第23話 準備期間
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マスターが任期を迎えて退職した日、楓はなにも言ってくれなかったことにショックを受けて膝から崩れ落ちた。
「楓、これ。マスターから」
俺はマスターから預かった手紙を楓に差し出すと、現実を理解できないような顔をして静かに受け取った。マスターが直接渡さなかったのは楓の見せるこの顔に戸惑うからだろう。
俺は手紙に何が書かれているか知らない。知らないけれど、何となく楓の表情で書いてあることを察する。
最初は悔しそうな顔をしていたから、この事実に苦しんでいたのだろう。だがその後、ゆっくり静かに涙を伝わせて、うんうん、と頷くようにまぶたを落としていたから、そこにはきっとこれからのエールが書かれていたんだと思う。
楓が手紙を読み終えると、俺は楓に向かって鍵を渡した。
受け取っていいのかと戸惑うかと思ったら、楓の瞳は熱く火が灯るかのように煌びやかに光沢を持ち、ゆっくりと俺の手から鍵を受け取った。
そして楓は少しスッキリした顔でこう言った。
「取り乱してしまってすみません。僕頑張るので、力を貸してもらえませんか? 優紀さんが必要なんです」
楓のハッキリと力強い声は今でもはっきり覚えている。もちろん、その時返した「一緒に頑張ろう」の言葉も。
それから俺たちはほとんどの時間を一緒に過ごした。
楓がプログラミングしている所を見て、俺もやり方を覚えたし、マスターの喫茶店をゲーセンに改装したりした。茶色かった壁は俺たちの手で白色に染め上げ、壁ガラスを増やすために壁をぶち抜いた。
見た目は小さく構えている店なため、穴場のようなこじんまりと見える。だが、中はゲーセン特有の電子音で溢れ、並ぶゲーミングPCのキラキラとしたライトが照らしていた。
この大量のゲーミングPCはというと、楓が貯めていたお金で注文し、とりあえずで数を確保した。流石に俺も納得はいかなかったが、「これから2人で稼ぐんですよ? PC代の分なんて余裕で稼げます!」と、にへらと楓が笑ったので、条件をつけて俺は納得した。“PC代のお金を稼ぐまで俺は利益を受け取らない”という条件で。
それこそ、楓は納得しなかった。でもそうじゃなければいけないと思っていた。
なぜなら楓は俺よりも先に、俺と出会った時から紺色の服を身にまとった製造者3年目であったからだ。
マスターが退職の話をしてくれた日、俺は任期があることを思い出し、真っ先に楓の顔が浮かんだ。任期までにゲーセンを作るという夢を叶えなければいけないと思ったからだ。
この夢。そう、俺たちの夢。
楓と協力しながら行う中で、間違いなく俺の心を侵食してきた。作り上げたいと思う度、夢中になったものだ。
そしてやり遂げたいと思う度、どんどん楓が大切になっていった。
……楓の任期を勝手に考えるようになった。
だからゲーセン開店前日になった時はやっと心が落ち着いた。
だが1人で過ごすと緊張してしまうと楓が言ったため、2人でのんびり店舗で過ごすことにした。
最終確認をしたり、実際に遊んだり……。
途中、楓がコーヒーを淹れてくれて、「マスターのコーヒーが飲みたい!」なんて話もした。
そしてあっという間に時間が過ぎ、待ちわびていた夢を叶える日が訪れる――。
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