第154話 睡眠ゼロよりまだマシだ。

 俺が家に帰ると、まだ武蔵むさしさんの黒いアルファードは、家の前に停まっていなかった。


 そりゃそうだ。5キロの道のりを半分くらい全速力でかっ飛ばしたんだもの。俺は、いつもよりも、随分と早く家についてしまっていた。


 とりあえず、ノドがカラカラだ。俺は2階のリビングにクーラーをつけると、キッチンの蛇口をひねる。そして、ザーザーと流れ落ちるながれる水にそのまま口をつけてゴクゴクとのみほすと、つづけざまにザブザブと顔を洗った。


 ふう……生き返った。


 ブルルル……ブルルル。


 スマホのバイブレーションが小刻みに揺れる。武蔵むさしさんだ。

 インタホーンで、まだ寝ている一乃いちのさんや父さんたちを起こすのは気まずいから、朝早い仕事の時は、俺のスマホに電話をかけてくれる。


 俺は、ハンドタオルで顔をふくと、トントンと階段をおりて一階の玄関を開けた。


 ガチャリ。


 玄関には、長い黒髪をひっつめにしてグレーのストライプのスーツを着た、マネージャーモードの武蔵むさしさんがちょこんと立っていた。


「おはようございます。すすむさん」


 武蔵むさしさんは、クールな声色でぺこりと頭をさげると、ツカツカと玄関に入ってヒール高めのパンプスを脱ぐと、そのまま俺と一緒に2階へとあがっていく。

 俺は、リビングに武蔵むさしさんを案内すると、キッチンの電気ケトルのスイッチを押して、3階への階段に向かう。


「今、二帆ふたほさんを連れてきますね」

「お願いします」


 そう言うと、武蔵むさしさんは、リビングのソファーに浅く座って、背筋をピンと伸ばして微動だにしないで待っている。

 相変わらず、武蔵むさしさんはオンオフの切り替えが徹底している。この人が、あの『巌流島チャンネル』でロリロリボイスが大人気のVTuberだなんて、誰が想像できるだろう。


 階段を昇った俺は、そのまま自分の部屋をつっきって、二帆ふたほさんの部屋をノックする。


 トントン。


二帆ふたほさん、武蔵むさしさんが迎えに来ましたよ」

「…………」


 案の定、返事がない。

 いつものことだ。たまーに、返事が聞こえる時もあるけれど、それはつまり、徹夜でM・M・Oメリーメントオンラインを遊んでいるってことだから、そっちの方が大問題だ。それに比べたら、朝寝坊なんて本当にカワイイものだ。


 ガチャリ。


 俺は、二帆ふたほさんの部屋に入った。二帆ふたほさんは、ベットの上から転がり落ちている。相変わらずとんでもない寝相の悪さだ。

 かろうじて、足だけはベッドの上に乗っかっているものだから、だるんだるんのパーカーが、完全に顔にかかってしまっていて、『下着をはいたら負け』という、謎のストイック精神によりつちかわれたスタイル抜群の神ボディーが、むきだしのもろだしになっている。


「でたな……バケネコ……きょうこそ、ぬっころす……」


 俺は、夢の中でM・M・Oメリーメントオンラインで近々実装予定のトラ型モンスター、〝シルバー=プリンセス〟と戦っているであろう、丸見えのモロ見えの二帆ふたほさんの神ボディをありがたくおがんでいると、


「むにゃ? なんだか一皮むけたものがあるのだ!」


 と、俺の急所のカチンコチンに目掛けて、オーバーヘッドキックを浴びせてきた。

 俺は、二帆ふたほさんの美脚から、うなりをあげて放たれたオーバーヘッドキックを紙一重でかわすと、そのまま二帆ふたほさんを抱きかかえた。


 あぶなかった。命中したらオーバーキルは確実だ。

(そして回避していたら二帆ふたほさんが大ケガだ)


 俺はジョギングで噴き出た汗が一気に引いていくのを感じながら、二帆ふたほさんを一旦ベッドに寝かしつけて、ズリ上がりまくった、だるんだるんのパーカーをていねいに下げて、ふとももまでスッポリと隠してから、二帆ふたほさんをお姫様抱っこする。

 

 そしてそのまま二帆ふたほさんの部屋を出て、武蔵むさしさんが待っている、リビングのある2階へと降りていった。

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