幕間劇

第120話 あるレストランの一幕

 そのレストランは、ホテルの高層階にあった。


 スカイツリーが眼前に広がる素晴らしい眺望と、バーカウンターを併設しつつも、本格的な和食のコース料理が楽しめる、フォーマルすぎず、かといってカジュアル過ぎない使い勝手の良さがウリのレストランだった。


 男はそのレストランにお似合いの、ビジネスカジュアルなファッションで、静かにお相手を待っていた。

 今日は金曜日。仕事の時間にかなりの自由が利くその男とは対照的に、お相手の女性は公務員だった。それも学校勤務の養護教諭だった。


「お待たせしましたー。わー、わたしこんな格好できちゃってよかったのかなー」


 お相手の女性は、仕事上がりでレストランに直行していた。

 自然派ナチュラルなブランドの服と、淡いグリーンのショールをはおったいでたちは、たしかにちょっとだけカジュアルではあるが、気になるほどでもない。むしろ、ノーネクタイにジャケットを羽織ったビジネスカジュアルな男の服装ととってもお似合いだった。


 自然派ナチュラルな服装の女性は、肩にはおった淡いグリーンのショールを大事そうにおりたたむと、やさしくトートバッグの上にのっけて足もとのカゴに置いた。

 そして、男と隣り合って席に着くと、目の前に広がる眺望に感動する。


「わぁ、すごい眺め。スカイツリーを真正面で楽しみながらお食事なんて、こんな贅沢しちゃっていいのかなー」


「せっかくのお誕生日ですし、少々奮発しました」


 ビジネスカジュアルの服装の男は、ちょっと照れながら、ここのレストランを普段のように経費で落としていないことをさりげなくアピールした。


 男の名前は田戸倉たどくら小次郎こじろう。この春、少女漫画雑誌『月刊はなとちる』の副編集長に昇進した男だ。

 そして、お相手の女性は彼が担当するマンガ家の雨野あめのうずめ。人気漫画『信長のおねーさん』の作者だった。


 男は、ちらりと足元を見やって、


「さきほどのショール、とってもお似合いでしたよ」


 と、わざとらしくないタイミングで、女性のファッションをほめたたえた。


「そうですかー? うれしー。このショール、スー……じゃない、義弟おとうとが誕生日プレゼントにって。アルバイト代で買ってくれたんですー」


「……そうなんですね。アルバイト……確か、妹さんのマネージャー……見習い……でしたっけ」


 男は、ほんの少し言いよどむ。しかし女性は、それに一切気づくことなく満面の笑みをうかべた。


「はい! 自慢の、義弟おとうとくんですー」




「うわー、このお吸い物おいしー。こんなに贅沢な出汁をとれるのは、お店ならではですよねー」


「喜んでもらえてなによりです。雨野あめの先生は料理もお上手ですし、お眼鏡にかなってよかった」


「そんなー。わたしなんてお母さんに比べたら全然ですよー。

 わー。海老しんじょも、おいしー。裏ごしがしっかりしてるんだろーなー。ミキサーで手抜きしちゃったら、この味はだせませんよねー」


 雨野あめのうずめは謙遜しながら、驚くほど的確に、お椀の海老しんじょの調理方法を分析している。


「今の体制にはなれましたか?」


「はいー。スケジュールは、十津川とつがわセンパイと、ムーちゃん……じゃないマネージャーの武蔵むさしがハンドリングしてくれますし、十六夜いざよいさんも、どんどんアイデア出してくれるんでー」


「それはなによりです。アニメの設定資料もひと段落しましたし、ようやく桶狭間編にも本腰をいれることができますね」


「はい。がんばりますー。あ、日本酒おかわりいいですかー?」


 ゴキゲンで熱燗をおかわりをする雨野うずめを見ながら、田戸倉たどくら小次郎こじろうは話題を変えた。


「仕事も順調ですし、プライベートはどうですか?」


「相変わらずの独り身ですー。田戸倉たどくらさん、いい人紹介してくださいよー」


 雨野うずめは頬を赤らめながら、とても無難な社交辞令を返した。

 だが、その返答は、雨野うずめが予想だにしないものだった。


「なるほど……では、私が立候補しても良いですか?」


「え?」


「雨野先生に、意中の人がいるのは知っております。しかし……いや、だからこそ、私はここで告白をしたいのです。彼が、あなたが通う学校を卒業してしまうと、私は彼に完全に太刀打ちできなくなる」


「え? え? ええ!?」


「雨野先生……いや、荻奈雨おぎなう一乃いちのさん。私と結婚を前提に、おつきあいしていただけませんか?」


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