第50話 出勤前

 ……眠っていたみたいだ。

 昨日の記憶を思い出す。

 たしか莉望に楽しいことをしよう、と言って、莉望が笑ったんだっけ? 少なくとも優しい顔をしてた気がする。

 莉望……。


 莉望!?

 僕が寝たまま横を向くと、そこには莉望がいた。

 辺りを見て確認する。

 ここは僕の部屋じゃない。莉望の部屋だ。


 昨日あのまま寝てしまったんだ。早く自分の部屋に戻ろう。

 そう思って布団から降りる時、布団を揺らしてしまったからか、莉望がん、んー、と言いながら目を開けた。



「だ、だれ!?

 あ、景さんか。おはよう~」



 起きたての莉望の反応に僕の胸が痛んだが、昨日今日の関係だ。しょうがない所だろう。

 それよりも、僕だと分かった途端、もう一度目を閉じるのは油断のし過ぎではないだろうか。信頼しすぎではないだろうか!

 自分の中で勝手に思って、信頼されている、と嬉しく思った。

 いやいや予想にすぎない、と僕は心を持ち直して頭をブンブン振ると、莉望が笑った。



「何してるの〜」


「あ、いやなんでもないよ。

 そ、それより朝ごはんどうする?

 何か頼む?」



 僕は焦りながら無理やり話を逸らした。



「うん! パンが食べたい! たまごのサンドウィッチとか!

 注文してくれる?」


「うん。わかった。

 じゃあ夢送り師の人が来たら自分で受け取るんだよ」


「え! 景さんどこか行っちゃうの?」



 莉望はびっくりしたような顔で、体を起こした。

 その反応に僕は慌てる。



「あ、いや、自分の部屋に戻ろうと思って……」


「え〜、ゆっくりしていけばいいのに。朝ごはん一緒に食べたかったなぁ」



 足をバタバタして駄々をこねるような莉望に僕は思わず「わかった」と言ってしまう。

 正直に言うと、莉望と一緒にいること自体は嫌じゃないが、一緒にいるとどう反応したらいいか分からない時が多い。なんというか、気を使わせたくないし、でも気を使わせない方法が分からないのだ……。



「景さんわがまま聞いてくれてありがとうね」



 僕が莉望の隣に腰かけたとき、莉望がそう言った。ほんとうに僕を困らせるわがままばかりだから困る。でもそれに反して「わがままくらいいつでも聞くよ」と言ってしまったのだ。

 その時の胸の内はというと、莉望が病院にいたときはきっとわがままも言えなかっただろうな、という憶測と、僕に縛られずに莉望は莉望で好きに生きた方が幸せなんじゃないか、そう考えていた。言わなかったけど。






 朝食が届いて僕は莉望に「お茶と牛乳どっちがいい?」と聞いた。余った方は僕が飲むのだけど、ほんとうはコーヒーが飲みたかったり……。でも莉望が選べる方がいいかなって思った。あと、牛乳は栄養価も高いし、病院食のイメージがある。

 案の定、莉望は牛乳を選んだ。「サンドウィッチには牛乳だよ!」と言いながら頬いっぱいに頬張っている。



「ねぇねぇ、今日の夢送り師さんのお手伝いってどれくらいの時間が忙しいんだろうね。それまでに仕事に慣れなきゃ」


「んー、やっぱりご飯の注文が多いんじゃない? 昼と夜の」


「そっか~。じゃあこれ食べ終わって、少し休憩したら行こうよ」



 現在時刻は9時を回ったところだ。そもそもお手伝いさせてくれるかもわからないが、仕事の説明もあるだろうし、10時前に着いた方がいいだろう。そう思い、僕は莉望の提案に賛同した。






 9時30分過ぎ。僕は莉望の「たのしみだなぁ」という声に反論した。



「莉望、バイトってほんとに大変だからね? あんまりはしゃいだらダメだよ」


「そうかもしれないけど、始めてやることにはワクワクするの!」


「わかるけどさ、ちゃんとやらないと夢送り師さんの迷惑になるからね」


「うん。気を付ける。それに私が何かやらかしても景さんが助けてくれるでしょ?」



 人任せだし、何でそんなに僕を信用するのだろうか。意味が解らない。



「できる範囲なら、だけどね。あんまり期待しないこと」



 僕はさらに莉望に注意を促して、2人で眠夢様の所へ向かったのだ。







 コンコン。

 何のためらいもなく、莉望が眠夢様の部屋のドアをたたく。僕は慌ててお辞儀した。そんな僕にお構いなしな莉望はこう喋りながら部屋に足を運んだ。



「眠夢様こんにちは!」



 頭も下げないし、歩きながら物を申すなんて……。

 そういえば堀部さんはひざまずくまでしていたよな。



「ちょっと莉望、ちゃんとして」



 僕がそう注意すると眠夢様が「いいのよ」と微笑んだ。



「それでどうしたの? 矢澤さん」


「眠夢様にお願いが2つありまして――」



 敬語は使えるみたいでよかった――って、2つ!? 聞いてない、聞いてないよ莉望!

 僕の知らないお願いに戸惑いを隠せなかった。



「1つがですね、私苗字で呼ばれるの慣れていなく、もし眠夢様さえよければ名前で呼んでいただけませんか?」



 僕が聞いていなかった方のお願いが、大したことなくてそっと胸をなでおろした。

 眠夢様はというと「いいわよ。じゃあ莉望さんね」と笑って言った後、こう言った。



「じゃあ中村くんのことも“景くん”と呼ぼうかしら」



 と言ったのだ。眠夢様のまさかの提案に、僕は「どうぞ」としか言えなかった。



「それで莉望さん、もう1つはなにかしら?」



 眠夢様がそう言ったとき、莉望はわかりやすく肩をびくつかせた。油断していたのか、はたまた考え事でもしていたのか……。一瞬逃した莉望の表情に僕は頭を悩ませる。

 でも、次の莉望の声色こわいろからは何も伺えなかった。



「あ、えっと……、

 私たち、夢送り師さんのお手伝いがしたくて――」


「あら、そうなの? それなら大歓迎よ」



 変わらない莉望の様子に、僕は何も口を出さなかった。

 そして眠夢様の了承によって、僕らは夢遊界で“寝る”以外の仕事をもう1つすることになったのだ――。



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