第55話 ゼロ距離のささやき。

 俺は、夢の中でヤドカリと戦っている二帆ふたほさんをお姫様抱っこして、2階のリビングに降りた。

 それに気がついた武蔵むさしさんは、ソファから静かに立ち上がった。


「ありがとうございます。すすむさん。そのまま、二帆ふたほをソファに座らせてくれますか?」

「わかりました」


 俺は、言われるがまま、二帆ふたほさんをリビングのソファに座らせると、キッチンに向かった。そしてティーポットを取り出して、一乃いちのさんがブレンドした健康に良さそうなハーブティーを入れて、電子ケトルで3人分のお湯を注ぐ。

 

 武蔵むさしさんは、ソファに座って眠っている二帆ふたほさんの右どなりに浅くちょこんと腰掛けると二帆ふたほさんの右手をそっとにぎった。

 そして、二帆ふたほさんの耳の匂いがかげるくらいまで近づくと、ゆっくーり、ゆったーーり、やさしーーーい声でささやきはじめた。


「あなたの名前はF・U・T・A・H・O。FUTAHO。

 とてもクールで、とてもストイックな、女性のあこがれ。令和のヴィーナス。

 あなたはとても寡黙な女性。余計なことはしゃべらない。余計なことは行わない。 

 みんなのあこがれ、FUTAHOを完璧に演じきる」


 二帆ふたほさんは、目をとじたまま、ゆっくーーーーりとうなずいた。


「うふふ……いい子だね。

 さあ、FUTAHO、仕事の時間だよ。ボクの合図で目覚めるんだ。

 3……2……1……」


 パチン!!


 武蔵むさしさんが指を鳴らすと、二帆ふたほさんがゆっくりと目を開けた。


「おはよう。ムーちゃん」

「おはよう。今日も綺麗よ、FUTAHO」

「ありがとう」


 二帆ふたほさん……いやFUTAHOさんは、ソファーから立ち上がると、俺が準備していた一乃いちのさんがブレンドした健康に良さそうなハーブティーを一口飲んでから、冷蔵庫を開けて、ジッパーに入った白い粉を取り出した。

 父さんとママの会社で開発している、ソイプロテインだ。

 

 FUTAHOさんは、その白い粉をシェイカーに入れて豆乳を注ぐと、シャカシャカとよくふってからゴクゴクと一気に飲み干した。そして、


「シャワーあびてくる」


と、スタスタとバスルームへと去っていった。


 俺と武蔵むさしさんは、そんな二帆ふたほさんを見ながら、ゆっくりとハーブティーを飲む。


「悪くはないです。すすむさん、またお茶の淹れ方が上達しましたね」

「ありがとうございます……でもまだ『美味しい』とは言ってくれないんですね」

「はい。私は嘘がつけません。私が美味しいと感じるハーブティーは、一乃いちのにしか淹れることはできません」


 そう言って、武蔵むさしさんはハーブティを飲み干した。そのタイミングで、しっかりとブラとパンツをつけたFUTAHOさんがバスルームから戻ってくる。


 いつもそうだ。


 FUTAHOさんは、毎回、いつも、必ず、武蔵むさしさんがハーブティを飲み干すタイミングでバスルームから戻ってくる。

 FUTAHOさんは、バスタオルでわしわしと頭をふきながら、武蔵さんにたずねた。


「今日の予定は?」


「年末特番のスタジオのスポット参加と、年始特番のビデオ出演。あとその間に雑誌とwebコンテンツの取材がふたつ。最後にYouTube」


 FUTAHOさんは、それを聞きながらダイニングまでやってきて、瓶に入った数種類のサプリメントをジャラジャラと手のひらにおくと、ぬるくなったハーブティーで一気に飲み干した。そして母さんが洗濯したての、シワのない、だるんだるんのパーカーを着込むと武蔵さんに質問をする。


 質問は、必ず、絶対、一つだけ。


時間は?」

「残念だけど、ないわ。今日はは入れっぱなしにしてちょうだい。でも夕方までには仕事は全部終わるから、そこからは家に帰ってすすむさんとM・M・Oメリーメントオンラインを楽しめるわ」


「FUTAHOさん、今日は三月みつきも遊びに来ますよ!」


 俺は、武蔵むさしさんの説明の最後に、追加情報を付け加えた。


「ふふ、それは楽しみ! それじゃ、今日も1日頑張ろっかな」

「着替えは、車に入れてあるから」

「了解。それじゃ、スーちゃん行ってきます」

「いってらっしゃい、FUTAHOさん」


 俺は、玄関までFUTAHOさんと武蔵むさしさんを見送った。


「それでは、すすむさん、しばらく二帆ふたほをお借りしますね」


 武蔵さんが、ちょこんと頭をさげると、静かにアルファードの運転席に乗り込んで後部座席のドアを開ける。


 FUTAHOさんは素早く後部座席に乗り込むと、振り向きざまにウインクをしながら、


「じゃ、スーちゃん、今日はミーちゃんと一緒にヤドカリをぬっころすのだ!」


 って一瞬だけスイッチを切って二帆ふたほさんに戻って言った。


「出発します」


 武蔵むさしさんの声と共に、アルファードの後部座席のドアが静かに閉まると、スモークをはった車の中は全く見えなくなる。

 そして、力強くも静かなエンジン音とともに、アルファードは発信して、俺の前から消えていった。


 ん? ヤドカリをぬっころす??


 俺は玄関を閉めると、急いで自分の部屋にもどってスマホでM・M・Oメリーメントオンラインにログインした。

 ログインボーナス演出と、期間限定ログインボーナス演出と、テレビCM放映記念ログインボーナス演出のあと、初めて見るログインボーナス演出が現れた。


 そこには『新ボス!〝ガンコ=ゾディアック〟現る! 実装記念ログインボーナス』と、書かれてあって、俺は、ペットフードを5個ゲットした。

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