理(ことわり)をなぞる
◆4-1
ディアランは、いいました。
「まの女王は、たいへんおそろしいらしい。イヴヌスさまにあだなすものを、たいじせねばなるまい」
しかし、まの女王のくには、ちかにあります。
しのくにをとおらなければ、ちかづけません。
こまったディアランは、あたまのいいゆう人である、アルードのもとへゆきました。
「まの女王のくにへ、ゆかねばならぬのだ」
「いいとも」と、アルードはこたえました。
「わたしのむすめに、ばしゃをよういさせよう」
なんと、アルードのむすめは、しめがみラヴィラだったのです。
(昔ばなし絵本・「いくさしんディアランのぼうけん」より)
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土塊と岩で覆われた、洞窟の壁面を三つ首の狼が駆け上がる。坂は急勾配になり、反り立ち、天蓋まで辿り着いても如何なる御技か勢いは衰えない。自分の体が落ちないように、レタは両手両足で背中にしがみ付くことしか出来ない。
天蓋から釣り下がるように建てられた巨大な城。人間の世界ではありえない建築物にレタが呆然としていると、狼の足は更に早く駆け、城を覆う城壁に突撃した。
「「「出てこい! 身の程知らずの淫売がァッ!!」」」
罵声と共に、石造りの壁が突き崩される。体当たりによってばらばらと散る石辺に叩き落とされないように、必死にレタは限界まで身を下げて堪えた。
やがて、雷のような轟音が治まったと気づいた時には、狼も足を止めていた。その足が地面に垂直についていることを確認してから、レタはがっちりと固まってしまった手指を如何にか開き、ずるりと地面に転がり落ちる。どうやら、城の中はちゃんと下が地面で正しいようだ。
「はっ、ぁ、は……!」
詰めていた息を全部吐き出して、どうにか立ち上がる。揺れとしがみつきだけで体力を使い果たしていたがだったが、どうやら休む暇も無いと解ったからだ。
城の中からぞろぞろと湧いて出るのは、獣の頭を持った巨体を揺らす化け物達。簡素な鎧と裏腹の巨大な剣や斧を持ち、アラムと己に向かって雄たけびをあげて向かってくる。
「ふん。雑魚共が」
「貴様ら如きで」
「この暴虐神を止められるとでも思うたか!!」
レタが剣を作り出す前に、狼が飛んだ。三つ首が順番に叫んだ瞬間、まるで影絵のように、三つの体に裂けた。
一体の巨狼から三体の狼となった暴虐神は、あっという間に牛頭の化け物を一度に三匹、まとめてその牙で噛み砕いた。
飛び散る血とその光景に、僅かに竦んでしまう己を叱咤し、レタは一息で腕を振る。同時にその手には、黒い湾刀が現れ出でた。
「――ッ!」
振り下ろされる巨大な斧を転がって躱し、太い足の踵を狙って剣を奮う。武器の強度は何ら衰えることなく、鋭い切れ味を伝えてくれた。身の丈は己の倍ほどもある獣人が悲鳴を上げて膝を折る。どうやら弱点は、人間とそう変わりはないようだ。ならば、怯む理由も無くなる。
「来い――全部、殺してやる!!」
己が生き残るための言葉を声に出して叫んだ。
×××
レタの背丈と剣の長さでは、獣人の他の急所――心臓や頭には届かない。なので専ら、足を狙うことにした。
大振りの武器の攻撃を低い体勢で掻い潜り、太腿や脹脛を狙って思い切り剣を横薙ぎに振る。切れ味は全く衰えず、一振りで丸太のような太さの足も真っ二つにすることが出来た。
血と硫黄の匂いが充満する城の前庭で、どれだけの時間戦っていたのか。
いい加減腕が上がらなくなった時には、周りに動くものは三体の狼以外居なかった。
「は、あ――……、は」
荒い息を長く吐き、どうにか呼吸を納めるレタを、肉片を咀嚼しながら馬鹿にしたように、三匹の魔狼が鼻を鳴らす。
「この雑魚共だけで死にかけているのか、無様だな」
「親父殿に与えられた力も満足に扱えぬか」
「まだ矢傷すら癒えておらん。紛れもなく人擬きだ、これは」
心底馬鹿にされた口調だったが、言われた言葉にはっと気づく。先刻矢が刺さった筈の肩口に視線をやると、碌な血止めすらせず動き回った筈なのに、傷口は塞がっていた。鮮やかな色を残してはいるものの、痛みも無い。此処へ来る最中に体中に負った筈の傷も、殆どが消えている。残っているのは、嘗て喰らった古傷だけだ。血の汚れすらなく滑らかな己の肌を見て、逆に怖気が走った。
やはりこの体は、もう既に人ならざるものに成りかけているのだと、認めざるを得なくて。俯いたレタを気にする風も無く、狼達は歩きながらずるりと身を寄せ、一体どんな仕組みなのか不明だが、元の三つ首に戻った。
「あの女は出てこぬか。これだけ食い尽くせば苛立って出てくるかと思ったが」
「いつも通り玉座で踏ん反り返っているのだろうよ」
「此度こそはあの四肢を引き裂いて、頭蓋を噛み砕いてくれようぞ」
口々にそう言いながら、歩いていた獣の足がひたりと止まる。如何したのかと思ったら、一つだけ首が振り返って不機嫌そうに言い放った。
「如何した、人擬き。早く来い」
「……」
今まで邪険に扱ってきてのこの促しに驚いて、目を瞬かせていると、苛立ったように狼が騒ぐ。
「ええい愚鈍な奴め! 親父殿の命さえ無ければ今ここで丸呑みにしてやるものを!」
「だがこの城の中ならば誅殺しても全てはあの淫売の罪となろう」
「そら、早く進め。その背中を引き裂かれたく無ければな!」
別にレタ自身も、歩みを止める気は無かったのだが。誅殺だの何だのを、それを向ける張本人の前で堂々と話すのは如何なのだろう。勿論、何が在ろうと完遂できる自信と力の差があるからなのだろうが。
何となく納得できなさを感じながら、レタは自分の足で魔女王の城へ踏み入った。
×××
城の中は、広かった。普段歩く者が先刻の牛頭達ならばそれも当然だろうが、アラムの巨体が悠々と進めるほどの回廊が伸びている。
隣を歩く黒狼が、がちがちと乱杭歯を鳴らしているので気は抜けないが、最初の襲撃以降相手方の影は見えなくなった。暗い回廊は不気味なほどに静かだ。
「……あれで兵隊が全部だったのか?」
まさか、の意味を込めて呟くが、意外なことに隣から返答が来た。
「然り。いつも通り、いつもの様に。戦神が来ようが、我等が来ようが、何も変わらぬ」
「貴様ぐらいならば纏めて始末しようと目論んだのかも知れぬがな」
「いい気味だ、あの淫婦の鼻を明かしてやるのは心地良い」
好き勝手に言い募る三つの首は、如何にもやはり、一つ一つは別柄らしい。奇妙な狼を横目に見ながら、苛立ちを堪えて疑問を出す。
「いつも通り、って。お前らはいつも、こうやって……狙って来た奴っていうのは、お前達の母親でいいんだな?」
「あの淫売を母と呼ぶな! 全く持って許し難い!!」
言葉尻に噛みつかれて辟易する。常識が違うせいで、互いに引っかからないところが引っかかるのが面倒臭い。まあ確証は持てたので、溜息一つで流してやる。
「だから、そんなに嫌っている女のことを、何度も討ち漏らしてるのか。逆にお前らがいつも負けてるのか?」
挑発を込めて言ってやったし、剣は忘れずに構えておいた。この傲慢な狼達ならば、すぐさま怒り狂って飛び掛ってきてもおかしくないからと。
「「「――」」」
しかし、首は三つとも沈黙を貫いた。思わぬことを聞いた、と言いたげに金色の目が一瞬瞬く。その戸惑いにレタの方が驚いて足を止めると、きしりと牙を噛み締める音が聞こえた。
「……腹立たしい、腹立たしい。この憤り、貴様のような人疑きには解るまい」
「解るわけが無い。貴様などに、我等と、我が愚妹愚弟と、我が親父殿の鬱屈と空虚が、理解できて堪るものか」
怒りはある。苛立ちもある。だがそれよりも、一番中心の感情がすこんと抜け落ちてしまったような、どこか空虚な声で、狼は搾り出した。左、右と首が語り、最後に中の首が口を開く。
「だが――だが、口惜しいが。貴様が、親父殿に選ばれた理由は、理解した。あの女に狙われる理由もな。実に、実に腹立たしいが」
八本の足を漸く止めて、振り向いた顔が心底嫌そうな声音でそう伝えてきた。
「理を背負わぬ哀れな人疑きよ。精々、親父殿が望む役目を果たせ」
「誰が――」
勝手な言い分にいよいよ腹が立って、駆け出す。このまま斬りつけてやろうかと思った端から、足元がかくりと僅かに沈み――
「っあ……!?」
一気に廊下の床が崩れた。侵入者用の罠なのか、支えを失ってレタの体は真っ逆さまに落ちる。下には――何も無い。何せこの城は地下の天蓋からぶら下がっているのだから!
「ッ戯けェ!!」
中の首が叫び、あっという間に三体に分離した狼の内の一頭が、壁を伝って穴を駆け下りる。あわや落ちそうになったところで、襟首を噛まれて上へと放り投げられた。
「ぐっ!」
ごろんと元の廊下に転がされ、汗がどっと出てくる。己の油断が許せなくて歯噛みするがそれよりも、狼の牙がぎらりと首筋に突きつけられて動けなくなってしまった。
「この、愚物がッ! この程度の罠にかかるとは間抜けにも程があるわ! どさくさにそのそっ首、噛み千切ってやっても構わぬのだぞ!」
憤る狼に、恐怖を堪えて、やれるものならやってみろと言い放とうとして――
「げぼっ」
「がハァ!!」
不意に、残りの二頭が苦しげに呻き、何かを吐いた。最初は血かと思ったのだが、真っ黒く粘性の高い液体だ。中には黒い結晶のような石も混じっている。何が起こったのか解らないまま、レタを助けた一頭が、倒れ伏した二頭の下へ素早く駆け戻る。
「戯け、動けなんだか。重なるが良い、左と右の罪でも我等の罪ではない」
「「済まぬ、中の」」
互いを労うように鼻を摺り寄せ、狼は三つ首に戻り体を起こした。先刻の変調は一切見せない。
「嗚呼、全く持って腹立たしい。腹立たしくて仕方ない」
「いくら親父殿の命とはいえ、度し難い」
「貴様のような迂闊で弱いものを、守らねばならぬとは」
「……」
レタは何も言えなくなった。自分の命が、相変わらずあの崩壊神に握られているのは相変わらず腹が立つけれど。
これだけの強さを持ち傍若無人に振舞う狼達が、もしかしたらちっとも、ひょっとしたら自分よりも、自由勝手では無いのかもしれないということに、気付いてしまったから。
僅かに浮かんだ嫌な居心地の悪さに名前をつけることが出来なくて、結局レタは無言で三つ首の狼の後を追う。
憐憫など、今までの人生で一度も感じたことが無かったからだ。
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