第152話 ふたつのいじわるな瞳。

「はいはいー、開いてマンボー」

「差し入れのハーブティーを持ってきたよ。今日はアイスの方がいいかなって……」

「さすがスーちゃん。わたしも、そんな気分だったのー」


 俺は、一乃いちのさんの部屋に入る。

 部屋は随分と広い。俺と二帆ふたほさんの部屋の倍近くあって、その一面にはぐるりと本棚が備え付けられてある。奥の机は執筆スペースだ。


 俺は、中央のローテーブルにお盆をカチャリと置くと、ティーポットの中で頃合いに茶葉が開いたハーブティーをグラスにそそぐ。


 俺の隣では、一乃いちのさんがニコニコしながら、ハーブティーを淹れる俺の事を見つめている。最初のころは、めっちゃ緊張していたんだけれども、今ではずいぶんと慣れてきた。


 大量のクラッシュアイスが入ったグラスには、アツアツのハーブティーがそそがれて、パキパキと音を鳴らしながら黄金色に染まっていく。


 部屋の中は、たちどころに甘く、さわやかな匂いにつつまれた。


 俺は、グラスをマドラーで軽く混ぜると、コースターを置いて、その上にアイスハーブティーを静かに乗せた。


「わー、すごくキレイ―」


 一乃いちのさんは、氷との温度差で静かに滞留している黄金色のハーブティーを、黒目がちな瞳でじっと眺めている。テーブルに両手を置いて、お行儀よくしているさまは、まるでおやつを目の前にして「待て!」をしている子犬みたいだ。


「もう、十分に冷えたと思うから、飲んでみて?」

「いただきまーす」


 俺の言葉に、じっとグラスを見つめていた一乃いちのさんは、すぐにグラスを手に取ってハーブティーを口につける。


「美味しいー! スーちゃんの淹れるハーブティーは最高だよー」


 一乃いちのさんはゴキゲンで、コクコクとハーブティーを飲んでいる。

 なんというか……めっちゃカワイイ。


 付き合い始めて痛感したけど、一乃いちのさんはとにかくカワイイ。

 7歳も年上の、しかも保健室登校の俺にとっては学校の担任ともいえる養護教諭の先生に使う表現としてはいかがなものかと思うけど、とにかくその何気ないしぐさのひとつひとつに、まるで子犬のような愛くるしさがある。


 俺は、万感の幸せに打ち震えながら一乃いちのさんに見とれていると、不意に目があった。すると一乃いちのさんはニッコリと微笑んで、、


「ほら、スーちゃんも飲んで飲んで!」


 と、アイスハーブティーをうながしてくる。


 俺は、うながされるままにアイスハーブティーをひとのみすると、思ったことをそのまま言った。


「うん。アイスに挑戦したのは初めてだけど、うまくいった気がする」

「スーちゃんは、ハーブティー淹れるのが本当に上手。もう、わたしじゃかなわないよー」

「そんなことないよ! だって武蔵むさしさんからは一度も美味しいって言ってもらったことが無いし……」

「そうなんだー。でもでも、このアイスハーブティーだったら、ムーちゃんも『美味しい』って言ってくれると思うのー」

「じゃあ、明日は武蔵さんにアイスハーブティーを出してみるよ。明日の朝、仕事で二帆ふたほさんを迎えに来てくれるんで」

「うふふー楽しみ。きっとムーちゃん驚くと思うなー」


 ティーブレイクの数分間、するのはいつもたわいない話ばかりだ。学校の事とか、晩御飯のこととか、二帆ふたほさんのマネージャー見習いであった出来事とか、一乃いちのさんのアシスタントをしてくれている、十津川とつがわさんたちのこと。

 なんでもない話ばかりだけど、そのどれもがめちゃくちゃ楽しい。一乃いちのさんとのふたりきりのティーブレイクは、宝物のようなひと時だ。


 そして……


 俺と一乃いちのさんは、どちらからともなく唇をかさねた。

 ハーブティーでほのかに甘さをまとわせた、一乃いちのさんの舌が俺の口の中にすべりこむ。

 俺は、左手で一乃いちのさんの腰を支えると、右手で、そっと一乃いちのさんの胸をさわった。


「う……ん」


 一乃いちのさんから甘い吐息がもれる。


――――――――――――


「今はキスまででおあずけ。高校を卒業するまで、スーちゃんは我慢できるかなー?」

「も、もちろんだよ!!」


――――――――――――


 露天風呂で交わした約束を、俺はあっけなく破ってしまっていた。

 俺は一乃いちのさんの自然派ナチュラルな服のしたから、その低反発なおっぱいを本能に導かれるまま、だけど優しくもみしだく。


「ううう……ん」


 一乃いちのさんの吐息は、さらに甘く甘くなっていく。

 でも、これ以上は本当におあずけだ。これ以上の禁をやぶると、本当に歯止めが効かなくなってしまう。


 俺は、一乃いちのさんと重ねた唇をそっと離した。

 一乃いちのさんは、紅潮した頬で、犬のような黒目がちな目をちょっとだけイジワルそうに細めると、俺の頭をいいこいいこする。


「はい。今日もよく我慢できました。エライえらい!」

「そ、その、約束だから。それに、これ以上長居したら、一乃いちのさんの仕事の邪魔になるし……」

「うふふ、スーちゃんはやさしーなー」


 一乃いちのさんの黒目がちな瞳は、さらに細くなっていく。


「じゃ、じゃあ、俺はもう寝るね、お、お休み!」

「はーい。おやすみー」


 俺は、一乃いちのさんのグラスだけを残して部屋をあとにする。そうして、2階のキッチンで、ティーポットとグラスを洗うと、3階の自分の部屋に向かう途中に、二帆ふたほさんとすれちがった。


「ありゃ? スーちゃん、まだ起きてるの?」

「うん。さっき一乃いちのさんにハーブティーを差し入れしたところ」

「そーなのかー……」


 二帆ふたほさんは、猫のような瞳で、俺の事をじーっと見つめている。そしてしばらく見つめた後、おもむろに目を閉じて「スンスン」と俺の顔を匂いはじめた。


「あれ? イーちゃんの匂いがしてくるのだ。にゃんで?」

「い、いいいいい一乃いちのさんの部屋で、一緒にハーブティーを飲んだからかなあ? 

 そ、それより二帆ふたほさん! 明日は二帆ふたほさんも早起きなんですから、もう寝た方がいいんじゃないですか?」

「りょーかいのすけ!」

「……寝る気、これっぽっちもありませんよね」

「バレたか!! でも、スーちゃんが起こしてくれるから平気なのだ!」

「まあ、朝起こすくらい別にいいですけど、ちゃんと寝てくださいよ! 仕事に支障が出ると困るんで!」

「りょーかいのすけ!」

「まったく……本当にちゃんと寝てくださいよ……武蔵むさしさんにしかられるのは、俺なんですから」

「にゃはは。前向きに検討しておくのだ」


 二帆ふたほさんは、猫の様な目を細めて無邪気に笑った。


「そんじゃ、フーちゃんはおトイレ行くから、今度こそおやすみ、スーちゃん!」

「おやすみなさい、二帆ふたほさん」


 俺はつとめて冷静に挨拶をすると、自分の部屋に入った。

 心臓がバクバクしているのがわかる。


 ひょ、ひょっとして二帆ふたほさん、俺と一乃いちのさんが付き合っているの、気がつい……た……??

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