エクストラエピローグ①:美咲の決意

「……ここは……」


 私を包んだ眩しい光が消えた後、私は目の前の光景に、自然とそう漏らす。


 六畳一間。

 ベッドにテレビ、タンスなんかが並んだ、飾りっ気のない殺風景なフローリングの部屋に立つ私。

 異世界らしさをない部屋を見て、私は妙な懐かしさを覚えた。


 ……ここは、孤児院だよね。

 という事は、本当に戻って来たのかな……。

 それとも、あれって、夢だったとか?


 ロミナさん達の姿もないその部屋をゆっくり見回した後、壁に備え付けられた姿見の前に立ってみた。


 鏡に写った私の服は、所々ほつれが見える、少し汚れた制服。

 ふと、握っている何かに気づいて手を開くと、そこにあったのは真葛さねかずらに似た花のブローチ。


  ──「ミサキよ。これでお主も晴れて、聖勇女パーティーの一員じゃ」

  ──「そうだな。頼りになる仲間の事、ぜってー忘れねえからな」

  ──「うん。絶対、忘れない」

  ──「あれだけ見事に巻物スクロールを操った仲間だもの。忘れようがないわ」

  ──「はい。共に試練に挑み、乗り切った事。決して忘れません」

  ──「ミサキちゃん。私達も、あなたがいてくれたからここまで来れたの。だからこれからも、聖勇女パーティーとして胸を張って、頑張ってね」


 ロミナさん達に掛けてもらった別れ前の言葉。

 それらがはっきりと物語っていた。

 私はやっぱり、異世界に行ってたんだって。


「帰って、これたんだ……」


 そんな現実を実感し、独りごちる。

 ふつふつと沸きあがる喜びを噛み締めていると、突然部屋のドアが開く音がした。


「あら。美咲。こんな所で何をしているの?」


 姿を見せたのは、きょとんとした顔をする、修道服を着たシスター。

 ……以前と変わってない、よね……。

 私の記憶にあるのと同じシスターの姿に、私は胸を撫で下ろす。


「あ、あの。実は──」


 ……あれ?

 私は理由を答えようとして、ふと気づいた。

 そういえば、何で私、この部屋にいたんだろう?

 異世界に飛ばされた時の事は覚えてる。覚えてるけど、何で私はこの部屋に入ったの?

 別に自分の部屋じゃないのに。

 ぱっと見、生活感のある部屋だけど、この部屋に誰かいたっけ……。

 記憶を追いかけてみたけれど、私の中でここに住んでいた人に心当たりなんてなかった。


「……美咲。どうかしたの?」


 はっとすると、シスターが私を覗き込んでいる。


「あ、いえ! ごめんなさい。この部屋、誰かいたかなって思って。あははは……」


 そんな彼女に、私は慌ててそう取り繕ったんだけど、それを聞いたシスターは、頬に手をやり首を傾げた。


「美咲も知らないの。困ったわね」

「え? シスターも知らないんですか?」

「そうなのよ。ここに住んでいた子は無事自立して出て行ったような気はするのだけど、誰なのかが全然思い出せなくって。やっぱり年は取るもんじゃないわね」


 苦笑したシスターも、何かヒントを求めたのか、周囲に視線を巡らせる。

 でも、その表情で、やっぱり思い出せていないのがすぐ分かった。


「この部屋をそのままにしてても良いのだけど。また新しい子を受け入れる事になったら、流石に片付けないとかしらね」


 そんな事を口にしたシスターは、再び私を見る。


「そういえば、随分と制服がボロボロだけど……学校でいじめに遭ったりなんて、していない?」


 ……あ。

 彼女の心配そうな顔に、私は慌てて両手を振り否定する。


「全然そんな事ないから大丈夫です! 学校帰りに友達と競争した時、転んじゃっただけで」

「そうだったの。走る時は気をつける。子供達にも言い聞かせてる側なんだから、あなたも気をつけなさい」

「はい。ごめんなさい」

「でも、流石に明日その制服で行くのは可哀想ね。後で予備の制服を出しておくわね」

「はい。ありがとうございます」

「汚れたままも嫌でしょ。子供達はもうお風呂済ませてるから、ささっと入ってらっしゃい」


 取ってつけたような理由だったけど、シスターは納得したのか。優しい笑顔でそう返してくれた。


 確かに、冒険で結構汚れたし、久々にゆっくりとお風呂に入りたい。

 そう思ったんだけど。私は心にぽかんと空いた穴と、この部屋の謎に後ろ髪を引かれちゃって、思わずこうお願いしていた。


「あの。もう少しだけ、この部屋にいてもいいですか?」


 そんな私を少しの間じっと見ていたシスターは、次の瞬間、何時もの優しい笑みを見せてくれた。


「ええ。構わないわ。もし誰の部屋か思い出せた時には、私にも教えてね」

「はい! ありがとうございます!」

「あと、明日も学校なんだから、夜更かしは程々にね」

「はい!」

「それじゃあね。ごゆっくり」


 私にそんな釘を刺すと、シスターは踵を返し、ゆっくりと部屋から出て行った。


 ……シスターですら、誰が住んでいるか知らない部屋?

 それが、私に強い違和感をもたらした。

 だって、シスターはここを去っていった孤児達の事を忘れなんてしない、凄く物覚えがいい人。そんな人が、この部屋を離れた孤児を忘れるはずない。

 しかも、数十年前っていうなら別だけど、この部屋はまだ全然生活感が残ってる。

 それで忘れてるなんて、有り得ないと思うんだけど……。


 もやもやとしながら、私はテレビと反対の壁に面したベッドに腰を下ろすと、そこからじっとテレビを見る。


 ……何でだろう。

 この光景に妙な既視感がある。

 それなのに、何時、どんな時に見ていたのか、さっぱり浮かんでこない。


 何か、手掛かりになるようなものは……。

 その場で部屋を眺めていると、ふっとテレビ台の下にあるゲーム機が目に留まる。

 この光景を覚えてるんだとしたら、ゲームでもしてたのかな?

 私はおもむろにテレビに近寄り電源を入れると、ゲーム機の電源も入れてみた。


 テレビ画面に映ったのは、軽快な音楽と共に流れる、マルオカートのオープニング。

 これなら確かに、私も遊んでそう。友達ともたまに遊ぶし。

 自然にコントローラーを手に取るとベッドに座り直し、握っていたブローチをスカートの上に置くと、そのまま記録されているベストタイムの分身と戦えるモードを選んだ。


 ベストタイムの二位、三位には、MSKの三文字が。そして一位には、KAZの三文字がある。

 二位と三位は、多分私かな……。

 でも、何時やったんだろう? それに、一番上のKAZって……。


 心にあるもやもやを拭えないまま、私は何気なく一位のデータをロードして、ゲームをスタートした。

 ベストタイムだけならほとんど僅差だったけど、異世界に行っていて全然ゲームなんてやってなかったから、全然上手く走らせられない。


「ああっ! もう!」


 私が下手なのもあるけど、何でこの人こんなに上手いのよ!

 分身の滑らか過ぎるコーナーリングを見せつけられて、それにむかっときて、私の闘争心がメラメラっと燃え上がる。

 何度もリトライを繰り返し挑むけど、中々ベストタイムの分身に追いつけなくって。私は絶対勝ってやるってムキになっていた。


 何度も。何度も。

 気づけばさっきまでの事なんて忘れて、黙々とゲームを続けてた。

 そして、何度目のチャレンジだろう。

 私はやっと、ベストタイムの分身より早く、チェッカーフラッグを受けた。


「やったぁっ!」


 思わずコントローラーを放し、両腕を天に伸ばしガッツポーズすると、ベッドにバタッと仰向けに倒れ込む。


 その達成感に、自然と笑みを浮かべた、その時。


  ──「……だったら、陸上も頑張れるよな」


 脳裏にそんな言葉がよぎって、私ははっとして上半身を起こした。


 今の、声って……。

 それが私の心をきゅっと締め付ける。

 聞いた事のない、でも、とても優しい声。

 全然知らない声のはずなのに、凄く聞き慣れたような声。


 ……何でだろう。

 その短い声を思い返す度に、こみ上げるものがあって。

 私は、意味もわからないまま、そこで泣いちゃった。


 ぽたりぽたりと、頬から溢れた涙がスカートを濡らす。

 けど、涙を拭う気持ちになれなかった。

 何でこんなに悲しいの? 何でこんなに寂しいの?

 ぼやけた視界のまま、そんな思いにぎゅっとスカートを握り、その場で俯いたその時。ブローチに涙が落ちた瞬間、それがふわりと光った気がした。


  ──「好きじゃないなら無理するな。でも、好きならとことん頑張ってみろよ。俺にマルカーに勝てる位だ。お前だったらすぐインターハイ位行けるようになるって」


 優しく、私を励ましてくれた声。


  ── 「……お前は今のままでいてくれ。巻き込んだ俺が出来ることなんて限られてるけど、頑張って元の世界に帰れるようにするから」


 辛そうに、絞り出すように、そう決意してくれた声。


  ── 「いいか? お前も覚悟を決めたんだろ。だったら信じろ。ちゃんと護ってやるからさ」


 どこか明るく、そう語ってくれた声。


  ── 「お前は向こうの世界に帰るんだろ! あっちの世界で誰よりも疾く走るんだろ! だったらこんな所で終われないだろ! だから全力を見せろ! 誰にも負けない所を見せろ! お前はあの時だって諦めなかったんだ! お前ならやれる! だから全力を見せろ! 諦めの悪さ、見せてやれ!」


 強く、しっかりと私を叱咤激励してくれた、心強い声。


 ……心に浮かんだ、幾つかの言葉。 

 時に励まし、時に慰めてくれた男の人の声。


 浮かんだのはそんな言葉だけ。姿もわからないし、誰なのかもやっぱり思い出せない。それなのに、私は何故かこう思ったの。


 その人はきっと、こっちの世界でも、向こうの世界でも、私を大事にしてくれたんじゃないかって。

 ロミナさん達と一緒に、私をこっちに返してくれたんじゃないかって。

 ずっと私の側で、励まし続けてくれたんじゃないかって。


 それなのに覚えていないのが凄く嫌で。

 何とか思い出さないとって思って。

 でも、思い出せなくって。


 私は、その悔しさと寂しさに、泣き続けた。

 この世界に帰って来れて、とても嬉しかったはずなのに。


   § § § § §


 結局、あれから数日経っても、私は言葉をかけてくれた人の事を思い出すことはできなかった。

 そして、この間まで異世界にいたはずなのに、まるでそんなのが関係ないかのように、この世界で学校に行き、シスターの手伝いをしながら孤児達の世話をする。

 そんな日常を送っているのが、とても不思議だった。


「美咲。おっはよー!」

「おはよう。香代」


 学校に向かう途中、香代が私に駆け寄ってきた。

 同じ陸上部の同級生で、高校で最も仲のいい友達。彼女の明るさが、ここ数日の私の寂しい気持ちを紛らわせてくれてるのは確かだと思う。


「今週末にはインターハイだよね」

「そうだね」

「美咲は県代表だもんねー。自信のほどは?」

「うーん……」


 向こうの世界に行く前に行われた、県の予選会では三位。

 正直、まだまだ全国で上位になれるようなタイムじゃなかったと思う。

 だけど……。


「私、きっと優勝してみせる」


 私はそんな決意表明をしたの。


「え? 美咲、本気?」

「うん。最後まで諦めないよ。可能性はあるもん」


 驚く香代に、私は笑って見せる。


 ……うん。

 私は聖勇女パーティーの一員だし。

 覚えていないあの人が言っていた通り、誰よりも早く走りたいから。

 もしかしたら、そうやって頑張ってたら、何時か何かを思い出すかもしれないし。


 私は、歩きながら空を見上げる。

 雲のほとんどない青空。そんな空を見ながら、私は改めて決意する。

 こっちの世界に戻ったんだもん。後悔のないよう頑張ろうって。


 それがきっと、私をこの世界に返してくれた、あの人に報いる事だと思うから。

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