第184話 ゼロ距離の寝息。

 一乃いちのさんの部屋兼仕事場で、俺は、一乃いちのさん、それからシズカちゃんと三人で、とても楽しい、とてもお茶会をすませると、俺は一乃いちのさんに声をかける。


「じゃあ、このソファベッド、しばらく借りてもいいかな?」

「だいじょーぶー。最近はムーちゃんに徹夜で手伝ってもらうこともなくなったしー」

「ありがとう。じゃあ、持ってくね」


 俺は返事をしながら、ソファの背もたれを水平に倒してベッド状にすると、それを立てて「どっこいしょ」と持ち上げる。


「Where are you going to take that sofa?」

(それ、どこにもっていくの?)

「It's my room. My room two beds」

(私の部屋です。私の部屋のベッドを2個にします)


 シズカちゃんの質問に、俺はつたない英語で返事をすると、シズカちゃんはたちまちふくれっつらをする。


「Why?  Will Susumu sleep with me?」


 え? どういう意味?


「うふふー。シズカちゃんは、スーちゃんに添い寝をしてもらいたいんだよー。ねー?」

「YES!」

「えええ!!」


 一乃いちのさんに翻訳してもらった言葉に、俺は慌てふためく。

 未来のハリウッドスターと添い寝だなんでめっそうもない!


「No! ソイネ! ソイネ! ナッシング!」

「Muu?」


 俺は、ずっとふくれっ面をしているシズカちゃんにつきまとわれながら、三階までソファベッドを運んでいくと、自分のベッドの対角線上に配置する。

 そうして、自分のベッドとソファベッドを指しながら、


「This is my bed That's Shizuka's bed」

(これ(ソファベッド)は、私のベッドです。

 あっち(普段の俺のベッド)はシズカのベッドです)


 と、つたない英語で説明すると、部屋を出る。


「BOOOOOOOO!」


 シズカちゃんの大ブーイングを背中に受けながら、俺はトントンと階段を降りて、二階のバスルームへと足を運んだ。


 まったく……添い寝だなんてそんな恥ずかしいことできっこない。第一そんなの小学生のすることだ。大人のすることじゃない。

 そして大人としてそんなことをしてしまうと、きっと俺は、社会的に抹殺されてしまうことだろう。


 お風呂から上がって、三階の自分の部屋に戻ると、シズカちゃんは、二帆ふたほさんの黄色いだるんだるんのパーカーを着て、俺のベッドの上で体育座りをして待っていた。


 そして俺が部屋に入るなり、


「Hey, do you want to sleep with me? please! !」


 と、まくしたててくる。

 よくわかんないけど、きっと添い寝してくれと言っているんだろう。


「No!」

(ダメです)


 俺は、一人の大人としてシズカちゃんのお願いをピシャリとお断りすると、部屋の電気を消して、ソファベッドに入る。


「Good night」

(おやすみなさい)


「……No way?」

(どうしてもだめ?)


 俺のおやすみのあいさつに、シズカちゃんはか細い声をあげる。


「Sorry」

「Boo……」

「Sorry」

「Muu……」


 何度、同じやりとりを繰り返しただろうか。そのやりとりは、少しずつ緩慢になっていって、やがて静寂がおとずれる。


「……………………」


 やれやれ、ようやく眠ってくれたか。

 そう思った矢先、甘い匂いとともに、俺の背中に温かい感触が伝わった。


「ちょ、ちょっとシズカちゃん??」


 シズカちゃんが、強引に俺のソファベッドに入ってきたんだ。

 俺は慌ててソファベッドから出ようとする。でも、シズカちゃんは俺の背中にギュっと抱き着いてきた。

 シズカちゃんのか細い腕は、陰陽導師の丁巳ひのとみのように、ぎゅうぎゅうと俺をしめつけてくる。

 ちょ……これ結構痛いんですけど! スリップダメージがエグイんですけど??


「……オネガイ……」


 …………え?


 俺はくるりと向きをかえて、シズカちゃんを見る。

 やっぱりだ。シズカちゃんの頬が涙で濡れている。


「ススム……オネガイ……シマス」

「………………………………OK」


 俺が応えると、シズカちゃんは俺の胸に顔を擦り付ける。

 そして、とても、とても小さい声でつぶやいた。


「……Thanks」


 ……そっか、そりゃそうだよな。シズカちゃんはまだ十一歳なんだ。


 言葉が通じない知らない国に、ひとり取り残されて、不安なのは当然だ。

 俺は、シズカちゃんの頭をゆっくりとなでた。


「Calming...so calming...happy......」


 シズカちゃんは、俺の胸の中でそうつぶやく。

 〝かみーんぐ?〟って……どういう意味……?


 俺は、持ち前のかなり残念な英語力で、シズカちゃんがつぶやいた言葉の意味をかなりしばらく考えていると胸の中から「スースー」と、小さな寝息が聞こえてきた。


 その寝息のリズムは、とても、とても心が落ち着くリズムで……俺もいつの間にか眠りに落ちていた。

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