第14話 ゼロパーセントな信長の野望。

「はーい。では出席をとりますー」


 バインダーを持った一乃いちのさん……荻奈雨おぎなう先生が、ほがらかに声をあげる。


かぞえすすむくん!」

「はい」

「今日もよく登校できましたー。えらいえらい」


 今日も、保健室で荻奈雨おぎなう先生が、俺ひとりのためだけに出欠をとってくれる。


「そして、今日は特別大サービスですー。先生を〝お姉ちゃん〟と呼んでくれたら、いいこ、いいこ。のサービスがありまーす」

「ちょ! やめてください!!」

「えー、いいこ、いいこ。でも〝お姉ちゃん〟ってよんでくれないのー?」

「ダメですよ! てか、学校だったらなおのことダメですよ! 荻奈雨おぎなう先生……」

「はーい」


 一乃いちのさんが「ぺろりん」と舌をだして、犬のような黒目がちな瞳を細める。可愛い。

 俺は、今日もパラダイスな保健室登校を満喫していた。


 キーンコーンカーンコーン


 昼休みのチャイムが鳴る。

 癒しの空間では、時間がすぎるのもあっという間だ。

 ちなみにM・M・Oメリーメントオンラインはまだ絶賛メンテナンス中だ。


 俺はM・M・Oメリーメントオンラインの公式ページのリロードを繰り返しながら、母さんが作ってくれたお弁当をスクールバッグから取り出した。


「あ、スーちゃん、わたし、今から職員室に用事があるから、お昼は、先に食べていてー」

「わかりました。一乃いちのさん」


 〝スーちゃん〟と呼ばれた俺は、うっかり一乃いちのさんのことを名前で呼んでしまった瞬間、


 ガラリ


と、保健室のドアが勢いよく開いた。


すすむー、荻奈雨おぎなう先生! お昼、一緒に食べよ」


 三月みつきだ。毎日ほんとよく来るな……。


「ごめーん、十六夜いざよいさんー。わたし、職員室に用事があるの。スーちゃんと一緒に、先に食べていてくれないー?」

「わかりました」


 三月みつきは、きびきびと返事をすると、一乃いちのさんと入れ替わりで保健室に入ってきた。手には、お弁当と、本を2冊持っている。雑誌と漫画の単行本だ。そして三月みつきは、俺に漫画の単行本を手渡す。少女漫画だ。


「はい『信長のおねーさん』の最新刊。読むでしょ?」

「あ、うん」


 俺は、勤めて返事をした。本当は読みたくて読みたくて仕方がなかった待望の新刊だ。でも、少女漫画を楽しみにしているなんて言ったらちょっと恥ずかしいから、俺は勤めてそっけなく返事をした。


 俺は、手早く、でもありがたく母さんが作った弁当を食べると『信長のおねーさん』の最新刊を読み始めた。

 三月みつきは一緒に持ってきたファッション雑誌を読んでいる。

 俺は、そんな三月みつきを横目で見ながら、『信長のおねーさん』を読み始めた。


 『信長のおねーさん』は、織田信長の幼少期が舞台で、信長の乳母の娘との恋愛模様を描いたラブコメだ。


 主人公の〝池田いけだやえ〟は、織田信長の7歳年上で、弟の勝三郎かつさぶろうと一緒に、まるで義姉弟のように育つ。信長は、やえさんがめちゃくちゃ大好きで「俺は将来、絶対にやえと結婚する!」って息巻いている。

 やがて〝うつけもの〟となった信長は、あの手この手でやえさんにアプローチを試みるも、やえさんは「信長様かわいい♪」なーんて言いながら、大人の余裕で華麗にスルーする。


 俺は、早く立派な戦国武将になって、やえさんを振り向かせてみせる! と、ヤキモキする信長に、とにかく感情移入をしていた。とくに二学期になってから、つまり、今月に入ってから、やばいくらいの感情移入をしていた。


 なぜって?


 それは、ヒロインのやえさんが、一乃いちのさんにそっくりだったからだ。

 めちゃくちゃ美人で、ほわほわとしたちょっと天然ちっくな癒し系で、そして、やわらかそうな髪の毛をしばって、前にたらした髪型が、一乃いちのさんにうりふたつだったからだ。


 でも、俺は知っている。この物語の結末を知っている。

 信長とやえさんは、決して結ばれることはない。


 なぜって?


 それはやえさんが、架空の人物だからだ。

 織田信長が、池田恒興いけだつねおきの母親に、乳母として育てられるのは史実だ。

池田恒興いけだつねおきは『信長のおねーさん』では勝三郎かつさぶろうとして登場する。はちゃめちゃな信長にまきこまれて、いつもひどい目に逢っている)

 でも、池田恒興いけだつねおきに姉がいたという史実はない。この物語は、完全なフィクションなんだ。


 『信長のおねーさん』のやえさんと一緒だ。やえさんも、その身分のちがいから、信長の求婚をかたくなに拒んでいる。信長のことが大好きなのに、かたくなに拒んでいる。


 現代だってそうだ。つれ子どうしが結婚なんてしようものなら、ご近所さんになんて言われるか……。


 そう、当人どうしが両思いでも、姉弟のようにでは、世間の目の好奇にさらされる。


 だから俺は、一刻も早く一人暮らしがしたかった。どこか遠くの場所に住んで、そこで一乃いちのさんにふさわしいリッパな大人になって、手堅く公務員になって安定した収入を得て、一乃いちのさんに告白して、結婚したいと思っている。


 ただでさえ、この無理ゲーな野望が、とんでもない低い成功確率が、俺が、一乃いちのさんを「姉さん」と呼んでしまうと、周囲はもう完全に、俺と一乃いちのさんのことを姉弟として見てしまう。俺自身が、一乃いちのさんをお姉さんだと認めてしまう。


 そうなってしまうと、俺はもうゲームオーバーだ。俺が一乃いちのさんと結婚できる確率は、もう〝永遠のゼロ〟になってしまう。俺は、それだけはもう絶対に阻止したかった。

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