◆4-2
ようやく、ふたりはまの女王のしろにたどりつきました。
しろの中から、たくさんのへいしがでてきて、ふたりをとりかこみました。
しかし、いくさしんディアランにとって、これぐらいへでもありません。
きょ大なやりおのをふりかざし、へいしをぜんいんたおしてしまいました。
そうしているうちに、アルードはこっそりとしろの中へはいりこんだのです。
(昔ばなし絵本・「いくさしんディアランのぼうけん」より)
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無言のまま歩き続け、恐らく城の一番広い部分――つまり天蓋に近い上階にまで辿り着いた。
嘗てレタが引きずり出されていた闘技場の数倍はある。只広いだけで、装飾は碌にない。無骨な柱に据え付けられた篝火によって、この部屋の黒ずんだ壁がまるで、一度溶けて歪んだような不気味な皺に覆われているのが解った。
その上、今まで走ってきたことを勘定に入れても、この部屋は随分と暑い。まるで火にくべられた鍋の中のように、床や壁自体が熱を持っているようだ。
油断なく辺りを見回すレタに対し、大股で部屋の真ん中に進み出たアラムは三つ首で叫ぶ。
「「「出てこい! 身の程知らずの売女、忌まわしき魔女王!」」」
その声に答えるかのように、部屋の空気が揺らめく。
「――狼藉者の分際で、随分と吠えること。ああ、忌々しい」
じわりと、空気の温度が上がった気がする。陽炎の中に立ち上るように、美しい女が現れた。髪も肌も炎を孕んでいるかのように煌々と輝き、彼女が息をするたびに、部屋の中の熱が増していくようだ。
「理を何も変えられない、無様な狗の分際で。あのお方の安らかな眠りを妨げるつもり?」
炎よりも赤い眼が、狼を通り越してレタに向けられた。そこに込められた感情は、怨嗟と憤怒であることは間違いないのに、どこかそれだけではない、どろりとした輝きがあった。いったいそれが何なのか、レタには解らない。――嫉妬など、今まで何者にも向けられたことは無かったからだ。
「黙れ! 我が愚妹の神域を汚した罪、その血で贖えッ!!」
三つ首の狼が奔る。身の丈は唯の人間と変わらないように見える魔女王の首など、あっという間に噛み千切り飲み込まんとばかりに。
「ええ、ええ、本当に――役立たずの子供達だこと。あのお方に唯々諾々と従うことしか出来ず、楽しませることも出来ない無様な獣共」
魔を冠する女王は、己に向かう鋭い牙に何ら感慨を見せず。ただ不快だと言いたげに眉を顰め、美しく彩られた爪の指を僅かに振った。
その瞬間、女の肢体の周りを真っ赤な炎が包み込み、壁となり、渦となって狼に襲い掛かる。
「チィ!」
それは読んでいたのか、狼はすかさず己の身を三つに分けて、それぞれ壁や床に着地した。しかし炎は消えることなく、まるで生き物のようにうねり、アラム達だけでなくレタにもその身を飲み込もうと向かってくる。
「く……!」
咄嗟に飛んで下がり、大きな柱の後ろに転がり込む。柱と己の肌を掠めて焼いていく炎の奔流に、堪らず身を縮めた。
炎は、レタにとって嫌なものを思い出させた。赤く焼かれた鉄の棒が、己の身に何度も押し当てられた時の、痛みと熱さと屈辱。どれだけ抵抗しても許されず、焼印を消そうと何度も肌を切り刻んでも、そのたびに新しい場所に押し付けられた。
我知らずぐっと自分の腹の上に爪を立てた時、僅かに押し殺したような笑い声が聞こえた。低く艶のある、小さい筈なのにはっきりと耳に届く、実に不快な――
息を飲んで、見上げる。広い部屋の壁に、張り出した棚のような柵があり、そこに寄り掛かっている男。暗い部屋の中なのに、黒髪も黒い服も、金色の瞳と同じように浮き出て見えるその存在。
「あの野郎……!」
柵に肘をつき、唇を笑みのように歪めてレタの様子を眺めているその様は、闘技場で奴隷達の殺し合いを喜んで見ている者達とまるで同じだった。
ふざけるな、と思った。あいつの楽しみのためだけに、焼き殺されることを納得できるわけもない。
自分の服を垣間見る。生き物のように姿を変えるその服は、炎に掠められた筈だが焦げ痕一つない。あの程度ではこの布を燃やすことは出来ないらしい。ならば、腹は決まった。
もう一度、頭上から覗く崩壊神を睨み上げ。レタは己の右手に剣を構え、左手で自分の腰布を掴んだ。
「いつまで隠れているつもりかしら? なら、そのまま死になさい、人にも神にもなれない紛い物――!」
女の声が荒げられた瞬間、炎の塊が柱ごとレタを飲み込んだ。
×××
ヴァラティープは、かの腹立たしい存在を舐めきっていた。
人間とは、彼女にとって塵芥同然。神のような絶対者でもない、竜のように強靭でも無い、魔のように意志で世界を塗り替えることも出来ない。ただ際限なく増えて、神の手足となり働くことしかできない、最下層の生き物だ。
例え、かの崩壊神の力により理の頸城を壊されたとしても。人でも無ければ神にも成れぬ、ただの紛い物。
そんな無様な存在を、愛しき神が何故そこまで目をかけるのか、それが解らない。腹立たしい。許せない。息一つで呼び出した炎に巻かれて死ぬだけの、矮小なものの分際で!
未だ牙を剥いて飛びかかってくる愚息達をあしらいながら、炎に包まれた柱を見て漸く溜飲を下げた、その瞬間。
炎の渦が僅かに撓み、飛び出した欠片が一つ。それはまるで意志を持つように、まっすぐにヴァラティープに向かってきた。
「なッ――」
その正体を見極めて、ヴァラティープは激昂した。
炎の壁を水飴のように引き摺って、飛び出して来た矮躯は、手に持った布を思い切り振って炎を弾き飛ばす。元は「神の紐」の腰布だ。あれは如何なるものにもその姿を変容させることが出来るが、碌な意志の強さも持たぬ人間が操れるものでも無い筈なのに。
「何故――何故、お前如きがッ――」
ギリ、と美しい唇が歪む。あれが、只人ではない様を、ほんの僅かでも見せつけることが腹立たしくて仕方ない。
何故ならその行動ひとつひとつが、あの紛い物が崩壊神の「伴侶」であると、宣言されるようで――
「消えなさい! 私の前から、灰すら残さずッ!!」
憤怒の叫びと共に、びきり、とヴァラティープが背にする壁に大きな亀裂が走った。
×××
確かに未だ、レタは「神の紐」を充分に使いこなしているわけではない。しかし、自分の命を守るためにこの布が使えることは理解していたので、余り布である腰巻を盾代わりに使ったのだ。破く必要もなく、まるで元からそのような構造だったかのように、綺麗に外れて広がり、レタの全身を包んでくれた。
しかし、魔女王の絶叫と共に、壁の皹から湧き出てきたものは、まるで鉄砲水のように激しい勢いで、レタに叩きつけられた。
「っが――!」
咄嗟に盾代わりにした布ごと、物理的な圧力で弾き飛ばされる。同時に、先刻とは比べ物に成らない熱さを持った泥のようなものが、体に覆い被さって堪らず悲鳴を上げた。
「あ、がぅ……!」
じゅうじゅうと嫌な音を立てて、降りかかった真っ赤な泥が肌を焼く。まるで溶けた金属のように、へばりついて離れない。
痛みと熱さを堪えて立ち上がるも、その時には既に床のほとんどは赤い泥で覆われていた。
「、くそ……!」
高台まではとても手が届かない、柱も太すぎて昇るのは無理だ。一時の攻撃なら振り払うことが出来ても、この熱い泥の中に飲み込まれたら、いくらなんでも無事ではすむまい。
「全く――世話の焼ける奴め!」
如何すれば、と思った瞬間、僅かに残った床を足場に黒い影が飛ぶ。あっという間に襟首を牙で引っかけられて、ぶら下がる。真っ直ぐ立った柱の腹に、まるで地面に着地するのと同じように静止した、黒狼の口元から。
「お前等、何で」
「黙れ愚物! あのまま放っておけるのなら、そうしていたわ!」
ぶらさげられたまま驚くと、心底忌々しげなもう一頭の狼が、天井に静止しながら叫ぶ。宙に浮かんだままの最後の一頭は、納得いかないという顔で部屋の天井を振り仰いでいる。
その視線の先には――熱の充満した部屋の中、汗ひとつかかずにこちらを見ている、あの男。
「……あいつの、命令か」
応えは無い。そうなのか違うのかは解らないが、憤懣やる方ない、という風に鼻をぶるぶると鳴らすアラム達は、本当に心底不満なのだろう。しかしもし逆らえば、また先刻のように黒い血を吐き出してしまうのかもしれない。
狼はぶつぶつと憤りを呟きながら、それでもひょいとレタの体を放り、背に跨らせた。
「殺せぬのなら、精々役に立ってもらうぞ。あの淫売の首を取る為、動け」
「……言われなくても、そのつもりだ」
改めて、剣を構える。手に持っていた腰布を頭から被り、空いた手でアラムの毛をしっかりと握り、両足で獣の腹を挟む。ここまで来た道程の時よりも更にとんでもない動きをするだろうから。
レタの覚悟が伝わったのか、狼はやはり不満げにだがふん、と鼻を鳴らし。
「振り落ちて貴様が死ぬなら御の字だがな! ――行くぞ人擬きッ!」
その声と共に、三頭の狼が宙を舞った。
×××
忌々しい。忌々しい、忌々しい、忌々しい!!
ヴァラティープの心は千々に乱れていた。戦うことしか能のない愚息は、溶岩の熱すら厭わずにこちらに向かってくる。吹き出す熱泥を武器にして近づけぬよう追いやっているが、こちらにも決定打は無い。
魔女王には、神を殺せない。そう理として決まっている。魔女王の溶岩は、神を追いやることが出来ても、殺すまでは至らない。魔にとって、神の理とは決して侵せぬものであるのだ。その事実も腹立たしいし、嘗て自分の腹から生れ落ちたものだというのがまた許せない。
何より、愚息達に跨って、身の程知らずにも切りかかろうとしてくるあの出来損ない。床に放り出せばあっという間に溶かして飲み込めるものを、愚息達が守ってしまっている。
だからこそ、どうしようもなく忌々しい。何より、愚息達はあの出来損ないを疎んでいるようなのに、彼は。
ヴァラティープの瞳が僅かに潤み、上階を仰ぐ。特等席に佇むかの愛しい男は、美しくも悍ましい金色の瞳は、絶対にこちらを見てこない。見ているのは、ただひとつ――
「何故――何故、このようなものを、貴方様はこんなにも……!」
嘆きが唇から漏れた。かの崩壊神の決定に、眷属である暴虐神は逆らうことが出来ない。それが神という存在であると、ヴァラティープは良く理解している。
だからこそ、愚息ではなく自分がやらなければ。魔は確かに、神を侵すことは出来ない。だが、その奔放にして強靭な意志を持つが故に、神に逆らうことも可能にした。殺したいほど憎み、嘆きたいほどに愛す。唯一、それこそが魔に与えられた、神に仇成す権利だ。
「ならば! 貴方様の希望をここで壊し、捧げましょう! 愛しき崩壊神アルード様!!」
両手を天に掲げ、魂削るような絶叫に、アルードの瞳がほんの僅か動く。その事実にヴァラティープは歓喜する。例え己にその金色の瞳が向けられた瞬間、輝きを無くし曇ってしまったとしても。
それでも構わない。己の愛とは、そういうものだ。例えかの方の寵愛を永遠に受けられずとも、それを受ける者を全て殺してしまえれば、満足なのだから。
「燃えて融けて、消えなさいッ!!」
叫びと共に。彼女の周り八方に、巨大な溶岩の柱が突き立ち、降り注いだ。
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