学のサービス精神

 来訪したOBの姿をブログにアップしてくれる。彼や彼女たちの現役時代の懐かしい姿が彷彿としてくる。


 Minh Huyenさんの教え 彼女との戦い

 心が純真になると、かえってネガティブなことを考えることがある。それといかに戦って、真の純真さを得ることができるか、それは何時のことになるのか。死ぬまで続くのか。

 人の汚い心が見えてしまう。



 2021年10月12日(火)

 8時起床 昨日16時からの雨が夜通し、そして今朝も降り続いている。終日家。


 ハ○○の後ろめたさ

「盗み見している」「あなたのおかげで貴重な情報を手に入れることができる」という後ろめたさが、逆に尊大な態度となる。俺たちは盗み見しているのではなく、お前を監視しているのだ、と考えることで罪の意識から逃れようとする。



 核となるもの

「チャリダーマン」は、体力もガッツもあるし、良識常識もそれなりに持っている人ではあるが、核となる専門性がない。

 経済学とか心理学とかの学問、或いは、茶道で鍛えた経験とか競輪選手としてしばらく食っていたとかといった。

 だから、彼のせっかくの貴重な経験は、その場限りの(面白い)記事にはなっても、一冊の本にはならない。どんな事象・現象を見ても、必ずここに還ってくるという「此処」がないから。

 30代であれば、まだまだ十分時間はある。

 私の場合、社会心理学も日本拳法も極めていないので、やはり強力な求心力にならない。

 そういう人の為に編集者という専門家がいるのだが。

 私が自費出版によって編集者に助けてもらうことで、本を作ろうとしないのは、万人に読んでもらう(広く販売する)ためではなく、最終的に自分が満足する本にしたいから。自分があの世での旅路で繰り返し読めるような本。次の生まで何億・何光年かかるかわからない、気が遠くなるような長い時間読む本なのだから。



 技術で終わらぬよう


 中華文化圏という、世界で最も洗練された、優れた安定した社会がある。

 そんな豊かで安心して生活している人々の心を、不安と猜疑心に落とし込み、その豊かな社会を混乱させることに悦びを見出すという、人々がいる。これがユダヤ人や韓国人・台湾ハ○○といった民族の特徴ともいえる行動形態だ。

 、


 Minh Huyenさんの教え 日本拳法の精神

 日本拳法の精神を、4分間の太極拳演武によって体現(表現)してくれた貴重な映像。

 ○ リアリティ 他の人の演武は「ただの踊り」。○ 闘争心(ファイティング・スピリッツ)

 ○ 身体全体で戦う(打つ・蹴る・殴る・投げる)

 ○ 「戦い」という一点における心と身体の一致を追求する。

 ○ 和の心と円の精神





 2021年10月11日(月)

 6時起床 曇

 10時に一瞬晴れ間が。雨にはならないと判断。布団干し。

 1130~雨




 2021年10月10日(日)

 6時起床 晴 洗濯物・布団干し

 1430に出て龍泉814。

 床屋は混んでいた。

 バナナ、パイン×2個、昆布、香草、ジャガイモ、梅酒、350元





 2021年10月09日(土)

 6時起床 晴 洗濯物・布団干し

 9時10分に出て、まずはゴミ集積所へ急ぐ。

 9時50分に到着。

 あとはゆっくりで、10時10分に屏東駅到着。

 1020の電車で鳳山へ1037着。

 30分間で蚤の市場到着。鳳山自助餐は休み、素食の自助餐は消えていた。今回のコロナ騒動の故か。11時から1時間、市場を回る。

 コロナ騒動の所為か、コンピューター屋と充電器を買った電気部品屋は消えていたし、どの店も縮小傾向にあるようだ。按摩屋だけは繁盛していた。

 土曜日という理由もあるのかもしれない(日曜日の方が活気がある ?)が。

 昨晩は3回もトイレに行ったので、その所為で若干寝不足。しかも、朝は牛乳とトマトジュースだけなので、フラフラ。3回もベンチで各5分間、座って休息。

 12時に出て、近くの小北でキリンの「生茶」39元。若干、生気を取り戻すも、まだ力が入る状態ではない。

 13時、昔よく行った高雄の自助餐へ。50元。

 これでようやく落ち着いたが、やることもないので、のんびりと鳳山駅へ向かう。

 1345に着。1355の電車で屏東へ、1411着。

 高雄の自助餐では15分で飯を食い、30分で鳳山駅へ着いた、ということになる。鳳山駅から蚤の市場と、高雄のあの辺りへ行くのとでは、距離がほぼ一緒ということか。


 カルフールへ行き、1時間買い物660元。

 意識朦朧の一歩手前、はオーバーだが、いつもの「心と身体の不一致」によって、なんとか家にたどり着く。

 しかし、家 → 屏東駅1時間15分、 鳳山駅→蚤の市場30分、 → 高雄30分 → 鳳山駅30分と、今回は約3時間と、いつもより30分長い旅であったので、最後のカルフール → 自宅までの1時間15分は若干キツかった。身体が火照って、一晩中熱かった。

 




 苦しそうな顔をするな

 心と身体の一致、心と身体の不一致

「肉体と精神の、自立と連携」を鍛錬(追求)する。


 Minh Huyenさんの教え 間合い

 場と間合いとタイミングの極地を追求している。

 間合いを詰めたり話したり「いなし」たりしている。


 Minh Huyenさんの教え 身体全体を使って一点を成す

 例えば、立っていながら、屈んで卓上の湯飲み茶碗を手にするという、ごくごく簡単で何気ない動作において、下半身では腰・膝・足首、上半身においては肩・腕・手首・指先にまで全神経を集中させて、これを達成する。

 格好をつけるのではなく、自分自身の中で全神経・全精力、全知全能を駆使して何事も行う、という姿勢が大切、ということを教えてくれている。



 親父の博打

 微分積分が死ぬほど好きで、絶対安全・絶対確実をモットーに仕事をしてきた。(行徳という土地選びの慎重さ)

 その確実性を旨とした父が、なぜ競輪などという不確実(八百長が多いらしい)な遊びに、月5万円という限度額を堅持していたにせよ、これに酔狂したのか。あの世で尋ねてみたいものだ。



 ケンカと日本拳法

 相手の攻撃を避ける(受け流す)ことはできる。ジリジリと後退しながら耐えることはできる。しかし、これに勝つ為には、そこで第三の手というか、次元を変える(超える)ことをしなければならない。

 その切り替えができるかどうか。




 2021年10月08日(金)

 8時起床 曇 10時頃から晴れ間が出たので布団干し。16時から雨。


 Minh Huyenさんの教え 引導を渡す

 彼女の演武だけが「引導を渡すことができる」ほど真剣な演武。

 ほかの、この世に存在するあらゆる演武者のそれは、ただのダンスであり、形式だけの葬式という、ただの読経にすぎない。あのダンス(演武)では極楽へは行けない。





 2021年10月07日(木)

 8時起床 曇り

 16時から1時間凄い雨。 終日家


「旅の手帳」

 冥土への旅の道すがら読む(思い出す)ための備忘録。

 青森での自転車旅行。

 午前11時から午後6時まで、休憩無しで7時間、折りたたみ自転車で山道を上り下りして、青森駅前から、つがる市のねぶたを見に行きました。

 祭りを見ること2時間、再び自転車で帰路につく。途中のガストで食事をとり、深夜1時から八甲田山麓の「かっぱ温泉」という(銭湯価格の)健康ランドまで、休憩無しの5時間、深夜でほとんど車の通らない国道をとろとろと上り下りしました。

 その一週間後、今度は○○市から八甲田山の麓の宿まで、午後三時から深夜12時まで、途中2回の休憩1時間を差し引いて約8時間、やはり折りたたみ自転車で走りました。

 自分なりのやり方で、日本の夏に浸ってみたかったのだと思います。


 朝10時から翌朝6時まで、椅子に座ったのはガストでの2時間のみ。祭りを見るのも立ち見ですし、自転車を漕いで




 Minh Huyenさんの教え アナログの世界

 他の競技者はすべてデジタル。デジタルの精度をかなり上げてはいるが、やはりデジタル。カクカク感がある。

 しかし、Minh Huyenさんは完全にアナログ。すべてが滑らかで、塵ほどもギクシャクしたところがない。清らかな水の流れを見ているかのようだ。 そして、決めの所ではビシッとデジタル的に決める・固定する。

 まさにアナログとデジタル、流れと停止という相反する矛盾を見事に消化して一つにしている。矛盾の克服とはこれである。


 Minh Huyenさんの教え 溜め

 演武の中で「溜の大切さ」を教えてくれるのは、Minh Huyenさんだけ。




 日本拳法読本

 ○ 面突きを恐れるな

 ○ 健康編

 ○ 暑さ(熱さ)に強くなる


 OB会費を払っているからOBなのか。

 何を以て自分のアイデンティティを自覚するのか。


 問題は金持ち(貴族)階級

 金持ち(貴族)階級とは、働かないで贅沢な暮らしをしている人々のことで、これが全世界に数億人いると言われている。

 また、ハ○○を始めとする在日韓朝鮮人といった者たちも、これら金持ち(貴族)階級の予備軍だ。

 世界の人口を70億から5億に減らす、というのが彼ら金持ち(貴族)階級の目標だそうだが、それは自分たちだけが生き残るということ。

 しかし、牧場の家畜がいなくなっては貴族も成り立たないはずだが、彼ら金持ち(貴族)階級にとっては、5億とは自分たちのことだけであり、残りの65億人は人間として勘定していない。

 しかも、数十年後にはその家畜たちは人間の心を失った(人間としての自覚のない)、本当の家畜になっているのだから。

 現在は人間牧場計画の途中なので、ハ○○や在日韓朝鮮人を、やむを得ず使用しているが、この計画が完成すれば、当然、こんな「黄色人種」など不要になる。最終段階では、彼らもまた「さいなラッキョウ」となる。


 ミケランジェロの描いた、ギリシャ神話に出てくるオリンポスの神々のような白人こそが、彼ら貴族に相応しい、というのが彼らの美学である以上、チョンカンパ(朝鮮人・韓国人・ハ○○)、そして、最終的には中国人(富裕層)でさえも、家畜の仲間に入るべき存在なのです。

 あの優れた技術力を持つ日本人はどうなのか、といえば、


 禅坊主と韓国人

 自分たちで真似しておきながら、自分たちが元祖だというように見せる。



 Minh Huyenさんの教え 視線

 視線・表情が安定している。

 武蔵の教え 瞬きをせず、うらやかにみゆる・・・。


 中国の取り合い

 ロスチャイルドとロックフェラーによる争奪戦。


 台湾人よ気をつけよ

 君たちは中国人だ。

 それを忘れて、日本やアメリカ、韓国といった虚構の国や国民の真似をしていると、やがて中国人としての本性を失う。

 ○○のたとえの如く、自分本来の歩き方を忘れないように。



 Minh Huyenさんの教え 矛盾の克服

 先に打たねばならないといえ、先に打てば先の先を取られる。先の先を取るには待たねばならないが、待てば先を取られる


 尻切れトンボ

 スマホをやっている人からすると、私の文章など長くてとても読めない。

「最後までお読み戴き・・・」

 しかし、私もまた、神を面前にして書いているつもりだから、安易に省略やごまかすことはできない。



 理に適うとは

 適材適所・適時適応・的確十分

 要は、場と間合いとタイミング

 何時どの時点でどういう攻撃(セールス)をすべきか。

 知識的にオールマイティである必要はない。

 必要な知識(情報)をベストタイミングで、必要とする人に提供する。

 そして、相手を乗せていく。

 買いたくなる(使いたくなる)気持ちにさせる。

 商品の宣伝よりも、時代の流れ・トレンド(趨勢)という大きな流れの中でのこの商品を使うべき「必然性」を感じさせるような内容の文章。


 活気のある組織が強い(というか元気がある)

 40年前の東洋大学、部員10名に10部ずつ依頼。


 葬式はマーチングバンドで

 台湾スタイル




 2021年10月04日(月)

 6時起床 晴 洗濯物・布団干し



 28週後

「家族、家族」と言うが、家族に引っ張られて自分の人生を生ききれない、自分の人生が薄まってしまうということを、誰も考えないのだろうか。


 卒業式の後で

 その罪悪感が次の人生の(ステップにおける)エネルギーになることを知っていた。

 私が自分の人生をすでに何回かやっていると実感した時。

 ① 

 ②

 ③坊主を辞めて鎌倉に住む時


 ④ 鎌倉最後の夜


 ⑤ 機動隊がデモ隊を鎮圧

 大宅壮一「あの警察官の家族も」

 ヤクザというのはそれを知っていても尚、役所の前に救援物資を置いてくる者たちのことを言う。

 かれらは「神前に礼」の如く、自分たちがとにかく正しいことをやっている、ということに誇りと安心感を見出している。人間がどうという話ではない。人から見れば「自己満足・ナルシスト」と非難・中傷されるかもしれない。

 しかし、とにかく彼らは、個人的に使える最大限のなけなしの金で食料や生活必要品を買い集め、昼も夜もなく自分で車を運転して遠路、被災地までやってきた。そして、明け方、誰も見ていない時にそれを役場の前に降ろして立ち去った。

 そう「神以外、誰も見ていない」善行を積んだ。

 禅坊主が「これじゃ、十年間は托鉢に行けないな」と、あっさり現実を見ているだけとは違う世界がそこにある。


「ひどいもんやな」とテレビの画面を眺めながらその学生は言った。私もそこまでは同じだった。しかし、彼はその後で隣にいる仲間にこう言った「ワシも明日行くで」と。


 カノッサの屈辱

 世論を動かす者が軍事力に勝つ

 ユダヤ人の学び

 幾ら正論を述べようが、武力で威嚇しようが、大衆という「絶対多数の信じる虚構」の前には、論理も正義も、そして武力による恐怖も無力。

 しかし、そのいわば「無知蒙昧な」大衆の中にあって、独り覚醒し、直接神との対話ができた者だけが「天国」という魂の行くべき場所へ行くことができる。その道筋が見える、そこへ独りで行く勇気を持てる。


 そして、復活(再び、元の自分に還る)ことができる。

 イエス・キリストの価値、その貴重さとは、彼が自分の人生を何度も繰り返している、という点にある。


 Minh Huyenさんの教え 流星と地球の公転

 日本拳法と太極拳

 一瞬と一年

 日本拳法の後拳は、打ったが最後、エイヤッの丁半博打みたいな、後は天に任せた、みたいに。

 太極拳は最後まで面倒見るよ、みたいな。




 韓国人が騒ぐ理由

 従軍慰安婦だの徴用工だの。

 自分たちの悪事を恐れている。

 自分たちが被害者であると「信じる」ことで、罪を逃れようとする。

 そんな彼らの末路は「ソドムとゴモラ」。



 バカとハサミは使いよう

 自分からバカになり、ハサミになった。

 自分で自分を活かす場を作り出した。

 人には、使いよう、或いは持ち場というものがある。

 錐のように突き刺さり、グイグイ食い込み・入り込んでいく。





 2021年10月03日(日)

 6時起床 晴 洗濯物・布団干し





 2021年10月02日(土)

 7時起床 晴 洗濯物・布団干し


 英雄のいない国

 台湾、韓国


 アインシュタインの相対性理論とは、カントの「純粋理性批判」の影響を受けている

 ユダヤ人による偉大な(物理の)学説とは、ドイツ人の物理学者(カントは哲学者であり、物理学者でもあった)から生まれた、なんて言ったら、日本のある雑誌が「アウシュビッツの虐殺はなかった」という記事を掲載したがため、廃刊に追い込まれた「マルコポーロ事件」と同じく、ユダヤ人に問題視されるかな ?

 しかし、「アインシュタインの相対性理論は間違っている」とか、それ以前の様々な理論の寄せ集めであるという、学術的な視点・検証が為された本が何冊か出版されているので、私の言質が言下に「嘘」と、糾弾されるはずはないと思うのですが。


 警察官の心理

 自分たちが人権侵害、人道上の犯罪を行っているがために、なんとか精神的にあいて(容疑者)よりも優位に立ちたい。

 そこで、相手の欠点・痂皮を見つけることに躍起になる。

 精神的に自分の方が上に立たなければ、違法捜査・人権侵害ができない、と言う以上に、自分の存在が脅かされてしまうからだ。

 こいつは悪い人間だ、犯罪者だ、極悪人だ、だから、自分がこいつに何をしようと許される、という安心感が必要なのだ。

 で、それが行き過ぎるので、容疑者を取調室で殺してしまったり、冤罪にしてとにかく「悪者」にすることで、自分たちの罪の意識を軽減しようとする。


 警察官の心理 2

 騎兵隊がいなければ、当時三千万~五千万人いたというアメリカン・インディアン(ネイティブ・アメリカン)が、ほぼ絶滅に近い状態まで虐殺されることはなかったであろう。

 自分たちの存在感を大衆に知らしめる為に、そして何よりも、自分たちの励みにする(自分たちの存在意義を自覚して積極的に仕事に取り組めることができるようにする)為に、悪者・悪人・凶悪犯人を作り出さねばならない。

 そして、これは麻薬のようなもので、一旦これをやって満足感に浸ると、何度でも永久に続けることになる。悪がいなければ善の存在意義がないのだから、とにかく「悪」を常時社会に作り出しておかねばならない。大衆に危険という意識を持たせ、その不安解消の為に警察官という守護神がいるのだ、と思わせることで彼らの仕事の九九パーセントは終わっている。


 存在意義さえあれば、給料がもらえるのが公務員。実際に悪が無くなってその報奨金がもらえる、というシステムではない。

 「警察官がいなくても安心して暮らせる社会」を構築する為に税金を使うのではなく、警備員という、一種の保険をかける(保険金を税金という形で支払う)ことで安心して暮らせる社会になる。こう信じ込ませることで、(警察組織を含む)世の保険会社は金儲けができるのです。


 Minh Huyenさんの教え 1.5倍速で観る

 流れがスムーズ。シームレスパイプ」のように、淀みがない、緩みがない、スムーズな流れ。


 Minh Huyenさんの教え 移動

 やたらと不必要に移動しない、動き回らない。

 最小限の移動で最大限のエネルギーの爆発を見せている。


 他の人に比べてゆっくりだが、極めて高速のエネルギーがにじみ出ている。


 日本拳法の教え

 フェイント(偽物)と本物をどう見分けるか


 マトリックス 心を解き放て

 日本では「バカになれ」と教える。

 西郷さんの銅像の前で歌を歌う。

 恥・心配・不安を捨てる。

 小松も格好つけないで、警察に脅されても、女の子たちに煽てられても、日本拳法における空の心で自分の重心を崩さなければ、それら攻撃をはねのけることができて、人間的に一歩前へ進めたものを。


 2022年大学日本拳法選手権

 Inevitable必然か選択か。

「人間が選択した」結果なのか。それとも、運命としてそう決まっていたのか。

 自分が意図して「そうした」のか、

 或いは、偶然といおうか、運命で定められていたかのように「そうなった」のか。

 人間誰しも、自分の人生を振り返る時、そういう観点で検証してみたくなるものです。





 2021年10月01日(金)

 6時起床 晴 洗濯物・布団干し


 右膝の痛みがなくなった。しばらくすると、再び痛み出すのだろうが、一時的にせよ、なくなったのは僥倖だ。


 ゆっくり・じっくり書く、ゆっくり・じっくり体操をする


 汝らのうち、最も若く・強く、そして速き者が死ぬであろう



 2021年09月30日(木)

 6時起床 晴 洗濯物・布団干し


 やっぱり私は日本人

 ○ 執着心

 MHC時代、仕事に対する強烈・熱烈・激烈なる執着

 こだわり、これなくして、あの5年間の私はあり得なかった。

 今の日本の教育は執着心を無くして若きエネルギーを分散させて、散らして無能にしてしまおうというかのようだ。




 ...三船敏郎は幸せだった

 その時代、時代の自分の年齢に合った(適した)役柄をもらい、その役に成り切れた。

 20代では「七人の侍」の菊千代

 30歳代には「醜聞」の熱血漢

 40代では「天国と地獄」の真面目な職人気質のビジネスマン

 50代では「生き物の記録」の「気の違った」老人


 偽物を演じる、架空の役柄を与えられるのではなく、まるで、現実に・実際に存在したある人間を、完全にその人間に成り切って演じる。

 まさに、自分の生きたその年代における自分を演じ切った。

 その映画を見返すことで、その時代・時代における自分という人間を見ることができる。

 架空の存在(役柄)としての自分ではない。本当の自分がそこにいる。


 田原総一朗は、「ロッキード」の時、「田中角栄は虎の尾を踏んだ」と喝破して公言したことによって、あの時代における彼の存在感を永久に人々の胸に刻むことができた。これからもそうだろう。

「一億総懺悔」「駅弁大学」などの言葉で、当時の世相を見事に反映する言葉を生んだ大宅壮一は、やはり、その時代の申し子とも言うべきほどに、その時代にどっぷりと浸り、その中で自分という存在感を見事に際立たせた。



 第100代日本国総理大臣は岸田文雄となった。

 彼は豊臣秀吉の朝鮮征伐の時、日本へ連れてこられた両班(りゃんぱん)の子孫だそうだ。朝鮮人(韓国人)の奴隷の子孫が400年かけて終に日本の支配者になった。

 まさに、オバマ大統領誕生の時と同じ感動を以て在日韓国人たちは、この日を永遠に忘れないであろう。

 韓国人に征服された日本という時代の象徴である。

(韓国人による)徴用工や従軍慰安婦の話からすると、私たち日本人は彼ら韓国人を400年前から、つい先頃の70年前まで、奴隷として扱ってきた、憎むべき外国人ということになる。

 その憎っくき征服者日本人を、今度は反対に征服して奴隷としてこき使う権利を、今回公(おおやけ)に手に入れたのだから、韓国人にとっては打ち出の小槌・アラジンの魔法のランプを手に入れたようなものだろう。

 精々、日本人から絞れるだけ搾り取ってみてほしい。





 ..2021年09月29日(水)

 6時起床 曇


 ...Minh Huyenさんの教え 整合性

 彼女の演武を一字で表現すれば「闘」


 大学時代、すべてに於いていい加減にやっていた自分が、逆にすべてに於いて完璧に転身した。180度変わったと言うよりも、ガッツ石松氏の仰る如く「360度」自分の人生が変わった、と言えるだろう。


 ...Minh Huyenさんの教え 音楽が公案

 無限の時空の中に、今この場と一瞬で、真の自分を見出した。絶対にこれしかないという自分の本性を見つけたのである。

 禅とは本来、深山幽谷・人跡未踏の地で、朝昼晩に関係なく、自分の呼吸、自分の生命体としてのリズムを見出し、それと大自然のリズムとの一致を達成することで、動植物とは違う、普通の俗っぽい人間とも違う、大自然の一部としての自立自覚した人間として、その存在感を自覚することにある。

 その意味で、この世にまともな禅坊主などいない。禅坊主のフリをすることが公案禅の目的となっているのだから。





 ..2021年09月28日(火)

 7時起床 曇 洗濯物・布団干し


 ...漢文

 中国語を本当に味わう(理解する)なら、漢文で読むべき。

 老馬伏れき

 志在千里

 烈士暮年

 壮心不已



 詩や文章にある心を読み取り、これをじっくりと味わうことができなければ、読む意味がない。景色も文章も、自分の心の中で味わうことができなければ、その場・その時、本当に存在したとは言えないのだから。


 ...万年筆

 書いている、という実感がある。

 高校二年生の時、アメ横で売っている「英雄」という、一本100円の万年筆があった。


 ...韓国人はなぜ軽いのか

 人生を一回しかやっていないから、重みがない。

 人間性に重みがないから、格好や素振りで重みをつけようとする。(韓国)人や組織の名前に重みのある文字や意味を持たせることで、見た目だけの重み(存在感)を持たせようとする。


(真の)日本人は、何度も自分の人生を行ってきているから、存在感がある。存在感があるから、何度でも自分に生まれてくることができる。



 ...Minh Huyenさんの教え 真剣勝負

 この大会の参加者9名の内、Minh Huyenさん以外の8人は、みな真の真剣勝負ではない。

 演武中、緊張してミスを犯さない為に、ほとんどすべての動作が無意識でできるように練習している。

 Minh Huyenさんだけが、一挙手一投足、すべての動作において、この場一回限りという新鮮な態度で臨んでいる。

 すべて意識してその瞬間を切り取っているのだ。


 無意識と意識の相克

 これが太極拳における一つの大きな戦い(葛藤)なのです。


 高くジャンプしながらも、身体がブレる(揺れる)ことなく着地するのが高得点を得る為の一つのポイントとなっているようだが、そのために、このジャンプと着地という行為を機械的に行うという道を選ぶ人が多いようだ。Minh Huyenさん以外はみなそうだ。

 しかし、Minh Huyenさんだけは人間的に非機械的にその場その瞬間に全神経・全筋肉・全身全霊を賭けて、この一瞬を切り取ろうとする。

 機械的な匂いがしないところが、この人の優れた芸術性が生まれる所以であり、持ち味なのです。

 まさに、日本料理における、旬の魚や菜を素早く切り取り、(料理し)盛り付けるという、テンポ・真剣味を感じさせてくれる、ベトナム流・ベトナム・スタイルといえるでしょう。


 ...Minh Huyenさんの教え 矛盾の克服

 素人っぽさと熟練さ

 初々しさと円熟味

 アマチュア臭さがありながらプロ的

 際どさ(危なっかしさ)と安心感

 新鮮さと豊熟度

 新しさと古典的な奥行き・幅(の広さ)

 軽さと重み

 速さとゆっくり

 高と低

 遅速

 円と直線


 全く別物でありながら、切り離すことができない真理の二面性


 Minh Huyenさんは、さらに位相と次元の違いを見せてくれる。




 ...台湾人

 恥という観念がない。 → 韓国人と同じ

 私は台湾人ではない、びんなん人だ、原住民だ、本省人だ、と言って、決して自分が台湾人という国家の一員であると考えない。

 オリンピックで誰かが金メダルを取っても、誰も特に嬉しくない。むしろ嫉妬するくらいだ。

 民族としての・国家としての一体感がないから。

 日本人とドイツ人だけが、民族としての国家としての忠誠心、運命共同体意識を持っている。血が一つだから。




 ..2021年09月27日(月)

 6時半起床 晴 洗濯物・布団干し

 昨晩は22時に就寝。

 約1年ぶりの自転車での屏東往復で、少し疲れたか。


 ...三国人の特徴

 ○ 情熱がない

 ○ 文化がない

 ○ ポリシーがない(カメレオン)

 コブラ○巻に出てくる化け物(多くの人間(の死体)が寄せ集まって、巨大な人間の形をした化け物になった。)と同じ。在日・ハ○○という、人間の死体でできた、人間の形をした組織体。






 ..2021年09月26日(日)

 6時起床 晴 洗濯物・布団干し

 約1年ぶりの自転車での屏東往復で、少し疲れたか、22時に就寝。身体が熱くて寝られない。


 1245LV 公園横のだいそーで歯ブラシ。電池はダイソーが一番安い! アルカリ乾電池6本入りで49元。近所の金物屋では4本で87元だった。

 カルフールで安いワインとパン600元。

 1615屏科大前の自助餐で60元。

 1740RTN 五時間水を飲まず。帰ってシャワー、食事。




 ...文化とは

 原住民が自分たちで作る衣装。数千個もの細かいビーズを縫い合わせて幾何学(哲学)的な造形物を作り上げる。しかも、金や権力というものと関係無しに、自分たちの自発的自由な発想で楽しんでそれをやる。

 日本人の料理。

 気合いを入れる・精魂を注入する・凝る。

 韓国人の作る寿司や日本料理はうまくない、本物ではない。

 それを作る人の心(魂)がこもる料理、服装、行事。それが日本文化。


 彼ら自身が呼ぶ三国人の「文化」とは、俗っぽい、見かけだけ何かを真似ているだけで、魂がこもっていない。だから長続きしない、つまり、本物でないから。


 ...ゲルマン民族の大移動

 → ユダヤ人から逃れる為。

 → ドイツ人のへの大移動も同じ。

 血の純粋性を保つ為に、民族全体で移動して寄生虫から逃れようとする。





 ..2021年09月25日(金)

 6時起床 晴・曇 洗濯物・布団干し 終日家



 日中暑くても。夕方5時くらいになると、風がひんやりし、スコールになったりする。




 ...日本人と韓国人のちがい

 哲学がある(できる)か(でき)ないか。

 日本人は確かに存在している。しかし、要領よく生きているだけの韓国人は、神の目(真理)には見えない。色眼鏡ではなく、真理という真に素の、透き通った目で見れば、韓国人はそこにいない。

 苦悩し・嘆き悲しむ「カレーの市民」のような日本人の魂は確かに存在しているにもかかわらず。


 みんなに見られている、という意識を乗り越えることが日本拳法の防具練習や公式戦で戦う、もう一つの戦いなのです。敵と殴り合いをする以上に、自分自身が見られているという意識に打ち勝つ。

 私は、5回の初段の試験でそれを鍛錬できた。

 恥ずかしいから、今回絶対に合格しようなんて、俗っぽい気持ちをどこまで振り切ることができるか。




 ..2021年09月24日(金)

 6時起床 晴 洗濯物・布団干し 終日家


 中秋節は21日(火)だったのだが、今晩10時頃、満月がきれいだった。



 ...岸和田の祭り

 警察官のいない安心感 → 気風のいいやくざ風のお兄さんの交通整理の方が、よほど安心できる。

 交通整理のフリをした警察官の痴漢




 ..2021年09月23日(木)

 6時起床 晴 洗濯物・布団干し 午後から曇り、一時雨 終日家

 ゴミ出し

 Minh Huyenさんの教え 何事も丁寧にやる


 ...ハ○○が最も恐れるもの

 原住民



 ...Minh Huyenさんの教え 美しいものを毎日見る

 美しいといって、きれい・かわいいというのではなく、秀逸・際立っているという意味での美しさ。

 例えば、高村光雲の「老猿」を居間に置いて、毎日これを眺めていれば、精神的に相当な刺激・涵養を与えられるに違いない。




 ..2021年09月22日(水)

 6時起床 晴 洗濯物・布団干し


 ...Minh Huyenさんの教え ごまかしがない

 ゆっくりやっている。速いところでもごまかしていない。



 ..2021年09月21日(火)中秋節

 7時起床 晴 洗濯物・布団干し 

 窓からの風はすでに涼風

 土日月火の四連休最終日 花火の音も寂しげな。


 1430から雷と豪雨。一雨ごとに涼しくなるか。

 約1時間で雷雲は遠ざかったらしく、遠雷となる。


 ...Minh Huyenさんの教え 溜めの大切さ

 グッと一旦退くようにして停止する。退くように下げるようにしてその位置で力を溜める。

「溜め」ができるのは彼女だけ。




 ...書くことで空乱・想乱をしていた

 プレゼンテーションそのものを練習したのではない。資料を作る、文章を書くことに専念することで頭の中に、プレゼンテーションの概念が広がり、確立されてくる。

 毎晩、8時頃から11時の終電間際まで、毎週金曜・土曜は深夜3・4時まで。


 ...クレージーになれる

 桜井も小松も、あまりに理知的だった。自分の壁を越えようとしなかった。


 私は、日本拳法で壁を越えるまで稽古しなかったが、面突きの一瞬を追求する(楽しむ)ことで、内面的に劇的な変化があったに違いない。


 自分の思いを言葉で表現し、それを読んで再度、思いを深く広くする、思念を強くする。それを文章に書き出して、更に思念を深める。その思考に終着点はない。永遠に思考・思索するのだが、その度ごとに、或いは100回~1,000回くらい思い出す間に、更なる思念の増幅が、様々な位相と次元で表れてくる。

 若き学徒は、考えても考えても答えを見つけられず、終に絶望して華厳の滝に飛び込んだが、私の場合、考えれば考えるほど様々な位相・次元の広がりと深みが増幅して、飽きることがない。厭きることがない。

「何億・何光年」の旅でも、心一つで退屈せずに楽しめるだろう。




 、藤村操「巌頭の感」

 悠々たるかな天地。遼々たるかな古今。

 5尺の小躯を以てその大をはからんとす。

 ホレーショの哲学ついになんのオーソリティにあたいするものぞ。

 万有の真相は、唯一言にして尽くす。曰く不可解。われこの疑問を抱いて煩悶、ついに死を決す。

 すでに巌頭に起つにおよんで、何の不安あるなし。初めて知る、大いなる悲観は大いなる楽観と一致するを。





 2021年09月20日(月)

 6時起床 晴 洗濯物・布団干し 終日家


 なぜ地獄へ行くか、というと、そこで本当の苦しみを知り、真人間に更生する為。

 地獄の苦しみ、というが、それを受けなければ、自分という人間がどれほど罪深いのか自覚できない者のための、つまりは「救済措置」。

 人間世界(現世)で、虚構・虚妄の地位や権力、偽善と虚偽による金・物の豊かさに酔いしれた者は、必然的に地獄へ墜ちる。光と影、陽と陰のバランスが必ず均衡するように。エントロピーの法則。


 名言集と「聖書」の違い

 聖書とは、混血民族たちが、それぞれの血や慣習を超えて、同じ心で結ばれようとする、共同体意識を共有するための「公開鍵」である。

 自分たちのルーツを追求するには、あまりにも血が混ざりすぎている。何に感動し、何に哀れを感じるかといった感性もバラバラだし、知性においても、計算能力だけが共通に語ることができる。


 Minh Huyenさんの教え 本気度が違う

 他の演武者たちに比べ、本気のレベルが段違い。


 2021年09月19日(日)

 6時起床 晴 洗濯物・布団干し

 14時に出て、龍泉814に行き、一昨日購入した赤ワインの不味さをサービスカウンターで訴える。

 かわいいお姉ちゃんは親切に対応してくれたが、原住民ぽい身体の大きな女性は不愉快そうだった。彼女に文句を言ったのではなく、ワインが不味いといったのだが、原住民の人というのは、そういう社会的な距離感というものが希薄なのだろうか。他の台湾人も同じなのか。


 龍泉最奥の小間物屋にて、アルミシート三枚組を三本購入150元。

 帰ろうとすると、とある檳榔屋の前あたりで大雨。約三十分間。金吉で、電池87元と、コンセント差し込みタイプの小さな電灯・電球を購入。全部で137元?

 その頃には雨が上がっていたが、小学校の横を通り抜けて裏道に入ると、道路が濡れていない。即ち、龍泉の町中だけ大雨だった、ということだ。

 帰りの裏道で、たくさんのススキの穂が風に揺れていた。

 台湾はもう秋らしい。

 朝、布団を干す時に窓から入ってくる風は、一頃の熱風ではなく涼風になっていた。


 2021年09月18日(土)

 6時起床 晴、午後(12時頃)から曇り 洗濯物・布団干し 終日家


 1340頃から、凄い雷雨が一時間続く。





 2021年09月17日(金)



 ...文化がある

 日本拳法を確かにやっていたという証明。

 そして、日本拳法をやっていたからこそ、こうして人生を楽しむことができた。

 人生を楽しむ、これ即ち文化的な生活のこと。

 貧乏でもホームレスでも独りでも、オレはこんなに自分の人生を楽しんでるぜ、と言える。

 今のこの貧乏で孤独な中でも、大学日本拳法や太極拳に楽しみを見出すことができる。

 日本拳法や太極拳の大会を見に行けなくても、ビデオだけでこれだけ楽しめる。

 太極拳なんて、この一ヶ月間、毎日新しい発見・気づきの連続。

 日本拳法をやっていたからこそ、




「私はこうして日本拳法を楽しめた」

 その証明が私の本です。




 歳を取ると何でも合理化して、簡単にできるように、無意識でやれるようにしようとする。

 これが、老化というものの最大の原因なのです。




 2021年09月16日(木)

 6時起床 晴 洗濯物・布団干し


 14時にでようかな、なんて思っていたら、黒雲と遠雷の音。しばらくすると、パラパラ雨と風。




 2021年09月30日(木)

 6時起床 晴 洗濯物・布団干し


 やっぱり私は日本人

 ○ 執着心

 MHC時代、仕事に対する強烈・熱烈・激烈なる執着

 こだわり、これなくして、あの5年間の私はあり得なかった。

 今の日本の教育は執着心を無くして若きエネルギーを分散させて、散らして無能にしてしまおうというかのようだ。




 三船敏郎は幸せだった

 その時代、時代の自分の年齢に合った(適した)役柄をもらい、その役に成り切れた。

 20代では「七人の侍」の菊千代

 30歳代には「醜聞」の熱血漢

 40代では「天国と地獄」の真面目な職人気質のビジネスマン

 50代では「生き物の記録」の「気の違った」老人


 偽物を演じる、架空の役柄を与えられるのではなく、まるで、現実に・実際に存在したある人間を、完全にその人間に成り切って演じる。

 まさに、自分の生きたその年代における自分を演じ切った。

 その映画を見返すことで、その時代・時代における自分という人間を見ることができる。

 架空の存在(役柄)としての自分ではない。本当の自分がそこにいる。


 田原総一朗は、「ロッキード」の時、「田中角栄は虎の尾を踏んだ」と喝破して公言したことによって、あの時代における彼の存在感を永久に人々の胸に刻むことができた。これからもそうだろう。

「一億総懺悔」「駅弁大学」などの言葉で、当時の世相を見事に反映する言葉を生んだ大宅壮一は、やはり、その時代の申し子とも言うべきほどに、その時代にどっぷりと浸り、その中で自分という存在感を見事に際立たせた。



 第100代日本国総理大臣は岸田文雄となった。

 彼は豊臣秀吉の朝鮮征伐の時、日本へ連れてこられた両班(りゃんぱん)の子孫だそうだ。朝鮮人(韓国人)の奴隷の子孫が400年かけて終に日本の支配者になった。

 まさに、オバマ大統領誕生の時と同じ感動を以て在日韓国人たちは、この日を永遠に忘れないであろう。

 韓国人に征服された日本という時代の象徴である。

(韓国人による)徴用工や従軍慰安婦の話からすると、私たち日本人は彼ら韓国人を400年前から、つい先頃の70年前まで、奴隷として扱ってきた、憎むべき外国人ということになる。

 その憎っくき征服者日本人を、今度は反対に征服して奴隷としてこき使う権利を、今回公(おおやけ)に手に入れたのだから、韓国人にとっては打ち出の小槌・アラジンの魔法のランプを手に入れたようなものだろう。

 精々、日本人から絞れるだけ搾り取ってみてほしい。





 2021年09月29日(水)

 6時起床 曇


 Minh Huyenさんの教え 整合性

 彼女の演武を一字で表現すれば「闘」


 大学時代、すべてに於いていい加減にやっていた自分が、逆にすべてに於いて完璧に転身した。180度変わったと言うよりも、ガッツ石松氏の仰る如く「360度」自分の人生が変わった、と言えるだろう。


 Minh Huyenさんの教え 自分自身の公案

 無限の時空の中に、今この場と一瞬で、真の自分を見出した。絶対にこれしかないという自分の本性を見つけたのである。

 禅とは本来、深山幽谷・人跡未踏の地で、朝昼晩に関係なく、自分の呼吸、自分の生命体としてのリズムを見出し、それと大自然のリズムとの一致を達成することで、動植物とは違う、普通の俗っぽい人間とも違う、大自然の一部としての自立自覚した人間として、その存在感を自覚することにある。

 その意味で、この世にまともな禅坊主などひとりもいない。禅坊主のフリをすることが公案禅の目的なのだから。

 禅でも日本拳法でも達成できない「真の自分探し → 十牛図」ができる最も合理的で経済的で、真実と呼べるのは太極拳(Minh Huyenさんのこの演武)であろう。





 2021年09月28日(火)

 7時起床 曇 洗濯物・布団干し


 漢文

 中国語を本当に味わう(理解する)なら、漢文で読むべき。

 老驥櫪に伏すとも

 志は千里にあり

 烈き士(は暮年にいたれど

 壮んなる心を已めあえず


 詩や文章にある心を読み取り、これをじっくりと味わうことができなければ、読む意味がない。景色も文章も、自分の心の中で味わうことができなければ、その場・その時、本当に存在したとは言えないのだから。


 万年筆

 書いている、という実感がある。

 高校二年生の時、アメ横で売っている「英雄」という、一本300円の万年筆があった。


 韓国人はなぜ軽いのか

 人生を一回しかやっていないから、重みがない。

 人間性に重みがないから、格好や素振りで重みをつけようとする。(韓国)人や組織の名前に重みのある文字や意味を持たせることで、見た目だけの重み(存在感)を持たせようとする。


(真の)日本人は、何度も自分の人生を行ってきているから、存在感がある。存在感があるから、何度でも自分に生まれてくることができる。



 Minh Huyenさんの教え 真剣勝負

 この大会の参加者9名の内、Minh Huyenさん以外の8人は、みな真の真剣勝負ではない。

 演武中、緊張してミスを犯さない為に、ほとんどすべての動作が無意識でできるように練習している。

 Minh Huyenさんだけが、一挙手一投足、すべての動作において、この場一回限りという新鮮な態度で臨んでいる。

 すべて意識してその瞬間を切り取っているのだ。


 無意識と意識の相克

 これが太極拳における一つの大きな戦い(葛藤)なのです。


 高くジャンプしながらも、身体がブレる(揺れる)ことなく着地するのが高得点を得る為の一つのポイントとなっているようだが、そのために、このジャンプと着地という行為を機械的に行うという道を選ぶ人が多いようだ。Minh Huyenさん以外はみなそうだ。

 しかし、Minh Huyenさんだけは人間的に非機械的にその場その瞬間に全神経・全筋肉・全身全霊を賭けて、この一瞬を切り取ろうとする。

 機械的な匂いがしないところが、この人の優れた芸術性が生まれる所以であり、持ち味なのです。

 まさに、日本料理における、旬の魚や菜を素早く切り取り、(料理し)盛り付けるという、テンポ・真剣味を感じさせてくれる、ベトナム流・ベトナム・スタイルといえるでしょう。


 Minh Huyenさんの教え 矛盾の克服

 素人っぽさと熟練さ

 初々しさと円熟味

 アマチュア臭さがありながらプロ的

 際どさ(危なっかしさ)と安心感

 新鮮さと豊熟度

 新しさと古典的な奥行き・幅(の広さ)

 軽さと重み

 速さとゆっくり

 高と低

 遅速

 円と直線


 全く別物でありながら、切り離すことができない真理の二面性


 Minh Huyenさんは、さらに位相と次元の違いを見せてくれる。




 台湾人

 恥という観念がない。 → 韓国人と同じ

 私は台湾人ではない、びんなん人だ、原住民だ、本省人だ、と言って、決して自分が台湾人という一つの民族と考えない。

 オリンピックで誰かが金メダルを取っても、誰も特に嬉しくない。むしろ嫉妬するくらいだ。

 民族としての・国家としての一体感がないから。

 日本人とドイツ人だけが、民族としての国家としての忠誠心、運命共同体意識を持っている。




 2021年09月27日(月)

 6時半起床 晴 洗濯物・布団干し

 昨晩は22時に就寝。

 約1年ぶりの自転車での屏東往復で、少し疲れたか。


 三国人の特徴

 ○ 情熱がない

 ○ 文化がない

 ○ ポリシーがない(カメレオン)

 コブラ○巻に出てくる化け物(多くの人間(の死体)が寄せ集まって、巨大な人間の形をした化け物になった。)と同じ。在日・ハ○○という人間の死体でできた、人間の形をした組織体。






 2021年09月26日(日)

 6時起床 晴 洗濯物・布団干し

 約1年ぶりの自転車での屏東往復で、少し疲れたか、22時に就寝。身体が熱くて寝られない。


 1245LV 公園横のだいそーで歯ブラシ。電池はダイソーが一番安い! アルカリ乾電池6本入りで49元。近所の金物屋では4本で87元だった。

 カルフールで安いワインとパン600元。

 1615屏科大前の自助餐で60元。

 1740RTN 五時間水を飲まず。帰ってシャワー、食事。




 文化とは

 原住民が自分たちで作る衣装。数千個もの細かいビーズを縫い合わせて幾何学(哲学)的な造形物を作り上げる。しかも、金や権力というものと関係無しに、自分たちの自発的自由な発想で楽しんでそれをやる。

 日本人の料理。

 気合いを入れる・精魂を注入する・凝る。だから、韓国人の作る寿司や日本料理はうまくない、本物ではない。

 それを作る人の心(魂)がこもる料理、服装、行事。それが日本文化。


 彼ら自身が呼ぶ三国人の「文化」とは、俗っぽい、見かけだけ何かを真似ているだけで、魂がこもっていない。だから長続きしない、つまり、本物でないから。


 ゲルマン民族の大移動

 → ユダヤ人(三国人)から逃れる為。

 → ドイツ人の南極への大移動も同じ。

 血の純粋性を保つ為に、民族全体で移動して寄生虫から逃れようとする。





 2021年09月25日(金)

 6時起床 晴・曇 洗濯物・布団干し 終日家



 日中暑くても。夕方5時くらいになると、風がひんやりし、スコールになったりする。




 日本人と韓国人のちがい

 哲学がある(できる)か(でき)ないか。

 日本人は確かに存在している。しかし、要領よく生きているだけの韓国人は、神の目(真理)には見えない。色眼鏡ではなく、真理という真に素の、透き通った目で見れば、韓国人はそこにいない。

 苦悩し・嘆き悲しむ「カレーの市民」のような日本人の魂は確かに存在しているにもかかわらず。


 みんなに見られている、という意識を乗り越えることが日本拳法の防具練習や公式戦で戦う、もう一つの戦いなのです。敵と殴り合いをする以上に、自分自身が見られているという意識に打ち勝つ。

 私は、5回の初段の試験でそれを鍛錬できた。

 恥ずかしいから、今回絶対に合格しようなんて、俗っぽい気持ちをどこまで振り切ることができるか。




 2021年09月24日(金)

 6時起床 晴 洗濯物・布団干し 終日家


 中秋節は21日(火)だったのだが、今晩10時頃、満月がきれいだった。



 岸和田の祭り

 警察官のいない安心感

 やくざっぽい、気風のいいお兄さん方のほうが気持ちがいいし、安心できる。

 交通整理のフリをした警察官の痴漢




 2021年09月23日(木)

 6時起床 晴 洗濯物・布団干し 午後から曇り、一時雨 終日家

 ゴミ出し

 Minh Huyenさんの教え 何事も丁寧にやる


 ハ○○が最も恐れ、そして利用している存在

 原住民



 Minh Huyenさんの教え 美しいものを毎日見る

 美しいといって、きれい・かわいいというのではなく、秀逸・際立っているという意味での美しさ。

 例えば、高村光雲の「老猿」を居間に置いて、毎日これを眺めていれば、精神的に相当な刺激・涵養を与えられるに違いない。




 2021年09月22日(水)

 6時起床 晴 洗濯物・布団干し


 Minh Huyenさんの教え ごまかしがない

 ゆっくりやっている。速いところでもごまかしていない。



 2021年09月21日(火)中秋節

 7時起床 晴 洗濯物・布団干し 

 窓からの風はすでに涼風

 土日月火の四連休最終日 花火の音も寂しげな。


 1430から雷と豪雨。一雨ごとに涼しくなるか。

 約1時間で雷雲は遠ざかったらしく、遠雷となる。


 Minh Huyenさんの教え 溜めの大切さ

 グッと一旦退くようにして停止する。退くように下げるようにしてその位置で力を溜める。

「溜め」ができるのは彼女だけ。




 書くことで空乱・想乱をしていた

 プレゼンテーションそのものを練習したのではない。資料を作る、文章を書くことに専念することで頭の中に、プレゼンテーションの概念が広がり、確立されてくる。

 毎晩、8時頃から11時の終電間際まで、毎週金曜・土曜は深夜3・4時まで。


 クレージーになれる

 桜井も小松も、あまりに理知的だった。自分の壁を越えようとしなかった。


 私は、日本拳法で壁を越えるまで稽古しなかったが、面突きの一瞬を追求する(楽しむ)ことで、内面的に劇的な変化があったに違いない。


 自分の思いを言葉で表現し、それを読んで再度、思いを深く広くする、思念を強くする。それを文章に書き出して、更に思念を深める。その思考に終着点はない。永遠に思考・思索するのだが、その度ごとに、或いは100回~1,000回くらい思い出す間に、更なる思念の増幅が、様々な位相と次元で表れてくる。

 若き学徒は、考えても考えても答えを見つけられず、終に絶望して華厳の滝に飛び込んだが、私の場合、考えれば考えるほど様々な位相・次元の広がりと深みが増幅して、飽きることがない。厭きることがない。

「何億・何光年」の旅でも、心一つで退屈せずに楽しめるだろう。




 藤村操「巌頭の感」

 悠々たるかな天地。遼々たるかな古今。

 5尺の小躯を以てその大をはからんとす。

 ホレーショの哲学ついになんのオーソリティにあたいするものぞ。

 万有の真相は、唯一言にして尽くす。曰く不可解。われこの疑問を抱いて煩悶、ついに死を決す。

 すでに巌頭に起つにおよんで、何の不安あるなし。初めて知る、大いなる悲観は大いなる楽観と一致するを。





 2021年09月20日(月)

 6時起床 晴 洗濯物・布団干し 終日家


 なぜ地獄へ行くか、というと、そこで本当の苦しみを知り、真人間に更生する為。

 地獄の苦しみ、というが、それを受けなければ、自分という人間がどれほど罪深いのか自覚できない者のための、つまりは「救済措置」。

 人間世界(現世)で、虚構・虚妄の地位や権力、偽善と虚偽による金・物の豊かさに酔いしれた者は、必然的に地獄へ墜ちる。光と影、陽と陰のバランスが必ず均衡するように。エントロピーの法則。


 名言集と「聖書」の違い

 聖書とは、混血民族たちが、それぞれの血や慣習を超えて、同じ心で結ばれようとする、共同体意識を共有するための「公開鍵」である。

 自分たちのルーツを追求するには、あまりにも血が混ざりすぎている。何に感動し、何に哀れを感じるかといった感性もバラバラだし、知性においても、計算能力だけが共通に語ることができる。


 Minh Huyenさんの教え 本気度が違う

 他の演武者たちに比べ、本気のレベルが段違い。


 2021年09月19日(日)

 6時起床 晴 洗濯物・布団干し

 14時に出て、龍泉814に行き、一昨日購入した赤ワインの不味さをサービスカウンターで訴える。

 かわいいお姉ちゃんは親切に対応してくれたが、原住民ぽい身体の大きな女性は不愉快そうだった。彼女に文句を言ったのではなく、ワインが不味いといったのだが、原住民の人というのは、そういう社会的な距離感というものが希薄なのだろうか。他の台湾人も同じなのか。


 龍泉最奥の小間物屋にて、アルミシート三枚組を三本購入150元。

 帰ろうとすると、とある檳榔屋の前あたりで大雨。約三十分間。金吉で、電池87元と、コンセント差し込みタイプの小さな電灯・電球を購入。全部で137元?

 その頃には雨が上がっていたが、小学校の横を通り抜けて裏道に入ると、道路が濡れていない。即ち、龍泉の町中だけ大雨だった、ということだ。

 帰りの裏道で、たくさんのススキの穂が風に揺れていた。

 台湾はもう秋らしい。

 朝、布団を干す時に窓から入ってくる風は、一頃の熱風ではなく涼風になっていた。


 2021年09月18日(土)

 6時起床 晴、午後(12時頃)から曇り 洗濯物・布団干し 終日家


 1340頃から、凄い雷雨が一時間続く。





 2021年09月17日(金)

 6時起床 晴 洗濯物・布団干し

 1030、大家がおっさんを連れて浴室(の天井)を見に来た。

 テープで蓋をしているので、その確認のようだ。

 まったく、ハ○○は嘘つきだ。


 1345に出て夜店の自助餐70元

 移民局ではんこをもらい、カルフール。パンとバターで99元。

 龍泉の814で770元も買ってしまった。




 文化がある

 日本拳法を確かにやっていたという証明。

 そして、日本拳法をやっていたからこそ、こうして人生を楽しむことができた。

 人生を楽しむ、これ即ち文化的な生活のこと。

 貧乏でもホームレスでも独りでも、オレはこんなに自分の人生を楽しんでるぜ、と言える。

 今のこの貧乏で孤独な中でも、大学日本拳法や太極拳に楽しみを見出すことができる。

 日本拳法や太極拳の大会を見に行けなくても、ビデオだけでこれだけ楽しめる。

 太極拳なんて、この一ヶ月間、毎日新しい発見・気づきの連続。

 日本拳法をやっていたからこそ、


 格好良く言えば哲学できる。思索を楽しめる

 日本拳法のおかげで。

 あれこれ考えず(技術無し)、力任せで勝とうとせず(パワー無し)、部の為・母校の為・会社の為なんてことも考えず(悟性無し)、怖い・恐ろしい・悲しい・愛に惑わされず(感性無し)で、ただただ前へ出る。死んでもこれで行く。

 だから、円の理によって、私は必ず再び、この平栗雅人として戻ってくる。(復活というとキリスト教になってしまう)。しかし、イエス・キリストの復活とはそういうことだ。彼も直線的な人間だったから、あくまでストレートに徹したからこそ、正しい円の軌道を描いて何度もイエス・キリストをやっている。

 米映画「マトリックス」でも言っている。今のこの世は七回目であると。直線でない人間は、いつまでたっても球の周りを蛇行し続ける。永遠に。


 Minh Huyenさんの教え バランス

 一つが握れば、一つが開く


 Minh Huyenさんの教え 戦いとはかくあるべし

 柔らかくしなやかに、時に直線的に強く


 推薦本

 私たちが日本拳法の一瞬で見た真実


 台湾海峡で緊張を引き起こしているのは、他ならぬ台湾人なのです。

「風が吹くと桶屋が儲かる」台湾と中国とが争いを起こすことで、一体誰が得をするのか。


 真実を見ようという心が、ドラマを生む。

 南米でのナイフ使い。

「真実を見ようという心」さえあれば、人生は楽しめる。


 人生を楽しめない人々

(秘密)警察というのは、後ろめたいことをしているから「地獄の亡者」のような顔をしている。嘘をついて人々を貶め(陰で誹謗中傷して、ターゲットにする人間の評価を失墜させる・評判を落とす)、それで給料をもらって生きている人間というのは、当然のことながら、人生を楽しめない。


 三国人には文化がない

 尹先輩にはポリシーがあった。


 ドイツ人女性

 アメリカに文化などない。

 日本はアメリカに占領され、これまで80年間、彼らの影響を受けてきた。韓国人と同じように、大国の属国になってしまった。社会主義国家のような、本当の自由が制限され、真実を見たり語ったりすることができなくなった。


 本当の自分の発見

 日本拳法や太極拳、そしてあらゆるスポーツが好まれるのは、真実を見ることができる(一瞬)を経験できるからだ。動物と違い、嘘ばかりの人間社会では、真実を見るのは貴重だ。動物はそのまま、死んで天国へ行けるが、人間の場合、嘘ばかりで生きているからそうはいかない。だからこそ、人は教会やモスクへ行き、真実の自分を見つけよう、真実の自分に接しようとする。

 宗教によって真の自分を見出すか、スポーツ(武道)によってか。




 Minh Huyenさんの教え 時間と空間を楽しむ





「私はこうして日本拳法を楽しめた」その証明が私の本です。




 歳を取ると何でも合理化して、簡単にできるように、無意識でやれるようにしようとする。

 これが、老化というものの最大の原因なのです。






 2021年09月16日(木)

 6時起床 晴 洗濯物・布団干し

 14時にでようかな、なんて思っていたら、黒雲と遠雷の音。しばらくすると、パラパラ雨と風。



 This is me !

「これがオレ、平栗雅人なんだ !」という話。


「4年になるとバカになる ?」



 アンビリーバブル !

 16:00 二十分間の太極拳で、四十肩が治った !



 Minh Huyenさんの教え 無心

 速い動きなら無心になれる。体操でも筋トレでも打ち込みでも、ヒーヒーいうくらい必死になってやっていると、その苦しさから逃れる為に「無心」になろうとする。

 しかし、運動というものの本来の意味から言えば、それでは意味がない。身体の運動だけならそれでいいが、心身の一致、即ち、身体を鍛えると同時に心も鍛えることで、心と身体のバランスを取りながら成長するという目的には適っていない。独り身体の運動・成長ばかりで、心がついて行っていない。身体の動きと心の動きの両方が1ミリの誤差もなく一致して連動しなければ、筋肉バカになる。或いは禅坊主のように(自分の頭でこねくり回しただけの)心バカになってしまう。「心、心」と言うけれど、それは口ばかりの心だけであって、肉体も真の心も別の所にある、という状態。それが心バカ。筋肉ばかりのマッチョマンも、(口だけの)心ばかりの坊主も、供にバカに変わりはない。

 拳立てを50回とか、腹筋を100回やっていましたが、練習が終わった後で、独りで自分のペースでゆっくりと拳縦や腹筋を一回という「太極拳をやる」べきだったと、いま私は思います。

 或いは、拳立て50回やる時間、例えば三分間、各人が自分のペースでゆっくり・じっくり拳立てを行う、のもいいかもしれない。



 禅坊主救済策

 私はビジネスマンであるから、糞でも活かして利用しなければならない。そのポリシーから、禅坊主のような無用の存在でも、なにがしかの救済策があるはずだ。


 それは全国何千カ所の禅寺を太極拳の練習場に変えることだ。これで、今までの罪が消えるほどの社会貢献ができる。



 座禅や写経や読経で自分を見出すことはできない。「無になる」「無心」を目的にしてはならない。

 その昔、日蓮という坊主は禅坊主をして「禅天魔」と誹謗しましたが、その故はこの「無の提唱」にある。「無」という絶対に捉えどころの無いものを標榜・指向するというのは、悪魔の所業だ、というのである。


 今、日本人が大挙してコロナワクチンの接種に向かう姿は、「ネズミの集団自殺」であり、「無」を指向する日本人の集団心理に因るものだ。

 太平洋戦争時、禅寺の坊主は「無」だ、「無」だ、といって若者を死に駆り立てたが、「無」という魔物に取り憑かれて、それに吸い寄せられるが如く「無」に邁進する姿は、なんとも不気味であり、悲惨だ。「無」とは肉体も心も無になること、完全なる死を意味するのだから。死ぬことでしか「無」は得られない。一生懸命生きて戦って死んだ結果、無になるというのなら、まだ救われるが、始めから無を目指して人生をその一点に収束させてしまうというのは、本末転倒だ。

 「神は生きる為に人間を作ったのであって、無になる・死ぬ為に人間を作ったのではない」と西洋では言うが、それが本筋だろう。




 今まで私たちが、いつでも無意識に行っていた何気ない動作・行動を、強烈な意識を持っておこなうことで、自分というものの実体を認識し、真の自分を見出し、そしてそれと合体できる。

 飯を食うにも、歩くにもその「十分の一」の速度で行う。そうすることで。「今、オレは飯を食っているんだ、今、オレは歩いているんだ。」という実感を持てる。実感とは、現実に自分が行っている動作を、心がしっかりと認識すること。


 ○ 太極拳といい、中国から講師を呼んで、なんて不要。

 誰でも何時でも何処ででも、自分独りでも二人でも、大人数でも、教科書も講師も無しでできるのが太極拳なのだから。

 まずは古今東西、そして当代随一の「Minh Huyenさんの演武」の映像を、スマホやパソコンで見ながら、毎日少しづつ真似していけば良い。








 Minh Huyenさんの教え時空の流れ

 時間と空間は流れている、ということを知る。

 つまり、両者とも、ある一つの場所・地点・時点から別の点へ移動しているということ。

 地球を含む銀河系、それを含む全宇宙、それらが例えば、光の速度で移動しているとしたら。移動体に乗っている私たち地球上の人間には、その速度がわからないだろう。

 物体は移動する、そして、空間もまた移動する。

 移動する空間が、場である。自分の場、会議の場、接客の場、等々。

 場面とはその場所でのその時間のあいだでの切り取った場である。





 Minh Huyenさんの教え 運命

 彼女の(一時の)思いつきではない。社会の慣習でもない。時代の趨勢に因るのでもない。

 彼女の演武とは、何億・何光年という、気の遠くなるほどの長い時間と空間の流れの中で定められた運命、とも言えるほどの重みを持っている。




 Minh Huyenさんの教え 選択と必然

 私たちは選択して生きているのか、運命で定められたレールを辿っているだけなのか。

 太極拳とは無限に存在する時空(試合では四分間という時間制限があるが、練習する時には無限)を自分の意思と感性、そして知性で切り取る作業だ。その場、その時、どこをどう切り取ってもかまわない。自由度は無限である、かのように見えるが、実際は運命に導かれて切り「取らされて」いるに過ぎないのではないか、という疑問がつきまとう。自分で選択しているのに、(見えない運命という力によって)選択させられている。

 Minh Huyenさんはあの演武を自分の意思で行っていたのか、それとも運命に導かれてそうなってしまったのか。

 たまたま、気まぐれでああいう演武をしただけ、或いは、偶然ああなった、のではないことは明白だ。そんな軽い演武ではなかった。

 とすれば、やはり運命なのか、それとも運命を跳ね返すほどの強力な意識があったればこその、存在感のある演武なのか。

 あの強烈な存在感とは、そのどちらかでしかない。





 2021年09月15日(水)

 6時起床 晴 洗濯物・布団干し 暑い


 太極拳

 大切なことは、筋力をつけることではなく、意識して筋肉を動かすことができるかどうか。

 イチロー氏が「ことさら筋トレなど必要ない。野球をやるに十分な筋肉があればいい。ライオンなどの動物は筋トレなどしないでしょう。」と仰ったそうですが、それはこのこと。

 自分の必要とする動作を100パーセント確実に行える、ということが大切なのであって、自分の心でコントロールできない筋肉を幾らたくさん身につけても意味がないというか、かえって重荷になってしまう。

 ただひたすら、腕立て伏せの回数を10回 → 20回と増やすことに努力するのは無意味だ。3回でもいいから、自分の心と身体全体の筋肉との連携を意識しながら・味わいながら、一つ一つの動作をゆっくりとじっくりと行う。

 筋力の増強ではなく、心(意識)と身体の連携を強化すること。思ったことが確実に行われること。この確認作業こそが、筋トレの第一の目的とされるべきなのです。

 ○ 速い速度で運動すると、ごまかしてしまう。

 腕立て伏せを高速で10回やるよりも、意識を(腕を含めた)身体全体に集中して、じっくりとやる一回の方が、健康維持・心身の健康増進という意味では、ずっと効果がある。

 腕立て伏せを十回やった後の、心地よい疲れと爽快感とは、ある意味で偽物だ。自分でかいた汗に自分が瞞されている。やった!、という妄想に取り憑かれているに過ぎない。


 Minh Huyenさんの演武

 始めの30秒を録画する。




 2021年09月14日(火)

 6時起床 晴・曇り 洗濯物・布団干し 12時頃より曇り 18時頃、スコール 終日家


 Thi Minh Huyen TRANさんの教え 意識して行動する大切さ

 心と身体(行動)の一致

「エイッ」という気合いによって、気持ちと身体の動きとを合一(一致)させる。毎日二時間の練習とは、すべてこれであった。


 Thi Minh Huyen TRANさんの教え 気合い

 心の中で「エイッ」という気合いが入っていたからこそ、心と行動が一致した。

 資材との国分寺駅での交渉。


 親父と違う点

 何でも凝る・工夫する。料理・服装・





 階級制とはなぜ起きるか

 その人々に能力がないから。技術もしくはやる気、ガッツ、根性、根気といった他の人と区別できる力を誰も持たない社会だから、階級が必要になる。

 哲学しないから瞞される

 哲学の欠如が瞞されやすさを生む。

 日本人は単一民族だから、人を疑わない。すぐに人を信用する。哲学史ない。だから、瞞される。





 2021年09月13日(月)

 7時起床 曇り 730から晴れてきたので洗濯物・布団干し。

 しかし、10時頃よりスコール、その後も曇り時々雨状態。



 アラビアンナイト

 千夜一夜物語




 2021年09月12日(日)

 深夜、大雨の音。

 朝には曇りになっていたが、二時間周期で軽い雨がサーッと降る。台風が東の海上を北上しているからだろう。

 8時起床 曇り。昨日寝てしまったので、朝風呂、洗濯。終日家。曇り時々雨。



 ...「あなたは美しすぎて誰も愛せません。美は醜い世界への侮辱です。」「天井桟敷の人々」

 ガランスという美女を口説く貴族の言葉。


 海水療法のルネと太極拳

 病気を個別の現象として捉えて、個々に治療する(その現象を無くす・押さえる)西洋医学に対し、ルネの医学とは、それら現象の根本問題を探し、これを薬で消したり押さえたりするのではなく、その問題(病気の原因)が自然と消えるような療法を探して施す。その一つの解が「海水療法」であった。

 太極拳もこれと同じで、頭の先(手の指の先)からつま先まで、頭・首・肩・腕・手首・指・上下半身・腰・膝・足首・足の指先、そして何よりも、それらすべての身体のパーツを統合する精神(心)との一体化を目指すのが太極拳。

 身体の各パーツは、その部分だけで機能するのではなく、全体のパーツ・筋肉、そして心によって個々の機能を発揮できる。指先だけ、腕だけ、足の力だけで、人の身体は完全に機能しているとは言えない。

 武蔵が「五輪書」に言うところの「打つと当たる」の違いを意識せよ、である。




 ...台湾人の嘘

 台湾は中国と違い、世界に扉を開く、自由主義の国、なんて謳っているが、情報操作は中国並み、完全に閉じた国だ。



 2021年09月11日(土)

 7時起床 曇り 台風接近中の為

 

 Thi Minh Huyen TRANさん 位相と次元の変化

 様々な顔を見せてくれる。

 静かで内に引きつける次元とダイナミックで攻撃的な次元

 ① 入場の時の透明感のある顔

 ② 起 開始から1:25秒 ニュートラルの表情

 ③ 承 1:26~30秒間 ゼロから1へ、ビットが跳ね上がる前の助走

 ④ 転 大きな2回転のジャンプで闘志を表明し

 、そのすぐ後、今度は直線的な前後の移動、及び回転運動によって、愈々戦いの心が煮詰まってきたことがわかります。目つきも鋭くなり、身体全体から炎が燃え立つような熱さを感じさせます。~2:50 そして、突きと蹴りを主体にした約15秒間の激しい戦い。これがこの演武のクライマックスです。

 ⑤ 結 「転」で見せた、押さえに押さえた激しい闘志とその爆発(突きと蹴り)を、

 360度の回転運動の中で、より抽象化しながら収束していきます。


 太極拳式礼をしたあとのホッとした表情に、すべてを燃焼し尽くした安堵感がにじみ出ています。

「彼は解き、また結ぶ」




 2021年09月10日(金)

 6時起床 晴 終日家


 ...藤村操「巌頭の感」

 悠々たるかな天地。遼々たるかな古今。

 5尺の小躯を以てその大をはからんとす。

 ホレーショの哲学ついになんのオーソリティにあたいするものぞ。

 万有の真相は、唯一言にして尽くす。曰く不可解。われこの疑問を抱いて煩悶、ついに死を決す。

 すでに巌頭に起つにおよんで、何の不安あるなし。初めて知る、大いなる悲観は大いなる楽観と一致するを。


 太極拳とは大いなる哲学である

 「悠々たるかな天地。遼々たるかな古今」

 無限の空間と悠久の太古(時間)の中、今この瞬間、自分がしなければならない最適の解を探し当てる。

 昔は人生50年と言い、いまは80年と言われるが、六十五歳のいまにして思えば、人生とは、その時その場に存在する無限の可能性の内の一つを、選択して生きてきたのだ、と感じる。

 麻雀と同じで、一つ自摸れば一つ捨てる、牌は無限に持てるわけではない。無数に存在する手の中から、ある時間をかけて自分の手を作り上げていく。

 コンピューター相手に自分一人でやる麻雀であれば、幾ら考え込んでも文句は言われないが、生きた人間四人でやるのだから、即決即断で選択しなければならない。

 牌の数も時間も無限のように感じるが、制限があるが、やっている時は「無限の可能性」があるように思えるにすぎない。

 米映画「マトリックス」では、人生における選択とは、自分でそう思っているだけで、現実は運命で決められていることだと、主人公の敵であるエージェントは言うのだが、そういう見方もあるかもしれない。


 ...唯物史観の中国人唯一の欠点

 もともと中国人は幽霊や霊魂を信じないという傾向があった。

「白でも黒でも、ネズミを捕るのが良い猫だ」と。実利・実用・現実主義。物の量で凌駕する。人の心や感情・情緒など気にしない。

 二宮金次郎と同じで、何事も「飯を食う」という現実に即していなければ、神仏儒に意味はない、という発想である。

 そんな彼らにはThi Minh Huyen TRANさんの演武の持つ形而上的な意味は理解できない。



 共産主義中国の欠点は、

 しかし、現実に、実際の所、Thi Minh Huyen TRANさんの演武は最も美しいということは、彼ら中国人にも理解できるはずだ。それを敢えて二番にしたのは、太極拳の元祖中国としての「歪んだプライド」のなせる技であろう。


 ...存在意義の薄い南北朝鮮

 中国が唐の時代、日本と中国は直接国交を結び、繁栄してきた。あいだに朝鮮という余計な国が入らない分、中国と日本の意思疎通が上手くいっていた。

 中国は再びそういう関係になりたいのだろうが、南北朝鮮が割り込みたがる。それを利用してアメリカを使うユダヤ勢力が日本と中国の仲を裂こうとする。


 日本拳法 間合いに入ったら即、ぶん殴る

 スコーンという反応の良さ。敏感に反応するが、頑固になるべき所はテコでも動かない。 → 日立との価格交渉


 日本拳法をやっていなくても、殴り合いのケンカはできる。

 しかし、(多少、強引なやり方ですが)交渉・ネゴシエーション・駆け引きは、日本拳法という戦い(真剣勝負)の場数を踏んでいなければ、到底できなかった。




 2021年09月09日(木)

 6時起床 晴 雲なし、終日晴のはずであったが、昼から曇り。終日家

 ゴミ出し

 太極拳と易

 神の境地

 日本拳法で「一瞬を見る」鍛錬をする。

 そのあと、太極拳によってその一瞬をじっくりと味わう。

 つまり、日本拳法と太極拳は「二つでひとつ」の関係なのです。

 日本拳法で、今この瞬間、この一点しかないという「一瞬と一点」を見れるからこそ、無限の空間と時間の中で、それを絞り込むことができる。

「ゆっくり」の太極拳において、必ず「素早い動き」をしなければならないのは、そういう理由からだ。なぜ、ゆっくりなのか。それは、究極の一瞬と一点とを、じっくり探し当てる為にちがいないのだが、「究極の一瞬と一点」という最善・最適・最高というものがどういうものか、を知らなければ探しようがない。まさに、無限の空間と時間の中で永遠に彷徨うばかりとなってしまう。



 太極拳における「素早い動き」とは、一人でやる「想乱」でしかないから、不足。日本拳法における「二者が本当に殴り合う一瞬」を味わってこそ、太極拳における「ゆっくり」が生きてくる。

 





 2021年09月08日(水)

 6時起床 晴 洗濯物・布団干し 終日家



 Thi Minh Huyen TRANさん矛盾の克服

 これは決して難しい話ではない。

 例えば、人を信用しながらも人を信用しない。「信用する」と「信用しない」という全く逆の行為を同時に行わねばならないのが、海外旅行であり、翻ってみれば自分の人生でもある。

 誰を信用し誰を信用しないのか、ということではない。ふだん信用している人であっても、時と場合、次元の違う話になれば信用できない、という場合もある。

 この位相と次元の見極めを瞬時に行うことができなければ、その時点で、その人の海外旅行・人生という旅行は「上がり」、つまり、お終いになってしまう。任天堂の「人生ゲーム」ではないので、もう一度はない。まあ、死んで(その人の人生が本当に終わって)、再び「平栗雅人」として生まれ変わった来世で、全く同じシチュエーションになり、今度は選択を誤らないぞ、という気持ちを忘れずに、何億光年もの死後の旅を貫徹してきたのならそれも可能かもしれないが。


 ...我至れり

 ○ 物事を知識ではなく理性で理解することができる。

 理解したことを言葉や文章で、人に伝えることができる。「彼は解き、また結ぶ」

 凝縮された考えや事象を解きほぐし、再び凝縮させてほかの事象に適用・応用させる。帰納と演繹。エンコードとデコード。


 ○ 未だ完全ではないが、運気を知ることができるようになってきた。

 太陽の運行に(ある程度)自分を合わせ、太陽もまたある程度は自分の動きにその動きを合わせてくれる。

 人の気、精霊の気、木や花の気を感じるようになってきた。


 ○ けいきを知る(流れを知る)、とを越す、


 ...Thi Minh Huyen TRANさんの演武に見る「五輪書」の教え

 武蔵「五輪書」37の教えは、これを運用しようという人ごとに、その組み合わせによって、更には位相・次元を変化させることで、無限の実相を展開することができる。これ即ち「空」の教え。

「五輪書」を熟読した者が彼女のこの演武をじっくり見れば、「五輪書」における数々の教えの幅と奥行きを、無限に広げてくれる。

 知性はよりバランスのある安定した知となる。知識に血が通い、ダイナミックな知力となる。

 理性も、より磨かれ、単なる理から道理となり、(位相と次元の)自由度を持つ理性となる。



 彼女の演武を見てから、日本拳法のビデオを見る気がしなくなった。

 日本拳法が悪いのではない。彼女のビデオがあまりにも真実を突いている為、これに嵌まってしまった。当分、この穴から這い出すことはできないだろう。

 今年の大学選手権もビデオで見るつもりだ。大商大新聞部に期待しています。しかし、Thi Minh Huyen TRANさんのビデオのように、毎日見ることはないだろう。


 私は今、日本拳法が強くなる為に日本拳法の試合を見ているのではない。そこに真実を見たいからです。極真やテッコンドーでは嘘っぽくて見る気にもならないが、日本拳法の試合なら、リアリティがあって楽しい。

 今の立場では完全なる傍観者だが、太極拳の場合、これを見ながら毎日少しづつでも自分自身で太極拳を行える。やはり、自分自身で身体を動かさなければ「本当にそれを見た」「実感した」「一体化した」とはいえないだろう。


 ...「君の名は。」「ずっと何かを求めている。」 → 縄文人としてのルーツ






 Thi Minh Huyen TRANさん 神との踊り

 神と踊っている

 もともと踊りとは神と踊る者。

 神の境地に達した者だけが、真のダンサーといえる。

 Thi Minh Huyen TRANさんの演武 位相と次元

 を見ていると、過去の記憶が次々と浮かんでくる。また、諸相実相の位相(見え方)が変化し、時間と空間による次元が広がる一方で、今この瞬間なすべきこと・考えるべきことという、究極の一点への凝縮が始まる。

 つまり、発展と縮小、拡大と収縮、無限と究極の一点という相反する・矛盾した(内面的・形而上的・思索的)運動が沸き起こってくる。


 ...いそう【位相】

[名]

(1)物理学で、振動や波動のように同じ運動が周期的に繰り返されるときの、それぞれの位置における運動状態。また、天体が時間によって異なった姿を見せるときの、その現れ方。

(2)数学で、極限と連続の概念を空間で論じるときに、抽象空間に与えられる適当な構造。トポロジー。

(3)国語学で、言語表現の主体や場面(男女・年齢・職業・階層・地域・公的・私的)などの違いによって起こる、ことばの現れ方の違い。

 topology

 /tpldi|-pl-/

[名]地誌研究;[数]トポロジー, 位相, 位相幾何学;[化](分子内の)原子配列;[コンピュータ]トポロジー《ネットワークにおけるコンピュータの物理的な配列》.



 ...じげん【次元】

[名]

(1)数学で、点の位置を表すのに必要な実数(座標)の個数。ディメンション。

 ◇直線は一次元、平面・曲面は二次元、空間は三次元という。ここからさらに、n次元や無限次元の空間も考えられる。

(2)物事を考え、行動するときの立場。また、その基準。

「次元の高い話」




 カント「純粋理性批判」を再度読む

 → 「時間と空間」について

 登美丘高等学校 ダンス部もThi Minh Huyen TRANさんも

 日本拳法の試合と違い、感覚的な要素が大きく得点に関係するこの手の「審査」というものでは、一位というのは「こういうダンス・演武を目指して下さいよ」という一通の目標・方向を示すダンスや演武が選ばれる。

 そして、実力は二位になるもの、と決まっている。

 あまりに優れたパフォーマンスを見せられ、これが一番だ、皆さんもこうならなければ一番にはなれない、ということになると、後に続く者たちはやる気を失ってしまう。

 私たちはこの一位よりももっと上手く踊れるぞ、という期待感を持たせないと、後に続く者たちが増えてこない。

 だから、そこそこのパフォーマンスでいいのである、一位とは。そして、実力は二位を見るべし。






 2021年09月07日(火)

 6時起床 晴 昨晩風呂に入らなかったので、朝風呂。洗濯物・布団干し



 Thi Minh Huyen TRANさん 何が本物なのか

 どこにでもいる(ベトナム人)女性が、たまたまある太極拳の世界大会で、素晴らしい演武を披露してくれた。これが本物というもの。

 なにも、この年の太極拳の大会で賞を総なめにしたとか、太極拳の世界では超有名人、なんて「肩書き」は要らない。

 誰でもが、朝でも昼休みでも夕方でも、夜、会社を終えてからでも(いつでも)。

 そして、家でも公園でもどこでもできる。Thi Minh Huyen TRANさんのような本格的な演武は別にして、家でちょっと身体を動かす太極拳に必要な準備運動は10分くらいか。これと演武とで、合わせて約15分間。

 例えば、私は大学時代にアメリカでグレイハウンドという二十四時間運行の長距離バスに乗り、2ヶ月間アメリカやカナダを放浪したことがありますが、その(楽しい)経験から、今でも、長距離バスで十数時間の旅、なんてのが大好きです。

 長距離バスの中で窓外の景色を見ながら死んでもいいかな、なんて考えているくらいです。

 そんなバスの旅、途中のトイレ休憩や食事休憩の時に、私は大学の日本拳法部で毎日やっていた準備運動をして、身体をほぐします。

 オーストラリアのウィーンでの十数分間の休憩時、月夜の晩でしたが、バスの前で体操をする私を運転手たちが笑いながら見ていました。

 日本でも海外でも、こういうちょっとした合間に体操をしている人間を見たことがないのですが、おそらく、私の、過去何百回もの長距離バスの旅経験で、たまたま体育会系の人と一緒になったことがなかったのかもしれません。

 体操は体育館で、サッカーや野球やバスケットはグラウンドで、と固定観念があるのかもしれません。青学の大熊さんは毎日の通学電車の中で懸垂をしたり、何にも捉まらずに立ち、足腰の筋肉とバランス感覚を鍛えていたと、別の部員の方がブログに書かれていましたが、これが本当の体育会系人間です。いつでもどこでも、身体を動かしたり、鍛えようとする。


 いつでも、どこでも、一人でも、複数人でも、体操する(身体を動かす)。


 次のバス旅行では、太極拳をちょっとした運動にして、休憩の時にやってみよう。





 空間と時間をいかに切り取ったか

 空間と時間こそ、存在するという意味である、とカントは言ったが、Thi Minh Huyen TRANさんのこの演武は、その意味でまさに大きな存在感を示している。






 2021年09月06日(月)

 4時起床 Thi Minh Huyen TRANさんのことについて書く

 6時再起床 晴 洗濯物・布団干し 


 オーブンの鈴取り作業に一時間。


 太極拳と易は同じ


 神の境地

 日本拳法で「一瞬を見る」鍛錬をする。

 そのあと、太極拳によってその一瞬をじっくりと味わう。

 つまり、日本拳法と太極拳は「二つでひとつ」の関係なのです。

 日本拳法で、今この瞬間、この一点しかないという「一瞬と一点」を見れるからこそ、無限の空間と時間の中で、それを絞り込むことができる。

「ゆっくり」の太極拳において、必ず「素早い動き」をしなければならないのは、そういう理由からだ。なぜ、ゆっくりなのか。それは、究極の一瞬と一点とを、じっくり探し当てる為にちがいないのだが、「究極の一瞬と一点」という最善・最適・最高というものがどういうものか、を知らなければ探しようがない。まさに、無限の空間と時間の中で永遠に彷徨うばかりとなってしまう。



 太極拳における「素早い動き」とは、一人でやる「想乱」でしかないから、不足。日本拳法における「二者が本当に殴り合う一瞬」を味わってこそ、太極拳における「ゆっくり」が生きてくる。

 



 三国人 七つの罪によって人を操る

 人間の欲望・嫉妬等を増幅させることで人を操り、自分たち三国人の為に働き・楽しみ・泣いて笑って生きる人生を送るようにする。


 5億人までの人口削減

 ラスト・バタリオンの「約束」。

 彼らは5億人までなら、地球の裏側に住むことを許可した。

 もっとも、彼らにしてみれば、三国人(ユダヤ人・韓国人・ハ○○)という病原菌を地球内部に入れることは絶対にできない。

 いま現在、75億人の中から三国人を探し出してこれを撃滅するのは困難だ。しかし、5億人にまで少なくなればそれができる。だから、その時を待っている。



 やがて殺される70億人の一人である私だが、地球の表でも中でもなく、天上でこの最後の戦いを眺めることにしよう。








 2021年09月05日(日)

 6時起床 晴 洗濯物・布団干し

 1445に出て、カルフール。

 オーブン(1280元)、ステンレス鍋、リンゴサイダー

 18時に戻り、オーブンを置いてバイクで龍泉の小北。鍵と鍋つかみ(56元)

 1845に帰宅して数分後、土砂降り


 日本拳法的なる集中力を丸紅時代の5年間持続した





 アカネさん




 すべての動作に腰が入っている Thi Minh Huyen TRANさん

 何事も腰から入る。彼女の一挙手一投足が、まるで運命として行われているように見える。

 彼女だけが確かに存在している


 Thi Minh Huyen TRANさんに出会ったのが「運の尽き」

 何億・何兆と、無数にある情報・知識の中から見出した、というよりも運命的な出会いとも言えるこの4分間の映像。

 運命ここに至れり。

 これでいつ死んでもいい。

 本当に行き着く先、本物を見る目が養えた。



 東京都立秋川高等学校・玉成寮・舎監長・重田一先生は、昭和47年4月、第八期生として入学・入寮した私たちにこう仰いました。

「自分の目で見、自分の耳で聞き、自分の頭で、これだな、これが本物(本当のこと)だな、と思ったものだけを取れ。」と。


 しかし、ここ(本物)に至った以上、ここが行き着く先という目的地に到着してしまった以上、今生きている世界で先はない。

 後は、来世で振り出しに戻り、次なる人生ゲームを再スタートするよりほかの道はない。まあ、死に急ぐこともないので、本物を見ることができた目で、再度、この今の世の中を見て「再放送」を楽しもう。







 自分の内にある理性というらっきょう、もしくは玉葱の皮を剥いていく。

 どこまで剥けたかが、その人の人生の価値となる。


 アフターグラデュエイト

 その人間を本当に卒業した者だけが、次のステップへ進める。

 肉体的に生きている間に卒業しても、死んでしまっても。




 2021年09月04日(土)

 7時起床 晴 洗濯物・布団干し

 15時頃より、もの凄いスコール。雷も。

 17時頃から中降りになったが、全く台湾は雨がよく降る。


 外国の侵略に対して独力で戦かったことのない国々

 シンガポール、マレーシア、タイ、インドネシア、韓国(清国やロシア、日本とは戦わずにすぐに降伏。朝鮮戦争はアメリカ軍・国連軍まかせ。自分で戦ったことはない)。


 対中国、対モンゴル、対アメリカ・韓国、いずれの戦争にも勝ち抜いてきたベトナム。

 心の底から(血の中に)戦いを知っている彼女たち。


 太極拳大会参加者

 彼女らの素晴らしいところは、全員が一位を目指しているということ。自分の演武でどんなに良い得点が出ても、一番になり得る点数でなければ満足しない。それが得点が表示された時点に、彼女たちの顔に(失望となって)表れる。

 このガッツ、根性が良いですね。青学の渡邊さんみたいに、四位入賞なんて全く価値がない、という心意気。オリンピックに「参加することに意義がある」なんて、超甘えであり、言い訳であり、税金の無駄使いでしかない。かつての「ニチボー貝塚監督 大松博文」のように、「金を取る為に練習をしている」という位のガッツが、戦後の日本を支えたのです。




 2021年09月03日(金)

 6時起床 晴 洗濯物・布団干し

 昨晩は深夜一時スコールだったが、朝は晴れた。

 1530 CBで太極拳①印刷56元

 龍泉 814でワイン2本、梅酒2本、サバ缶水煮2缶

 牛乳2パック 芋玉葱香菜ミカンパイン820元





 矛盾

 無意識でやれるくらいまで練習をし、練り込まなければならないにもかかわらず、一挙手一投足は完全に意識していなければならない。コンマ一ミリ、コンマ一秒手や足や顔を動かすにも意識を集中して行う。

 これが矛盾(の解消)という太極拳の根本原理である。


 中国人の矛盾

 最高の料理を始めとする文化をもちながら、戦争に弱い。最強の文化・知能・理性を持ちながら、国家として戦争すれば負ける。

 この解消が中国人の根本行動原理。


 矛盾の解消

 気合いしかない。

 無意識まで持って行くことが第一だが、それを意識するためには強烈な気合いでコントロールする以外ない。最も安全で理に適った(合理的)、素直な道だ。

 すなわち、じじばばの社交場、まあ、それもいいだろうが、しかし、本当の太極拳者とは気合いの塊のような人間である、必然的にそうなる。きれい・かわいい・愛想が良い、受けが良いでは本物にはなれない。





 2021年09月02日(木)

 6時起床 晴 洗濯物・布団干し


 太極拳 ベトナム人は身体が柔らかい?

 ○ 指がきれい → ハードウェア的にも、また、意識して動かしているから更にきれいに見える。

 Thi Minh Huyen TRANさん

 一挙手一投足すべてに「意識」がある。

 無意識に行っていない。

 ○ 頭の先から指先・つま先まで完全に制御されている。


 The 9th Asian Wshu Championships 2016でも、ベトナム人が一番だと思ったが、香港が一番でベトナムはまた二位だった。



 東大バカの壁

 一番になる為に努力するのではなく、一番であることが嬉しい。一番であると人々から思われている、ということが楽しい。

 バカのひとつ覚えのように、新幹線のスピードを速くすることしか考えない。利便性とか乗り換えのスムーズさとか、トータルな視点で物事を見て解決しようとしない。目に見えるハードウェアのことだけで、ソフトウェアについては全くバカ。




 2021年09月01日(水)

 6時起床 晴 洗濯物・布団干し 


 私の太極拳

 文章推敲法 → ああでもない、こうでもないと、煮たり焼いたり切ったり刺したり、いろいろな皿に盛り付けたり、単語や文章という素材をいろいろ練ったり混ぜたりして、そのプロセスの中から本当の文章 → 本当の自分を発見(形成)・掘り起こしていく。

 料理人における太極拳

 結局、太極拳とは哲学のこと

 ギリシャ人のように寝転んで考えるのではなく、じっくりゆっくりと身体全体を動かしながら哲学するところが中国人たる所以である。





 行った刀は元に戻る

 これが円の思想



 登美丘高等学校 ダンス部

 男は強くなければ

 優しくなければ男ではない。


 モダンダンスや盆踊りではない、高校生らしい(高校生しか発揮できない)エネルギッシュ・パワー

 同志社はなるべく体力に依存しないで「集団の揃える美」によって高校生のエネルギーをごまかしている。

 知性と協調性で個性を殺す。

 登美丘高等学校 ダンス部は個性を活かしながら、全体の馬力(トータルパワー)にする。




 2021年08月31日(火)15回

 深夜2:30まで創作

 5時トイレ、雨が降り出し、洗濯物取り込み。9時起床。曇りになっていたので、洗濯物・布団干し。


 私たちはジャーナリスト

 真実を私と同じ日本人に伝える。






 2021年09月01日(水)





 Thi Minh Huyen TRANさんは千手観音

 千手観音の意味がわかった。

 手が千本(たくさん)あるというのではなく、この女性はあらゆる所に手を差し伸べる、漏らさず手を差し伸べてサポートしてくれる。俗に気が利く女性、取りこぼしのない、慎重且つ、サッと手を差し伸べる勇気と大胆さと機敏さを兼ね備えている。太極拳の根本原理・精神である(一つの)矛盾の解消をここに見るわけである。

 ゆっくりじっくりやっているように見えて、迅速果敢、そして確実。

 速い動作に見えて、じっくり確実に注意深く事を運んでいる。

 ここに太極拳の目指す正しい道が見えてくるではないか。








 ...我はもや やすみこ得たりみな人の 得がてにすとう やすみこ得たり






 Thi Minh Huyen TRANさんありがとう

 万巻の哲学書を読んでも、何十年座禅をしても、決して得ることのできない「悟り」。

 これがわずか4分間の彼女の演武を鑑賞することで知ることができたという思いです。なにしろ、悟りなんていうものは、人間が死んで初めて知る・至るものなのですから、生きている人間にとってはあってなきがごとし。(むしろ、そんなことを考える暇があったら、目の前の仕事や勉強をした方がまし、というもの。禅坊主は飯の種として「悟り」を商売の道具にしている。そう、まさにこれが仕事の一つなんです。)

 。


 Thi Minh Huyen TRANさん

 彼女は何も教えていない。坊主の好きな法話のように、偉そうに講義・講演・演説しているのではない。

 4分間、彼女が自分自身で見出そうと苦闘しているその姿を、私たちはただ傍で眺めているにすぎない。彼女は360度無限に広がる空間の中で、今この時に最適な姿を追求して苦闘している。

 裏返してみれば、ただただ、大自然の摂理を自分の身体(の動き)で表現しているに過ぎないのだが、それが見る者(私)にとっては新鮮な驚きであり、貴重な教訓であり、大きな感激となる。


 コンマ一秒、コンマ01秒という一瞬を切り取ろうと、毎日殴り合いをしていた私たち日本拳法人には、彼女の苦闘が身にしみてよくわかる。

 太極拳の動きとは、基本おそろしくゆっくりしている(リズムをつける為に速い動きもある)が、それは決して、コンマ一秒、コンマ01秒の連続ではない。デジタルではなくアナログだ。


 ...恐るべきはLB

 彼らは完全に今の生活に満足している。

 コロナだの人類抹殺計画だの、ネサラだゲサラだユダヤだのといった茶番劇で大騒ぎしている私たちを見て笑っている。

 光よりも速く移動し、地表の世界を音のない感覚で俯瞰できる(見る)者たちとは、もはや神の立場にある。

 この地球が大波にのみ込まれようとも、溶岩で溢れかえろうとも、そこに熱も感じなければ音も聞こえない立場にいる彼らにとっては、地表で起きていることなど、数千光年離れた宇宙のどこかの惑星の出来事でしかない。







 Thi Minh Huyen TRANさん 澄み切った心

 こういう精神的に澄み切った心が顔立ちに表れているという人は、日本でも最近はなかなか見ないかもしれません。

 2010年リオデジャネイロ・オリンピック女子バトミントンで優勝した松友という人に似ています。

 透明感のある顔立ちの中に秘めたもの凄いガッツと闘志。

 松友という人は、優勝を決めた最終戦での、あの無表情が良かったのですが、優勝後のリラックスした時の笑顔が



 Thi Minh Huyen TRANさんのは、ほかのすべての演技者(演武)・選手のそれとは違い、演技ではない。

 彼女の(凝縮された)精神の発露であり、精神と肉体の完全なる調和と一致です。

 精神を表現するのに、たまたま太極拳に依ったといってもいい。その意味では、太極拳を超えた太極拳であると言えるだろう。


 ベトナム人の細心さ・注意深さ・繊細さ・諦めない心

 そして、逆に大胆で力強く、且つ、強さを持ったしなやかさ(柔軟性)。その精神を太極拳というかたちで表現した、ということ。モダンバレエでもフィギュアスケートでも新体操でも表現できるかもしれない。しかし、太極拳というそれを行う人の精神を引き出す機能(魔力)を持つ武道であるがゆえに、ここまで彼女の内面を引き出し表現できたのだろう。


 敵を引きつけて、敵の攻撃を反転させて返す。ゆっくりと、しかし確実に前へ進み、時に後退しながら、敵の力をバネにし跳ね返す。

 直線的に跳ね返すのではなく、360度の回転運動にして前へ出る力にする。




 Thi Minh Huyen TRANさんの太極拳と大阪市立登美丘高等学校ダンス部

 2015年シンガポールのSEA GAMEにおいて、Thi Minh Huyen TRANさんは圧倒的な格の違いを見せる演武でありながら、優勝とならなかった。

 2017年と2018年のダンス甲子園で、大阪市立登美丘高等学校はやはり準優勝とされた。実力・客観的な見地ではなく人為的な思惑によって。



 超弩級であるがゆえに、この人・この学校が一番になったら、後に続く者がいなくなる。あまりに標準とかけ離れた美しさ・完璧さを持つ者が頂点に立つと、ピラミッド構造にならない。

 唯一無二の一点と、その他大勢という二局分離の状態になり、二位も三位も十位もどんぐりの背比べとなって、きれいな差別構造ができなくなってしまう。

 平等と謳いながら、順位をつけ、それに見合った価値(待遇)を付与することで自分たちが権威として振る舞おうとする者(主催者・審査員たち)にとっては、自分たちを超える「別格」の存在は極めて都合が悪い。審査員が、(一位ではなく)その他大勢のレベルに埋没してしまい、その権威が失墜することを彼らは恐れている。

 自分たちの手に余る天才を持て余す彼らは、自分たちの権威を守る為に、天才を天才ではなくしてしまう必要がある。


「天才とは私たちと一歩を隔てた者に過ぎない。同時代はその一歩が千里であることをわかっているからこそ、天才を殺す。そして、同時代も後代も一歩が千里であることに盲目でいたい。その方が安心できるから。天才などいない。私たちは皆同じ人間なんだ、頑張れば、誰でも一番になれるのだ。」と。


 → 「あなたは美しすぎて誰も愛せません。美は醜い世界への侮辱です。」「天井桟敷の人々」

 ガランスという美女を口説く貴族の言葉。





 純血と混血

 混血民族は、その場、その時に、金になる人間・金を残せる人間を選んでくっついて子孫を残せばそれでいい。

 死後の魂のことなど眼中にないし、そういうものが元から彼らの中には存在しない。何千年か前に消えてしまった。


 彼らは魂のないゾンビのような生き物だ。他人の血を吸い、血を吸われた人間は同じゾンビとなる。ただただ、血を吸うために生きている。自分のゾンビとしての血を残すことが生きがい。

 血を吸う相手は人間でも犬でも馬でも良い。ただ、一番簡単だから、人間の血を求める。

 元気な人間の血を吸い尽くしては、更に別の元気な人間を探して彷徨う。




 純血民族とは、「魂という血」を継承していこうとする。他人に吸い付いてその血を吸って生きるのではなく、自分自身で汗水流して苦労して苦しんで悩んで悲しんで得たものこそ本物であり、永遠に残る精神性を持つと考えている。

 だから、「吸血」とは最も忌み嫌うことであり、そういう「楽して・要領よく」生きることに何らの価値も見出さない。


 台湾人はなんでもイージー

 飯炊き → ポリエステル製の網を飯窯の底に敷き、ご飯が炊けると、その網の四方をつまんで飯釜から引き抜き、飯びつまで持って行き、そこに投げ込む。

 いちいち、大きなヘラでご飯を何回も掬い、全部のご飯を移動させるなんてことはしない。

 白飯と一緒に、あのプラスチック(ポリエステル)の網まで煮込んでいると思うと、とても気持ちよく飯を食えない。






 武器など要らない

 強くてしなやかな心

 強靱さと柔らかさと

 老子は「一番弱い水が、実は一番強い」と喝破した。

 Thi Minh Huyen TRANさんは、「強くてしなやか」という、老子の言う「この世で最も強い」水の特質をベトナム人の精神として世界に示した。

 ベトナム人にはガッツとポリシーがある。

 それらすべてが彼女の指先に現れている。



 あの小さな身体で、地球を飲み込むほどの大きな演技。




 見た目の技術や力強さや美しさだけでなく、内面的な強さと優しさをあそこまで美しく表現(表出)した演武は過去になかったし、これからもないかもしれない。ベトナム人の中からは再びああいう素晴らしい演武が生まれてくるかもしれない。





「アキレスは亀に追いつけない」

 何事も先にやった(考えた)者に、それを真似する人間は追いつくことができないし、真似は本物ではないから、全くの異物・異端になってしまう。神ではなく妖怪になってしまうということである。



 Thi Minh Huyen TRANさんの演武 2021年08月25日

 ○ アキレスは亀に追いつけない

 最も若く強き者が死ぬだろう。


 ○ 序破急

 ○ 動いては止まり、止まっては再び動き出す。

 竹の節のようにメリハリのついた成長。

 ○ 若干の場と間合いとタイミングを変えながら、何度も何度も同じことを繰り返す。全く同じことを行いながら、全く同じではない。



 マトリックスという心の奴隷から抜け出す道としての太極拳

 目にするもの、耳に聴くもの、すべてが嘘。

 ラブホテルのようなJRの白い駅舎、ベンチをなくし、金になる缶コーヒーの自動販売機が所狭しと並ぶホーム、食い物の匂いがプンプンする駅構内、気の違った在日韓国人がデザインしたであろう、エグい色のつり革や内装のダサい電車。

 そんな中にいると、「この世はマトリックス。虚構の世界だ。」という、米映画「マトリックス」に登場するモーフィアスの言葉が思い浮かんでくる。

 そんななかで、朝でも夜でも、公園や空き地や歩道で、一人でできる「真実を見る鍛錬」それが太極拳。

 真実を見ると言って、自分自身が嘘の塊である韓国人やハ○○では、幾らやっても玉葱の皮をむくのと同じで真実には行き当たらない。

 また、葬式坊主のような「死や霊魂のことなど知らないのに、それで飯を食う」という種類の人間。コロナのことなど何にもわからないのに、マスクをしないと罰金、家を出たら罰金、一メートル以上離れてマスクをして会話しろなんて、「講釈師、見てきたような嘘をつき」の公務員・医者・学者たち。要は、嘘で塗り固めた人生を何十年も送ってきた者は、いくら太極拳をやっても、真実など行き当たらない。

 本当の自分・人間本来の素性・特性を守り続けてきた者だけが、毎日3分間の太極拳でその真実を保持していける。







 Thi Minh Huyen TRANさんのは、ほかのすべての演技者(演武)・選手のそれとは違い演技ではない。2021年08月29日

 彼女の(凝縮された)精神の発露であり、精神と肉体の完全なる調和と一致です。

 精神を表現するのに、たまたま太極拳を利用したといってもいい。

 その意味では、太極拳を超えた太極拳であると言えるだろう。


 ベトナム人の細心さ・注意深さ・繊細さ・諦めない心

 そして、逆に大胆で力強く、且つ、強さを持ったしなやかさ(柔軟性)。その精神を太極拳というかたちで表現した、ということ。モダンバレエでもフィギュアスケートでも新体操でも表現できるかもしれない。しかし、太極拳というそれを行う人の精神を引き出す機能(魔力)を持つ武道であるがゆえに、ここまで彼女の内面を引き出し表現できたのだろう。



 Thi Minh Huyen TRANさん

 後ろ姿に哀愁・ベトナム人の悲しみ・存在感がある。

 WUSHU WOMWN'S OPTIONAL TAIJIQUAN 28th SEA GAMES 2015年

 ○ 知性の極みから理性へ

 何万回も頭の中で流れを繰り返し、現実にそれをマット上で何十(百)回も練習する。


 Thi Minh Huyen TRANさんの演武

 ○ アキレスは亀に追いつけない

 速さとゆっくりという二つの事実(道)がある。

 しかし、最終的には亀(ゆっくり)が勝つ。

 亀が勝つのではない。亀はただ自分のペースで前へ進むだけだ。追い抜こう・出し抜こうと考えてはいない。だから、結局は亀が勝つ。

 日本拳法をやる者は、速さと強さ、そしてタイミングを追求するのだが、最後は亀が勝つ、というか、最後に至るべきところは「亀」である、と知るべきであろう。


「汝らのうち、最も若く最も強き者は剣に倒れるであろう。」

 Your youngest and strongest will fall by sward.



 彼女は

 ○ 人間として備わる身体的機能を100パーセント使い切っている。

 ○ 心と身体が100パーセント一致している。


 ほかの選手は「笑っている・微笑んでいる」のがおかしい。ショー・見世物ではないのだから、自分の追求なのだから、真剣味が出ていなければおかしい。


 ...○ 神の演武

 人間を超えた神を感じさせる姿。



 ○ 序破急

 ○ 動いては止まり、止まっては再び動き出す。

 竹の節のように、リズムとメリハリのついた成長。

 ○ 若干の場と間合いとタイミングを変えながら、何度も何度も同じことを繰り返す。全く同じことを行いながら、全く同じではない。

 上下左右・動と静・直線と円といった様々な角度・立場・状況から視点を変えて、ひとつのものを追求する。

 これが道。

 Thi Minh Huyen TRANさんは私に道を教えてくれた。

 彼女は自分自身に様々な変化を与えながら、自分にいろいろな角度からの刺激を与えながら、自分を鍛えている。

 競走でコンマ01秒速く走る、日本拳法で試合に勝つ。それを目的として一意専心、ただひたすら頑張るのもいいが、それらは太極拳におけるひとつの動作に過ぎない。大本の道を追求するには、武蔵の云う「諸式・諸色の道を知るべし」であり、太極拳とはその数分の間に、形而上的に数万・数億もの真理を(自分に)見せてくれる。


 日本拳法で、突きを千回やるという修行を○○大学ではされているそうですが、そして、それは一意専心という面では極めて意義のあるトレーニングではあるのでしょうが、そのあとで、個人個人が自分のリズムで移動しながら、今度はじっくり・ゆっくりと「突きを味わう」ことも意義のあることではないでしょうか。

 直線と円運動、固定と移動、静と動、速と遅の鍛錬。

「アキレスと亀」は、物事の本質を突いている。明暗・強弱・遅速を心と身体で知ることで、心理に近づくことができる。

 二本の足・二本の腕・身体全体を使って、森羅万象を経験しようというのが太極拳なのです。



 ○ 僅か数分の間に彼女は数億年分の時間を楽しんでいる。

 様々な角度から見て・見られ、退いて・進んで、上になり下になり、突き・蹴り、投げて・転がし・練っては返す。そうやって、自分自身を存分に活かし発揮させることで、ただの4分間の数億倍の時間と空間を占有している。


 ○ 構えはありて構えはなし

 太極拳の極意


 Thi Minh Huyen TRANさん

 後ろ姿に哀愁・ベトナム人の悲しみ・存在感がある。

 WUSHU WOMWN'S OPTIONAL TAIJIQUAN 28th SEA GAMES

 ○ 知性の極みから理性へ

 何万回も頭の中で流れを繰り返し、現実にそれをマット上で何十(百)回も練習する。

 ○指先までもが生きている


 Thi Minh Huyen TRANさんの太極拳

 は、今この瞬間、何をすべきかを、安直な思いつきや、ものぐさからではなく、運命として(必ずそう出なければならないという絶対的な定めとして)行うべきことを、ごく自然にスッと行うことができるのだ、ということを私たちに教えてくれている。

 あの4分間の集中力と自由で柔軟な精神、そして、それとコンマ一秒、コンマ一ミリの齟齬(ズレ)もなく連動する肉体を作り上げれば、どんな場所でもどんなときでも、そして、どんな相手に対しても、運命の如く自然に振る舞うことができる。

 運命と戦うものは、今回負けても次は勝つ。次に負けても、その次がある。運命と戦うものには永遠の運命がもたらされるのだから。






 最も速くて強い武道日本拳法と、最もゆっくりで

 日本拳法も太極拳も、供に究極の一瞬と一点を追求するという目的(への道)は同じだが、そのアプローチの仕方において、一方は直線的であり、方や太極拳は曲線(円)。


 日本拳法は、3分間の中で「時間と空間の切り取り」を模索(格闘)する。力づくで時間と空間を凝縮し一瞬と一点を絞り込む。

 太極拳は放っておけば十分でも一時間でも継続して行うことができるが、演武試合の形式上は約4分間。時間と空間を切り取る気合いと気迫・集中力は同じだが、デジタルではなくアナログ、実ではなく空、直ではなく円で行おうとする、道を表現しようとする。

 日本拳法が切り取る・もぎ取るというスタイルであるならば、太極拳は自分の身体で時間と空間を包み込み・吸収し、そしてそれを表現する。


 どちらも「時間と空間を自分のものにする」という道(目的)は一緒だが、日本拳法は「一本」であり、太極拳は複数の審判員による「評点」によって表現の度合いが評価される。太極拳の場合は、競技として楽しむ為の試合であり評点であって、本来は自分自身がどこまで「時間と空間の切り取り」ができたかという自己満足度であり、自分の満足度が神の目線でのそれと一致した時、その評価は絶対となる。


「汝らのうち、最も若く最も強き者は剣に倒れるであろう。」

 Your youngest and strongest will fall by sward.

 武蔵は知っていた、速くて強いだけではいけない。そこに「空を切る精神」がなければならない、と。「空間と時間を切り取る精神」。それが太極拳。

 Thi Minh Huyen TRANさんの演武によって、「なぜ、武蔵が「五輪書」の最後に「空の巻」をもってきたのか」が、ようやくわかりました。



 日本拳法と太極拳は相性が良い

 コンマ一秒の一瞬とコンマ一ミリの一点を追求し、最も現実的な手段でする(面と胴、グローブを着用して本気で殴る蹴る)日本拳法。自分追求の為に、真剣勝負の心(本当に殴られる蹴られる投げられる)で3分間戦う。

 一方、太極拳とは、防具も着用しなければ相手と戦うこともない、ただただ自分一人の戦い(演武)の中で、いま最も必要なこと・一番重要なこと・絶対にやらねばならないことを追求する。そういう、本来あるべき自分の姿を知ろうと(一人静かに)格闘する。座禅なんかでは絶対に得られない、真の人間の境地・本当の自分に行き着く戦い、それが太極拳。




 太極拳

 ベトナムという国は(フランスやアメリカ・韓国に)虐められながらも、必死に逞しく生きてきた。

 その必死さ、(女性としての)逞しさ・強さがThi Minh Huyen TRANさんのあの演武ににじみ出ている。


 苦労した人間・苦闘している人間・頑張っている人間

 → 大阪市立登美丘高等学校の「レインマン」は、雨で被害なった人たちへの応援歌(ダンス)です。

 → ロダンの「カレーの市民」苦悩・苦しみ・悲しみへの共鳴・共感と強い激励


 太極拳の教え

 ○ 頭と腕と腰と足、すべてが一体化している(一体化して、常に連動していなければならない)ということを教えてくれる。

 何かをしようという時、それを頭で考え、感覚で(状況を)捉え、身体全体を使って達成(実行)する。机の上にあるコーヒーカップを、何気なく腕を伸ばして取り、引き寄せ、口に持って行き、再び元の位置にカップを還す。

 知性(頭)と感性(視覚的情報を把握する)、そして、決して迷いも間違いもなく、無駄のない確実なタイミングと流れで、これら一連の動作を確実に(理性的に)行うのだが、そこは人間、(悟性の働きによって)ごく当たり前の如く見せたり、いかにもという感じでもったいぶって(格好つけて)行う人もいる(俗っぽい人 → 俗性の強い人)。

 単に、コーヒーカップを掴んで飲むという簡単な動作ひとつを行うにしても、小さな子供は知性と感性と理性が未熟ですから、失敗したりする。ましてや、ごく当たり前のことのように(悟性)して飲むとか、格好つけて飲む(俗性)、なんていうことなどない。

 こまっしゃくれた(悟性)ガキとか、俗っぽい(俗性)ガキというのも、たまにはいるけれど。



 ○ 自分が存在する、例えばこの部屋という空間の中で、今いる時間の中で、今、...(ゆっくりと)身体を動かすことで精神を励起させる。一致と分離

 日本拳法(という試合形式)では、哲学なんかしていたら殺される(試合に負ける)。

 心と肉体の一致。早き心と速い動作。ゆったりした心とゆっくりした動作。

 逆に、心が急いでいる時は身体をゆっくりとくつろがせ、心が弛緩(油断)している時は、身体を緊張させる。武蔵が「五輪書」に言う「心は躰につれず、躰は心につれず」。

「心と身体の一致」と「心と身体の別々のコントロール」




 芸術とは

 たまたま当たっちゃった。技術的に高度な技。

 これでは芸術とは言えない。

 誰でもが、ごく普通の技術でチャンスを引き入れればできる「現実的」な行為でありながら、そうはいっても、現実には、誰も、なかなかできない。

 中央大の○氏の「後ろ回し拳」なんていう特別な技術が要求される行為を、たとえそれがクリーンヒットしたとしても、芸術とは呼べない。

 偶然の産物は事故と言い、芸術ではない。

 ごく普通の技術を使い、且つ、他の人に抜きん出た作品。木や石の中にあるものを掘り出すのではなく、自分の強い念力で木や石の中にそのものの姿を作り出す。自分で作っておいて、自分で掘り起こす。


 現実的である。再現性がある。


「ザグラダファミリア」なんて芸術とは呼べない。ユダヤ人的な精神分裂病的作品。

 ドイツのニュールンベルグという町は、空襲で90パーセント破壊された町を、戦後30年かけてその瓦礫を寄せ集めて元の姿の80パーセントにまで復興させたたという執念の塊だ。これこそ芸術と呼ぶに相応しい。




 今、今、という今の連続に何をどうすべきか。


 本を読む、掃除をする、パソコンを触る、コーヒーカップを取る、等々、無数(無限)の選択肢がある。何が最も近くにあり、何をするのが(5秒かかるのか3秒か、という)時間的に早くできるのか、何が最も「おっくう」でないのか。

 自分の身体や心の状態と、周囲の物の配置や模様によって、最適な選択は無意識に行われる。しかし、それは本当に最適であったのか。単に一番簡単だから、面倒ではないから、という理由だけで、ほんらい後回しにすべきことを先にやってしまったのではないか。


 漢字と太極拳

 自分で漢字を作る。何千とある漢字を自分の身体と心で表現する。ここに至って、漢字は本当にその人のものとなり、大自然から発した漢字の本性へ還ることができる。




 日本拳法と太極拳

 理性拳法と知性拳法で見ると、知性と理性の一体化を目指すのが日本拳法の道。

 理性から知性へ、或いは、知性から理性へ。

 理性・知性どちらから入ろうとも、最終的にその融合を目指すのが日本拳法の道。

 その融合の度合いが「鞘」という概念となる。


 太極拳は徹底的に知性を追求した上での理性

 頭で考え、シミュレーションし、実際に演武を何百回も繰り返し、頭と身体の一体化を追求する。

 それが完成したところに、理性が待っている。

 Thi Minh Huyen TRANさんは、まさに知性の極みが理性を生み、頭(知性)と身体、そして、心(理性)の三者がバランスを保ちながら、完全に一体化している。

 

 心と身体の一体化

 知性と理性の一体化

 技と力の融合


 老子は無用の用と言った

 部屋とは。歩くのと寝る部分があれば事足りる。ほかの空間は用を為さないと言うのは過ちである。無用に見える空間があるからこそ、現実に用途のある空間が生きてくるのだ、と。

 日本拳法では、突く・蹴る・投げる空間の中で戦っているように見えるが、それ以外の空間があるからこそ、私たちの行動が現実となる。見えない空間・気がつかない時間の流れがあるからこそ、目に見える現実と実体の伴う時間が存在するのだ。

 Thi Minh Huyen TRANさんは、無用に見える空間を活かしている。連続して存在する行動によって、無意識に過ぎる時間を切り取って見せてくれた。

 この人にとって、無用の空間など存在しないかのようだ。すべての空間を生かし切っている。時間の流れを無駄にしていない。


 4分間の間に、どれだけ多くの時間と空間を生きたか。これが平栗雅人流太極拳の評価基準だ。


 その場、その時(空間と時間との間合い)、そのタイミング(リズム)で、必ずここで、こうでなければならないという究極の一点を突く(究極の姿となる)。

 日本拳法の突きや蹴りは、相手の面や胴と決まっているが、太極拳ではそれは無限に存在する一点の一つ。

 その一つを勝手気ままに突く・蹴るのではなく、まるで運命で定められたかのように、必然として行う。大自然の摂理として空間と時間を切り取る。





 2021年08月24日(火)

 6時起床 晴 終日家




 2021年08月23日(月)

 6時起床 晴 洗濯物・布団干し しかし、745頃より曇ってしまう、が、9時から再び晴れ間が出る。



 ○ 「いいワインはボトルを見ればわかる」

「良き丈夫はその礼を見ればわかる」


「ちわー ! 酒屋でーす。」軽く、顎を若干突き出し気味にして、頭だけをペコッと下げる。



 ○ 「天下の苗を助けてこれを長ぜしめざる者は寡(すく)なし。」



 ○ 神は細部に宿る

 指先・刃先・葉先・波先(波頭)。

(ネイティブ・アメリカン、オーストラリアのアボリジニ、台湾の原住民といった、太陽や月の運行、木々の成長を神の指針とし、作物や動物を神の恵みとして感謝して生きる、原住民。

 彼らのように、常に神と一体化して生きてきた人々の衣装には、細部にこだわり、また規則的な繰り返しを象った幾何学的模様が非常に多い。

 太陽に月、山や川、木や草や鳥、動物たちといった、神から与えられた恵みに対する感謝と畏敬の心を、絵や織物やトーテムポールのような造形物にして表明してきた。

 日本人の原型である縄文人にしても、人を殺す為の武器ではなく、女性の装飾品ばかりが、その多くの住居跡から発掘されている。有名な「縄文の火炎土器」など、まさに「神が宿る」造形であろう。



 acquaintance

 《friend ほど親しい関係ではない》

 かつて、天涯孤独の侠客・木枯らし紋次郎は「あっしには、関わり合いのねえことでござんす。」と、他人のトラブルには干渉しない主義であった。

 にもかかわらず、俗に他人のトラブルに口をさすとか顔を突っ込むと言いますが、口や顔どころか身体でぶち当たり、ドス(太刀)で斬り込んで、バッタバッタと(悪人を)斬り捨てる。

 結果としては、他人の難儀を救うわけです。



 ○ハ○○

 自分たちが中国から追い出された時の(一時)避難所としての台湾と日本。

 中国人が来たら役に立たないハ○○。汗水流して働く国民を中国という国は大切にするから。




 2021年08月22日(日)

 7時起床 晴 洗濯物・布団干し 


 ○ 台湾滞在

 嫌なこと、不愉快なことがあった方が、幻想に惑わされないで真実を見ることができる。


 韓国人

 神の競技(太極拳)を思いっきり俗っぽくしてくれる、このひょうきん者に乾杯 !

 太極拳でさえ、俗っぽくしてしまうこの俗性。

 こういう人たちが大学日本拳法の世界に侵入してくると、「腐ったリンゴ一個で、箱の中の他のリンゴがすべて腐る」という現象が出てくるかもしれない。



 ○ 詐欺師は英雄ではない

 → 韓国人

 多くの人をリードして正しい方向に向かわせるのが英雄であるならば、多くの日本人を瞞してその富と幸福を着服するような者は、単なる詐欺師である。

「日本の政治家の90パーセントは在日」というネット情報を見て。鄭成功(とその弟)という中国人と日本人のハーフは、中国(台湾)のために、身を粉にして戦ったのだが・・・。



 2021年08月21日(土)

 6時15起床 晴 洗濯物・布団干し 

 1445~大雨スコール 

 17時に出て814。台糖のサバ缶水煮が29、トマトが26だったので、各一三個、一五個購入。

 小北で三角鍵の鍵140


 2021年08月20日(金)

 6時半 起床 晴 

 1445にCB。今日は空いていたので、李さんにじっくりしかし、いつものように素早く正確に美しくやってもらえた。136元

 移民局へ

 カルフールへ

 自助餐

 1645にCBへ行き、ドッグフードとキャットフードを渡す。

 17時帰宅。


 香港やマカオのような、中国支配の自由都市(国家)として、栄えたであろう。






 英雄の必要性

 鄭成功という英雄がいたから、台湾は(オランダから)独立できた。「独立国家」というものを知った。

 しかし、台湾を支配するハ○○はそれを殊更無視している。孫文や蒋介石を建国の父として象徴化しているが、彼らが本当に台湾という国を作り守ろうとしたわけではない。鄭成功こそ台湾を中国人のものとして創始した英雄、台湾人の父であろう。しかし、鄭成功は日本人ゆえに、孫文、蔣介石とならぶ台湾の「三人の国神」の一人でありながら、台湾人はその意義を知らない。

 ハ○○や韓国人のような三国人にとって、真の英雄の価値など知りようがないのだろう。



 2021年08月19日(木)

 7時半起床 晴 布団洗濯物干し 日光浴

 対面の家(水道屋)がガレージの屋根修理。

 終日家


 2021年08月18日(水)

 7時起床 晴 布団洗濯物干し 日光浴

 15時LV CBで52元 四組の客を、李さんがほぼ一人で処理していた。

 内埔の自転車屋へ。後輪のタイヤとチューブ交換。

 台風で米の価格が上がっている、と言われたので814へ行くと、確かに10パーセントくらい値上がりしている。台糖の鯖トマトソース煮缶詰が26元だったので、6缶購入。

 毎日1430頃から曇りだすのだが、今日も同じ。



 太極拳

 中国人:自分が自分になるために。自分が由来する中国人というアイデンティティを自覚する為にやる。

 台湾人(ハ○○):格好だけ。


 やはり、中国人でなければ、悠久の大河の流れ、無限の時間の流れ、限りない空間を表現することはできない。

「速く打つ・動く」なら、誰でもできる。そこをいかにゆっくりとやるか。


 変化をするという観点からすれば、この世のすべてのもの、コンマ0.0001秒変化しないものはない。

 変化しないという観点からすれば、地球や月の運行、太陽の輝きに変わりはない。この世のものはすべて変化しない。

 変化を見せながら、変化しないものを表現する。これが太極拳というものなのだろう。


 優勝者である中国人のBi Ying Liangさんは、動きが大きい。すべて肩と腰から入っている。

 腰の入り方、肩の入れ方がフィリピンの人とは全然違う。だから、大きく(雄大・勇壮・幽玄・悠久に)見える。

 完全なアナログ(大自然のリズム)。デジタルではない。


 一方、別の大会だが、ベトナム人のThi Minh Huyen TRANさんの演武は、それをも大きく超えている。

 単なる演武ではなく、その人間の民族性をも表現することに成功している。

 ベトナム人の悲しみ・強さ(たくましさ)を象徴しているかのようだ。まさに太極を極めることでその民族性を代表する表現が生まれたのだ。


 太極拳の教え

 マトリックスという心の奴隷から抜け出す唯一の道、太極拳





 ○ 頭と腕と腰と足、すべてが一体化している(一体化して、常に連動していなければならない)ということを教えてくれる。

 何かをしようという時、それを頭で考え、感覚で(状況を)捉え、身体全体を使って達成(実行)する。机の上にあるコーヒーカップを、何気なく腕を伸ばして取り、引き寄せ、口に持って行き、再び元の位置にカップを還す。

 知性(頭)と感性(視覚的情報を把握する)、そして、決して迷いも間違いもなく、無駄のない確実なタイミングと流れで、これら一連の動作を確実に(理性的に)行うのだが、そこは人間、(悟性の働きによって)ごく当たり前の如く見せたり、いかにもという感じでもったいぶって(格好つけて)行う人もいる(俗っぽい人 → 俗性の強い人)。

 単に、コーヒーカップを掴んで飲むという簡単な動作ひとつを行うにしても、小さな子供は知性と感性と理性が未熟ですから、失敗したりする。ましてや、ごく当たり前のことのように(悟性)して飲むとか、格好つけて飲む(俗性)、なんていうことなどない。

 こまっしゃくれた(悟性)ガキとか、俗っぽい(俗性)ガキというのも、たまにはいるけれど。




 ○ バランス

 ○ 矛盾(の解消)

 ○ 強さと弱さ 速さとゆっくり 

 ○ 大きく

 ○ バラバラのようで統一されている

 ○ (太極拳の)自然体

 ○ 心と身体が一体だが、見た目はそれぞれが独立しているかのよう。 → そう見せる

 ○ 静止と変化運動

 ○ 往った太刀は元へ戻る

 ○ 書道と共通している点が多い

 ○ 心は躰につれず 躰は心につれず

 → 武蔵の言葉だが、彼は無手勝流から、よくぞあそこまで科学的な兵法を確立したものだと感心。

 ○ 腰から入る大切さ

 ○ 人間の技巧ではなく、大自然に成り切ること

 風や水、川や海、山や鳥、木々や砂漠を吹く風

 優しい風、


 いいワインはラベルもいいと言いますが、Thi Minh Huyen TRANさんは、礼だけでも卓出している。





 中国人は太極拳をやりながら、自分たちの歴史を思い出す

 栄華栄耀、華やかで楽しく美しい光景や、逆に、過去何度にもわたり夷狄に侵略され、奴隷同然となって虐待され、近代では英国を始めとする欧米列強に侵略され、苦力としての悲惨な生活。

 僅か数分間の演技の中に、過去四千年の歴史を噛みしめている。




 太極拳の効能

 自分にとって何が今一番大切なのか、それをどうやったら良いのか。何を選択すべきか。教えてくれる。太極拳が教えるのではない。「太極」に徹底することで、本当の自分自身が何か、どうあるべきか、何をすべきかが、自分自身でわかるようになる。

 座禅、特に公案禅などやると、無間地獄に陥る。早い話が精神分裂症になる。

 自分自身ではなく、他人が作った公案というものに囚われ、真の自分自身の開闢ができなくなるからだ。座禅で集中など絶対にできない。 → 黒澤映画「続・姿三四郎」

 釈迦は七日間座禅などしていない。

 朝から晩まで太極拳をやっていれば良かった。


 来世は、ハーバードのお姉ちゃんと知り合うのは回避する。

 これで、ボストンとサンフランシスコの2人の女性は命を失うことはない。

 貯水池に投げ込まれたら ?

 その時は、「白浪五人男の○○」ではないが、一人でも二人でも「抱いてゆく」つもりだった。

 日本へ帰国後、一年間は大企業にいてほとぼりのさめるのを待ち、更に出家することで、完全に逃れる、までは同じ。そして、今度は坊主ではなく、キリスト教の修道士にでもなるか。



 日本拳法の普及

 短大生(二年制)

 二年間でも、型と防具で「究極の一点」を知ることができる。

 自分が今、何をどうすべきか。或いは、何をどうすべきは何時なのか。自分自身の人生における最適な「場と間合いとタイミング」を知り、実行する体質になれる。

「知る」のは型の錬成による。「実行力」は防具による理性の鍛錬で実現できる。筋トレなんぞ、拳立て50回、腹筋100回できれば十分でしょう。

 

 そうすれば、武蔵の境地「我、ことに於いて後悔せず」に至れるか。

 人生におけるどんな選択でも、後悔することはない。それが「運命に勝つ」ということ。





 太極拳

 太 → 太い、大きい

 極 → 究極の一点 微細 ミクロの世界

 拳 → 戦い


 太極拳によって中国人としてのルーツに近づこう。中国人になろうというのではない。中国人としての本性を見出そうとする。

 中国人の本性と一体化する。



 若い時は日本拳法、老いては太極拳。

 若い時は中国料理、老いては日本料理。


 太極拳とはゲームではない。

 あくまで「自分が自分になる道」を追求するものです。その意味で、柔道や剣道と同じ武道です。

 日本拳法とは殴る・蹴る・組むという、戦いの自由度が大きいという点で、将棋のように、戦いを極度に抽象化した

 柔道や剣道ほど抽象化されていない武道です。




 太極拳とは漢字と同じで、一つ一つの動作に意味がある。


 矛盾の解消

 これが太極拳の求めるもの(極意・究極の到達点)。

 始めと終わりの「盾と矛」を意味する礼にそれが象徴されている。


 三人

 Bi Ying Liangさんは動きながら止まり、止まっているようで動いている。

 手の動きと足の動き、そして、身体の中心部分の三部位が連携している。手だけ、足だけでなく、手が動いている時も足や身体も微妙に動いている。

 空も山も風も海も、動物や昆虫も、蟻も蚤も、人も大地も止まることはない。この世のあらゆるものが生きて動いて(活動して)いる。風が吹いている時も止まっているし、風が止んだ時も風は呼吸している。

 動と静は別々ではない。

 ○ 一つ一つの動作が丁寧



 ○ 斉藤さん

 上半身と下半身がバラバラ

 ゆっくりが徹底されていない。

(日本人らしく ?)忙しない

 緩急の流れがギクシャクしている



 ...逝く者は斯くのごとくなれども、未だ嘗て往かざるなり


 一つ一つの動作に「運命」を感じさせる。




 Shiho Saito

 動きが硬い。ぎこちない。滑らかでない。脚力不足。全体に止まっている。一つ一つの動作がバラバラ。



 2021年08月17日(火)

 7時起床 晴 布団洗濯物干し 日光浴 終日家

 20時大家が来たので家賃を払う(1,300元)



 2021年08月16日(月)

 6時起床 晴 午後、一時雨。終日家

 ゴミ出し



 2021年08月15日(日)

 630起床 晴 終日家


 1230に寝て、途中トイレに起きることなく、6時間キッチリ寝れたというのは久しぶり。。



 ...コロナ

 アフリカではなく、先進国にコロナワクチンを普及させているのは、人体実験の為。

 アフリカ人ではワクチン接種後のデータ取りが上手くいかない。ワクチンで何人死んだか、どんな副作用があったのか、それぞれの期間は、等々のデータを収集するには先進国でなければならない。

 イスラエル・英国・米国、そしてフランス。

 ここから最強の兵士を生み出そうというわけか。






 2021年08月14日(土)

 朝640から雨が降り出す。

 730に晴れたので洗濯物・布団干し

 8時に雨が降り出す

 明るい日差しがありながら、雨。


 自己満足と見世物のスポーツ


 副島氏は北朝鮮人

 ○ 自分でクリエイトした話(学説)ではない。

 アリストテレス、デカルト、カント、マルクスエンゲルスといった過去の「有名人」の話をかき集めて、それをいかにも自分の大発見のように喧伝する。「佐藤優が認めてくれた」なんて、いま現在生きている「権威」に言わせて、自分の話を正当化しようとする。

 ○ 常に自分が正しいのだ、ということを狂信して、それを他人に押しつける。強引に信者を作りたい、増やしたい。

 ○ 常に新たな「危機」を作り(見つけ出し)、煽る。2020年12月から2021年2月にかけての「トランプ・キャンペーン」では、「アメリカは、悪の権化ディープ・ステイトとトランプが率いる善(反ディープ・ステイト)の戦いで内戦になる。その時は自分(副島)はトランプ軍に加わって参戦する」なんてぶち上げる。




 ...ユダヤ人は15世紀あたりからの文化

 にしか興味がない。

 自分たちが実権を握り始めた頃。混血に混血を繰り返し、漸くその頃に「ユダヤ人」として自信を持って生きることができるようになった。それ以前は、紀元前のカナンのなんたらで放浪者になって、世界中を彷徨った。

 ロスチャイルドがナポレオンを使ってフランスを破産させ、革命を起こさせて、乗っ取った。これが彼ら「ユダヤ人の歴史」の始まりです。

 それまでの惨めな生活は忘れたい。


 ...ユダヤ人の国際金融資本家

 朝から晩まで数字しか見ない。豊かな心なんて、難民・棄民としての放浪生活時代でさえも持っていなかった。「親知らず子知らず」ではないが、親を瞞し、子を食らって生き延びてきた。

 武器は金勘定ができることと、ずる賢さ。民族としての信条やポリシー、規範やモラル・道徳がないから、何でもやる。盗みでも殺しでも、自分(たち)が生き延びる為には。


 ...自分史

 今まで、面白い話は山ほどあったにもかかわらず書かなかったのは、自分の視点が確定していなかったから。

 天皇制が始まってからの日本人ではなく、縄文時代、否、それ以前、「十万年前からの日本人」という観点で自分を見直し、行き着いた自分なりの(日本人としての)視点。





 ..2021年08月13日(金)

 7時起床 朝曇、十時頃より晴

 洗濯物・布団干し

 14時に出て、「サイバネティクスと今まで掲載した2021年観戦記合本」印刷製本、同じものがCB(57元)、影印家(69元)

 龍泉へ

 小北で食事用お盆69元

 814でお茶99元とタコ31元

 帰り道、自転車の後輪のタイヤに亀裂が入り、一センチの穴になって、チューブが剥き出しになっているのを発見。明日は内ぷの自転車屋へ

 18時RTN



 ..2021年08月12日(木)

 7時起床 晴 洗濯物・布団干し

 14時にCB

 サイバネティクスと今まで掲載した2021年観戦記、二冊で影印家と同じく80元

 そのまま、屏東へ。

 シャ洛で、サイバネティクスと今まで掲載した2021年観戦記、二冊で60元

 カルフール

 帰りに植木屋で松を買う(200元)




 ..2021年08月11日(水)

 6時起床 晴

 昼寝で寝過ごし、17時きっかりに影印家へ。

 サイバネティクスと今まで掲載した2021年観戦記、二冊で80元

 自転車のブレーキが壊れていたので、内ぷの自転車屋へ。

 空気を入れすぎてパンパン

 パイン×三個で50元

 小さめの自家栽培バナナ10本で39元

 玉葱一袋で50元





 ...あの世へ持って行ける面白い話

 何億・何光年の間思い出して楽しめる話




 ..2021年08月09日(月)

 730起床 曇時々スコール

 熱帯性低気圧が去ったとはいえ、未だに曇か雨。

 今年は去年に比べて梅雨(雨期)が長いのか。

 1230買い物へ龍泉

 一時晴れたがすぐに曇り、帰宅後5分で雨。そして、再び曇。





 ...安本とキリスト教

「死にゆく人に教えられて」

「この痛みにも何か意味があるのでしょう。」


 ...日本人とドイツ人

 無意味な戦いでも、一生懸命に戦う。

 政治家や官僚、役人や警察、職業軍人たちに瞞されているのかもしれない。しかし自分自身は、本当に正しいものを求めて戦う。

 自分が自分に還るための戦い。


 ...哲学とは知性ではない

 もし、東大が明治や関大に勝って大学日本拳法日本一になったなら、これはもう、知性でも理性でも日本一の大学と認めよう。

 しかし、過去から現在に至るまで、そして未来においても、哲学をもって学問をしているのは、国公立大では東北大学と京都大学のみ。



 顯








 ..2021年08月08日(日)  → トランプが正式にアメリカ大統領として認められる。

 9時起床 大雨 雷

 11時頃より雨が止んだので買い物に行こうと思っていたら、大家が来てLANの工事が始まった。

 ケーブル敷設は12時から1330。

 途中、休憩 ? 16時からコネクターの取り付けに30分。


 ...将棋と日本拳法

 かつて日本人は、人間の戦いの諸相実相を将棋というゲームに帰納した。(戦いの要点を駒の動きに凝縮させた)が、今度はその将棋から、日本拳法という戦いを演繹してみてほしい(駒の動き方から日本拳法の世界へ展開する)。


 ...ユダヤ人はなぜ面白い映画(ドラマ)を作るか

 それは、彼らが常に物語の渦中にいないから。いつでも、愛し、嘆き、悲しみ、怒り、笑う人々の外でそれを見ているから。

 自分自身では、愛も恋も、怒りも嘆きも悲しみも、そして腹の底から笑うこともない人生だから。

 そうやって、現実に喜怒哀楽、毀誉褒貶、幸福と不幸を身をもって体験する人の外にいて、そういう現実の人間と「お金」を通じて交渉(或いは交際)している。

 客観的に現実に起こったドラマを赤の他人として見れる立場にあるから、それを芝居や映画にすることが可能だ。

 或いは、そういう面白い芝居や映画の脚本や構想を持つ人間を「お金」で取り込むことにより、自分たちユダヤ人が制作したしたように見せることができる。

「Once Upon a time in America」という映画は、いわばユニクロやソフトバンクの社長のような超大金持ちがそのポケットマネー(40年前で八〇〇億円)で、イタリアの映画監督セルジオ・レオーネに作らせた映画です。

 一般の個人投資家や会社組織ではできないような、ギャンブル性の高い投資・投機を行えるほどの資金力と決定権。


 この投資システムを映画産業でビジネス化(再現可能な商売)にしたのが「ハリウッド」です。


 すべてが電子マネーになったところで、世界中のコンピューターのデータがすべて消える。

 その日の為に、ユダヤ人たちは金(きん)を土地を、そしてそれらを守る為の人間を確保している。

 ...漢字による民主政治

 共通の言語、且つ、単なる記号としての言語ではなく、思想・感情・思考といった、ものの見方や考え方・感じ方という思考形態や感覚を共有できる言語によって、共同体意識が自然と生まれる。

 白人たちは英語のような記号言語しかないがために、聖書のような「物事をどう捉え・漢字・考えるべきか」という共同体意識を持つ為の道具が必要となる。そして、それが書物であることから、翻訳された言語の違いや民族の違いにも影響されて、様々な解釈が生まれて混乱する元にもなっている。

 インドでも、様々な宗教が必要だ。

 しかし、中国人に聖書を初めとした共同体意識を持つ為の道具は要らない。

 中国語(漢字)という言語だけで、中国人は中国人の共同体意識を持つことができる。

 漢字によって、思想・志操教育が自然となされている。


 ...中国人の強さ

 十億の蟻は、最後の一匹になっても中国という国家・中国人の文化を再び興すことができる。




 ..2021年08月07日(土)

 9時起床 大雨・突風・雷と、まるで台風のよう。10時頃には収まり、ゆるい雨になった。

 日中は、激しい雷雨が1時間おきに断続的に降る。18時、ゴミ収集車が来る頃から雨風は止んで落ち着いてきた。


 ガスボンベ交換

 ...将棋と日本拳法

 将棋では、自分のストーリーで相手を引き回して、最後に罠にかけるようにして落としたり、逆に、相手のストーリーに乗りながら(ついていきながら)、最後で自分の罠に落とす、といった戦法があるかもしれません。

 競輪のスプリント競技(二人で戦うレース)では、始めから終わりまで自分が先頭に立ち、そのまま(強引に)ゴールするのと、ラスト一周まで敵の後ろについて(風よけにして)、最後の一周で一気に抜いてゴールする、という二通りの戦い方があります。

 日本拳法の場合は、彼我の力量の差にもよりますが、相手が自分より強い(格上)の場合には、相手の出方を見ながらチャンスを窺う。逆に、相手が自分よりも弱そうであれば、初めからガンガン攻めて自分のペースに巻き込み、早めに料理する。

 自分が相手の攻撃をいなしたり躱したりしながらでも、。


 ...深夜1230ころから雨が止んで静かになった。






 ..2021年08月06日(金)

 9時起床 スコールと曇の繰り返し。

 風も強い時がある。

 終日家








 ...魂の墓標作り

 人生のマイルストーンこそ、次の人生の目印になる。

 500万出して作った墓なんぞ、砂の上に刺した割り箸のようなもの。すぐに風化して消えていく。


 ...韓国人 存在感のない民族

 要らない人間。世の中に必要とされていない。

 それを実感しているからこそ、彼らは自分たちの存在感を示そうとする。くだらないパフォーマンスで。そして、ますます自己嫌悪に陥り、発狂する。



 ...同志社香里高等高校

 上半身(腕)のみで踊っている感じ。

 大学生でもできる踊り。

 高校生でしかできない踊り、ではない。

 パワー・スピード・エネルギッシュ・躍動する青春の心。それを身体全体で表現するのが大阪市立登美丘高等学校。

 同志社香里高等高校の場合、そもそもテーマが高校生らしくない。大人の考えたテーマを高校生にやらしているから無理がある。未熟で青い高校生には理解できない。頭の善し悪しではなく、人間としての成熟度、社会で生きることによって経験する(社会的・人間的両方の)苦悩や喜び、苦しみや悲しみを知らない人間が踊っても空虚なだけだ。

 社会の苦しみと喜びを知らない未熟な人間が、敢えてそういう高尚なテーマの曲を踊り、そのアンバランスな・アンマッチングなぎこちなさ、不整合性を表現したいというのなら、もっとそういう方向で振り付けを考えるべきだろう。


 ... 高校生の元気を感じ取る

 そのために見る高校ダンス



 ...V for Vendetta

 If your ultimate goal is power,how best to use such a weapon.

 これ(ウィルス)を利用して力を得るにはどうすべきか?


 Three targets are chosen to maximize the effect of the attack.

 選ばれた攻撃目標は三カ所。

 A school,a tube station and a water-treatment plant.

 小学校、地下鉄の駅、そして浄水場。


 Several hundred die within the first few weeks.

 最初の数週間で死者数百人。

 The water treatment has in fact,been contaminated.

 メディアの扇動でパニックが広がり、国は大混乱に陥り、「彼ら」の目的は達成された。

 the true goal comes into view.


 ...人間の最大の幸福は

 自分の人生を何度も繰り返すことができる再現性を持つこと

 それには理性を追求すること。

 武蔵が最終的に求めたもの、それは一つ一つの勝利の再現性を超えた、人生という大勝負の再現性であった。


 ...もともと怖いもの知らずの性格であったが、

 それは幽霊や蛇や蛙なんていう、人が嫌がることに頓着しないということであって、ヤクザとケンカするなんていうr度胸があるということではない。

 日本拳法をやってケンカに自信をつけたということでもない。

 日本拳法のおかげで理性が強化された結果、不愉快とか恐怖心とか恥ずかしいという感覚が、より鋭敏になったにもかかわらず、理性が増すことで、それら感情に流されることがなくなったということ。

 グアテマラで夕方、バスターミナルからダウンタウンへ歩いて行く時、強盗の恐怖を人一倍感じながら、タクシー代がもったいないという「理由」で歩いて行くことにした。

「日本拳法による度胸」とは、日本拳法で鍛えた理性によって、より四職や情報に振り回されず、感情を押さえて、何事も現実的に実行できるという行動力が増したということです。





 2021年08月05日(木)

 台風9号が接近している為、深夜にときおり突風が吹いた。雨は降らなかったようだが、朝、930頃から台湾へ最接近のせいで雨も強くなった。20時ピタリと雨と風が止む。


 大阪市立登美丘高等学校ダンス部の「レイニーデイ」を見て聴いて、雨をぶっ飛ばす心。


 幻想を見せるのはアカネさんの本領ではない。

 真実を見せる。真のパワー(技術、精神力、肉体能力の一致)をさりげなく(バブリーダンスの面々の涼しげな顔)、きらびやかに(2016年)、面白おかしく(おばちゃん)オブラートに包んで見せるのがアカネさんのダンスに賭ける信条。


 伊原六花

 キャプテンとしての責任感・協調性といった悟性、勉強も一生懸命やるから知性もある。感性も豊かそうだ。



 ○ 14回通し 2分30秒のダンスを14回やる。交代でやるから実質4・5回だったが、「この世の終わりって、こういう感じか」と思うほどのしんどさ。

「14回踊ってるから、本番一回くらいどうってことないよね」という自信になった。


 ○ 踊る以外はいつも食べてた、みたいな。それでも痩せていく。アルバイトもやっていた。

 朝練の前にドーナッツ四個、授業の前におにぎり二個、三時限と四時限の間の休み時間に早弁。四限の後の昼休みに練習。五限の後練習。その後、アルバイト、そしてそこで、まかない飯。帰宅して夜食。


 ○ 誇り

「部活だけ頑張るんじゃない」

 大阪市立登美丘高等学校ダンス部を背負って立つという自覚で、校外でも行動。ダンス会場でも携帯は使わない、おしゃべりはしない。本当の自主規制・自立心をもって生きていた。


 ○ 「今までリスクを回避してきた人生だった」

「そつなく」やってきた。





 毀誉褒貶のある人生

 大学三年生の頃から、日本拳法


 2021年08月04日(水)

 7時起床 曇\スコール繰り返し 洗濯物を干す時があっても、布団は干せない。

 以前よりは雨が少なくなった。





 相打ちの思想

 ガツン、ガツンという双方向の殴り合い。ここに私の道ができた。

 自分が相手を殴る(攻撃する。自分が優位に立つ)一方で、自分自身も同じ(くらいの)攻撃を受けなければ真実を見たとはいえない、真理に至るとはいえない。

 自分が褒められる、栄誉を得る、賞賛される、幸運を得るといったポジティブな状態になることは喜ばしいことにちがいない。

 しかし、それ(賞賛される)ばかりでは片手落ちだ。そこに必ず、失敗・不運・悲しみや不幸、自分への侮蔑や軽蔑といった諸相実相がなければ、真実は成立しない。

 善と悪、幸と不幸名誉と屈辱、相反する二面あってこそ、真理といえるのだから。


 武蔵の教え ぴったりくっつけ

 一寸動かせば斬れるという、ギリギリの所に終始自身の身を置くことで、勝機を逃さない、戦機を勝機にすることができる。

 安全圏にいては何も始まらない。自分が安全ということは、相手も安全であるということなのだから。



 いやしくも武道だの格闘技だのをやる者が、3分間ほとんど攻撃らしい攻撃もせず、一本を取るという執念のこもったパンチ(突き蹴り)も無しで終えるとは・・・。

 高校生の彼女たちでさえ、3分間殴って蹴って組んで、リング(舞台)の中を縦横無尽に駆け巡り、この場の空間と時間を自分のものにしている。無限ともいえるほどの凄まじいエネルギーで、

 そして、3分間という凝縮された時間と舞台という狭い空間を、今度は無限の時間と空間に広げている。

 どういうことかと言えば、例えば、彼女たちのバブリーダンスは、ダンス甲子園以後、多くの結婚式や学芸会、各種イベントといった日本人の様々な生活の一部となって人々の記憶に残り続けている。2017年の8月○日の3分間に凝縮され爆発した彼女たちの独自の強烈なパワーは、その場その時間という限定された特異性は、広く一般の人々の支持を得ることで、普遍性を持つ芸術となったのです。

 レイニーダンスは、憂鬱な雨の時期、沈んだ心を奮い立たせてくれる。とかくアンニュイな気持ちにさせる日本のジメジメした憂鬱な雨を「雨なんかぶっ飛ばせ」という気持ちにしてくれる。






 武蔵の教え

「人に瞞(だま)されぬようにせよ」

 人に組織に社会に世間に常識に。政府や医者やマスコミという権威に瞞されやすい日本人。

 戦中・戦後を生きた日本人は、政府やマスコミが嘘つきで自分勝手で無責任であることを(骨身にしみて)よく知っている。

 しかし、自分で経験しなければ知ることができないのであれば、知性ではないし科学にもならない。

 ある事柄を自分で体験しなくても、頭(知性)と心(理性)で理解できれば、真に知ったことになる。



 知性を磨き

 理性を鍛え

 俗性を習い

 感性を豊かにし

 根性をつける(2019年10月28日)


 光栄ある準優勝 大阪市立登美丘高等学校

 大阪市立登美丘高等学校のダンスというのは;

 ① 高校生らしいエネルギッシュなダンス

 中学生でも大学生でも社会人でもできない、高校生しか持てないパワーを存分に発揮させている。あの日本体育大学の生徒でさえ、高校生のあの激しい動きはできない。


 特に、日本人の女子高生というのは世界でも類を見ないくらい運動能力・美的センスが高い。世界を支配する影の政府とか国際銀行家とかDSと呼ばれる「彼ら」が、子宮頸がんワクチンを日本人の女子高生に打たせたがるのは、なんとかこの日本人女子高生という卓越した「人種」を絶滅させたいから。


 台湾や韓国の女子高生なんぞ、日本人女子高生のパワーや繊細なセンスに比べれば、幼稚園児並み。

 2021年10月30日の時点で、台湾の国鉄車内で放映されている、公共コマーシャル(約5分間)で、沢山の女子と男子の高校生がダンスをしているのですが、その下手なこと。

 私は、台湾人にも高校生にも、なんの恨みも偏見もない。しかし、誰が見ても(日本の女子高生のダンスに比べたら)格段に落ちるというだけです。

 もちろん、彼らは日本人と競争しているわけではなく、台湾人が台湾人の高校生たちのダンスを見て楽しんでいる、ハッピーな気持ちになっているというのは幸せなことです。私のような日本人がガタガタ言うべきものではないが、それにしても下手くそ。


 それにしても、これが日本のJRなんかだと、あえて日本人よりも下手くそな韓国人の高校生を出演させて、外国に金を払うという愚かな真似をしそうですが、台湾人はきっちりと自国の若者を使い、健康的なドラマに仕上げている。

 まだ台湾の国鉄は、台湾人のものであるようです。


 ② 時代・時勢に即したテーマのあるダンス

「バブリーダンス」の場合は、現在の日本の置かれた政治的沈滞と経済的に停滞した雰囲気をぶっ飛ばし、80年代のあの日本人の元気さと快活さ、活気と迫力を取り戻そう、というのがそのテーマ。私腹を肥やす政治家や官僚、医者やマスコミばかり「元気」で、本来の主役である大衆、特に若者が萎えている現在の日本という国。その問題点を突いた作品です。


 2016年の「大阪のおばちゃん」ダンスにしても、大阪パワーで元気になろうというメッセージだし、その前年「ヒーロー」ダンスは、軽薄なマスコミに踊らされた、同じく軽薄・軽率な首相や大臣という偽物のヒーローばかりで、真の英雄がいない点を突っ込んだ作品でした。

 また、2019年の「レイニー」ダンスは、世界的に増えている雨による土砂崩れや水害に負けるな、雨なんかぶっ飛ばせという骨太で力強いメッセージを、ちょっとお色気のある水着姿で柔らかく表現した傑作でした。

 アカネさんの企画とは、単に面白おかしいとか、格好いいだけではない。時代や社会を鋭く突いた、強いテーマ性を持った社会的意識をもつダンス(芸術作品)なのです。


 ③ 100パーセントの完成度と10パーセントの余裕

 ダンスそのものは完全を求め、それを現実の舞台で完全以上に発揮させようとしますが、ストーリー的にはちょっと「コケた」部分を挿入している。

 全員がカッコイイ、スレンダーで美しいヒーローばかりの「ヒーロー」では、ひとりだけ小太りのごく普通のお姉さんが、ちょっとぎこちなく踊る場面を挿入することで、単調になりがちな3分間における薬味(刺激)にしている。

「おばちゃん」でも「バブリー」でも、それと同じ役割の人間(存在)をダンス中に挿入することで、単調に陥りがちなリズムに、更なる変化と拍車をかけるための、いわば、うどんを茹でる時の「びっくり水」の役割を持たせている。


 高校生のとき、バリバリに決めたスーツ姿で、青山のディスコで開催されるパーティへ行こうとする私に、母が言いました。「あんたね、100パーセント格好いいっていうのはイモなんだよ。江戸っ子はどこかに一つくらいスキを見せなくちゃ。」と。結局、ネクタイの結び方を少し野暮ったくすることで、「粋」に着こなすことができました、という話もあります。




 ダンス甲子園の審査員たちは、ほとんどが在日の芸能プロダクションや広告代理店ですから、当然、彼ら特有のひがみ・やっかみ・嫉妬が先に立ちます。


 あまりに素晴らしいと、韓国人が真似できない。

 あくまでも韓国人が後追いできるようなレベルのダンスであり、絵や音楽であり、建物のデザインであり、ファッションでなければならない。日本人独自の素晴らしい感性は徐々に消していかねばならない。

 それはハリウッドを支配するユダヤ人も全く同じ考えです。

 ですから、韓国人に支配された芸能界・マスコミ・政治家主体の日本がだめなら「実力本位」のアメリカのダンス選手権で正当な評価を受けようと考えても、同じ結果になってしまう。

 ノーベル賞だって、「彼ら」の意向に沿った研究でなければもらえないのですから。


 まあ、「江戸っ子は一番よりも二番を粋と好む」なんてことはありませんが、真実を唱えたイエス・キリストは、(俗)人にこそ理解されませんでしたが、その真価を神に認められ、「神の子」という唯一無二・永遠の称号を得ることができたというのですから、大阪市立登美丘高等学校ダンス部の皆さんもまた「見る人は見ている」という、賞状やトロフィーという、姿形は無くても永遠に消え去ることのない、形而上的栄誉を真の名誉として受け入れてもよろしいのではないでしょうか。



 人を助けられない禅坊主

 むしろ、人を貶めて、より悪くしてそれを見て楽しむ。

 そうやって自分よりも不幸な人間を見て自分の幸せを実感しようとする。「大きな船に乗せるが如くに人を助ける」大乗仏教とは、所詮そんなものだ。自分の身を擲(なげう)ってでも、本当に人を育てる、助けるなんて夢のまた夢、という話。


 では、平栗雅人は誰をどう助けたか。



 大阪市立登美丘高等学校 ダンス部キャプテンは

「これだけ充実した時間を持てたことの幸せ」と言った。

 人から(認めて)もらう勲章というの大切ですが、何と言っても自分自身の満足感。



 大阪市立登美丘高等学校・アカネ・コーチの素晴らしいところとは、

 そのときの生徒の力量に合わせて出し物を決めている。

 生徒が自発的に発奮しレベルアップするために尋常ではない努力を要求するが、一方的に自分で決めた出し物という型に生徒を嵌めようとしない。

 私が大学一年生の頃、スパルタ精神はあったが、そういうビジョンを持つ指導者はいなかった。





 パリサイ人

 自分たちが作り上げたブランド(幻想)でなければコントロールできない。真のブランド(超級品)では、自分たちの金儲けに利用できない、

 その意味では、本当にいいもの、真の本物を求めるドイツや日本の精神的姿勢とパリサイ人とは合致しない。





 2021年08月03日(火)

 雨

 530トイレ大

 9時~十一時まで曇。



 運命との闘い

 ここでこの娘とこうなれば、ああしてこうなりそうなって、とトントン拍子で行くのに、それを敢えてそうしない。


 大阪市立登美丘高等学校ダンス部

「2017年 バブリーダンス」も「2019年 雨のダンス」も2分30秒間動きっぱなし。

 おそらく、日本拳法で重い面をつけて3分間殴り続けるのと同じくらいのエネルギーを使っているはず。

 凄いのは、2分経過して「ラスト30秒」の時点で、彼女たちは全く疲れていない。否、実際にはこの時点ですべてのエネルギーを使い果たしているはずなのに、そこからが彼女たちの真骨頂、普段の厳しい練習で鍛えた根性の見せ所。それまでの2分間以上のエネルギッシュなダンスで、最後の30秒間、雪崩れ込むようにしてフィナーレを締める。

 夏休み期間中、毎日9時間の練習に歯を食いしばり、ボロボロになっても、少しも「疲れた顔を見せない」「苦しそうな表情をしない」という(コーチのアカネさんの指導による)鍛錬が、この最後の30秒に生きている。


 私自身の経験でも、この「疲れた顔を見せない」「苦しそうな表情をしない」という鍛錬によって、パッと思い出すだけでも、多くの場面で救われました。

 商社マン時代の仕事の上でも、命のかかった場面でも。

 南米でナイフ使いの男との戦い、ナポリの強盗、チェコでのロシア人との戦い、台湾での消防団との戦い、あいりん地区での出刃包丁男との格闘などなど。


「高校生やったぞー !」という充実感・存在感を、心から実感できた彼女たち。

 夏休み期間中、毎日9時間×二十日間?

 大学日本拳法の夏合宿の場合、毎日6時間×七日間


 生活すべてが「ダンス」。

 ダンスをする場における真剣勝負の心、人に見られているという緊張感。ダンスにおける人と人との間合いの取り方。

 ダンスにおけるリズム感・タイミングの取り方がそのまま、人との話のリズム、何かをする時のタイミングに生きてくる。

 ダンスで身につけたそれら根本理性が、学校や私生活、勉強(の仕方)や遊び(方)の基本になっているのだろう。


 観客の心に強烈な記憶として残る素晴らしいパフォーマンス。

「将来大人になっても、私の高校三年間はこんな感じでしたって、自信を持って言えるくらい、青春しまくりました。」


 あそこまでやれば、金か銀かという人間の評価なんて価値を失う。神のレベル(一般大衆の目線)では、一億の日本人からの評価では、間違いなく「金」なのだから。





 2021年08月02日(月)

 9時起床 曇っていたが、15分ほどすると晴れてきたので布団と洗濯物干し。

 10分でもいいか。

 昨晩は凄まじい雷雨だったが、これで夏が来るか。

 1040 雷雨。昨晩のほど大きな雷雲ではないらしい。

 1830、ゴミ出しの後、自転車で金吉へ。

 





 2021年08月01日

 すべての情報の機密解除(デグラス)が完了。のはずだったが・・・。


「トランプ」とは、つまりはジョーカー(善と悪、美と醜)だったのか。


 深夜からの土砂降りが、朝、そして、一日中。

 750時起床。

 mendicant


 せっかく本物の人間として生まれてきたのに

 長い人生のあいだに偽物になり、それを本物であると思い込んで死んでいく。






 2021年07月31日

 7時起床 土砂降り、一日中。

 530頃から止んだが、夜再び降り出すだろう。

 終日家。午後から、ネット回線の配線工事か、階段と踊り場で、3・4人の工事人の声が聞こえた。


 社会・国家・公務員による権力の独占

 子供の時は、め○らとか、○んぼ、○たわ、なんていう言葉を普通に使っていた。それら言葉を人を馬鹿にしたりする為に使わなければ問題なかった。外で、そういう人を指さしてその言葉を使ったある子供は、彼の親父に殴られていた。親が、兄姉が、注意していた。それでよかった。

 今はそんなことでさえも、国家が、公務員が取り締まりの対象、すなわち、自分たち公務員の飯の種にしている。

「民営化」と言いながら、その実、民間人のやることを公務員が横取りし、金儲けの種にしている。



「無用の用」

 ビルゲイツの人類抹殺計画(人類75億人の内、本当に必要なのは5億人だけで、後は抹殺すべし)、農業の独占(モンサントのようなメーカーが世界中の作物の種を独占する)といった、超金持ちたちの独裁的な社会支配計画が本当なら、彼らは「子供」と言えるだろう。

 老子の「無用の用」、無駄に見えるものが存在するからこそ、ものが生きてくる。無用に見えるものを取り去ったら、すべてが存在しなくなる。という道理を知らない。

 かつてヒットラーが述べたという「やがて、東と西の戦いが始まる」という言葉は、こういう東洋的な思想と西洋のき○がい染みた発想との食い違いが顕在化してくる、ということなのだろう。







 2021年07月30日(金)

 深夜12時頃より雷雨。洗濯物を取り込む。

 5時頃にも雨音激しい。

 730起床 9時頃晴れ間が出たので洗濯物を再度干すが、1015頃雨が降り出したので取り込む。断続的に激しい雨。


 特に今週の土・日、そして、次の月曜は「非常に豪雨」。火曜になって、漸く「明るい雨」になるそうだ。



 ...よろこびを養い之を福すれば永年を得べきなり

 と言い、自分の幸せな環境・地位や名誉、金や物の豊かさに由来する幸福感・満足感ではない。

 物や金はもちろん、知性・感性・悟性を取り去った理性の内での豊かさ・喜び。

 これこそ、まさに「幸いは甚だしく至れる哉」の境地なのです。





 2021年07月29日(木)

 7時起床 昨夜から土砂降り。朝五時にはもの凄い雷鳴、近くに落ちたらしい。

 10時から一日中曇り。

 ここ一週間は雨らしい。

 ゴミ出し



 東大生

 はあまりに多くの知識や情報に飲み込まれ、一方で、強力な精神的核心が無いがために、非常に危険な存在となっている。

 知識や教養という知性とは、一発殴られただけで、ちょっとした脅し文句で崩壊してしまうものだから。


 現役に学ぶ

 立教対明治 永岡里沙子の7連発直面突き。

 私の場合、3発まででした。


 存在感

 検証なしに簡単に得られる「名声・栄誉」ではなく、苦心して苦悩して苦労して、自分自身で実感することのできる、真の満足度。

 本当に俺は・私はやったんだという実感。

 坊主の衣を着ているだけで、葬儀屋からは先生と呼ばれ、初めて会った人から和尚様と「尊崇」される。そんな空虚な幻影は、どう考えても真の存在とは言えないだろう。

 名刺に印刷された肩書きや地位など、煙のようなもの。

 この世の肩書きなど魂のレベルでは無意味。


 これは誰でも納得できることですが、それ以上に、この現世においても、そういう肩書きや地位に伴う報酬(お金)に踊らされて、今を充実して生きることができない。今この現実の世界においても、「酔生」し、やがて、夢見るが如くに死んで行く。その人間の葬式がいかに盛大であっても、それもまた夢幻の如くに一消えていく。

 そして、そういう現実世界における人の心の痛みや悲しみ、苦しさを知らない者は、魂の世界では存在しない。

 380円あれば、誰でもサイゼリアのドリンクバーで幸福感を味わえるが、惨めで悲しくて苦しいネガティブな心は、一工夫二工夫、自分で身を切って苦労しなければ知ることができない。

 真理は二面であり、この両面・両輪が揃ってこそ、この世と魂の世界との境目を乗り越えることができる。


「水木しげる伝」によると、漫画家水木しげるさんは戦争でのすさまじい体験を通して「神や妖怪を見る」ことができるようになったらしい。特に、ジャングルで原住民に襲われ追い詰められた体験は、もはや肉体での戦いを超え、魂の力で絶体絶命の苦難苦境を乗り越えたといえるほど、凄まじい戦いだった。あの「魂の鍛錬」こそが、見た目の水木さんではなく、その形而上的な部分に強烈な変化を与えたのだろう。

 言ってみれば、どんな平凡な人間でも、ある種の体験によって、虚飾を剥ぎ取った本当に正しい魂になれる、ということ。

 かつて、「戸塚ヨットスクール」は狂気と(マスコミに)言われたが、多くの精神的に不安定な子供たちを正常者に戻した実績は「海水療法」で多くの病人を治療したルネ・カントンの功績と同じで、隠しきれるものではない。


 しかし、あらゆる病気を治す「海水療法」と同じで、戸塚方式が普及したら、精神病院・精神科医・製薬会社は全滅する。ただでさえ暇な日本の警察や裁判所も、精神的に不安定な人間がいなくなると、犯罪は激減し食いっぱぐれることになる。

 

 しかし、今回のコロナ騒動の主役であるワクチン(に含まれるナノチップと酸化グラフェン)によって、地球上には病人・狂人が溢れ、医者や製薬会社、警察をはじめとする公務員やマスコミは人類史上、類を見ないほどの「商売繁盛」に沸くだろう。




 存在の証明

 一体どういうことだ、中山大学でも、屏科大でもUFOを目撃するとは。

 あの強烈な思い出(目撃)とは、それぞれの場における私の存在を自覚させてくれる象徴なのか。








 2021年07月28日

 6時起床 朝から雨だったが、10時頃より2時間ほど晴れたので布団干し。 終日家



 もう一度自分に帰って来るというテーマの映画は「君の名は。」が初めてだ。この監督は、阿刀田高「サンジェルマン考」を知っていたのだろうか。


 禅坊主の「修行」とは、擬似的なであり、真似事

 修行僧の時から偶像崇拝の対象になり、葬儀屋から「先生」と呼ばれて「擬似的に尊敬」されていては、真の修行とは言えないだろう。

 その意味では、20年間乞食坊主をやった宗峰妙超だけが、真の修行僧として確かにこの世に存在したといえる。糞味噌に、バカちょんにこき下ろされてこそ、(魂の)修行、否、鍛錬か。



 栄光と挫折

 一時は神と崇められながらも、神殿で金貸し(銀行)をするユダヤ人たちに5回も殴り込みをかけたイエス・キリストは、最後はユダヤ人たちのプロパガンダによって、き○がい・凶悪犯にされ、民衆から小突かれ、唾を吐きかけられ、十字架にかけられたが、やがて「復活」した。


 この復活とは、生き返ったということではなく、死後、名誉の回復がなされたということだろう。

 そして、さらに聖書の話を拡大解釈すれば、イエスのような強靭な魂は、肉体と違い、滅び、消え去ることが無い。永遠に存在するから、地球の歴史が何億・何兆年のサイクルで繰り返されれば、何度でもイエス・キリストとなって生まれては消えていく。これからも永遠にその生と死を繰り返すということ。


 何度も十字架にかけられるなんて、あまりにも能がないと思うかもしれないが、最後にああいう殺され方(民衆の支持を失い、失意・絶望の中で磔刑に処せられる)をしなければ復活はあり得ないのだから、仕方がない。



 かの中国の偉人老子も、その最後は野垂れ死に(山中へ入って行方不明)であったればこそ、「神」となった。武器も持たずに一人で歩いて行ったそうなので、虎や狼に食われたのかもしれない。


 その意味では、警察署内で刑事に虐殺された小林多喜二は、その肉体的な苦しみから魂となって解放された。イエス・キリストと同じ純粋な魂になったということであり、永遠の命を手に入れたということになる。極限の苦しみはその最後に反転し、「幸いは甚だしく至れり」となるのだから。




 2021年07月27日

 7時起床 昨晩からの土砂降りが続く。730頃より小降りになる。



 青学の自己紹介

 泥臭い巣鴨育ちとバタ臭い青山育ちの違いを感じる。

 この大学のブログは、10年前から「サイバー・パンク」というイメージ。

 知的な文章(記述)の中に、なにか「ぶっ飛んだ」、一般的な文章読解力ではその真意に至れないような箇所がある。ごくありきたりのスナップショットの中に、奇妙な緊張感が存在する。ダリの絵、エマーソン・レイク&パーマーがシンセサイザーで演奏するクラッシック「展覧会の絵」。


 吾妻ひでお「地を這う魚」角川文庫 という漫画を思い出してしまう。カントは「花瓶にいけられたきれいな花が、宇宙人には怪獣に見える」というような喩えを使い、人の目に映るものは、各人の理性によって大きく異なる、というようなことを述べていますが、この漫画は幻想と現実がごちゃ混ぜになった、まさにサイバー・パンクの世界(コンピューターは出てきませんが)。


 サイバー・パンクといい、私にとっては芥川龍之介のいくつかの小説や、泉鏡花の「高野聖」・夢野久作の「ドグラ・マグラ」、小栗虫太郎の「黒死館殺人事件」といった明治期の小説でさえ、コンピューター無しとはいえ、米映画「マトリックス」1999年と同じ感覚で楽しめる。「幻想と現実の混在によって、現実をより現実として実感させてくれる」世界(手法)です。まあ、怪奇小説というもの自体が、そういう性格を持っているのでしょうが。


 ブログの写真も文章も、周りの目を気にし、また自分だけが目立たぬように、他人を傷つけないようにという、優しいというか組織にキッチリ嵌った模範的ブログ。そんなconservativeな体質が濃厚な、明治や中央さんのブログとは違う趣(おもむき)です。

 


 数年前、関西の某大学日本拳法部のブログ写真で、大勢の部員の隅で、おもちゃの万札を数十枚広げて持つ女性マネージャー(?)がいました。「この世は銭やで」という気持ちを直接表現するところは関西人らしい、と思いましたが、このマネージャー個人のことではなく、この大学の存在する環境や風土というものが感じられた、ということ。

 関西、特に大阪というところは、格好つけるのが好きな東京人と比べ、なんでもズケズケとはっきり言うから話が早い。ところが、すべてそれだと人間関係がギクシャクしてしまうので、言葉は丸いし、料理の味も甘い。立ち食いそばでさえ、しょうゆで真っ黒の関東とは違い、ほんのり甘くてダシが効いている。


 ところで、関西で青学に相当するサイバー・パンクっぽい大学とは、どこになるのだろうか。活気のある岸和田や堺をバックボーンにする大商大か。


 ちなみに、(昔の)小説における大阪人(関西人)の「静かなるサイバー・パンク」は、梶井基次郎の「檸檬」だと思うのですが。




 日本拳法マネーボール(米映画「マネー・ボール」を観て)

 3分間(女子は2分間)の試合をする為に、どれだけのお金がかかっているのか、という観点で自分の拳法を見る。

 たとえば、3分間(2分間)で一人1万円のコストがかかると考えると、二名ですから2万円。審判は無給(ボランティア)でしょうが、弁当代くらいはかかる。

 そういうお金のかかった3分間(2分間)に、自分は一体なにをしたのか。ただ、試合場をピョコタン飛び回っていただけか。一発も打たず、組み付きもせず。これで2万円分の価値のある働きをしたといえるか。

 また、自分自身で精神的名充足感というもが感じられないのではないだろうか。試合の勝ち負けなど、二次的なもの。まず、自分が確かに存在したという実感を感じられる拳法(戦い)。

 まあ、「マネー・ボール」というのはプロ野球の話ですから、大学日本拳法とは無関係ですが、社会人になれば何事も金勘定。たまにはそういう視点で自分の拳法を「数値化」し、検討してみてもいいのでは。


 思い返せば、私の場合、三分間とにかく前へ出て殴りまくる、という単純な拳法、能のない拳法でしたが、そのバカさかげんのお陰で「思い出は一瞬のうちに」という本にあるような楽しい思い出ができました。

 また、時代も80年代のイケイケムードでしたので、社会人になってからも「とにかく前へ出る」という私の日本拳法と同じスタイル一本槍でやれた。

「青春しまくった」と、胸をはれる大阪市立登美丘高等学校ダンス部のキャプテン、とまではいきませんが、自分なりに存在感を実感できた大学生活でした。






 2021年07月26日(月)

 6時起床 昨晩からバカ降りだったが、朝七時には晴れ間が出てきたので、布団干し。しかし、すぐに曇り、845には土砂降り、30分。

 それからは降ったり止んだりの繰り返し。

 十時に晴れ間が出る。終日家








 2021年07月25日

 7時起床 朝は曇だったが、十時頃より昼まで晴。1230から一日中土砂降り。

 台風は去ったはずだが。



 日本拳法の功徳

「目利きをし覚える」「五輪書」

 本物を見ているから、偽物との見分けが付く。

 日本拳法の達人の技を見るということでもない。自分自身が本当の一瞬を作り出し体験することで、「本物を見る目」を養うことはできる。

 そのためには、あまり「技巧に凝らない」方がいいのでは。

 勝利を手に入れる為に、小手先の技術や筋トレばかりに専心していては、肝心の闘争心や根性といった心の部分が磨かれないのではないか。


 40年前の東洋大学日本拳法部で唯一よかったことは、先輩やOB、監督やコーチによる指導というものが、体系的・論理的・普遍的な教えではなかったという点でした。

 その場、その瞬間におけるアドバイスだけで、ある学生に継続的に何度も何度も同じことを教え込むということはなかった。だから皆、勝手気ままに自分の頭で考えて日本拳法をやっていた(楽しんでいた)。昇段級審査や優勝なんていうプレッシャーもない。


 だから、私のように、レギュラーメンバーでありながら、相打ちの面突き(の一瞬)だけで満足してた者でも、存在できた(真剣味が足りないとか緊張感に欠ける、なんていう非難は受けていたが)。





 2021年07月24日(土)

 曇 台風6号が北部に接近している為か。


 2021年07月23日

 6時起床 曇ったり晴れたり、土砂降りになったり。台風が北部に接近している為、不安定。 終日家

 夜、満月。


 2021年07月22日

 公務員は皆「ろくちゃん」

 空想の世界の中で生きている。街には現実の人間の様々な生活が転がっているのに、「ろくちゃん」には「ろくちゃん」にしか見えない電車だけしか見えない。

「ろくちゃんの電車」を基準にして(「ろくちゃん」の)毎日が動いている。自分の周りの現実などまったく気にしない。


 市役所で住民票を手渡す係りの、40歳くらいの働き盛りのおっさんには、市役所の中の住民票を手渡すという一角だけが彼の現実世界なのだ。住民票のコピー代300円という大金を得る為に汗水流し、それをもらいにわざわざ遠方から訪れる市民の苦労など「ろくちゃん」と同じで、目に入らない、耳に聞こえない。それが公務員。

 人の情報を5円の費用で300円で売る、しかも何十万・何百万枚も、というのは「オレオレ詐欺」とどう違うのだろうか。


 歴代映画に登場する「第三の男」

 悪役でもいいから、自分(たち)のことを描いてほしい。







 2021年07月21日(水)

 6時起床 晴 布団干し

 10時~龍泉

 純真さを取り戻したくなったら、

 黒澤映画「どですかでん」


 イギリスが舞台の吸血鬼ウイルス「28週後」

 コロナ・パンデミックの予言映画の一つ。


 コロナの理由

 70億人の大量虐殺などあり得ない。

 70億の人口を5億に減らして、いったい何のメリットがあるのか。


 現在の地球を支配する「彼ら」は、最終的にラスト・バタリオンとの戦争を計画しているというのに、兵隊(味方)の数は多い方が良いのは当たり前だ。それをわざわざ殺すなどと。


 今のままでは、ラスト・バタリオンと戦争ができない。全世界の国家と人民を対ラスト・バタリオン戦に駆り出すことができない。インターネットによってあらゆる情報が発掘され開示されている現状では、今後、ロスチャイルドやロックフェラーなどのユダヤ人たちに味方するよりも、むしろラスト・バタリオン側につく国家や人民の方が、むしろ多くなることは明らかだ。

 だから、一日でも早く、世界中の人間(およびその国家)を洗脳して、ロボット化しておきたい。ラスト・バタリオン戦が始まった時に、70億の兵隊で彼らを攻撃したいから、という見方。

 

 この観点からすれば、現在のコロナ騒ぎとは、インターネットの廃止(自由な情報交換の場をなくす)を目指した、全人類の肉体への(「彼ら」に都合のいい情報だけが詰まった)チップ(1ミリの500万分の一の大きさ → なんと、日立製作所製)の埋め込み(ワクチン注射)を目的としている、と考えるのが最も妥当な解釈か。


 第一段階として、ワクチンによって人間をロボット化し、なにを見る(知る)べきかを「彼ら」が決めるようにする。そうなれば、インターネットを廃止し、地球上の人間の自由な視聴・情報交換禁止(廃止)することができる。


「彼ら」がもっとも恐れるのは、全世界の人間によるユダヤ人、そして最終的には「彼ら」への攻撃。だから、全世界の人間がユダヤ人(そして、その上に存在する「彼ら」)に対して反旗を翻す前に、反ラスト・バタリオンに洗脳しなければならない。


 しかし、一旦、人間の脳にグラフェンを挿入し、その肉体(ハードウェア}をサイボーグ化しても、そこに書き込むプログラムは5Gという通信(ソフトウェア)だ。その通信をラスト・バタリオンに乗っ取られ反ユダヤのプログラムを書き込まれたら、70億人の「彼ら」のしもべたちは、一斉に「彼ら」に対して攻撃を開始する。


 ラスト・バタリオンは世界70億人ではなく、たった一カ所の「彼ら」の通信拠点を乗っ取ってしまえばいい。だから、ラスト・バタリオンは「彼ら」による全人類のサイボーグ化が完了するまで、じっと待っているのかもしれない。





 




 そうなると、鳥や獣の方がよほど自由がある、という点で人間よりも幸せだ。





 2021年07月20日

 6時起床 曇 昨晩は小雨が降っていたようだ。

 9時LV 移民局 自助餐 帆布屋 改衣屋 13時RTN

 14時から大雨 → 16時


 ...6時起床 晴 布団干し

 11時LV 洗濯しながら 公園での運動から戻り洗濯機を見に戻ると、ちょうど大家がバイクで来て挨拶。 龍泉 スーパー二軒。小玉西瓜三個で60元

 17時頃、ミニ・ストーム。珍しく窓に向かって風が吹く。


 

 2021年07月06日

 7時起床 昨晩 3時頃より大雨 730頃山の方に晴れ間が見え出した。

 6月29日の雨以来、7日ぶりの雨。

 終日曇・晴れ

 布団は12時まで干して取り込み。16時に本格的に晴れてきたので再度干す。

 明日は晴か。


 2021/07/06 18:07 飛行機(銀色に赤の塗装・ジェット旅客機・軍用機 ?)が北から南へ山の上空(山が3,000メートルとすると、高度4,000メートル位か)に。

 2分くらい経ってもまだ視界にある。むかし見たUFO(当時は空飛ぶ円盤と言っていた)とは、比較にならないくらい遅い。



 2021年07月03日

 6時起床 晴 布団干し 午後から晴・曇 

 鎌倉に戻った夢を見た。夢なんて珍しい。

 1030に大家が来て、電気工事は1330からと。

 1350~1440 工事 冷蔵庫の上にコンセントが二つできた。

 17時に出て、金吉で圓型ケーブル 4メートル 220元購入。

 雨がぱらついてきたので、公園での運動はやめて帰宅。







 2021年07月04日

 530時起床 晴 終日家

 昨晩は深夜2時頃、大きな音の後にラジオの音がしばらく聞こえたが、いつの間にか眠ってしまった。

 13時に出て運動15分、車椅子がいた。

 内埔でパイン3個で50元。814で桃。


 1730 誤って風呂の湯沸かし器と電子レンジの両方を使ってしまい、即座にブレーカーが落ちた。

 1810にゴミ出し場にいた、お隣さんの学生に大家へ電話してもらい、1830に大家が来て、向かいの部屋でブレーカーをあげてもらった。

 すぐ後に、電気屋と再度来て、電子レンジ専用のコンセントが必要というので、400元払う。明日の午後来るそうだ。


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