幕間劇

第169話 ある女性の転機。

 そのオフィスは、デジタル化がいちじるしい、このご時世にふさわしいオフィスだった。とても遊び心のあるエントランスは、ダサ可愛い、絶妙なセンスのレトロフィーチャーな宇宙船のようだった。


 その宇宙船を模したエントランスに、小柄な女性が入ってきて、レトロなモニターの中のアンドロイドにうながされてタッチパネルで受付を行なっている。


 童顔で化粧っけのない顔の鼻先に細フレームのシルバーの眼鏡をちょこんとのっけて、腰まであるながい黒髪をひっつめにしている。


 彼女はどこにでもいる普通の女性だった。

 背がひときわ低いことをのぞいては、どこにでも普通にいる女性だった。


 が、そう思っているのは当人だけで、実際のところはとても優れた職務能力と、童顔でこそあれ、とても整った容姿をもつ女性だった。


 女性の名前は武蔵むさし六都美むつみ


 今や日本で知らない人はいない大人気カリスマモデルのFUTAHO、そして、今秋アニメ化する大人気漫画『信長のおねーさん』の作者、雨野うずめのマネージャーをつとめる有能なキャリアウーマンだ。


 そして自身も、チャンネル登録者数50万人を超える、ゲーム実況、攻略を行う『巌流島チャンネル』のVtuber〝コジロー〟の中の人だった。


 明らかに普通ではない。


 それでも、武蔵むさし六都美むつみは、自分をどこにでもいる、普通の女性だと思っていた。


 FUTAHOこと荻奈雨おぎなう二帆ふたほと、雨野うずめこと荻奈雨おぎなう一乃いちのの成功は、あくまで本人たちの才能であって、自分はそれをサポートしているだけ。


 そして『巌流島チャンネル』も、有志でキャラクターのモデリングとモーションを造ってくれた、3Dデザイナーの七瀬ななせ奈々美ななみと、九条くじょう来未くるみの手柄。

 そしてなにより、YouTubeで取り扱っているゲームが世界的大人気ゲームM・M・Oメリーメントオンラインだからだと思っていた。


 武蔵むさし六都美むつみは、自分のことを、少々、卑下ひげしすぎているキライがある。


 理由はふたつ。


 一つ目の理由は、大学の漫研メンバーの中で、唯一、絵にたずさわる仕事をしていないこと。


 荻奈雨おぎなう一乃いちの七瀬ななせ奈々美ななみ九条くじょう来未くるみが、いずれも絵に携わる仕事をしていること、そして、なかでも部長を務めていた十津川とつがわ東海子とみこの生き様を目の当たりにし続けていたことだ。


 漫画のプロアシとして最低限の収益を得つつ、画家として大成することを目指している十津川とつがわ東海子とみこは、睡眠以外の全ての時間を絵に費やす、まさに絵の狂気に取り憑かれた女性だった。


 絵の才能にも恵まれず、絵と心中する狂気も持ち合わせていない自分が、才能を語るなど恐れおおい。そう考えていた。


 二つ目の理由。これはむしろ長所と言った方がいい。

 彼女は、自分を凡人と自覚していた。故に準備する。入念に、用意周到に準備する。


 その慎重な性格は、FUTAHOこと、荻奈雨おぎなう二帆ふたほの、謎めいたクールビューティーなキャラクターブランディングを完全にハンドリングし、生真面目ゆえに頑張りすぎてキャパシティ以上の仕事を受けがちな、雨野うずめこと荻奈雨おぎなう一乃いちののブレーキングとして機能していた。


 マネージャー職は、武蔵むさし六都美むつみの天職と言い切っていいだろう。

 そんな武蔵むさし六都美むつみは、今日の打ち合わせの準備も当然のように完全に行なっていた。

 完全な準備を行なって、エントランスの長椅子にちょこんと座り、背筋をのばして微動だにしないで待っていた。


 今日の打ち合わせは、おそらくFUTAHOの出演オファーにちがいない。かねてより噂があがっている、M・M・Oメリーメントオンラインの続編のお披露目を、FUTAHOのネームバリューをつかって大々的にやりたいのだろう。


 程なく、金髪でいかにも「クリエーターでございます」といった感じの、ピンク色のメガネと、同じ色の迷彩服を着た男性がやってきた。


「どーもどーも、お待たせしました」


 M・M・Oメリーメントオンラインの統括プロデューサー、本辻もとつじ良郎よしろうだ。


「ごぶさたしております。本辻もとつじさん」


 武蔵むさし六都美むつみは、素早くソファから立ち上がると、トーンをおさえたクールな声でペコリとおじぎをする。


「エントランス、様変わりしていてビックリしました」

「社長が飽きっぽい性分でね。今のエントランスもいつまでもつことやら」

「あはは……大変ですね」


 ふたりは、当たりさわりのない会話をしながら現実味のない蛍光色のネオンが明滅する流線形のろうかを歩いてゆき、会議室へと入る。

 会議室の中は、見晴らしこそ各別なものの、いたって普通の機能美あふれる会議室だった。


「実は、M・M・Oメリーメントオンラインなのですが、続編を鋭意開発中でしてね」


 本辻もとつじ良郎よしろうは会議室の椅子にすわると、すぐに本題を切り出す。よほど話したかったのだろう。


「噂にはあがっていましたが、いよいよですね!」

「おや、随分と食いつきますね」


「そりゃあもう! FUTAHOもですが、私もM・M・Oメリーメントオンラインのファンですから! 撮影の待ち時間によく一緒に楽しんでいます」

「なるほど、そしてそのプレイ動画をYouTubeにアップしている……と」

「え?」


 武蔵むさし六都美むつみの声質が少しだけ変化する。


「今回、オファーするのは、武蔵むさしさん、あなたです。いえ『巌流島チャンネル』の〝コジロー〟さん」


「さあ……なんのことでしょう?」

「隠さなくても構いませんよ。コジローは、あなたの事務所の所属でしょう?」

「確かに、〝コジロー〟は私ども634プロダクションの契約Vtuberですが……」


 本辻もとつじ良郎よしろうは、武蔵むさし六都美むつみの話をさえぎってしゃべりはじめた。


「〝コジロー〟のデザインなんですがね、最近、原画がアップされていたじゃないですか、そのイラストが、どうもウチのデザイナーのテイストに近かったものでしてね。そのデザイナーにカマをかけてみたんですよ。

 そうしたら、ウチの七瀬ななせが『自分が描いた』と白状しましてね……」


「ええええ!!」


 武蔵むさし六都美むつみは、明らかに狼狽ろうばいする。

 コンコン。


「はい」

九条くじょうです。七瀬ななせも連れてきています」

「おー、お疲れ様。入ってくれ」


 ガチャリ。


 現れたのは、白髪で毛先を緑に染めた、Tシャツとダメージジーンズのロックな出立の女性と、その影にかくれるように立っている黒髪ツインテールに、黒を基調にピンクを合わせた地雷ファッションに身を包んだ女性のふたりぐみ。


 武蔵むさし六都美むつみの同級生で、大学の漫研メンバーの九条くじょう来未くるみと、七瀬ななせ奈々美ななみだ。


 ふたりが席に座ると、本辻もとつじ良郎よしろうは、何故か席を立つ。


「さてと。それじゃ、あとは君たちでよろしく頼むよ!」

本辻もとつじさん、ちょっちょっとまってください!! え? ちょっと……どういうことですか!?」


七瀬ななせ、新作チームを左遷された。六都美むつみと公式チャンネル運営しろって」

「ちょ! ななちゃん言い方! むしろ栄転だし! ウチらの歳で、こんなビックタイトルの企画を自由に決めれるなんて、普通、ありえないことだし!!」


「はっはっは! それじゃよろしく頼むよ!

 さっき運営から報告があったよ。M・M・O・Wメリーメントオンラインワールドの情報が解禁されたって! ほら、公式チャンネルの準備を急いで急いで!!」


「え? M・M・Oメリーメントオンライン……Wワールド!?」


「すご! シルバー・プリンセス、もうトリプルオーバーキルされたし!」

「どーせ、いちのんトコのひきこもり姉弟だし。本当、開発泣かせ姉弟」


「え? ちょっとまって、ちょっとまって??

 さっぱり意味わかんないんだけど???

 なんで二帆ふたほすすむさんがトリプルオーバーキルをすると、新作の情報が解禁されるの??」


 青天の霹靂へきれきとは、まさにこのことだろう。


 突然、自分にスポットライトがあたったことに、武蔵むさし六都美むつみは完全にペースを乱してしまっていた。

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