第五話:闇の手
『ここだよー』
精霊達に導かれてやって来たのは、周囲を見渡せる丘の中腹。広がる草原も、遠間に森や山、湖が一望できるのも、何とも気持ちがいい光景なんだけど。
残念ながら、今は落ち着いてその世界に浸っている気分じゃない。
俺はその場にしゃがみ込むと、丘にも生えている丈の短い草を少し避け、その下の土に目をやる。
魔方陣の残痕はない。けど、精霊達がわざわざ嘘を
って事は、ここにも精霊門があったって考えるべきだよな。
「精霊門、毎回、同じ場所に出るの?」
『あまり決まってないよね?』
『うん。あっちこっちに出て来たり、消えたりするもんね』
「頻繁に現れたりするのか?」
『ううん。最近は全然見なかったよー』
キュリアや俺の質問に、正直に答えてくれる精霊達。彼等の生態なんて世界でも語られていないけど、昔の話も覚えているって事は、結構な長寿なのかもしれない。
「どう? 何か手掛かりはあった?」
「いや。ただ、精霊達の話じゃ門を見たのは久しぶりだって言ってるし、ここにあったのは間違いなさそうだな」
ロミナの質問に首を振った俺は、ため息をひとつ
よくよく遠くを見ると、大地が地平線の彼方まで続いているんじゃなく、途中で途切れているのが分かる。
って事は、精霊界ってのは無限に続いている訳じゃないんだろう。精霊達も門が開けば分かるようだったし、精霊門が開けば気づくのも、そこに辿り着くのも容易。だけど、その肝心の門が次に開くのがいつかは分からないんだよな……。
「もう少し、精霊門について、ちゃんと聞いておくべきだったかしら?」
「確かにな。まあ、どちらにしろ今は手詰まりか」
「そうじゃな。仕方ない。ここで一休みするか?」
「そうするか。こんな世界、早々体験できるもんじゃないしな。キュリア。精霊達に、もしまた門が現れたら教えて欲しいって伝えてくれ」
「うん」
俺はキュリアにそう頼むと、バックパックを下ろしながら空を見上げる。
ほんと、景色もいいし、空を舞う花びらとかも凄い神秘的。さっきまでの試練を忘れそうになるくらい、穏やかな世界だ。
「ちぇっ。早く暴れてーんだけどなー」
「ミコラさん。慌ててもどうにもなりませんよ」
「そりゃそうだけどよー」
「ミコラ。今は我慢の時にございます。またすぐに貴女様のお力を発揮できますから」
「アシェ。こっち、来よ?」
『はいはい』
ミコラをなだめながら、みんなが草の上に腰を下ろしていき、キュリアからご指名のあったアシェは、美咲の肩から下りると、正座した彼女の膝に乗る。
「アシェ。いい子」
そう言いながら、身体を優しく撫でるキュリアに、まんざらでもない顔をするアシェ。微笑ましい光景に、周囲に腰を下ろし見守っているロミナ達も、自然と笑みが溢れる。
肩越しにそれを見た俺もまた、釣られてふっと笑うと、目と鼻の先にある丘の頂上に向け、ゆっくりと歩き出した。
「和人お兄ちゃん。何処に行くの?」
「ん? ああ。反対の光景も見てみようかなって」
「私も一緒でもいい?」
「まあ構わないけど。すぐそこだぞ?」
「わかってるよ」
俺に駆け寄り並んだ美咲と共に、丘の頂上までやってきた俺は、辺りを見回す。
反対もまた、変わらない神秘的な世界。
「凄く綺麗だよね……」
隣に立つ美咲は、穏やかな風でそよいだ髪を整えると、夢心地な顔をしながら、同じく周囲に目を向ける。
座っているロミナ達に目をやると、キュリアがこっちに手を振り、それに気づいて美咲も笑顔で手を振り返す。
それを微笑ましく見守る仲間達。
……俺が望んでたのは、こんな穏やかでのんびりした旅だったんだけどな。
俺はロミナ達に背を向け、反対側に広がる世界をじっと見つめる。
「……お兄ちゃん」
と。掛けられた声に視線を向けると、美咲もまた俺と同じ方に身体を向けつつ、俺の方を見た。
「ん? どうした?」
「あ、うん。えっとね。試練の時、私を元気づけてくれて、その……ありがと」
少し恥ずかしそうにそう口にする、彼女らしからぬ反応に、俺は自然と笑みになる。
「気にするなよ。お前らしくもない」
「お前らしくないって何よ。ちゃんとお礼言ったのに」
「前も言ったろ? それがお前らしくないってんだよ」
その言葉が気に障ったのか。一転、少し不貞腐れた顔をする美咲。やっぱりこいつはこうじゃないとな。
ふっと笑った俺は、再び視線を遠くに向け、ぼんやりとしていたんだけど。
その時、足元に何かが触れた気がした。
『見いつけた』
瞬間、耳に届いたのは、この世界に似つかわしくない、悪意に満ちた、厭らしい程に嬉しそうな声。
はっとして足元を見ると、俺の足首を闇の手が掴んでいた。同時に存在している、禍々しい赤黒い光を放つ魔方陣。
「お兄ちゃん!?」
異変に気づいた美咲が、慌てて俺の手を掴むのと、魔方陣から闇が溢れるのは、はほぼ同時だった。
「なっ!?」
「きゃっ!!」
俺と一緒に、無数の闇の手に絡み取られた美咲は、次の瞬間、闇の魔方陣に一気に引き摺り込まれる。
同時に身体を覆う闇が、心に強い痛みと苦しみをもたらしてくる。
視界も遮られ、まるで溺れていような苦しい感覚と、水中の中何処かに引っ張られているような感覚が襲う。
くそっ! 美咲は!?
俺は唯一温もりを感じる、美咲と繋いだ手を離すまいと、ぎゅっと強く握り離さないようにする。
息苦しさと、心を襲う痛みに必死に耐えていると、突然俺達は闇から解放された。
ぱっと見で見えた、塔の内観。宙に放り出された俺と美咲は、勢いのままその床に迫る。
ちっ!
術で何とかしようと思ったものの、闇の力に蝕まれてうまく集中できない。
なら!
俺は何とか手放さなかった美咲の手を強く引き、咄嗟に俺の背を床側にして、あいつを庇うように抱きしめる。
「お兄ちゃん!?」
「喋るな! 歯を食いしばれ!」
美咲の驚きを遮り、俺もまた背中に来るであろう衝撃に備える。
そして、次の瞬間。
「げほっ!」
思わず呻き声が上がるほどの背中への激痛と共に、俺の身体が跳ね上がる。
くそっ! 美咲がいるんだ! 何とか踏ん張れ!
背中を叩きつけられた衝撃で、呼吸すらままならない中、俺達は二度、三度床を跳ねた後、ごろごろと横に転がった後に動きを止める。
途中で打った頭や肩にも痛みが走っている。
「お兄ちゃん!」
動きが止まり、俺に覆い被さっていた美咲が慌ててどくと、俺に悲痛な顔を向けてくる。
かすり傷はあるけど、ぱっと見そこまでの怪我はないか。良かった。
「げほげほっ。だ、大、丈夫、だって」
無理矢理身を起こした俺は、痛みを堪えながら、自分の胸に手を当て、無詠唱で自分に聖術、生命回復を掛ける。
すっと消えていく痛みに、痛みで強張った表情が緩む。正直まだ息苦しさはあるけど、まだ何とかなるだろう。
俺達が互いの無事を確認していると。
『何だ。余計なのまで釣れちゃったか。ま、別にいいけど』
突如耳に届いた、悪戯っぽい無邪気さと、何処か腹黒さが入り混じったような、怪しげな少女の声。
それを聞き、俺達がはっとして振り返ると。部屋の奥、玉座のように存在感のある椅子に、黒き衣装を身に纏った、怪しげな森霊族の少女が座っていたんだ。
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