◆4-3

ディアランがしろの中にはいると、そこにはまの女王といっしょにアルードがいました。

「どういうことだ、アルード」

アルードはこたえました。

「このうつくしいむすめはわたしのつまにする」

「なんと、まの女王にたぶらかされたか。おのれ、ゆるさぬぞ」

アルードは、まの女王にまほうをかけられ、あたまがおかしくなってしまったのです。

それにきづいたディアランは、かんかんにおこって、まの女王にとびかかりました。

(昔ばなし絵本・「いくさしんディアランのぼうけん」より)


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 飛び出した熱泥は、天井まで噴きあがり、雨のように降り落ちてきた。

「ぐぬう……!」

 流石の巨狼もこの容赦のない弾幕は耐えかねるのか、分厚い毛皮を焦がしながら呻く。咄嗟に腰布を広げて頭を庇うが、重い熱の塊までは防ぐことが出来ない。

 しかも、ある程度冷えた泥の塊は粘り固まった岩となり動きを阻害する。泥の壁はどんどん広がって魔女王を守る盾ともなり、アラムの巨体では間を擦り抜けられない。

「おのれ、舐めた真似を――ッ」

「下ろせ! 俺が行く!」

 己が跨った歯ぎしりする狼に向け、声をかける。一瞬虚を突かれたように鼻先を振り仰ぎ、は、と心底馬鹿にしたような声を上げた。

「言ってくれるな人擬き! 行きたくば己の足で行けい!」

 そう叫びながら、冷え固まる海を走り抜け、未だ吹き上がり続ける、一番熱く焼けた泥の柱に躊躇いなく飛び込んだ。

 粘る灼熱の泥の中を、狼の巨体はその身を燃やされながらも、泳ぐように走る。レタは驚き、巨狼の身を僅かに案じながらも、腰布を頭から被り熱と圧力に耐えた。

 どん、という鈍い音と同時に、耳に音が戻ってくる。目を開ければ、無茶な突撃に驚いたような魔女王が、それでもこちらに向かって赤い泥の波を集め、差し向けようと動くのが見えた。

 駄目だ、降りて走ったのでは間に合わない。辺りは熱泥の海で、足を取られたら終わりだ。

 手の中の柄を握り締める。この剣では届かない。もっと細く長く、泥の雨を潜り抜けて、あの女の心臓まで辿り着けるような。

「――伸びろ、当たれぇ!!!」

 この武器ならば、出来る筈だ。様々な形に自在に姿を変えるこれならば、剣が槍に変じることも可能な筈!

 本気でそう叫び、剣を真正面に突き出した瞬間。美しい曲線を描いていた剣が、撓み、撓り、曲がる。

 鞭のように伸びたそれは、その先端に鋭利な鏃を得て、振り落ちてくる泥と石の雨を全て掻い潜り、驚愕の表情のままの女の左胸へ――真っ直ぐに突き立った。

 一瞬、時が停まったかと錯覚し。やった、と思ったその次に。

 横殴りの熱泥が、レタの体を掬って叩き落とした。



 ×××



「戯け――あの女の心臓は左右に二つだ!!」

 激昂と非難の籠った狼の叫びに対し、そんなの知るか、と言い返したかったが、もろに喰らった熱に全身を焼かれ、悲鳴も上げられない。

「ぁ――っ、ぁ……!」

 全身が焼け爛れて、溶け落ちるように錯覚した。腕も足も、熱い泥に絡まれて動かせない。この身を覆う黒布も、半ば溶けだしている。いかに神が作り出したものと言えど、魔女王の本気の熱波には耐え切れないのか。再生はしているようだが、それよりも炎が早い。

 このままでは、死ぬ。

 駄目だ、と思った。まだあの女は生きている。きっと自分の次は、アラムを殺しに来る。それよりなにより――まだ、自分は、あいつを、殺していない。

 泥の中に肘をつく。痛みと熱さはずっと体を苛むが、酷過ぎて慣れて来た。上半身を持ち上げる。とても重くて、僅かしか無理だったけれど。

 顔を上げる。片目にも熱泥が及んだのか、瞼を開けられなくて手間取ったけれど、それでも見えた。

 アルードはそこに居た。先刻と全く変わらない態勢で、変わらない場所に。

 瞳孔の詰まった金色の瞳はまだこちらを見ていたけれど、その輝きは既に無く。

 つまらなそうに小さく欠伸をして――その瞳を閉じようとした。

「、ざ、け、」

 ひゅ、と喉が鳴る。熱波で喉奥もやられたのか、上手く息を吸えない。それでも口から、僅かに悪罵を零した。

「まだ、生きているの。無様ね、早く死になさい」

 女の声が随分近くに聞こえた。いつの間にか、目の前に魔女王が立っている。左胸に刺さった鏃を忌々しげに引き抜いて、湯気を立てる血が流れたままにも関わらず片手を掲げた。それに呼応するように、壁が揺れ、皹が入る。

 また、あの熱泥を呼び出すつもりなのだろう。まともに喰らったら、今度こそ、死ぬ。

「っぁ、まだ――」

 まだ、死なない。

 まだ、死ねない。

 睨み付けるのは目の前の女では無く、更に高い位置で己を見下す男。

 あの全て諦めたような、馬鹿げた神を殺すまでは!

「これで、全てが元通り。崩壊神様、どうかせめてもの御慰みに――」

 祈りのような女の言葉の後に。

 天井全体、一斉に亀裂が走り――砕けた。



 ×××



 天から落ちて来たものに、真っ先に驚愕したのは魔女王だった。

「な!? これは――ッ」

 声はすぐに聞こえなくなった。天井からの圧力に、レタの体は流され、翻弄される。

 そして、体が一気に冷えるのを感じ、驚いて目を覚ます。

「……!?」

 熱でひりひりと痛んでいた体が、あっという間に冷えていく。傷に水はしみるが、あの熱の中からは比べ物に成らない天国だ。

 天井から、とんでもない量の水が降ってきて、部屋の中をあっという間に半分埋め尽くした。熱泥は凄まじい音と煙を上げてどんどん冷え、固まっていく。 

 レタに知識が在れば、この大量の水が地上の海から海底を割り、魔国の外殻すら壊して落ちて来たものだと解っただろうが、今彼が解るのは、熱から解放されたという事実だけだ。

 ほんの僅か離れた場所で、多量の水に足を取られたヴァラティープが倒れ伏している。熱を司る彼女の力が、今一時だけでも封じられているようだ。

 辺りの熱泥はすっかり冷え固まり、まるで牢屋のようになっている。アラム達は噛みつき砕こうとしているのか、片っ端から柱を噛み砕いているが、まだここまで牙を届かせることが出来ないようだ。

 今なら、と立ち上がろうとして、がくんとつんのめる。動かない自分の右半身に目をやり、驚愕した。

 熱泥を被ったまま水を浴びたせいで、右腕と右足が石の中で固まっている。

「っ、こ、の!」

 引いても押しても、びくともしない。力を込めても、逆に皮膚や肉の方が先に裂けそうだ。

「動け、動、け……!」

 今を逃しては、恐らくすぐにあの魔女王は態勢を立て直し、身動き取れなくなった己を今度こそ焼き尽くすだろう。アラム達も、間に合わない。

「っあああああ!!!」

 絶叫し、己の腕が引きちぎれる覚悟で思い切り動かした、その時。

 未だ水が落ちてくる天井の穴から、白い影がぬるりと這い出てきた。

 アラムの体よりも大きな頭と、それに比例する長く太い体。水に濡れてぬめるように輝く、虹色がかった白の鱗。

「――シブカ!?」

 反射的にその大蛇の名を呼んでしまったレタに答えるかのように、蛇は身をくねらせて彼の元へ滑り落ちてくる。

 しかしその巨大な体は、進むごとに細く長くなり、まるで一本の縄のようになってレタまで辿り着き、岩の隙間に入り込んで右腕に絡みつく。

 咄嗟に腕を引こうとした瞬間、蛇が蠢いて体を膨れさせ、腕を拘束する岩を弾き飛ばした。その次は、足を、あっさりと、軽々と。

「お前、なんで」

 問う前に、その細くなった蛇はすでに引き始めた水の中に潜って行き、姿が見えなくなる。

「シブカ! アラムだけでなくお前まで――なんて事を!」

 激昂する魔女王の声が、殆ど砕けた天蓋の中に響く。そうだ、今は疑問を提示するようりも、やらなければならないことがある。

 右手を見る。黒布はほとんどぼろぼろに溶けて見る影もなかったが、手指に力を込めると集まって、小さな刃となった。嘗てあの闘技場で使わされていたぐらいの、頼りないもの。だがこれだけあれば――充分だ。

 じわじわと水が引き始め、部屋の熱も戻り始めている。時間が、無い。

 掌に隠れるぐらいの刃を、しっかりと握りしめ。固まった泥の地面を、駆け出す。悔しいほどに遅かったが、まだ動くことが出来た。それで、充分。

「ッ、おのれ、この死にぞこないッ!」

 魔女王が向かってくる敵に歯を剥き、再び炎を呼び出そうとするが、遅い!

「それは、お前だ……!」

 しびれの残った折れそうになる膝を必死に支え、もう一歩前へ。相手が振るよりも先に懐に飛び込めば、相手を殺せる。

 今度は間違えない。刃がぶれないように両手で支え、真っ直ぐに女の右胸へ――体当たりするように、突き立てた。

「ぎ、あああああアアアッ!!!」

 悲鳴と共に、女の体はまるで油を満たした袋のように、一気に燃え上がった。美しかった肌も髪も、見る見るうちに焼けて溶けて、剥げ落ちる。

 どうにか体をふらつかせてその場から離れ、気力だけで立っているレタに対し、しかし燃え盛る女は憎悪のみが籠った瞳で睨みながらも、どこか驚愕しているようだった。

「嗚呼――あぁあ――何故!? 何故、何故、貴方様でもない、愚息でも戦神でもない、こんな紛い物に、この、私が――!!?」

 怒りでは無い。本当に彼女は、このような結末に至ったことが在り得ない、信じられないと心の底から思っていたようだ。

「これが――これが、貴方様の望む結末ですか! ならば、ならば私は、嗚呼――」

 悲鳴は絶望の喘ぎに変わった。全てを理解したと言いたげに、ただ許しを乞うように天へ両腕を捧げ、それすらぼろぼろと崩れ落ち――ざらりと、床に溜まった水の上に撒かれて散っていく。

「――もう、二度と――」

 最後の声がレタの耳に僅かに届いたが、その意味を吟味する時間も無かった。疲労と、怪我と、精神が、全て限界だった。

 ぐらりと体が傾ぎ、僅かに残る水の上に前のめりに倒れる。

 着水する前に、意識が飛んだ。



 ×××



 火傷だらけの細い体が、倒れる前に受け止められた。

 一瞬のうちに裸足で、水面に降り立っていたアルードは、腕の中の人疑きを満足げに見て笑っている。まるで言う事を聞いた愛玩動物を、褒めるように。

 しかしそれも僅かなこと、いつものようにレタの襟首を片手で掴み、無造作に放る。既に三つ首の巨狼に戻っていたアラムの背上に。

「ラヴィラの神域まで運べ。そのうち目を覚ますだろう」

「「「――承知」」」

 僅かな驚きを潜めて、アラムは三つの口で同時に答える。背の上でぐったりとして、ぴくりとも動かないこの矮小な生き物が、この日。確かに、この世の理を一つ壊したのだ。

 魔女王に死を齎すものは、崩壊神か、戦神か、暴虐神。そう決まっている、定められている。

 そしてどの最期を選んでも、彼女は必ず蘇る、世界が作り直される限り。そう決まっている、定められている。

 この、愚かで哀れな人疑きは、その理を、壊した。死に掛けの様があまりにも無様でも、間違いなく成し遂げた。

 父がこれを選んだ理由を否が応にも理解して、僅かに顎を引いて礼を取り、そのまま踵を返す。父の命令や決定に、逆らうことなど在り得ない。始原神が創る理よりは、ずっと従うに足るものだから。

 アルードはそれを見送るでもなく、灰となって散った女を顧みるでもなく。

 今までの喜色を消して。ただ、つまらない作業を繰り返すかのように、無造作に腕を振り――

 部屋の壁も、柱も、冷えた溶岩の塊も、この城自体も、地下の国の外殻ですら全て――

 腕の一振りで、思い切り、粉々に砕いた。





この本に収録されている戦神ディアランの物語については、様々な説がある内、もっとも有名なエピソードを再編集して描いております。

お父様、お母様は、もしお子様がもっと知りたいとお望みならば、是非神書を捲ってみてください。

きっと、お子様に新しい世界を広げられると思います。

(昔ばなし絵本・「いくさしんディアランのぼうけん」編者あとがきより)

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