◆7-2

金陽神と銀月女神は、己が伴侶の竜と共に天へ昇った。

海原神は己が伴侶の竜と共に、暴虐神に首を噛み千切られた。

鳥獣女神は己が伴侶の竜と共に、僅かに残った大地に留まった。


秩序神は、暴虐神に四肢を裂かれ、混沌へと落ちた。

智慧女神は、何も語らず何も残さなかった。

戦神は、暴虐神と最後まで戦い相討ちとなった。

(創世・第八章第二文、第三文より)


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 骨馬車は空を駆け、僅かに残っていた大地へと辿り着いた。

「アルードは何処にいる?」

「イヴヌスの島に、祭壇が据えられております。恐らくそちらに」

「あそこか」

 それならもう一度馬車で、と振り向いて驚く。骨で組み上げられた車体は細かい皹が沢山走っており、首無しの馬は蒼炎を消して倒れ伏していた。

「申し訳ございません。此処まで世界が壊れかけてしまえば、わたくし達の権能も削られていきます。この子達も、もう」

「そう、か」

 ラヴィラの喉に入った皹は治っていない。世界の理そのものが、壊れかけている証なのだろうか。気がつけば青かった筈の海は黒色に染まりつつあり、天蓋の大地は嘗て乗せていた数多のものを雨の様に下へと振り落としていっている。時間はあまり無い。

「シブカ、貴方ならば混沌の海にも耐えられるでしょう。どうかお母様を――」

「「「その必要は無いぞ、愚妹」」」

 重々しく響く声と共に、レタを踏み潰さんとばかりに巨体が降って来た。砂浜を転がって避けると其処には、黒い毛並みを揺らした三つ首の大狼がいる。

「身の程知らずの疑きが、今更何をほざいているのか」

「既に裁定は下された。人疑きにして神疑きよ、貴様にはもう何も成せることは無い」

「お兄様! どうかそのようなこと、仰らないで! お母様ならばきっと――」

「「「黙れ愚妹!!!」」」

 牙を振り立て、狼は妹の言葉を止める。そこに嘲りは無く、ただ事実を告げるように。

「言った筈だ。既に裁定は下されたと」

「我等は既に、二柱を葬った。タムリィの四肢を引き裂き、ルァヌの首を噛み潰してやったわ」

「残るはディアランのみ。我等の役目はそれで終わる。いつも通りに、いつもと変わらず」

 その一節は、聞き覚えがあった。あの腹立たしい教団が、教えの一つとして話していた筈だ。暴虐の神は首一つ毎に、神を屠ったのだと。

「……そうか。お前達には、それしか出来ないんだな」

 腹に力を入れて、告げる。狼の爪がざり、と地面を掻いた。

「――ほう。吠えるか、疑き」

「決められた、理以外には何も出来ない。魔女王の城で俺を助けた時も、そうだったんだろう?」

 狼の金目はますます鋭くなったが、ラヴィラが僅かに肩を揺らした。

「……ええ、お母様。お兄様達があの女の城に入る時、連れ立つ相手がいるのなら手助けせねばなりません。それがお父様でも、ディアランでも、お母様でも」

「チ。口を閉じよ愚妹。疑きのついでに貴様も殺してやろうか」

 牙を剥き、苛立たしげに尾で地面を打つ巨体に、レタはもう恐怖を感じなかった。

「俺はお前達とは違う。誰に決められようが、命じられようが、俺は絶対にあいつを、アルードを殺してやる」

 鎖に縛られずとも、焼印を押されずとも、理に従うしかない神になどなってやるものか。力を込めて、黒狼達を睨みつけて宣言した。

「だから、力を貸せ。俺をあいつのところに連れて行け」

「「「図に乗るなよ愚物……!」」」

 三つ首が同時に叫び、その体を分けた。三頭になった狼が、レタの周りを囲んで退路を断つ。

「「「地虫の分際で大口をたたくのならば、我等の首の一つぐらいは屠って見せろ!!」」」

 人の体など一口で飲み込む巨大な顎に、ぎらぎらと鋭く光る牙が並んでいる。力も速さも、太刀打ちできるものではないと解っている、理解している――だが、それは抵抗を止める理由にはならない。ずっとずっと、そうしてきたのだから。

 何より、彼らを殺す理由がレタにはある。……もう顔も声も思い出せないけれど、自分を抱きしめてくれた腕の持ち主を、一瞬で噛み砕かれた憤怒は覚えているのだから。

 怯えは怒りで噛み砕き、前に進むための言葉を叫んだ。

「――ああ。お前達も殺してやる!」

「「「ほざくな、雑魚がァ!!」」

 怒声と共に、黒い風が飛びかかってきた。




 襲いくるのは中の一匹、右と左は動かない。逃げを打った時に飛びかかるつもりか、それとも単に舐めているだけか。

 安堵よりも怒りが湧いて出るが、同時に三匹でかかられれば本当に命は無い。右手に剣を、左手に腰布を取り、腰を低くする。

 考える時間は一瞬しかない。盾では砕かれる、弓牽きは間に合わない、獣を足止めするには――

「網だ!」

 腰布を広げて投げ、命じる。滑らかな布は一瞬で細かい網目状になり、飛び込んできた狼の顔に覆い被さった。

「ぬぅ――」

 更に網の端が地面に突き刺さり、一瞬だが動きを封じる。しかし、所詮はただの時間稼ぎだ。

「地虫がッ!」

 前腕を振るい、一瞬で黒の網は引き千切られる。同時にレタは、アラムの巨体の下へ滑り込んでいた。

「っぉら……!」

 勢いに任せ、黒剣で思い切り腹を切りつけてみるものの、僅かな毛束が散っただけだった。

 しかしその毛は、宙に舞うと黒い砂のように弾け、水滴になって消える。彼らの体も、神としての力が落ちているのだ。どれだけの朗報かは解らないが、相手が弱っているところを狙わないほど間抜けでもない。

「ちょこまかと鬱陶しい!」

 獣らしい柔軟さで、アラムの首がもぐりこんでくる。押さえつけようとした腕を掻い潜り、腱に刃を滑らせるが、いよいよ硬くて刃も通らない。並みの獣のような弱点はないと思って良さそうだ。

「もう一度だ!」

 砂地を転がり、狼の体の下から飛び出したレタが叫ぶ。暴虐神の爪に引き裂かれ散り散りになったレタの腰布――神の紐がそれに応え、破片のひとつひとつがまるで触手を伸ばすように広がり、組み合い、先刻よりももっと細かく、爪の隙間も掻い潜れるような細い網に変じた。

「下らぬ児戯ばかりか!」

 しかし怒りに震える爪が、網を固定するよりも先にレタの身へ肉薄する。ざりりという嫌な音と共に、胸元と頬を爪が掠めた。皮膚が裂かれる感触と共に、辺りに散るのは血と、僅かな破片。

「お母様ッ!!」

 ラヴィラの悲鳴のような声が響くのに、自分の中にまだ血が流れていたことに安堵してしまった。皮膚に走る傷はひび割れのようになってしまっていたけれど、それでも構わない。

 自分が神だろうが人だろうが、そのどちらでも無かろうが、どうでもいい。己に神が殺せるならば、どんなものに成り果てようと構うものか。

「縮め……!」

 撃てば響くように神の紐は動く。巨体を包み抑え込むように網を広げ、絞りこんだ。

「小癪な!」

 絡まる網を切り裂こうと、爪を己の体に向けるよりも、牙で網を噛みしだくよりも先。レタは駆けた。

 手の中の剣の形は、反りの無い小剣。アラムの爪よりも牙よりも短い、手の中に包めるぐらいのもの。――それぐらいで、充分だ。

「届け……!」

「愚物ッ!!」

 真っ直ぐに突き出す腕。技量も何もない、愚直な突き。網に絡みつかれた顎を無理やり開き、アラムの顎はそのまま――レタの右腕を、肩から齧り取った。

 べきりという音は、皮膚が割れた音か骨が砕けた音か、それもどちらでもいい。走る痛みに構わず叫ぶ。――魔狼の喉奥に入った、自分の手首に向けて。

「シブカ! 膨らめ!!」

「な――」

 レタの狙いに気付き、驚愕に狼が目を見開く。吐き出そうと喉が動くが、遅い。

 本当に、少し、困ってしまうが。あの白い巨蛇は、自分の言うことに躊躇い無く従うのだ。

 小さな腕輪に過ぎなかった体が、一気に膨れ上がる。その体躯は世界を飲み込めるほどと、謳っていたのはやはり教団の聖句だっただろうか。

 如何なる暴虐の神と言えど、喉から腹から、飛び出してくる巨大な弟の圧力に耐え切れず、ばつんと音を立てて、体を弾けさせた。血ではなく、黒い結晶が砕け、弾け、消し飛ぶ。喉は殆ど千切れてしまったが、それでもアラムの首は叫んだ。

「おのれ、これしき――」

 勿論、これぐらいで死ぬとはレタも思っていない。ごろりと転がる巨大な首に抱き付くように飛びついて、もう無い筈の右腕を振ろうとする。

「貫け!」

 胸元を覆っていた残りの布が解かれ、肩に巻きつき、腕の代わりに漆黒の槍と化す。伸縮自在のそれを狼の眉間に突き付け――深々と刺し込んだ。

「「「――見事也ッ!!」」」

 三つの首が、同時に叫んだ。

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