第5話 学生3
マイク少年との一件がうやむやで終わった数日後、俺たちは教室に集められていた。簡素ながらもどこか艶やかな美しさを感じるこの机といすは機能美というのだろうか、人間の機微に対応すべくすべてが洗練されていた。あいにく席は自由席であるから、いわゆる主人公席ってのはないわけなのだが、というよりそもそも窓がないわけなのだが、それでも俺のような陰鬱とした奴には隅っこってのは落ち着ける場所だね。だから教室の隅っこは俺の特等席となっている。そしてその隣にシャーロットが座るってことだ。しかしなんだね。あの担任は。あの人が俺たちのことを呼んだくせして、この中の誰よりも遅いじゃないか。飲み会でもなんでも、幹事ってのは一番最初に来るもんですよ。そんなことを思いつつアンニュイな雰囲気を紛らわせようとただ何の当てもなく黒板を凝然と見ていると、右に取り付けられた扉がガラガラと開き、そこから担任が傲然と入ってきた。
「ええ、諸君。集まってもらって申し訳ない。今回は入る委員会を決めてもらおうと思っている」
そう言うと担任は後ろの黒板につらつらと委員会名、そして希望人数を書き始めた。右から生徒会、風紀委員会、図書委員会、飼育委員会、体育委員会となっている。希望人数的に絶対に何かしらには入らなくてはいけないようだ。正直言って面倒くさいこと極まりないが、俺も学生であるうちは甘んじて受け入れてやろうではないか。
他の学校ならそのまま候補者を絞って決定する流れになったのであろうが、ここは何と言っても学生の主体性を重んじるところである。だから、訊くところによると体験期間というものが設けられているらしい。そこで俺はこう考えたわけだ。体験して一番楽なものを選んでやろうと。まあ、とは言ってもそれは皆が考えていることだろうから、仮に見つかったとしてもそこの競争率は高いとみて取るのが普通だろう。だから一応候補は何個か出しておくつもりだ。とりあえず今の時点で絶対に入りたくないのは生徒会だね。前世でもそうだが、生徒会、殊に生徒会長は忙しく飛び回っていたように思える。そんなもの、悠久を望む健全な学徒からしたら唾棄されてしかるべきだろう。それはシャーロットのような利他主義の方々がやるべきだ。そこで、俺はあの委員会の中で一番名前負けしている飼育委員会から体験することにした。
「でも……ダメね。私としたことが常識にとらわれ過ぎていたわ。とにかく、鶏というのはコケコッコーとなくものではない、それが分かったわ」
やれやれ、これだから公爵令嬢は。なんだい。それならクックドゥードゥルドゥ―とでも鳴くというんですかい。それは言語圏の違いなだけで同じものを指し示していますよ。矢張り身分の高い人っていうのはどこまでもきざな奴なんだな。俺は呆れながらも扉を開ける。するとそこにいたのは——グエーだのギョエーだの、とにかくガーガーチキンがプレス機で容赦なく潰されたような鳴き声をした、醜い鶏どもだった。この時俺ははたと気づいたね。どんなに信じがたくとも、一顧だにせず人の忠告を聞き入れないってのは馬鹿のすることだって。
俺たちは、俺とシャーロットは飼育委員会に来ていた。
俺としてはシャーロットに、ぜひとも生徒会に行ってもらいたかったのだが、なかなか強情なシャーロットはそれを峻拒し、俺と共に行くことを決して譲らなかった。そんな姿を見た俺は、当然シャーロットのことを頑迷固陋な奴だなと思っていたわけだがしかし、この鶏を受け入れたってことはまだ柔軟性は死んじゃいないのだろう。俺としてはそれだけでここに来た価値ってのがあったと思うのだが、だから本心からこれ以上何も起こってほしくないと思っていたのだが、万事塞翁が馬、人生は常に五里霧中ってわけでこの後に驚天動地の展開が待っていたのだが、それを薄々予期していたかもしれない俺ってのを振り返ってみると、やっぱり虫の知らせってのはあるのかもしれないと、モダンな概念に懐疑心を持たざるを得ないね。
シャーロットを見たある一人がぽつりと漏らした。
「公爵令嬢さまだ……」
それを聞き洩らさなかった飼育委員の一人が、昂りながらこう言った。
「ってことは!君がジャック・マクベイで、君がシャーロット・スカーレットかい?!」
目の爛々と輝くこと、夏の日の如し。声の空気を震わせること、驚天動地の如し。何かよからぬことを感じた俺は、すぐさまこう答えた。
「いえ、他人の空似です」
しかし、シャーロットは、それに気づかなかったのか、あるいは気づいていたのかもしれないが興味本位ということだったのか、俺のその言をかき消すようにこう述べた。
「はい、私たちが、私たちこそが、あの、シャーロット・スカーレットとジャック・マクベイです」
おいおい、お前はなんだ。もののふの途でも修めているのか。
「そうなんだ!すごいね!ジャック・マクベイ君と言うと主席入学で!さらにシャーロットご令嬢と仲睦まじくて!」
そういう先輩の声は年中その音量なんですかね。だとしたら数人、耳を爆散させた方がいらっしゃるでしょうね。
「あ、たははー、ごめんね。少し興奮しちゃって……」
先輩は少し照れ臭そうに頭をかく。そしてこう話を続けた。
「でも、そんな君たちにここは役不足だよ。ここなんて鶏を慈しむだけだもん」
俺としてはその陳腐さ、平易さが気に入っているんですがね。
「いやいや、本当に君たちだと退屈しちゃうよ。だからさ、『学徒三王道』なんてどうかな」
『学徒三王道』?
「あ、そっか、君たちはまだ、委員会の中で格が違うものの別称を知らないのか」
「格」という言葉にシャーロットが反応した。
「『格』とはどういうことですか?」
「文字通りの意味だよ。私たち飼育委員とか他の委員はGクラスまで入れるんだけど、学徒三王道はS~Bクラスまでの、しかもその中からさらに選ばれた人しか入れないんだよ」
「選ばれた」というのを聞いて俺が一番唾棄していた委員会を思い出してしまった俺は、こう話を終わらそうとする。
へぇ、そんなのがあるんですか。まあ、興味のないことなんで遠慮しておきます。
しかし、傍らにはシャーロットがいて、存外そうはいかなかった。
「ちなみに学徒三王道とはどの委員会のことなんですか」
態度はいかにもついでといった感じだったが、付き合いの短いものなら興味がなさそうに見えたかもしれないが、俺にはシャーロットの好奇心が駆り立てられていることが手に取るようにわかった。
「図書委員会と、風紀委員会と、あとは、その中でもトップなのが生徒会だね」
「そう、……わかりました。ありがとうございます」
そう言ってその場を立ち去ろうとするシャーロット。俺はここに決めたので見送っていたのだが——
「なにやってんの。じゃっくん、あなたも来るのよ」
俺に平穏は訪れないらしい。
道中にて。
「となると、まずは図書委員会か」
俺はさりげなくシャーロットを生徒会から遠のけた。理由は簡単だ。こいつは絶対生徒会に興味を抱く。そんな時に傍らに俺がいたら絶対に俺も一緒に入れようとするはずだ。もちろん俺は生徒会など蛇蝎のごとく嫌っているわけで、だからシャーロットからは少しでも生徒会を離さないといけない。
「何言ってるの。図書委員会なんて私の性に合わないわ。だから行くとしたら生徒会か風紀委員会ね」
これまた面倒くさそうなのを持ってきたな。まあその中だったら風紀委員会の方がましだろう。
「じゃあ、風紀委員会か」
「なんか選択に作為を感じるけど……いいわ。それに従ってあげる。誰だって天命にはあらがえないものね」
人事を尽くして天命を待つ。まさに今の俺はそれだろう。
俺たちは重厚な木の扉の前に来ていた。扉には金属製のプレートで風紀委員会と書かれている。
「さ、入るわよ」
簡単に言ってくれるな。
「なに、それともここでぐずぐずして笑われ者になりたいの?」
いや、そうは言って——
「じゃあ行くわよ」
そう言ってシャーロットは、ノックの一つもなしに扉を勢いよく開けた。
やれやれ、これだから型破りな女は。
そして広い室内が現前し、その奥、遠いところに傲然と座っていたのは、部屋の奥の中心に、風紀委員長というプレートをひっさげて座っていたのは、金髪でツインテールの、西洋の彫刻然とした顔に無表情を湛えた少女だった。
「見学者かしら。ようこそ、風紀委員会へ。……あなたは例の公爵令嬢ね。となると、隣のあなたは校舎を半壊させた犯人かしら。はぁ、優秀なのは間違いないのだろうけど、一体なんでこんな問題児が来てしまったのかしら」
そういうあなたの名前は?
「ああ、私?私はサンドラ・コーペンハイドよ」
「そんな言い方はないんじゃないかしら。大体その事件は——」
「ああはいはい、分かってるわよ。何が原因かぐらい。痴情のもつれでしょう」
「ち、痴情って……」
当たらずとも遠からず。そんな言にシャーロットは不承不承ながらうなずくしかなかった。おいおいシャーロットさん。あんたは先輩を恨みがましく睨んでおりますけど、あんたの性格も大体この先輩と同じようなもんですよ。だからそれは同族嫌悪ってもんですよ。
「まあでも、」と、先輩、えーっと、名前は確か、サンドラ・コーペンハイドさんだっけ?が続ける。
「あんたたち、特にジャック・マクベイは生徒会に行った方がいいわね。生徒会長があんたを気に入っていたらしいわ」
ほお、俺としては全くその要因に心当たりがないのだが、まあつまりこんな俺を好むやつだというのだから、大層酔狂な奴なんでしょうね。俺としてはそれを聞いてより一層、生徒会への足が向かなくなりましたよ。
「ああ、同時に生徒会長はこんなことも言っていたわ、マイク・アンダーソンとの一件をうやむやに終わらせたのは私の功績なんだから、来なかったら間違ってマイク・アンダーソンとの一件を大問題にしてしまうかも、とね」
……まあ、一人称が「私」っていう男の人もいるでしょうし、女の人だってこの学園にはいっぱいいるでしょうから、俺の思っていることはたぶん外れるでしょうね。
「さあ、どうかしら」
「これで行かない理由はなくなったわね」
俺の隣でぼそりとシャーロットが呟く。横を向くと、したり顔の、得心顔の、意地悪い笑みを浮かべたシャーロットがいた。
俺たちは、これまた重厚な木製の扉の前に来ていた。扉には、同じく金属製のプレートで、生徒会と書かれている。いったい、学徒三王道ってのはどうなっているんだい。何でもかんでも重苦しくしないと済まない性質なのか。ああ、飼育委員会の、あの緩い感じのドアが懐かしい。何の変哲もないドアにポップでかわいらしい字で飼育委員会と書かれていたあの扉が。
「さ、行くわよ」
そう言って、今度もノック一つもしなかったシャーロットは、勢いよく生徒会室へ入って行った。
「ようこそ、生徒会室へ。見学かな?——ああ!じゃっくん!待っていたよ!」
隣ではシャーロットがしかめっ面をしている。俺としては今すぐにでもこの場を逃げ出したい気分だ。そう、生徒会長とは、桐原歩美先輩、マイク少年との一件で仲裁に入ってくれた少女だったのだ。
「——そこでだ。ジャック君、いや、じゃっくん、君には我々生徒会に入ってもらいたいと思う」
呆然自失としている俺たちに対してつらつらと長話を披露した桐原先輩、もとい生徒会長は、気づくとそんなことを提案していた。
マイク少年との一件があった俺にそんな大役が務まるとは思いませんけどね。第一生徒会ってのは皆からの信認が必要でしょう。俺にそんなことができるとは——
「やってみなくちゃ分からないだろう。第一、君のマイク・アンダーソンとの一件をうやむやにするときに、君が生徒会として貢献するからという言葉を教師側に言ってしまったんだ」
は?
「だから、君が生徒会に入ることは義務なんだよ」
……いやいや、それはあんたの問題でしょう。だから俺にはまったく——
「いやぁ、生徒会ってのは人員不足が慢性的でね。先生方もそれならと手を打ってくれたよ。もしその約束が破られたら……君は退学になってしまうかもしれない。何せ校舎を半壊させたわけだしね」
……ここは権力の全くない俺には到底覆せない。そこでシャーロットの方を頼み見るわけだが——
「いいんじゃない」
シャーロットはむすっとした感じでそっぽを向きながらそう答えた。
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