エピソード②:ミルダの戸惑い

 なんなのだ。あの男は……。

 わらわは謁見の時のカズトの事を思い出し、もやもやした気持ちを抑えられずにいた。


  ──「その節は、俺の実力不足で、怖い思いをさせてしまい、大変申し訳ございません」


 ……真面目な顔で、妾にすっと頭を下げたあの男。 


  ── 「もし、また何時かミルダ王女が同じような危機を迎えた時、俺ひとりでも彼女を無事助けられるよう、精進致しますので」


 ……あの時、母上に向けた凛とした表情。


 何故だ。

 何故あのような男が、妙に気になってしまうのだ。

 あの男は以前、わらわや兄上を侮辱したというのに……。


  コンコンコンコン


「これ。ミルダ。はしたない事はするでない」


 ……はっ!


「し、失礼しました」


 向かいに座り、共に食堂で夕食を楽しむ母上の一言に、皿をつついていたわらわの手が止まる。

 何時の間に、こんなはしたない事を……。

 これもすべてあの男のせいだ。ふざけおって……。


 再びサラダをフォークに刺し、口に入れると噛みしだいておると、


「何があったのだ? ミルダ」


 隣で静かに食事をしていた兄上が、フォークとナイフを置き、こちらに目を向けてきた。

 心配そうな兄上。こうやって優しさを向けてくれておるのに、隠して心配を掛けてばかりは……。

 わらわは、そんな申し訳ない気持ちで、本音を語る事に決めた。


「……申し訳ありません、兄上。あのカズトという男に苛立っておりました」

「カズトにか?」

「はい」


 わらわは兄上にならいフォークを下ろすと、しっかりと目を見て話し始めた。


「以前、あの男は無礼極まりない態度を見せました。先の誘拐事件の時にも、わらわをすぐに助け出そうとはしませんでした。わらわはそれを、未だ許せておりません」

「確かにあの男は無礼極まりない。が、それでもお前や俺の事も考えていた。あまり責めてやるな」

「そうはいきません! 大体昼間の謁見も何なのですか!? わらわの言葉に急に素直に頭を下げたかと思えば、Lランク受け入れぬ理由がわらわを助けるのが遅れたからなどと口にして、わらわに取り入ろうとするなど。性根が腐っております!」


 ……ふん。

 思い出すだけで腹立たしくなり、わらわは自然と兄上から顔を背けてしまう。

 まったく。顔まで赤くなってしまったではないか。

 またわらわに何かがあれば、ちゃんと助けられるようにする?

 何を急に世迷いごとを……。


「……息子が変わり、娘も変えるとは。やはりあの者特別やもしれんな」


 と、唯一食事をしながら、母上が突然そんな事を口にされた。

 わらわが変わった?

 その言葉の意味がさっぱり分からず、思わず首を傾げる。


「母上。どういう意味なのですか?」


 思わずそう尋ねると、母上もまたフォークとナイフを下ろし、ドレスの襟元に付けていたナプキンで唇を拭う。


「ザイードよ。貴方とカズトとの一件、何処までミルダに話した?」

「は、はい。決め事がございましたので、あの男がミルダを助けに向かいたい我が想いを代弁し、母上に願い出たとだけ……」

「決め事?」

「……人払いを。鈴が鳴るまで誰も入れるでない」

「承知いたしました」


 わらわが漏らした言葉に、母上が背後に並ぶ執事やメイドに向け目配せをすると、皆が静かに部屋から去り、妾達わらわたちだけが残された。


「よいか、ミルダ。ここから先の話は、心の内に仕舞え。決して人前で口外するでないぞ」

「は、はい」


 静かな、だがはっきりと感じる母上の圧に、わらわは生唾を飲み込みつつ何とか頷く。


「神獣ザンディオとの戦いがあった事は伝えたな」

「はい」

「元々、わらわはザイードをフィラべに残すと決めておった。強大な敵を相手に、ザイードが命を落とし、其方そなたも戻らぬ事になれば、王家の血筋が絶える。それは許されぬ事であったからだ」

「はい。それは兄上に伺っております。そんな母上に陳情したのがあの男だとも」

「そうだ。だが、元々ここに置いていかれるのが嫌だったザイードは、頑なに想いを譲らなかった。それはザイードが我が想いに気づいておらず、わらわもまたはっきりとそこまで口にできなかったからな。だが、そんなザイードを制したのもまた、カズトだったのだ」

「あの男が? どうやって!?」

「決闘だ」

「決闘!?」


 兄上とあの男が!?

 聞かされていなかった事実に、わらわは目を丸くした。


「あの時、ザイードは本気でカズトを殺しにかかり、あの男も傷だらけとなった。だが、それでもあの男は見事にザイードをねじ伏せた」

「兄上があの男に敗れたというのですか!?」


 思わず兄上を見ると、少しだけ口惜しそうな顔を見せた。

 つまり、本当に兄上に勝ったと……。


「カズトは、戦いに勝った上で、我が想いをザイードに伝えた。そして、その上でザイードの苦しみを理解し、共に連れていくよう陳情したのだ」

「……は!? そんな事、あり得るはず──」

「あったのだ。ミルダ」


 わらわの言葉を遮り、兄上はため息をひとつ漏らすと、こちらに真剣な目を向けた。


「俺もあの男は好かん。だが、あの男は母上ですら咎めなかった俺のわがままを咎め、命を奪おうとまでした俺を責めもせず、俺を共に連れて行けと言ったのだ。俺がしたいのは俺達親子を斬る事じゃない。この国を救う事だとのたまってな」


 瞬間、ふっと呆れ笑いを見せた兄上。

 ……わらわは、兄上がこのように笑う所を初めて見た。

 きっと、本当に、カズトによって変わったというのか……あの、兄上が……。


わらわの提案を受け入れなかったあの言葉もまた、本心であろう。其方そなたに心の傷を負わせた後悔があるからこそ、まだ己を認められないと言ったのもな」

「そう、なのでしょうか……」

「母上の言う通りだ。神獣との戦いに赴く我が軍の兵全員に、生きろなどという夢を語り、それを見事に達した男だからな」

「そんな事まで……」


 兵士全員に、生きろ……。

 そんなもの馬鹿げておるし、夢見がちもいいところ。

 だが、彼奴あやつはそんな馬鹿げた事すらも、成し遂げたと……。


 幼きわらわでさえ、その無謀さは理解できる。

 つまり、またわらわに命の危機が迫ったとしても、あの男は……。


 母上と兄上の話を聞き、わらわは唖然としてしまったのだ。


   § § § § §


 翌日の夜。

 晩餐会に出席するため、わらわは控室にて、椅子に座りメイドのレナに召し替えをしてもらっていた。


 ……今日、カズトも姿を見せるのだな。

 わらわは少し緊張していた。

 昨日、あれだけの事を口にしてしまったが、わらわも王女。心が狭いと思われては困る。そう思い、謝る事を決めた。決めたのだが……。


「ミルダ様。そう緊張なされずに」


 レナがわらわの髪を結いながら、緊張をほぐすように優しく声を掛けてくれる。

 が、それでは緊張が抜けはしなかった。


 ……あの男は、わらわを護り、助けると口にしおったんだぞ?

 あの後、ベッドで落ち着いて考えてみたのだが……恋愛小説通りであれば、それはもう告白されたようなものではないか。

 であれば、わらわとて無下にもできぬ。

 それに、わらわもレディー。だからこそ、より魅力的でなければならぬからな。


「レナ。このドレス、わらわに似合っておるか?」

「はい。お綺麗でございます」

「そ、そうか」


 レナの見立てであれば間違いあるまい。

 わらわはほっとした。


 上半身は胸を覆うだけの布。

 腰から下はきらびやかな薄手のスカート。

 頭に付けているのは半透明のベールとティアラ。

 フィベイルの正装。これならばきっと、あの男も目を奪われるに違いあるまいとは思っておるが、やはり不安だからのう。


  コンコンコン


「ミルダ様。お時間にございます」

「うむ」


 ドアの向こうより声を掛けられたのを合図に、わらわもゆっくりと立ち上がる。


 ……カズトよ。待っておれ。

 わらわは心を引き締めると、緊張しながら立ち上がると、控室を出たのだが……。


   § § § § §


「はぁっ!? カズトが不参加だと!?」


 晩餐会に姿を見せたロミナ達に、わらわは思わず声を荒らげた。


「はい。今朝より熱を出し倒れてしまいまして。アンナ、キュリアもまた看病のため、不参加となりました」

「キュリア殿もか!?」


 兄上もまた、意中の相手がいない事に驚きの声をあげる。

 ロミナ達は申し訳ない顔で頭を下げてきた。

 この者達に何か言った所で変わらぬ。変わらぬのだが……。


「ぐぬぬ……」

「カズトの奴めぇ……」


 わらわと兄上は、思わず苦虫を噛み潰した顔をしながら、思わず恨めしい言葉を口にした。

 ここまで着飾り、貴様を待っておったと言うのに……。

 この仕打ち、忘れはせんからな!


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