離 : AT THE END (When I'm Gone)
「永田先生、お久しぶりです」
「おぉ? おぉ……」
「教えて下さい。黒石灯さんについて」
六年前に出会った時に比べ、かなり衰えた印象を受けるその老人へ訊く。本棚に詰められた大量の本と、数枚の絵画で埋め尽くされた壁の書斎。そして鎮座するアンティーク調の立派な黒い木製の机で彼は飲んでいた紅茶のカップを置いた。
「オオゼン、リク……」
嗄れた声を呟き、杖を突きながらゆっくりとこちらへ向かってくる。そして、優しく私を抱擁した。
「約束を破ってしまい、すいませんでした」
私は漸く謝罪する事が出来た。
「うむ……。これを」
彼は振り向き、机の上に置いていたファイルを手に取り、私へ渡す。
「黒石 灯(クロイシ アカリ)。君と同じく六夢に魅入られ、『夢境入り』をしてしまった可哀想な子だ……」
永田先生はゆっくりと一人掛けのソファへ腰を下ろした。そして、私もその向い側のソファへ座る。ファイルを捲ると、夢境入り以前までの略歴と個人情報が載っていた。そして当時の彼女の顔と、もう一枚別の真新しい写真。
「彼女も君と同じ九歳の時に夢境入りを行い、十五年間の眠りについていた」
「いた?」
「彼女の両親が親権を破棄し、脳死として扱われ安楽死の処置を施された。その生前の写真が、その二枚目の写真だ」
「それはいつです?」
「六月十三日じゃ」
その日付を聞き、驚くと共に、同時に納得もした。
「何か知っていそうな顔だな。ひとつ、死に際の老人に夢境での土産話でも聴かせてくれんか」
私は先生の目を視る。
「……辛い思いをしただろう。家族にすら信じて貰えない様な日々を……」
私は思わず視線を下げる。絶望の日々、それは今も続いている。そして私はもう一度顔を上げ、その六年の漂流の顛末を洗いざらい先生へ話した。
「なるほどな……」
先生が立ち上がり机に向かおうとしたので、私も咄嗟に立ち上がり先生の身体を支える。
「夢境から現世を覗いていたお陰で、そんな大人びた子になってしまったのかの?」
先生は先程より少し元気そうに私へ言った。
「皮肉ですが、私はそこで人間の綺麗な部分も、汚い部分も学んでしまいました」
「そうかそうか。君はその状況下でも絶望せず学び、戦っていたのか。偉いな」
震える右手で、私の頭をぽんと優しく撫でる。そして彼を机の椅子へ案内する。もう冷めてしまったであろうカップを取り紅茶を一口啜った。
「六夢は、アイツは意識を喰う本能を取り戻し、この世をうろついているんだな?」
「えぇ、恐らく」
「実は君は夢境入りしてから、この○×県を起点に全国的に植物人間となる人間が急増した。恐らく、ヤツに意識を喰われた被害者達だ」
先生は引き出しから別のファイルを取り出し、私に差し出す。
「そんな……」
「狙われた対象は全て二十三〜二五歳の女性のみ。そして、黒石灯の享年は二十五歳」
「そして黒石の肉体が死んだ日から、『火花』は動き始めた」
「何か繋がりがあるとは思わんかね、夢怪盗さん」
「えぇ……。ですが、私この世界に戻ってきてから、能力が使えないんです。もう、普通の人間に成ってしまったみたいなんです……」
「眠ってみればいいじゃないか?」
先生は単刀直入に言う。
「君たち夢境の人間達は全て“夢”と何で繋がっているんだ」
「ですが、いくら頑張っても眠れないんです」
「あぁ、そうか。その目の隈……」
憐れむ様に私を見上げる。そして一息置いた。
「君の友人にはもう会ったかね? その生身の身体で」
もう七月に入り五日が経っていた。急激に上がる気温と湿度が身体を尚更重くさせる。眠っている間もベッド上で看護師によって簡単なトレーニングは行われていたらしいが遥かに筋力は落ちているし、何よりこの二十センチメートル近く伸びた背丈に自分の感覚が追いつかない。数年ぶりに感じる茹だる様な暑さを噛み締めながら愛美の家を訪れ、再び涙の挨拶をした。そして優の眠る病院にも。
「優。私、戻ってきちゃった」
病室は二人きりにしてもらった。
「どうしたらいいんだろう。ねえ、教えてよ優……」
窓際のテーブルの上に花束を置き椅子に座る。彼女の右手に私の左手を被せる。たしかに生きている温もりを感じる。身体は生きているのに……。
陸が必死に走って逃げている。背後から迫る“何か”から。
「アアアア……ッ!」
それは巨大な口を開け、低い唸り声を上げ不気味に光る赤い目でこちらを見ながら迫り来る。それは人喰いと化してしまった六夢か。そして遂に追い付かれ、私の首元に口を近付け、食い千切ろうとする。
その瞬間私は飛び起きる。
「ハァ……ハァ……!」
私はバランスを崩し椅子から転げ落ちる寸前だった。卓上の時計を見るとここに来てから十分と経っていなかった。この間に一瞬にして眠りに落ちたのか……? 今のは夢? それとも六夢がやって来たのか? 自然と鼓動は早くなったまま。
「だが、私も夢を再び見られる様になったという事……。ありがとう、優」
私は眠ったままの親友へ挨拶し、病院を後にした。
「あぁ……もう限界だ。私の、私が、破壊衝動を抑えられない……」
暗闇の中、一人の少女が膝を抱えて啜り泣いている。身体が無くなった以上、もう六夢と遭遇する事も出来ない。この夢境と無の間の空間から抜け出す事も、“死ぬ”事も出来ない事を悟った『火花』。
左手を伸ばし人差し指で地面をなぞる。するとなぞった部分が黄色く発光し、そして爆ぜる。パチパチと音を立てる地面から宙を浮かぶ夢達へ目を移す。そしてまた左手を伸ばし、一つの夢へ狙いを定める。
「プヒュー」
そう呟くと、その夢が一瞬にして火に呑まれ消えて行った。別の浮かんでいる夢へ目が行く。
「……アハ。美味しそうな夢」
そう彼女は自分に言い聞かせる様に話し、見つけた夢へ飛び込んだ。
「ユウくん〜。もう! 早くしないと遅刻しちゃうわよ!」
二十台後半くらいに見える女がキッチンから声を掛ける。
「わーってるって〜」
「んも〜!」
そう言いつつも、女は旦那らしき男に近寄りネクタイを締め直してあげる。そして軽い口付けをする。無言で向き合う二人。
「今日も綺麗だ」
そして男の方からキスをまたする。一気に紅潮する女。
「バカ! はよ子供の為に働いてこい!」
「それじゃ、パパは仕事いってきまちゅよ〜」
その女の膨らみのある腹に顔を近付け言う。そして男がお腹に手を当てた瞬間。
「蹴った! 今蹴ったわ!」
「元気だなー! もうパパに反抗期か?」
「ママの方が好きだもんね〜?」
「ハイハイ。じゃ、行ってくるよ」
「いってらっしゃい〜」
そう言い残しこの幸せな空間から男が出て行こうとする。まるで安いドラマのワンシーンの様だ。こんなベタな幸せを描く人間がいるのか。だが、言うまでもなく美味そうで、憎たらしい夢だ。
火花は女の部屋に出現し、玄関を見守る女の背後を取る。右手をその女に向ける。指先でバチバチと小さな爆発が踊り火花が閃光を散らす。
「うらやましい」
そう一言溢し、その火花を女へ向け放とうとしたその瞬間。その女がこちらを振り向く。私が見えている? そう思った瞬間、火花の右手を二十センチメートル四方の巨大な金属の様なブロックが包む。
「なァっ!?」
そして女が右手を更に振りかざすと、左手、両足首にもその金属の塊が纏わりつく。そして何かの力に依って押さえ付けられる様に壁際まで後退させられ、壁にその金属が接着される。磔の様な体勢だ。
「お前は、六夢!?」
「違う。私は、リクムだ。アンタを探してた」
いつの間にかその妊婦の女は、女子高生くらいの見た目に若返っていた。白髪が美しい。やはり六夢を連想させる。
「私を探して……?」
「黒石灯。私と同じ様に『夢境入り』し、怪異へと成り下がった女」
「私が『怪異』だと……!?」
怒りが灯を支配する。身体中の内側から炎が湧き起こり、リクムへ向け火花が放たれる。だがしかし、リクムの前にはまるで透明の壁があるかの様に火花達はそこへぶつかり、儚く消えて行った。
「こぉの野郎……!」
次は自分の両手に意識を集中させ、縛り付ける金属へ熱を送り込む。リクムを激しく睨んだまま両手に火花を散らし金属を溶かそうと試みる。熱を持った金属の表面が赤く光るが、塊の腹中でバチバチと音を立てるだけでまるで効かない。むしろ自分の身体を火花が蝕み始める。
「アアアア!! 熱いよオオオオッッ!!!
「諦めろ『火花』。ここは私の夢の中。私が神だ」
そしてリクムは、大前陸は。自らの左手首に遺された傷を見せる。
「アンタが幸せな若い女、お前の同世代の女に嫉妬し、爆破させているだけの存在だと分かった。その時から私は幸せそうな夢を作っては毎晩お前を待った。五日。私の直感でその間にお前は出てくると思った。同時に私が意識を集中して夢を創造出来る限界だとも思っていた。そして今日が五日目。明日来られていたら、私はアンタを見逃していただろう」
「……」
「六年前、アンタは私を救おうとしてくれたのか?」
その小さな傷。灯はそれを視て思い出す。
「お前は……あの時のガキか……」
ぐったりと項垂れ、思わずフッと苦笑いが零れ落ちる。
「やっと来たか……。『火花』、綺麗な名前を付けてくれるじゃないか」
灯の手足を縛っていた金属が消え、力無く床にぺたりと座り込む。その様子をじっとリクムは見ている。
私は小学校四年生の頃、学校の図書室で読んだ『六夢』の存在に心惹かれた。私は内向的な子供で、友達は居らず、ずっと図書室に籠って本を読んでいた。本こそが友達だったのかもしれない。そんな私の心に唯一興味を抱かせた存在が六夢だった。私はすぐに他の文献も漁り、そしてとある本を書いたという初老の男にも会い、六夢とは、夢境とはを調べた。そして調べていくにつれ益々興味が湧き、魅了された。そして私が『夢境入り』を試したのは、当然の結果だったかもしれない。
私は放課後の図書室に隠れた。皆が下校した後、儀式を行った。そして夢境世界へ入る事が出来た。そして出会った。怪異『六夢』に。だが“彼女”は夢を喰って優雅に楽しんでいる様な存在では無かった。夢では食い足らず、ヒトを喰う事を渇望する化け物だった。現実世界に干渉出来ず、ヒトを喰えない呪いに呪縛されているだけの存在だったのだ。そんな場所へ私が“捧げ物”として入ってしまった。彼女は私の夢と意識を喰おうとした。巫女との契約を破棄する良い理由作りにもなるからだ。その時、私が図書室で今見ている夢が夢境の空を舞っていた。私はその自分自身の夢を掴み、そして握りつぶして破壊した。
その瞬間。私は夢境とは別の空間へ飛ばされてしまった。追い出された、というべきなのだろうか。自らの夢を破壊した事で、夢の世界には居られなくなったのだろう。夢境と無の世界の間で死ぬ事すら出来ず。私はただその世界に止まった。
だが人間が見ている夢は、――君も見た事があるだろうが――この世界にも宙を揺蕩っており、覗き見る事が出来た。そして私は昔の文章を思い出し、夢を食ってみようと一つの夢に触れてみた。しかし、夢に触れた瞬間、その夢は火花を散らし消えて行った。その時に私は夢を食う存在では無く、夢を破壊する力。君の言う『火花』の能力に目覚め、六夢とは別の存在へと昇華してしまった事に気付いた。
そしてこの空間に来て気が遠くなる程の時間が過ぎた頃。夢とは違う、何か別の物体が二つ、宙を舞っているのを見つけた。私はしばらく使っていなかった脳みそを久々に使った気がした。そしてその後ろをもう一つの物体が追いかける様に飛んでいた。そして先を飛んでいた二つが、ふと消えた。まるで無い壁に突き当たり、そしてそこを擦り抜ける様に。私は咄嗟に思った。あれは夢境へ入っていくヒトの意識、魂とでも呼ぶべき物なのだと。ここは夢境へ入る道の途中にある空間なのだと。私は気付いたら後を追っていたもう一つの物体に、魂に触れていた。その瞬間。君のビジョンが見えた。君が味わっている五感。床の振動、教室の匂い、友人の手の温もり。だがしかし、私の手は触れた物を壊してしまう。君の手に残した様に、傷つけるだけで夢境入りを阻止する事も出来ず。ただ……呆然とその現象を視る事しか出来なかったんだ……。
嗚咽を漏らしながら、灯は涙をぼたぼたと溢しながら言葉を綴った。
「ありがとう、私を救おうとしてくれて」
陸は彼女の前に膝をつき、そっと抱きしめた。
「ごめん。ごめんね……何も出来なくて……」
二十五歳の身体のイメージをしているが、中身はあの時の小学校四年生のままの彼女。私と同じだった。
「なぁ、私にも聴かせてくれよ。どうやったら六夢と同じ能力を使える様になったんだ?」
「私は……私は自分の夢を食べた。そうしたら六夢に見逃されたんだ」
「成る程。壊すんじゃなく、食うだけでそう成れたのか……そっか……。なんだか悔しいなぁ」
私を優しく離し、空を見上げながら灯は泣いた。
「私だって普通の女の子としてまだ生きたかった」
ポツリと彼女は呟く。
「私だって、もう普通の女の子ではなくなってしまった」
そう陸も言い返す。
「でも私は……」
「でも六夢を倒せば、まだ希望が――」
「私には無いよ。だって私は、現実にはもう居ないもの」
「現実世界の身体……」
二週間程前、黒石灯の植物人間状態だった身体は焼却され、既に埋葬されていた。
「六夢を殺して意識が戻ったとしてもどうなるか分からない。そう、私は自暴自棄だ。これからも夢を、ヒトを傷つけるだけの、唯の存在する何かででしか居られない」
「一緒に六夢を倒すという選択肢は」
「ムリだね。私は夢境を追放された身。六夢を殺したいと心の底から願っていても、アイツを見ることすら出来ない」
「あなたの身体を殺したのは、六夢の仕業?」
「ああそうだとも。私の両親の夢へ侵入し、夢の中で私を捨てる様に暗示をかけたんだ。何ヶ月も時間を掛けて、洗脳して。そうに違いない」
バチバチバチと火の粉が灯の身体から舞う。
「お願いだ、リクム。どうか私を殺してくれ。その食覚の能力で私を」
怒りと悲しみが同居する彼女のグレーの瞳は、穏やかで、綺麗で……。
「お願いだ……。もう疲れたんだよ……。私自身の怒りの炎が、私自身を喰おうとしてる……もう限界だ。その前にどうか死を私に……」
嘗て私が死を望んだ様に、彼女が私に懇願してくる。私は躊躇う。
「私は、あなたに六夢を倒す手助けをして欲しかった……。アンタを殺す為に会いに来たんじゃない」
「声がするんだ……。今まで夢を爆破した女の声が、私自身の叫び声が、ゾンビの様に反響して……」
思わず後退りした陸へ対し、地を這い忍び寄る。
「早く……、私の炎がお前を、お前の家族や友達を焼く前に、早く……助けてくれ!」
火花がリクムの右足を掴む。そして火花の手から灼熱が伝わってくる。
「今私を喰わなければ、お前が燃え尽きてしまうぞ」
「やめ……現実に帰れなくても、何か他の道が」
口早に陸は言葉を続ける。
「無意味だ。さぁ、どうする! ここで彼女らを救えぬまま、私に燃やされるか!」
火花の炎がリクムの下半身を包む。右足に鋭い痛みが駆け抜け、そして膝から下が消し飛ぶ。
「うわあああああああアアアアアアアア!!!!」
陸の全身が真っ黒に染まる。黒い粉塵を撒き散らしながら不気味な低い叫び声を上げ、目は真っ赤に燃える。消された右足が黒い何かによって再び形成される。そして口が自らの口角を引き裂き、大きく開かれる。
「これが、六夢の力……! バケモノ……」
身の毛がよだつ。圧倒的なその力に。
「そうだ、それで良い……」
灯は最後にそう呟き、そっと受け入れる様に目を閉じた。
黒石灯の首に食らいつき、一気に身体から引き千切る。
グシャ、と首を切り落とされた灯の身体が地面に横たわる。灯の頭蓋骨を噛み砕き、咀嚼し、呑み込む。同時にリクムが形成していたその夢の世界も崩壊し、夢境の様な真っ暗な空間へ還っていく。
「アアアッ!!? アア、アアアアアア!!!」
リクムの号哭は真っ黒な世界を劈き、辺り一面を真っ白な空間へ変えてしまう。リクムは赤い火の涙を流しながら徐々に大前陸の姿に戻って行った。
「……」
その真っ白な空間で横たわり、陸は呆然と涙を流していた。これが怪異の最期なのか。これが六夢に魅了されたヒトの最期なのか。投げ出された陸の左手には、火花の痕はもう無かった。
彼女を喰った瞬間、彼女の記憶、感じた喜び、悲しみ、匂い、手触り、痛み。全ての情報が自分の体内へ流入して来るのを感じた。その情報量を受け止め切れず、脳が焼き切れそうな思いがした。これを喰って快楽を得る六夢は、やはりバケモノだ。私はアイツとはまだ違う。
その時、背後から気配を感じる。すばやく身体を起こし、後ろを向く。そこには六夢が立っていた。
「やぁ」
そう飄々と挨拶してくる。
「そろそろ夢境を……」
そう言いかけた時に、私は自らの左手首を右手の指先で触れ、爆破する。
「ッ!!!」
息が出来ず、私はベッドの上で飛び起きる。必死で呼吸を整える。シャツが汗に濡れ身体にへばり付いている。私が恐れていた事。それは眠り、夢を視られる様になった時。六夢が私へ気付き、近付いてくる事。
起きるとそこは私の部屋。六年前から変わっていない部屋。真夜中の暗い部屋に外の薄明かりが差し込んでいる。蒸し暑い。私はクーラーの電源をつける。四角い箱は低い唸り声を上げながらぬるい風を送り出し始めた。
六夢は人間界を放浪していた。この○×県から範囲を広げ、各地で意識を喰い漁った。恐らく理由は今までの空腹を満たすと共に、火花・黒石灯の殺害。灯の話で漸く解った。六夢と火花はお互いに干渉する事が出来ない。その為、六夢は灯本人の身体を消す事によって、間接的な死を齎そうと考えたのだろう。黒石灯も私同様、植物人間として十五年間×△県にある非営利団体が運営する慈善病院によって生かされていた。だがしかし、灯を殺そうとする理由が分からない。単純に邪魔と感じていたから? 彼女が居る事で何か不都合な事が起きるのだろうか? それはアイツ本人にしか分からない。とにかく、六夢は彼女の眠る病院を見つけ出した。そして彼女の両親に遂に接触し、彼女の身体を破棄する様に夢を改竄した。……まさか、私を誘き出す為に……?
陸は一人、強烈な日差しの下で緩く長い丘を登っていた。そして木々が開け、大量の墓標の並ぶ地へ辿り着いた。そして教えられた場所へ着く。小さな墓、いやまるで金属のただのプレートの様な簡易的な墓石に『黒石灯 1996-2021』の文字が刻まれていた。掘られた文字は真新しく、綺麗だった。彼女が眠っていた慈善病院の近くのこの地には、同じ様な簡易的な墓が幾つも建てられていた。
私は花を添え、手を合わせる。どうか安らかに。そう祈った。
その夜私は眠りにつき、夢を見るのではなく夢境世界へ帰って来た。そして現実の私自身を覗いてみる。まるで幽体離脱した様な感覚だった。そしてやはり、アイツは居た。私の左横に立ち竦み六夢が私の寝顔を見下している。今現実世界へ降りたら、六夢を認識出来るのだろうか、アイツから私は視えるだろうか? そう思った瞬間、部屋の上の方から覗いていた私の方を六夢が見る。私が今までに見たいつもの余裕のある笑顔ではない、氷の様に固まった無の表情だった。そしてその目はまるで“お前が見ているのは分かっている”とでも言いたげに。
既に八月に入ってしまい、私は再び眠れない日々を送っていた。だが現実世界で横になったままで居る訳にもいかないので私は地元の高校への編入を目指す事にした。夢境から授業を見ていた、と言う訳にもいかないので猛勉強しているアピールを周囲にし、家庭教師と塾で勉強漬けの日々だ。当然勉強する内容も既に高三の内容までは履修済みの為、周囲からは飲み込みが恐ろしい程早いと悪目立ちしてしまい否応無しに注目の的にされてしまった。これまでの経緯や外見も含めて。
「オーゼンちゃん、地毛が白とかめちゃカッコいいよね〜」
「髪染め易そうでいいな〜」
「いや、目立つし、黒に染めたいと思ってるよ」
「えー! 勿体ない〜」
いつも塾で話し掛けてくる子達を適当にあしらう。勝手に私の白髪を触られ不愉快だ。
この子は援助交際をして金を稼いでいるのも知ってる。そしてこの子は学校でのイジメの首謀者。そしてこの子は彼と学校でクスリを売り捌いている……。クソみたいな裏事情を私は夢境から眺めて知っている。これが私の妄想だったらどれだけ良いか。こうやって表面上はフツーの子を装って私に近付いてくるこの子達の、扱いが分からない。六夢の能力は私の様な人間が持つには宝の持ち腐れ、必要ないモノなのだ。私は現実世界に帰って来てから常々思う。その癖、囚われた友人二人を助ける事すら出来ない。不甲斐無い。そうして自分の負の思考スパイラルへ陥っていく。
優と愛美。二人と同じ中学に行っていたのだろうか。同じ高校に行っていたのだろうか。優は賢いから、別の進学校に行っていたかな。愛美は、自分のセンスを活かす為に美術の専門学校とかを目指したりしたのかな……。
そんな事を思い浮かべていると涙がボロボロと落ちてくる。
「ちょ、オーゼンちゃん大丈夫?」
「ごめん、大丈夫だから……」
「お前ら〜次の授業始めるぞ〜」
講師の声で皆が気怠そうに立ち上がり教室へ戻っていく。私は一人休憩スペースの机に突っ伏した。
六夢を、叩く。右手を強く握り込み、その手を睨んだ。
私の部屋の入り口の取手に、スーツカバーが被せられたハンガーが二つ掛かっていた。カバーを取ると、中にはグレーの美しい服が居た。私が入学する予定の高校の冬制服だった。それとジャケットのポケットに何かが刺さっていた。それを引き抜き中を見る。
『陸へ。 制服届いたよ。着てみてね。早く学校に通えるといいね! あと、今日は仕事で遅くなりそうなのでハンバーグ作り置きしてるよ。 母より』
「……ありがとう……」
そのメモを読み一言呟く。そして再び綺麗に折りポケットへ仕舞う。そしてハンガーを持って部屋へ入る。
私の学習机の上はすっかり高校の教本だらけになっていた。その机の端にハンガーを掛け、冬服の制服へ袖を通す。そして姿見を見た。
ぶわと再び涙が溢れ出す。可愛い制服。サイズもピッタリで似合っている。未だ自分の姿を自分だと認識出来ない。白髪の似合う女の子がこちらを見ながら泣いている。私は鏡に手をあてよく見る。鏡の中の子も手を合わせて来る。私なんだ。優と愛美が手に入れられなかった未来を私は見ているんだ。私は自力で立っていられなくなり膝から崩れ落ちた。
「ごめんねぇ……、絶対助けるから……!」
「そろそろ寝ろよー、めんどくさいなぁ」
六夢は眠る陸の横顔を眺めながらぼやく。夢を見れば私に喰われると分かっているのだろうが、今のお前の身体は普通の人間なのだ。永遠に寝らないなんて無理だろう。たとえ夢境に隠れて居ようとも。
その時であった、何かが背後にいる気配がし後ろを振り向く。それと同時に六夢の右腕を炎が包み、付け根の肩から消し飛ばす。
「こんのガキがァァァ!!」
六夢は慌てふためきながら身体を翻し、陸の部屋の壁をすり抜け外へ逃げる。そして体を浮かせたまま体勢を立て直し、陸の部屋を見る。
壁をぬるとすり抜け、リクムが姿を現す。
「やぁやぁ……。久しぶりなのに随分なご挨拶じゃあないか……」
「六夢……。やはり夢境経由であればアンタに触れる事が出来る」
「さっきの炎。さてはお前、黒石灯を“喰った”な?」
ニヤりと不気味で不愉快な笑みを私に向けてくる。
「んフフ。私も他の怪異を喰った事は無かったなぁ……。だが、お前が喰えたという事は……!」
その瞬間、六夢の姿が消える。
「私にも喰えるという事だッ!」
次の瞬間にはリクムの背後を取り、一気に距離を詰めてくる。そしてその姿は、陸が灯を喰った時の様な化物へと変貌していた。
「くっ……」
飛びかかって来る六夢をギリギリで避け、リクムは再び六夢へ向け火花を放つ。
「二度も通用するかッ!」
六夢は優雅に身体をロールさせ火花を避ける。そしてリクムの目前へ一気に迫る。
「ざまぁねぇな!!」
「火花!」
リクムが叫ぶ。全身を炎が覆い真っ白な閃光を放つ。そして六夢がその閃光へ噛み付く。手応えが、喰った気がしない。
「変わり身か!?」
そう六夢が思わず叫んだ瞬間、背後から現れたリクムが彼女の左腕へ触れ、左腕も肩から吹き飛ばされる。
「クッソァァァーーッ!」
叫びも虚しく、バランスを崩したまま六夢は無様に地面へ叩きつけられる。そして叩きつけられた先は、図らずも優の家の目の前であった。
地面を這う六夢の前にリクムも降り立つ。そして右手を六夢の脚へ差し向け、その両脚も爆破する。
「ガキが……クソ……」
「私が夢境で夢を食った事で、私があの世界の主人となってしまった。そしてアンタは食覚本能に従う等と云っていたが、火花……黒石灯と同様にあの世界から締め出されただけだ」
手足の無い六夢へ跨るようにしてリクムが見下す。六夢は諦めた様にリクムから目を逸らす。
「解っていたのか……。私もああいう経験は初めてでね。まさか自分が夢境に見放されるとは……」
六夢はぽつりと言葉を紡ぐ。
「黒石灯。十年ほど前に私を訪ねて来たあの子は、自らの夢を破壊する事で私とは別の存在と成った。それも初めての体験で、私にも彼女の存在がどういうモノなのかが分からなかった。だが君達が夢境を訪れた時、彼女は現実と夢境を繋ぐ間に居るのだと分かった。そして私が夢境を追われた。ならば“門番”である彼女を殺せば戻れるのかと思った……」
六夢はそっと目を閉じる。
「だが彼女の肉体的な死を以てしても、彼女の魂はその無の空間に居続けた。そう、まるでまだやり残した事が、やるべき事があるかの様に……」
そこで陸はハッとする。
「まさか、私に喰われる為に遺っていた……!?」
「だろうね。彼女の能力は現実世界にも、そして私にも干渉する事が出来る。だが彼女は私には会えない。だからその力を、君に残したかったのだろう……」
六夢を形成していた身体がボロボロと崩れ出す。
「私は、夢境世界で永遠の時間を過ごしたかった訳じゃない。こうやって終わりが見れてよかったよ」
「な、何を言っている……?」
「さぁ、私を喰え。私が消えれば、お前の友人達は助からんかもしれんぞ?」
「アンタを喰えば、二人の意識は戻るのか?」
「さぁ? 喰われた事ないから分かんないよ」
「……」
六夢を殺せば二人が戻って来られるかも知れない。だが同時に、コイツを殺しても二人が戻らなければ、他の道を探る事すら出来なくなってしまう……。この自問自答は今まで何度も何度も何度も……ッ!
「私を喰え! そして新たな六夢へ生まれ変わるのだ!!」
「違う……私は、私達は、リクムだ」
再び陸の身体を黒い煙の様なものが渦巻き、リクムは目だけが赤く光る化け物へ変わって行った。この瞬間を、私は六年待っていたのだ。力無く横たわる六夢の頭に食らいつき、そして両手で六夢の首元を押さえつける。
六夢の頭部が胴から千切られ、リクムはその頭を丸呑みにする。その瞬間、今まで喰ってきたであろう人々の意識がリクムの脳内へ逆流してくる。声ともつかない獣の叫び声が陸の町へ響き渡る。何百、何千の人間の記憶の濁流の中、一瞬、優と愛美の顔が見える。
そして、リクムは一人の少女の目の前に居た。
「ロクムーん! 今日は何してあそぼっか!」
健気で可愛らしい着物を着た少女。私をロクムと呼んでいる。
「ロクム……?」
そう首を傾げる少女の、首を私は食い千切っていた。
口内から血の味が溢れかえる。呆然と空いた口の隙間から血がボタボタと零れ落ち地面に血溜まりを作る。そして横たわる首のない少女の身体。これが、六夢が最初に喰った時の記憶なのか。そして記憶の濁流は一巡する。
私は六夢を呑み込み、自らを呑み込み、私自身が夢境という概念へと変わってしまっていた。
× × ×
病室のベッドで、ゆっくりと優が目を開ける。
「ああ優! 本当に起きたのね、優!」
一筋の涙が優の目から落ちる。
「りく……」
「優、お母さんが分かる!?」
優の母が彼女に抱きつきながら泣き叫ぶ。だが優は、つい先ほどどこかで陸に会った様な、奇妙な感覚に囚われたままだった。
「ママ、りくちゃん、知らない……?」
「りくちゃん……。陸ちゃんが、そろそろ優が起きるって教えてくれたの。そしてこれを優に渡して欲しいって」
そして母は一通の手紙を優へ渡す。
『優ちゃんへ。
これを読んでいるという事は、二人とも無事に眠りからさめる事が出来たのだと思います。
あなた達は六年という長い時間をねむっていました。自分自身、そしてまわりとの違いにおどろき、とまどうと思います。
ですがどうかゆっくり、今までの時間を取り戻すようにたくさん遊んでください。
色々な事を知って、感じて、人生を楽しんでください。
夢境は、そして大前陸という存在は無くなってしまっていると思います。
ですがどうか悲しまないで下さい。どこかで悪夢でも食べて皆を見守っています。私はいつでも一緒に居るよ。
親友、そして夢怪盗団の仲間より』
怪異『六夢』 @Trap_Heinz
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