第153話 飲み物ゼロの早朝ジョギング。

 俺は薄暗い家のリビングで、ホットコーヒーをのみながら、ぼんやりとテレビをながめていた。

 テレビには、海外のハリウッドスターの来日情報が流れている。近日公開される映画のPRだろう。世界的大スターのその俳優は、日本に来るのをとても楽しみにしていたらしい。英語とカタコトの日本語をまじえつつ、アナウンサーと話していた。


『ジリリリイ! 5時50分! 5時50分!!』


 ハリウッドスターのインタビューが終了すると、テレビに映った目覚まし時計のキャラクターが、今の時刻を教えてくれる。

 俺はコーヒーを飲み干すと、テレビを消して階段を降りた。

 ランニングシューズをはいて外に出ると、あたりはもう、とっくに明るくなっている。


 俺は、準備運動を済ませて三月みつきの住んでいるマンションに向かって走り始めた。



 マンションにつくと、ちょうど三月みつきが階段を降りてくるところだった。

 白い薄手のTシャツにレーシングタイツをはいていて、腰には水筒を入れることができるランニング用のボトルポーチをつけている。

 Tシャツからは、水色パステルのスポーツブラがうっすらと透けて見えていた。


 体のラインがハッキリと見えるいでたちは、自分のスタイルに自信がある証拠だ。

 二帆ふたほさんと一緒に、パパのパーソナルトレーニングを受けている三月みつきは、パパからそのスタイルに太鼓判を押されている。


 ファッション雑誌のFUTAHOさんのインタビュー記事を読んで、コソコソと、スマホで自分のBMIを計算していたころが、ちょっと懐かしい。


「今日は暑くなりそうだね」

「ああ。もう23℃だって。今日も真夏日になるみたい」

「ひゃー! 暑くならないうちに走ろ走ろ!」


 俺たちは、交通量の少ない道路を選んで走って、森林公園に入る。公園内をぐるっと一周して戻ればちょうど5キロのコースだ。

 

 大きな池がある森林公園は、夏のジョギングにはうってつけのコースだ。俺たち以外にも、ジョギングをしたり、犬の散歩をしている人たちとすれちがう。

 俺と三月みつきは、いつものように会話をしながらジョギングをする。


「最近、ハーブティーにもこだわり始めてさ。ここの所毎日、寝る前に飲んでるんだ」

「ハーブティーって、寝つきが良くなったりするの?」

「そういうわけじゃないケド……一乃いちのさんの差し入れのついでに飲むようになったらハマっちゃってさ。昨日は、アイスティーに初めて挑戦したんだけど、上手だって褒められたよ」

「ふーん。荻奈雨おぎなう先生にほめられるってそうとうな腕前じゃない?」

「でも、武蔵むさしさんにはまだ一度も褒められたことないからさ。このあと二帆ふたほさんを迎えにうちに来るから、アイスティーを出してみようかなって」

「そうなんだ……ところでさ、すすむ

「なに?」

「最近、荻奈雨おぎなう先生に敬語使わなくなったよね?」

「……え? そ、そう??」

「学校でも、しょっちゅう一乃いちのさんって言ってるよ」

「ええ! き、気が付かなかった……気を付ける」

「…………」


 三月みつきは急にだまってしまった。そして、ジョギングのギアを一段上げる。結構なスピードだ。三月みつき、今日はのってるな……。


「ネームの進みはどう?」

「うーん、もうちょっと。ラストで悩んでるんだよねぇ」


 ゴールデンウイークのキャンプを返上してから、ずっとネーム執筆にはげんでいる三月みつきは、いまひとつ煮え切らない返事をした。

 三月みつきは、どっちかというと遅筆なほうだ。まあ、まだデビューしたばっかりの三月みつきと、何年もプロとして第一線で活躍している一乃いちのさんを比べるのは、ちょっとかわいそうなんだけど、でも、三月みつきはめちゃくちゃキャラクターとストーリーにこだわる……つまり、ネームに特別に時間をかけるタイプらしい。


 そしてそのこだわりに、担当編集者の田戸倉たどくらさんが大いに期待してるって、一乃いちのさんから聞いていた。


「どんな話なの?」

「え? んー、すすむにはヒミツ!!」

「さわりくらい、教えてくれてもいいだろ?」

「ダメ!!」


 三月みつきはそういうと、汗に濡れたTシャツをぬいで、水色パステルのスポーツブラ姿になった。ひかえめだけど形の良い胸のシルエットがあらわになる。


 三月みつきはレーシングタイツにTシャツを挟み込むと、スピードのギアをさらに一段、いや二段三段と上げていって、たちまちトップスピードになる。


「あ、まてよ!」


 俺は、見る見るうちに遠くなっていく三月みつきを慌てて追いかけた。



「……はあ、はあ、はあ」


 三月みつきのマンションにつくと、俺はスマホを取り出した。

 20分フラット。とんでもないハイペースだ。


 三月みつきは、はぁはぁと荒い息をしながら、ウエストポーチから水筒をとりだして、はちみつ入りのスペシャルドリンクをごくごくとのんでいる。


「はぁ、はぁ……俺にもちょうだい……」


 俺が三月みつきに手を差し出すと、三月みつきは口をぐいとぬぐって、水筒を逆さにする。


「はぁ、はぁ……ゴメーン、全部飲んじゃった」

「はぁ、はぁ……えー、マジかよ!」

「はぁ、はぁ……今日は暑かったからさ。これからどんどん暑くなってくるしさ、この水筒じゃ、もう二人分ははいんないよ。明日からはすすむもドリンク持ってきなよ」

「はぁ、はぁ……え? あ……うん」

「はぁ、はぁ……爆走したら、ネームのラストが降りてきたよ! すぐに描きたいから、急いでシャワーあびなきゃ!」


 そう言うと、三月みつきはマンションの中に入っていった。

 なんだか、今日の三月みつき、様子がおかしかったけど、どうしたんだろう……でも、ネームのラストが浮かんだならなによりだ。


 俺は呼吸を整えると、カラカラなノドをうるおすために、走って家まで帰った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る