第38話 夢のように(2)

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 あれ? 天井が茶色い。あ、旅行に来てるんだった。

 よいしょっと。んー、体が重い。だるい。

 でも元気でいなきゃ。今日は何だっけ……フラワーパーク連れて行ってくれるって言ってたから。






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「莉望大丈夫? もうすぐ病院につくからね」


「お母さん、私ね――」






 ~~~~~~






「無理しちゃだめよ? 莉望ちゃんは心臓が弱いんだから」


「ごめんなさい」






 ―――――――






 断片的な夢を見た。

 あれ? 天井が茶色い。あ、旅行に来てるんだった。

 よいしょっと。んー、体が重い。だるい。

 でも元気でいなきゃ。今日は何だっけ……フラワーパーク連れて行ってくれるって言ってたから。

 あ、これ夢で見たっけ。こんな時に何やってるんだろ……。

 はぁ……。ため息が出ちゃうよ。


 辺りを見渡すと、お父さんはまだ寝ていて、洗面所から明かりが漏れていた。



「おはよう」



 顔を洗っているお母さんに私は声をかける。



「おはよう、もう起きたのね」



 帰ってくる返事に「うん」と返事をして、私も顔を洗う。

 冷えた頭に気持ちよさを感じた。

 多分、熱がある。昨日はしゃぎ過ぎたからかな、それとも頭を使いすぎたせいかな。

 なんてごちゃごちゃと考えて私はぼーっと時間を過ごした。




 心配されないように朝ごはんは苦しいくらいに食べて、私たちは旅館を後にした。

 ズキッ。頭に痛みが走る。



「フラワーパークまでどれくらいかかる?」


「1時間くらいだ」



 ハンドルを握ったお父さんが答えた。



「そっか。じゃあ寝ていってもいい? 昨日の夜、今日が楽しみであんまり寝付けなかったから」


「わかった。着いたら起こすよ。おやすみ」



 こうして私は少しでも体調が良くなれば、そう思って目をつむった。楽しみでまどからの景色が気になって、それこそ、うまく眠りにつけなかったけれど。






「着いたよ、起きれるかい?」



 お父さんは私に手を伸ばした。お母さんは私がこれから乗る車いすを押さえている。



「ありがとう」



 私はストンと車いすに座った。

 ガタガタと揺れる車いすは私の頭に痛みを与えた。けれど私は帰りたくなくて、まだこの綺麗な世界を見ていたくて我慢をする。



「見えるかい? あれがスイレンだよ」


「え、あれって切られちゃったの……?」



 お父さんが指さした花に私は驚きを隠せなかった。葉っぱと花が水に浮かんでいる様子に、切られてもう生きていないのかと思ったのだ。

 そんな勘違いをお母さんは笑った。



「あれは切られてないのよ。水の下にある土から生えているの。

 たしかに知らなかったら切られて浮かべられたように見えるわね」


「そうだな。莉望は純粋だからな」



 お父さんも続いてそう笑った。だって、世の中にこんな花があるなんて知らなかったんだから、しょうがないじゃん! と私は心の中で反論した。



「もう、2人とも――」


「でもスイレンって“純粋な心”っていう意味があるんだ。まるで莉望を映しているみたいだな」



 私の言葉を遮ってお父さんが言った。

 私を映した花……。

 そう思うと、不思議な花だけど、この花が愛おしく思えた。





「……の! 莉望!」



 お母さんの声に反応が遅れた。



「大丈夫?」


「大丈夫だよ。見とれていただけ」



 私はごまかそうとしたが、お母さんは私の手を握った。そして「熱い、熱があるんじゃない?」とその手を私のおでこに。



「お父さん! 莉望、少しだけど熱があるわ」


「なんだって……? 病院に――」


「今日日曜日だから大きな病院しかやってないわ」


「そうか……。じゃあ東京に戻った方がよさそうだな」





 こうして慌ただしく車に乗り込み、東京に戻ることになった。



「ごめんなさい。私のせいで……」


「莉望のせいじゃないわ。寝れるなら寝ていきなさい」


「……はい」



 お母さんの言葉に私は悔しくなった。こんな時ですら、お母さんたちに迷惑をかけてしまう自分に。もう元の生活に戻ってしまうことに。

 そんな汚い感情をお母さんに悟られないように、私は寝たふりをした。






 しばらく時間が経って、お母さんは私の頭を撫でた。そしてこう呟く。



「莉望大丈夫? もうすぐ病院につくからね」



 こんなこと初めてでどうしたらいいかわからず、私はぱちりと目を開けた。



「お母さん、私ね、まだ帰りたくないよ。帰るくらいなら……」



 言っていいか少し迷うように喉に言葉がつっかえて、でも言おうとした言葉は飲み込めきれず、濁った音で口から離れた。



「死んじゃいたい、よ……」



 初めて口にした確かな感情はお母さんの表情を暗くし、私に言わなければよかった、という感情が飛びついてきた。



「ごめんなさ――」


「そうよね」



 想像もしていなかった低く冷めたお母さんの声に私は全身が凍った。そして知ることになる、お母さんとどんなにすれ違っていたか――。





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