第75話 ゼロ距離の親友。

 朝11時、一乃いちのさんは、『信長のおねーさん』の原稿をタブレットPC でチェックしていた。


「わー、すごい。この桜吹雪きれいー」

「そこはウチの仕事! 3Dモデルでつくって貼り付けたし!」

「ここの夕日の水面処理もステキー、どうやって描いたのー??」

「……そこは……七瀬ななせの光源処理……もっと……たたえたまえ……」


 一乃いちのさんは、ページをフリックするたび、ゆったりのんびりの癒し口調で、原稿に驚いている。

 九条くじょうさんと七瀬ななせさんは、本業はゲーム会社のCGデザイナーさんで、細かい背景の効果は、その応用技術らしい。


「んきゃ! そんじゃ、これでアップてことでよき?」


 服がうしろまえ反対の十津川とつがわさんが、一乃いちのさん、つまり『信長のおねーさん』の作者の雨野あめのうずめ先生に確認する。


「はいー。オッケーですー。ありがとうございましたー」


 一乃いちのさんが、ほがらかに宣言すると、一乃いちのさんの部屋、兼、仕事場にいる、俺と二帆ふたほさんと武蔵むさしさん、そして7時半から原稿手を伝いに来た三月みつき、あとZOOM画面越しの九条くじょうさんと七瀬ななせさんが拍手をする。


十津川とつがわ先輩、クーちゃん、ナーちゃん、本当にありがとうー……わたし、今回ばかりは……間に合わないかとー……」


 一乃いちのさんは、ゆったりのんびりの口調で、でも感極まって、犬のような黒目がちな瞳に涙をいっぱい溜めている。

 そんな一乃いちのさんをみて、服が後前反対の十津川とつがわさんが、お椀型の胸をはる。


「んきゃ! こんくらいの修羅場、プロアシのワタシなら……あさめし……ま……え……」


 ガシャン……ドサ!


 十津川とつがわさんは胸を張って背中をそらしたまま、そのままイスから崩れ落ちた。

 無理もない、金曜日から日曜日の朝11時まで、ずっと起きっぱなしで漫画のアシスタントとして働き続けていたんだ。ぶっ倒れたって不思議じゃない。

(そもそも一度服を脱いだ後、うしろまえ反対になってしまっている時点でイロイロと限界だ)


「と、十津川とつがわさん!?」

「だ、大丈夫ですか??」

「ぬっころされたのだ!!」


 俺と三月みつき二帆ふたほさんは、めちゃくちゃ驚いて思わず声をあげた。

 でも、一乃いちのさんも、武蔵むさしさんも、ZOOM画面越しの九条くじょうさんも、七瀬ななせさんも、あっけらかんとしている。


十津川とつがわ先輩、いつもこーなのー」

十津川とつがわ先輩は、作業を残して寝付けないタチなんです……はぁ、学生時代から全然変わっていませんね」


 困り顔の一乃いちのさんと、ため息混じりの武蔵むさしさんの言葉に、ZOOM画面越しの九条くじょうさんと七瀬ななせさんもつづく。


「こーなったら、24時間爆睡コースだし」

「……七瀬ななせたち……合鍵ある……家にいってベッドにねかしつけておく……」

「ごめーん。よろしくねー」


 一乃いちのさんは、ZOOM画面越しの九条くじょうさんと、七瀬ななせさんに手を合わせる。


「あ、それと、一乃いちの、前々から言おうとしてたんだけどさ! 一乃いちののなんでも自分で抱える性格! よくないし!」


「え? そ、そうかなー……ごめんなさいー……」


 九条くじょうさんの言葉に、一乃いちのさんが苦笑いする。

 そんな一乃いちのさんを見て、七瀬ななせさんも言った。


「……七瀬ななせたち……親友……困ったら助け合う……」


 九条くじょうさんと七瀬ななせさんは話をつづける。


七瀬ななせの言う通りだし! 損得勘定なしで助け合うのが親友だし!」

「……七瀬ななせは……損するのは……イヤ……九条くじょうも……はれじろーをもらうまで……グチってた……」

「こ、こら! 余計なこと言うなし!!」

「……九条くじょうは……本当は昨日……デートだった……七瀬ななせは押し活あった……でも……一乃いちのの方が大事……困ったことあったら……助ける……」


「クーちゃん、ナーちゃん……ゴメンね……ゴメンね……」


「ゴメンは言うなし!」

「……一乃いちのの悪いクセ」


「そ、そっか、ゴメン……じゃない!

 ふたりとも、ありがとう……ありがとう!」

 

 ふたりの言葉に、一乃いちのさんは、犬のような黒目がちな瞳から、大粒の涙を流した。そしていつのまにか、のんびりゆったり口調じゃなくなっていた。


 俺は思った。


 一乃いちのさんて人は……自分では抑えきれない、おっきなおっきな感情に飲み込まれてしまうと、いっぱいいっぱいになって慌ててしまう人なんだ。

 そんなときは、口調まで変わってしまう。

 でもそれは、慌ててたり、余裕がなくなったりしたときだけじゃないんだ。今みたいに、うれしくて仕方がない感情に飲み込まれたときも口調がかわってしまうんだ。


 俺はうらやましかった。


 インキャなぼっち野郎の俺にとって、困ったことがあったら何をおいてもかけつけてくれる親友がたくさんいる、一乃いちのさんのことが、うらやましくて、うらやましくて、仕方がなかった。


 そして、また一乃いちのさんが、遠い遠い存在になってしまったような気がした。

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