第62話 ゼロ距離おねーさんは、一番いいのを頼む。

「スーちゃん、学校を辞めるなんて言わないで、それだけはやめて絶対!!」


 もっさもさの頭の一乃いちのさんは、近づくと俺の手をつかんで、犬のような黒目がちな瞳に涙をいっぱい溜めていた。つかんだ手は、ブルブルと震えている。


 怒ってるんだ。


 一乃いちのさんは怒っている。めちゃくちゃ怒っている。


「じゃあ、俺、保健室登校をやめます。一乃いちのさんがいなくても、俺、平気だよ。今日だって、全然平気だったし。ふつーに授業受けれたし」


 ウソだ。本当は全然へーきじゃない。地蔵のように固まって、授業どころじゃなかった。


「本当? 本当にそうだった? 十六夜いざよいさん。スーちゃん、教室でへーきだった?」


 俺は、三月みつきを見た。

 頼む、三月みつき。言ってくれ、平気だったって言ってくれ。

 でも、三月みつきの言葉は、俺の期待を見事に裏切った。


「全然、へーきじゃなかったです。すすむ、ものすごい緊張していました。あんなんじゃ、多分、一週間ももたないと思います」


「ほら、やっぱり! スーちゃん、お願いだから無理しないで。強がりなんか言わないで……お願い……」


 俺は、自分がなさけなかった。睡眠時間をギリギリにまで切り詰めて頑張っている一乃いちのさんに、負担をかけてばっかりの自分がなさけなくて、なさけなくて仕方がなかった。


「わたし、頑張るから。スーちゃんはいままでどおり、なんの心配もなく保健室登校ができるように頑張るから。お願い。ね」


「………………」


 俺は、なんにも言い返すことができなかった。なんで一乃いちのさんは、俺なんかのためにこんなに頑張ってくれるんだろう。俺一人のために、自分を犠牲にするんだろう。


 俺なんかより、何十万のファンがいる『信長のおねーさん』の方が全然大事じゃないか! なんでそんな簡単なことが一乃いちのさんはわかんないんだろう。なんて、ガンコな人なんだろう。


 俺一人が我慢すれば済む話じゃないか!! なんでそれをわかってくれないんだろう!


「………………」

「………………」


 俺と一乃いちのさんは、これ以上なんにも言わなかった。こうなったら根くらべだ。どっちが折れるか根くらべだ。


「………………」

「………………」


 俺と一乃いちのさんは、何にも言わなかった。そしたら、口を開いたのは、二帆ふたほさんだった。


「イーちゃんと、スーちゃんは似たもの同士なのだ。ふたりとも、もーちょっとフーちゃんを見習うべきなのだ!」


 そう言うと、二帆ふたほさんは、ベッドから飛び跳ねて、すちゃりとカッコよく床に降り立つと、スタイルの良い胸をはった。そして、高らかと宣言した。


「フーちゃん、難しすぎてわかんないことは、人にまるなげするのだ!

 だから今回もまるなげなのだ!

 ムーちゃん、一番いいのを頼む!!」


 すると、電話をかけるために部屋を出ていた武蔵さんがツカツカと入ってきて、


「……はい、はい。ありがとうございます。じゃあ、一乃いちのに変わりますね」


 と言って、スマホを「スッ」と一乃いちのさんに差し出した。


十津川とつがわ先輩です。先輩に、アシスタントをお願いしました。すぐに指示をだしてください!

 十津川とつがわ先輩には、雨野あめのうずめ先生の専属アシスタントになってもらいます。あとヘルプとして、今日と土日の三日間、七瀬ななせ九条くじょうにも手伝ってもらいます。もちろん私……いや、ボクも!」


「え? えー??」


 とまどう一乃いちのさんに、武蔵むさしさんは話をつづけた。


一乃いちの、いや、雨野あめの先生。

 今月は、大学の、元漫研メンバーでしのぎましょう!!

 十津川とつがわ先輩が仕切ってくれますから、先生はまずは進捗報告を!」


「わ、わかったー」


 一乃いちのさんは、大慌てで『信長のおねーさん』のキャラ表の貼ってある席にすわると、電話越しの十津川とつがわ先輩って人と話し始めた。


十津川とつがわ先輩ー。ごぶさたしてますー。

 はい、はいー。あ、すみませんー。締め切りは、来週の月曜日ですー。

 え? 『〝すみません〟はいらない?』

 はい……はい……すみませんー……じゃない! 

 十津川とつがわ先輩、ありがとうございます!

 はい、はいー。うふふ、頼りにしますね!!」


 一乃いちのさんは、犬のような黒目がちな瞳に涙をいっぱい溜めていた。スマホを持った手は、プルプルと震えている。嬉しいんだ。一乃いちのさんはめちゃくちゃ嬉しいんだ!


「すみません。今の進捗はですねー。

 あー、すみませんは言っちゃダメなんだったー。すみませんー」


 一乃いちのさんは、電話をかけながらペコペコとお辞儀をしながら話している。でも、いつもの一乃いちのさんだ。のんびりゆったり、ほんわかオーラ全開の一乃いちのさんの口調にもどっていた。


「えっへん!! フーちゃん、いい仕事をしたのだ」


 二帆ふたほさんは、改めてスタイルの良い胸を張った。そして俺に向かって言い放った。


「フーちゃん、ご褒美がほしいのだ。一番いいのを頼む!」


 俺は、二帆ふたほさんが、今一番やりたいであろうことを言った。

 自称自宅警備員の、ひきこもりの二帆ふたほさんが、やりたくてやりたくて仕方がないことと言えばコレしかない!!


三月みつき! 二帆ふたほさんと一緒にヤドカリをぬっころそう!!」

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