第77話 センスゼロの編集長。

「わたしは、絶対に養護教諭を辞めません!」


 一乃いちのさんは、矢澤やざわって編集長を、犬のような黒目がちな目でみつめながらキッパリと言った。怒ってるんだ、一乃いちのさんは、相当怒っている。


 矢澤やざわって編集長は、モンブランを食べ終わって、となりの田戸蔵たどくらさんのモンブランも勝手に奪ってくちゃくちゃと音を立てながら食べてから、わざとらしいため息をついた。


「はぁ。私は、ファンの代表として、雨野先生に必死のアドバイスをしているのですが……。雨野あめの先生は、ファンの気持ちが全然わからない独りよがりな作家さんでしたか。誠に残念です」


 ファンの代表らしい、モンブランくちゃくちゃ野郎の矢澤やざわって人に、一乃いちのさんは頭を下げる。


「申し訳ありません……」


「いやいやいや、私に頭を下げられても困る!

 責任を感じるなら、ファンに感じてください!!

 それに、先生との関係性をきづけなかった担当編集の責任です。なぁ……田戸蔵たどくら君?」


「……申し訳ありません。雨野先生」


 田戸蔵たどくらさんは、席を立つと、大きな背を九十度にきっちり曲げて、一乃いちのさんに向かってあやまった。


「や、やめてください、田戸蔵たどくらさん!

 『信長のおねーさん』がここまでの人気になったのも、田戸蔵たどくらさんのアドバイスのおかげですから! 田戸蔵たどくらさんには感謝しかないです」


「……そう言っていただけると救われます」


 モンブランくちゃくちゃ野郎の矢澤やざわって人は、一乃いちのさんと田戸蔵たどくらさんが謝るのを、満足そうに見届けてから、ねっちょりとした声色で話をはじめた。


「アニメ化の件は、もうたくさんの人が関わって、引き下がれないところまで話が動いている。今更止めるわけにはいかない。

 みな一丸となって頑張っている中、まさか最大の味方だと思っていた雨野あめの先生に、足をひっぱられる形になるとは思ってもいませんでしたが……まあ、この私がなんとかしましょう!」


「ありがとうございます」

「ありがとうございます」


 一乃いちのさんと田戸蔵たどくらさんが頭を下げる。

 するとモンブランくちゃくちゃ野郎の矢澤やざわって人は満足そうに席をたった。


「じゃ、私はいそがしいのでこれで」 


 俺は、怒りを感じていた、はっきりと怒りを感じていた。


 なんだこいつ?


 なんでこんなやつがファンの代表を語って、こんなにも頑張っている一乃いちのさんを攻めてるんだ? 編集の田戸蔵たどくらさんを攻めているんだ?


 ちょっと意味がわからない。本当に意味がわからない。


 モンブランくちゃくちゃ野郎の矢澤やざわって人は、ソファにかけたコートをとると、その場で着はじめる。そこに、そのやりとりをさっきまで微動だにせずにずっと聞いていた武蔵むさしさんが、銀の細フレームのメガネをスチャとかまえてつぶやいた。


「……矢澤やざわ編集長。ひとつだけお聞きしたいことがあります」

「なんです?」

「編集長は、先ほど『ファンの代表』とおっしゃいましたよね」

「ああ、それが何か?」

「では、ファンの代表であらせられる矢澤編集長にご教示いただきたいのです。『信長のおねーさん』は、なぜ、ここまでファンに支持されているのでしょう?

 教えていただけますか」


 武蔵むさしさんは、モンブランくちゃくちゃ野郎の矢澤やざわって人に頭を下げた。


「あんた、雨野あめの先生のマネジメントやるんですよね。そんなこともわかんないんですか?」

「はい。お恥ずかしながら……」

「そんなの簡単じゃないですか! 典型的なおねショタが受けたんですよ」


 は? 何言ってるの? この人、本気?

 『信長のおねーさん』はおねショタとしてはかなりトリッキーだ。

 だって信長はエッチなアプローチを積極的にしかけてきて、それをやえさんが華麗にあしらう展開がうけているんだもの。


「なるほど、となると一番の人気キャラは?」

「そんなの信長にきまってるじゃないですか!」


 は?? 何言ってるの?? この人、本気??

 『信長のおねーさん』の一番人気は、勝三郎かつさぶろうに決まっているじゃないか! 十歳になった勝三郎かつさぶろうが織田家に小姓として使えるようになって、人気が爆発したんじゃないか!!


「なるほど、勉強になります。ではこれからの展開は?」

「そんなの決まってるじゃないですか! 信長が主役の話なんですよ!! 天下統一までの話を描けばいいだけじゃないですか!」


 は??? 何言ってるの??? この人、本気???

 だれが読みたいんだよそんな話! やえさんの出番がなくなるだろーが!!!


「なるほど、勉強になります」


 武蔵むさしさんは、『信長のおねーさん』に対して、まったくもってマト違いなセンスゼロの矢澤やざわって人のアドバイスを、ニコニコと聞いている。


「君、ろくに『信長のおねーさん』を読んでないんじゃないのかね?」

「勉強したつもりだったのですが……編集長にはかないませんね」

「はっはっは。まあ、私はこの道20年のベテランだからね! よかったら色々おしえてあげるよ」


 センスゼロの矢澤やざわって人は、いやらしい目で、体のラインがはっきりとでる、グレーのストライプのスーツに身をつつんだ武蔵むさしさんを見た。


「うれしい! 機会があれば、是非。あ! 玄関までお送りしますね!」


 武蔵むさしさんは、これ以上ないくらいの、異常なくらいの明るいスマイルと声のトーンで返事をすると、そのままモニターに写っているリビングから、センスゼロの矢澤やざわって人と一緒にフレームアウトした。


「お、気が効くね! せっかくだからLINEも交換する?」

「はい、喜んで!!」


 ・

 ・

 ・


 一乃いちのさんの部屋、兼、仕事部屋で、ずっとリビングの様子を観ていた俺たちは絶句をしていた。

 何が、ファンの代表だ! あの矢澤やざわって人、『信長のおねーさん』のことなんにもわかってないじゃないか!!

 あんな人に、『信長のおねーさん』を任せたらめちゃくちゃになってしまう!


 俺が心配になっていると、ママがメガネをすちゃっと構えてキラリンと光らせた。


「さすが、武蔵むさしさん、あのクソ仕事ができない無能編集長に取り入って、うまいこと製作委員会とのパイプをつないでくれそうだわ」


 え? そういうこと??


 おれは、ママと武蔵むさしさん、ふたりのメガネクール美女に、背筋がゾクゾクとしていた。

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