第30話 『黄昏の花』

「全く‼ なんて無茶をするんですか!」


 戻って来るなり、ロッテに叱られた。

 ハーピィを倒した後、崖の道から何とか這い上がり、平地に辿り着き、ようやく俺たちは一息ついた。


「空を飛べる魔法も使えないのに! あんなことして……リコリスさんが魔族じゃなかったら死んでましたよ!」


 そして、そこに移動している間中もずっと俺はロッテに叱られ続けていた。


「悪い……悪いと思ってるって」


 平謝りをするしかない。

 俺だってあんな無茶をするつもりはなかった。

 だが、


「……さっきから、何で俺の服をつまんでいるんだ?」

「別に?」


 隣の【魔王】が服の裾を掴んで離さない。


 ニヤニヤニヤ……。


 そして、俺の顔を見てずっと微笑み続けている。


「何だよ。言いたいことがあるなら言えよ」

「別に」

「別にってなんだよ。何か言いたいことあるからずっと離さな」 


 振りほどこうとして、立ち上がろうとした。 


 グイッ。


 【魔王】は袖を離してくれず、強く引かれた。

 そのまま俺は【魔王】に向かって倒れ込み、その腕の中に抱かれる形となった。


「おい」

「まぁ」


 見ていたロッテが顔を赤くして覆う。

 恥ずかしい。


「何やってるんだよ」

「別に」


 さっきからそればっか。


 ニヤニヤニヤ……。 


 ずっと笑い続けているし。


「ご褒美」


 少しだけ、口を開いて、俺にだけ聞こえるように囁き、体の位置をずらした。

 俺の頭を掴み、膝の上に乗せ、覗き込む。

 膝枕をされている形だ。

 それを見ていたロッテがまた、「きゃ」と声を上げる。


「ご褒美って何の?」

「私を守ってくれた」

「守っては、ないさ」


 嘘だ。


 ちゃんと守ったと思っている。

 俺が無茶をしたからこそ【魔王】はロッテ達に正体を明かさずに済んだ。

 ユノ村に居続けられるように、俺がした。そう自信を持っている。ただ、面と向かって言うのは恥ずかしすぎるので、目線を逸らした。


「ありがとね」

「—————ッ!」


 至近距離で、微笑を浮かべながら、彼女は礼を言った。

 威力がすごかった。

 美人の彼女の笑顔というだけでときめくのに、普段クールな表情しか見せない【魔王】が気を許した表情を見せると、本当に、もう、全てを投げ捨ててもいいと思えた。


「あー、あー、お二人さん。二人だけの世界に入っているところ申し訳ないんだけど、そろそろ休憩を終わりにしない?」


 ベイルが肩をすくめながら、口を挟む。

「あぁ、すまん。時間をかけた。そろそろ出発しようか」

「あぁ……!」


 立ち上がると、【魔王】は名残惜しそうな声を上げた。

 ちらりと後ろを振り返ると人差し指を加えて、寂しそうにしている。

 そんな顔見せるなよ。こっちだって、もう少しお前の膝枕のぬくもりに甘えていたかったんだから。


「で、どこにあるんだ、その『黄昏の花』っていうのは」


 いたるところに亀裂が入っている大地、メリダ渓谷を見渡す。

 足場が非常にもろい場所で少しでも油断していると、一気に崖下へ真っ逆さまへと落ちそうだ。


「そうそう、この古文書にはねぇ」

「持ってきてたのか……」


 ベイルは古文書を広げ、咳ばらいをし、


「え~……この本には、『風吹きすさぶ、闇の底に黄昏の花は咲く』と書かれています」

「風吹きすさぶ……闇の底?」


 風吹きすさぶと言うのはそのままこの地——メリダ渓谷のことでいいだろう。

 だが、闇の底というのは……。


「どこだ?」

「亀裂の中っス」

 答えは、意外な人物の口から出た。

「ルカ?」

「この山の上の平地でも、ところどころに亀裂が入っているじゃなっスか。雪山で言うクレバスみたいな」

「ああ」


 稲妻のような亀裂が至る場所に。

 そこから風が吹きすさび、ヒューヒューとやかましい音を立ててていた。


「まさか、あの中か?」

「そうッス。そこに咲く青く輝く花。それが黄昏の花っス」

「でも底ってことは……って!」


 ビュンッ! 


 俺のすぐそばでも風が吹きすさんだ。


 【魔王】だ。


 『黄昏の花』がどこにあるかわかるや否や、矢のように飛び、亀裂の中へと入っていった。

 そして、いくつもある亀裂の中に入っては、出、入っては出を繰り返している。


「あいつ……何でこんなやる気なんだ?」

「いやいや、依頼に対してこんなにやる気があるなんて、いいことじゃないか」

「そりゃ、ベイル。あんたは嬉しいだろうが……」


 なにか、何かある気がする。

 『黄昏の花』には俺の知らない、何かが———。


「ベイル。本当に『黄昏の花』は人間を〝魔族〟に変えるのか?」

「何を言ってんの? 確かにここに書いてあるから。『魔が籠る花。人なるものを魔なるものに変える神秘の花』って記述があるんだから!」


 古文書をバンバンと叩く。


「……まぁ、書いてあるだけだけど。ここにしか咲かない幻の花なんて、ユノ村の人間も忘れ去ってたぐらいだし、本当のことはわからないけどさ」


 急に自信を無くしたように、ベイルが瞳を伏せる。


「……それ嘘っスよ」

「「は⁉」」


 ルカが、また言った。

 彼女の瞳は、亀裂を出たり入ったりする【魔王】から逸らされていない。

 つまらない、どこにでもある景色を見るようにルカの眼は死んでいる。


「嘘って……何で知ってるんだ?」


「…………」


「おい、ルカ!」


 答えようとしないルカの肩を掴む。


「……その古文書。書いた人間が魔法学者。ただそれだけッス」


 俺の目線から逃げるように瞳を逸らしたまま、言う。


「どういうことだ?」

「バッシュ・パニーニ……」

「ベイル?」


 ベイルが顎に手を当てて呟いた。


「バッシュ・パニーニだよ……!」

「だから、それなんだよ? 魔法?」

「を! 作った人さ。この古文書の作者。炎ノ槍フレアランスとか土流臥ダイダルグランとかの人間が使える大魔法を生み出した、魔法開発の第一人者!」

「人間が使える……? 人間が使える魔法と魔族が使う魔法って違うのか?」

「そんなことも知らないの⁉ 魔族は基本的に詠唱を必要としないだろ? 魔族が使う魔法で、魔法名を唱えているのを見たことあるかい?」

「————ない、けど」


 【魔王】は確かにそんなことはしていないが、それは【魔王】だからだと思っていた。

 だが、レッカ火山で倒した魔王軍幹部のイフリートといい、他の魔族も、魔法を使う時に人間のように魔法名を唱えたりはしなかった。


「……ん? 話題がそれてないか? 『黄昏の花』の話だろ⁉ そんな偉い人が書いているってことは……」

「逸れてはないっスよ。そんだけ偉い人だろうが……」


「見つけたッッッ‼」


 深い谷の底から【魔王】の声が響き、


「これだろう!」


 青く輝く花を握りしめた、【魔王】が出てきた。

 茎の先端から首を傾げ、ラッパのように前部が放射状に開いた、ユリに非常に近い———青い色の花。

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