第四章・二幕

第160話 エレベーターの天使。

 自転車を駅前の地下駐輪場に留めて、電車に乗って都心に向かって40分とちょっと。俺は、駅直通のテレビ局の関係者入り口に入ろうとした。


「ちょっとちょっと、ここは立ち入り禁止だよ」


 俺は、いかにもめんどくさそうにつぶやく看守さんに呼び止められた。


「FUTAHOのマネージャーをしている、634プロダクションのかぞえと申します。確認して戴けますか?」

「……少々おまちください」


 看守は、半信半疑な目で俺を一瞥いちべつすると、そのままパソコンの画面を確認する。そりゃそうだ。学生服を着た高校生が、令和のヴィーナスとして国民的な知名度を誇る、FUTAHOのマネージャーをかたるんだもの。ふつうに考えたら信じられるわけがない。


 でも……。


 看守は「あっ」と小さく声を上げた後、


「確かに確認しました。入館所を貸し出しますのでこちらにご記入いただけますか」


 と、バインダーをさしだした。

 俺は、バインダーに挟まれた用紙に名前と634プロダクションの事務所の住所(要するに武蔵むさしさん家の住所)を記入して差し出すと、かわりに入館所をゲットした。


 電車の自動改札のようなゲートに入館所をタッチすると「ピッ!」っと、これまた交通系カードをかざした時のような音がする。

 ゲートを通ると、俺はスマホを取り出して武蔵むさしさんとやりとりした、LINEの既読履歴を確認する。楽屋の場所を確認するためだ。


 俺は、エレベーターを待ちながら、今日の朝、武蔵むさしさんと会話したやりとりを思い出す。


「そろそろ、テレビ局にすすむさんにも入館所を発行してもらうべきですね」


 武蔵むさしさんの言うことはもっともだ。入館所さえあれば、わざわざ毎回、こんなことをしなくて済むんだもの。


 でも……。


 俺は悩んでいた。本当に俺は、このままFUTAHOさんのマネージャー、つまり634プロダクションに就職するべきかどうか。


「別に、大学に進学して、学業とマネージャー業を並行していただいても構いませんよ。でも……将来的にはすすむさんにFUTAHO専属のマネージャーに就いてもらいたいと思っています」


 武蔵むさしさんの申し出はうれしいけれど、正直言って、武蔵むさしさんがなんで俺なんかの事をそこまで評価してくれているのかわからない。


 でももし本当にFUTAHOさんの専属マネージャーになるんだったら、武蔵むさしさんのように催眠療法を本格的に学んだ方がいいような気がする。俺がやっているのは、所詮は武蔵むさしさんの真似事の域を出ないんだもの。


 チーン


 色んな事をぼんやりと考えていたら、ようやくエレベーターがやってきた。この局のエレベーターは台数が少ないから、なかなか来ないことで有名だ。

 扉が開いて中からぞろぞろと出てくる人の波がはけると、俺は入れ違いにエレベーターの中に入った。


 そして、俺は……天使にであった。


 腰まである軽くウェーブのかかった、やわらかそうな黄金色の髪と、澄み切った青空のような瞳。歳は中学生くらいだろうか。

 エレベーターの中に一人だけいたその少女は、白いノースリーブのワンピースを着ていた。そして、そのワンピースからすらりとのびる手足は、ワンピースの白がくすんで見えてしまうくらいに真っ白だ。

 

 本当に〝天使〟という形容がおおげさじゃない、とんでもない美少女だ。


 思わず見とれていると、少女は、俺に話しかけてきた。


「What floor is it?」

「あ……え? 13階……あ、そっか13thフロア!」

「Understood」


 少女は、すこしだけ目を細めて笑うと13階のボタンを押す。


 ドアがゆっくりと閉じると、エレベーターはそのまま静かにのぼっていく。

 すると少女は、くるりと向きをかえて、全面ガラス張りのエレベーターから見える外の景色を楽しそうに眺めはじめた。

 初夏の日差しに照らされて、ワンピースが透けている。少女の細いすらりとした身体と、それを包み込むこれまた純白の下着が、くっきりと透けて見えてしまっている。

 なんだか神秘すぎる光景に、俺は思わず目をそらした。見てはいけないものを見てしまっている……そう思ったからだ。


 チーン!


「サ、サンキュー」

「sure!」


 目的地に着いた俺がエレベータを降りると、少女はニッコリと微笑んで、再び下へと降りて行った。


 俺は、なんだかフワフワとした足取りで二帆ふたほさんの楽屋に歩いていく。


 それにしても、とんでもなくカワイイ娘だったな……テレビ局に居るんだし、やっぱり芸能人だよな……芸能人に詳しくないから知らないけど。


 俺は、芸能界に疎い。なんてったって、ファッション誌の表紙を飾るくらい有名な、FUTAHOさんの存在を知らなかったくらいなんだもの。パンツをはかない自宅警備員だと思っていたんだもの。


すすむさんは、芸能界に疎すぎます。マネージャー業務を務めるからには、少しは芸能界に詳しくなっていただかないと!」


 武蔵むさしさんに常日頃から言われている言葉がグサリと突き刺さりながら、俺は足を止めた。そして「むむむ」と首をひねる。今更なことに気が付いたからだ。


 あのエレベーター、下に降りてったよな……。

 ひょっとしてあの子、ずっとエレベーターで昇り降りしている……の?

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