第七話:リュナの過去

 あれから暫く店を手伝っていたんだけど、この店は宿も兼ねているし、宿泊客が休む事を考慮して、酒場としてはあまり遅くまでやっていないらしくって。夜も九時を回る頃には、周囲の酒場より早く閉店となった。


 結局ロミナとルッテはずっとリュナさんと話し込んでいたのか、全く部屋から出てくる事はなく。駅馬車の予約を済ませたフィリーネ達は店の開店中に戻って来たので、先に部屋に戻って休んでもらっている。


 俺とアンナは最後にテーブルをタオルで拭いたり床掃除して店内の掃除を終えると、タニスさんが各テーブルのランプを消して回り、宿としてもこの時間以降は新たな宿泊客は受け入れていないらしく、これで今日のダグラス亭は完全な店仕舞いだ。


 酒場の中で唯一灯りが残ったカウンター。

 そこでタニスさんが腕を振るってくれたまかないは、豚肉を使った肉野菜炒め。


 食欲をそそる香りと共にそれを堪能していると、席を外していたグラダスさんが戻ってきて、カウンター越しに俺達の前に、皮袋をテーブルに置いた。


「二人共お疲れさん。これは今日働いてくれた分の給料。受け取ってくれ」

「え?」


 何でこんなの用意されてるんだ?

 別にバイトでもないのに。


「すいません。これは受け取れません」

「どうしてだ? 働いた者には報酬を払う。正しい姿だろ?」

「元々ロミナ達の為にリュナさんをお借りした対価ですし、俺が働いた事でお二人に迷惑もかけました。ミコラがテーブルを壊しましたし、店の空気が空気悪くならないよう、皆さんにエールもご馳走されてましたよね。だからこのお金は受け取れません。寧ろ足りない分はお支払いしますんで言ってください」


 俺がそう真顔で答え、置かれた皮袋を彼に向け押し返すと、二人は顔を見合わせ肩を竦める。


「アンナ。この子はいっつもこんな感じかい?」

「はい。カズトは何時も真面目で誠実なお方でいらっしゃいます」

「ほう。今時の冒険者でここまで堅物かたぶつな奴がいるとはな」


 小馬鹿にされたのか誉められたのか。

 ちょっとどっちつかずな言葉に、俺が何とも言えない顔をすると、二人はくすくすと笑う。


「テーブルは折角だし、聖勇女様達にサインでも頂いて、来てくれた記念にでもするさ。それに酒の件もよくある話。あの程度の事は気にするな」

「ですがリュナさんの件もありますし」

「それを言ったらお互い様よ。あのも同郷の友達に逢えて、ゆっくりこうやって話が出来て本当に嬉しかったはずよ。珍しく一緒にお酒まで飲んでたし」

「え? ロミナ達もですか?」

「ええ。ほろ酔い加減で楽しそうに話してたわ」


 ロミナとルッテが、か。

 以前フィリーネから、彼女達もお酒は飲むって聞いてはいたけど、酒を飲まない俺に気を遣ってたらしくってさ。だからパーティーに入って皆が酒を飲む姿なんて、今まで見た事がなかったんだ。

 きっとロミナも、それだけ嬉しかったんだろうな。


 何となく彼女達の笑顔を思い描き、微笑ましい気持ちになっていると、ふと目を細めたタニスさんが、懐かしむように語り出した。


「リュナと一緒に暮らしてから、あのがああやって本気で嬉し泣きしたのなんて、殆ど見た事がなかったわね」

「昔っからあいつは気丈に笑ってたけど、最初はそれが痛々しくてな。それが変わったのは、聖勇女ロミナとその一行の噂を聞いた時からか」

「ロミナ達の?」

「ああ。同郷の友達と同じ名のロミナとルッテ。その名を偶々たまたま冒険者の会話で聞いた時の驚きようったらなかった。な? タニス」

「そうね。あの日だけは人目を憚らず泣いていたわ。客前で泣いたのなんて、今日を除けばあの時位ね」

「余程、御二方おふたかたとの再会が嬉しかったのですね」

「ええ。でもあのの為に急遽店を休みになんてできなかったし、あの子にはタイミングを見て仕事に戻って貰わなきゃって、心苦しく思っていたの。だからあなた達が店を手伝うって言ってくれたのは、本当に渡りに船だったわ」

「ありがとな、二人共」

「いえ、気にしないでください。それより、お二人がリュナさんを養子になされたのは何故なんですか?」


 ふと浮かんだ疑問を尋ねると、タニスさんとグラダスさんが一度、少しだけ真剣に視線を交わす。


 あれ?

 もしかして、聞いちゃいけなかったか?


「軽い気持ちで聞いてくれ。実は、俺達二人は残念ながら子宝に恵まれなくってな」

「あ……その、すいません……」


 やっぱりそういう事情もあったのか。

 聞くべきじゃなかったかな……。


 俺が思わず申し訳ない顔を浮かべると、グラダスさんは悲壮感なんて感じさせない笑みを向けて来た。


「話していいと思ったから話してる。気にするな。で、そんな中、世の中に魔王なんてのが現れた。ここディガットの港はいにしえの聖域の陣の範囲内だったし、流石の魔族も砂漠越えは厳しかったみたいでな。マルヴァジアからの侵攻も首都に絞られていて、辺境のこの港は運良く戦場となるのを逃れた。だが、近隣の国より追われた船がここに逃げてくる事も多くってな。その最初の船に、リュナは乗っていたんだ」

「船から降りた人々が見せていた絶望的な表情は、今でも忘れられないわ。勿論リュナもそう。生きる希望なんて感じられない位、憔悴しょうすいしきっててね。他の船の乗客は同郷の仲間や家族がいたんだけど、彼女の事だけは誰も知らないって言うの」

「それがあまりに不便だったんで、俺達から彼女に声をかけて、一旦うちの宿で引き取ったんだ」


 当時の事を思い出してか。二人が憂いある顔を見せたけど、それでも話を止める事をしなかった。


「ぽつりぽつりと話し出したあの子から聞けたのは、ソラの村が壊滅した事と、彼女以外誰も逃げられなかったであろう事位。他の村に知り合いもいないし、身寄りもないって言っててね。それがあまりに不憫に感じて、私達から当面うちで一緒に暮らさないかって切り出したの」

「そうなのですか?」

「ああ。気力もない中あの子は強く戸惑ったし、すぐに答えは返せなかった。勿論、俺達は慌てずでいいからって言って、あいつにその意思を委ねた。ま、俺達は既にその時には、あのの両親の代わりになる位の気持ちで接しようって決めてたけどな」


 二人が視線を交わすと、にこっと笑う。

 その優しい笑みを見て、この二人の人の良さをひしひしと感じる。


「リュナも二週間位は相変わらず塞ぎ込んでいたわ。でも、私達は心の傷には触れず、何事もなかったように会話をし、食事をし、共に暮らしたのよ。難民となった人達を宿で預かり世話もしてね。そうしたらある日、あのがぽつりと言ったの。『私も店を手伝いたい』って」

「そこから、あいつは宿や酒場の手伝いを一所懸命してくれてな。悲壮感漂う時もあったが頑張ってくれてさ。そんな姿を見てて、俺達も決意してな。半年位して、俺達はリュナに『俺達の養子にならないか』って切り出したんだ」

「どうしてですか?」


 俺がそう尋ねると、二人は顔を見合わせた後、自嘲気味に笑うとこう続けた。


「酷い話だけど、最初から娘と思って一緒にいたから、情が移りすぎちゃって。私達にとってはもう、あのは大事な一人娘みたいなものだったから」

「とはいえ突拍子もない申し出だったからな。『暫く考えさせて欲しい』なんて言われた後、ずっと養子の件は答えを貰えず仕舞いだったんだが。それから一年程経って、ロミナ達の事を知ってからだったか。あいつが自ら『返事が遅くなっちゃったけど、私を娘にしてほしい』って言ってきたんだ」

「理由はお伺いになられたのですか?」

「いや。酷い話だが、俺達は答えを聞いてないのにすっかりその気だったんでな。だから逆に『本当に良いのか?』なんて戸惑いつつ問い返す始末だった。それを聞いて、あいつにも笑われたな」

「ええ。だから結局理由は聞けず仕舞い。ま、だけど良い娘を持てて嬉しかったわ」


 嬉しそうにリュナさんの事を話す二人。

 俺は両親ってのをちゃんと見て接した事なんてないけど、きっと良い親ってこういう感じなんだろう。


 俺はちょっと羨ましくなりつつ二人を見ていたんだけど。


「まったく。そういうのはちゃんと先に、娘に向かって言うべきじゃないの? もう」


 という何処か不満げな声が、俺達の表情を一変させたんだ。

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