第2話 誕生
俺の物語が始まりだした時、ひとまず俺はあの老人を恨んだね。なんだあの老人は。人畜無害な顔をしてこんな非道なことをするのか。これには蜘蛛の糸を垂らしているお釈迦様もびっくりして糸を切っちまうかもしれない。ああそうさ爺さん。あんたには地獄がお似合いですよ。ですからその垂らした蜘蛛の糸でこちらにわたらないでください。ほら、あんたの後ろはどうですか。いろいろな方々が大挙して押しかけているではありませんか。それを見て何も思わないんですか。そうですね、例えば「これは俺のものだ!」とか。ほら、だってこれはあなたが一匹の蜘蛛を救ったことから返ってきた僥倖でしょう?ほう、ここまで言っても何も思わないんですね。大したオルチュアリズムだ。ですがあいにく天国の方も人がいっぱいなのでね、こんな大勢の方々は入りきれませんよ。ですからこの蜘蛛の糸は切らせていただきますね。え?話と違うじゃないか?私には何を言っているのかまるでわかりませんが、普通はこちらの都合も考えるべきでしょう。ではさようなら。
人生の始まりは何か。かの有名な傑人はスフィンクスの「朝は4本で歩き、昼は2本、夜は3本で歩くものはなんであるか」という問いに「人間」と答えたらしいが、俺はそうは思わないね。人間ってのは多様性が売りの生き物だろ?だからそんな常識なんてものは唾棄してしかるべきだと思うんだ。そもそもオイディプスさん、あんたはどうなんだい。あんたは晩年には目が見えなくなって娘さんに手を引かれていたではないか。つまりあんたの晩年は娘さんの足と、あんたの足と、つえで合計5本ではないか。まあこんなことはどうでもいい。確かにそう考えると常識ってものは多様性を認めない厄介なもんだが、しかしそこにはいつまでたっても変わることのない、普遍的なものもある。それは人間が「赤子」から始まるということだ。まさか母親の胎内から青年期の、ニキビのあるやつがおぎゃあと産まれてくることなどないだろう。それがどうしたか。俺は新たな世界に転生した。つまり新たな人生を始めたってことだ。そう、つまりそういうことだ。俺は今、絶賛乳飲み子である。
吾輩は赤子である。名前はまだない。とでもいえば小説好きの諸君らの心は満たされるのだろうが、ヤナ―チェックの「シンフォニエッタ」を聞きながらうねる感覚を味わえばもっとマイナーな方々が満たされるのかもしれないが、残念ながら俺には名前があるし、ここには車内に据え付けてある高級なラジオはおろか、蓄音機もなさそうである。まあもっとも、俺としては酔っぱらって酒樽に落ちる懸念もなくなり、訳アリの少女の執筆活動を手伝う手間もなくなったわけだから嬉々としているのだが。俺の名前はジャック・マクベイ。父はマイケル・マクベイで母はスミス・マクベイである。俺としてはいちいちどんな感じなのか説明するより、直接見てくれと思っているわけだが、そうはできない方々もいるかもしれないので各々の特徴を叙述する。
まず父だが、すらりとした体形に適量の筋肉を携え、顔は世の中の女子共が黄色い声で騒ぎそうなイケメンだ。髪は茶髪であり、無造作に撫でつけていて、瞳孔は黒く、東アジア系の人物である。
次に母だが、こちらもすらりとしており顔は、俺が見る限りは美人、いや、俺はこう見えても見る目はいい方だから全世界の高校生が鼻の下を伸ばすと言っても過言ではないほどに整っているとみていいだろう。髪は黒髪で、目は青く、ヨーロッパ系の人である。
二人の性格に関しては——
「ただいま!マイハニー!」
父が大手を振ってドアを開ける。
「暑苦しいから近寄らないで頂戴」
母はそれに見向きもせずに応える。というように、父は熱血漢のきらいがあり、母はどちらかと言うと冷静沈着といった感じだ。
「おお、愛しの我が息子!ジャックよ!お前のお父さんが帰って来たぞ!喜べ喜べ!」
そう言って頬をうりうりしてくるが、正直言って暑苦しい。
「そろそろご飯の時間かしら」
そう言えばおなかが空いてきた気がする。
「ちょっとあなたどいて。邪魔よ」
「お、おおすまん」
親父は蛇に睨まれた蛙のように、首を縮こま背おずおずと下がる。
……親父の弱い立場に少し同情しないでもない。
そして母はおもむろに大きな乳房を取り出す。始めのうちこそはいちいち興奮したが、今はそんなでもない。母は俺を軽々しく持ち上げると、俺の口におっぱいを当てた。
あ、やわらけぇわ。
俺は促されるまま吸い付く。
こりゃあやめられねぇわ。
そして一心不乱に吸い付いた俺は、気絶するように寝入った。
あれから数年経った。ちなみにこの情報は家にかかっているカレンダーらしきものからである。その間に俺は乳飲み子から幼児に成長し、今では家族団らんでご飯も食べられる。ああ、大きな成長だ。本当に。あの母親のおっぱいの感触などちっとも惜しくはないほどの成長だね。あのときはまだ体が小さかったってのもあったからおっぱいに全身を包み込まれることができた。しかし今では母親のそれの小ささが痛感されてしまってむしろ新たな価値観を知れたっていう点でこの成長は歓迎するべきだろう。
まあそんな強がりを言っていても仕方ない。過去は戻らないんだしな。もし強がりで本当に過去に戻れるのであったらどこぞの国の自己宣伝よろしく大声で叫び続けてやるさ。
「じゃっくん何考えてるの?」
そうしてこてんと首をかしげる幼女が今、俺の目の前にいる。こいつは誰か。名前から言うのであればシャーロット・スカーレット。容貌を言うのであれば、赤髪のおかっぱで目も赤色の、幼女だ。性格は好奇心旺盛。俺とは真逆であるからストッパーとして俺はいつもこいつに付き合わされる。もう振り回されるのはこりごりだと何度言っても、両親はにこにこしながら仲がいいとのたまったりするわけだから、現状の俺はこの状況を甘んじて受け入れている。今もほら、泥だらけになりながら泥団子を作っている。なんだ、お前は自分も泥団子にするつもりか?
俺が何を考えているか?そう言うお前こそ何を考えているんだ。
「私?うーん、私は……じゃっくんのこと!」
ああそうかいそうかい。お前はつまり俺のことを考えながら泥団子を作っていたんですかい。もしかしてその、何の変哲もない泥の塊が俺の顔とでも言わないだろうな。
「んー、そうだよー。これがじゃっくんの顔―!」
いえいえそれは泥団子っていうんですよ。第一俺の顔はそんなざらざらしていませんよ。
「それでねー、こっちが私の顔―!こうやって並べると……いつでも仲良し!」
ああはいはい。もうそれでいいのでさっさとその二つを離してくれませんかね。泥が案外ドロドロしていて二つとも互いに溶け合ってますよ。
「あー!私これ何て言うか知ってるー!イッシンドウタイっていうんでしょ!?」
はいはいよく知ってますね。でも俺はお前とは一生分かり合えそうもないけれど。
「むー、じゃっくんの意地悪」
だったらもう少し自重してくれ。お前のわがままに付き合わされる俺の身にもなってみろ。
「ふーんだ!もう知らないもんね!」
そう言って頬を膨らませてぷりぷりとする。
おいおい、そんな状態になったお前を連れて帰って怒られるのは俺なんだぞ。
「もう少し遊んでくれたら機嫌が直るけど、そのままだったらこのままだもんね!」
この年からその技を使うとは後生畏るべしである。
はぁ、わかった。あと少しだけだからな。
するとシャーロットは相好を崩し——
「次はあっちに行きたいのー!」
といって、泥だらけの手で俺を引き連れていった。
おいおい、そんなところ触られたら洗う場所が増えるだろうが。
「はぁ、はぁ、はぁ」
「まだだ!ジャック!まだいけるぞ!」
あんたは俺のことを筋肉だるまか何かにでもしようとしているのか。腕立て伏せ一万回なんて聞いたときは俺はまず初めに聞き間違いを疑ったね。しかもその後に腹筋五万回、スクワット十万回と来たもんだから目からうろこだ。
俺は今親父、マイケル・マクベイに鍛えられている。なんでもこの世界には魔物というものがいるらしくって、独り立ちしたときにそれに負けないように今から鍛え上げるらしい。
はぁ、やっと終わった。
「よし!次は腹筋五万回だ!」
勘弁してくれよ、俺はさっきまであの天真爛漫な小娘と遊んでてただでさえくたくたなんだ。
「疲れているのか!だったらもっと体力を付けないとな!じゃあこの後にこの村を五周するぞ!」
あんたの前世は筋肉団子か何かだったんですかね。それだったらちょうどいい。丁度シャーロットさんが団子を作るのにはまっているらしいので一緒に付き合ったらいい。そして俺は家でゆっくりするって算段さ。
「俺が子供のころはな、魔物に脅かされる日々だった」
やれやれ、また自語りが始まったよ。
「その中で俺は死に物狂いで強くなったものさ。それを続けていくうちにな、俺は全く興味がなかったんだがSSS級冒険者の称号をもらった。なんでもそれはとてつもなく数が少ないらしい。世界でも二三人だとさ」
はいはい、すごいですね。
「そして強くなった俺は魔物に脅かされている村を救うことにした。だが俺一人では力不足だ。そこで出会ったのがスミス・ジャクソン。今のお前の母親だ。あいつは体術面はからっきしだが魔法は最強と言わしめるほど出来た。俺は魔法はからっきしだが体術では右に出るものはいなかった。そんな二人が出会ったわけだ。やっぱりあれは運命だったんだろうな」
うわ、自慢話かと思ったらのろけ話かよ。
「その最強の間に生まれたのがお前だ」
おいおい、あんたの神経はどうなってんだ。そんなプレッシャーこの時期の子供に掛けるもんじゃないぞ。
「ハハ!そんな達観した感性を持っているお前なら大丈夫さ!」
やれやれ、これだから熱血漢は。こういう人種ってのはこんな感じで自分の勘に大いなる信頼を置いていやがるのさ。まあそれはつまり物腰が軽い反面、大失敗もしやすいわけで。それがないように思えるこの父親は、よっぽど運がいいか、よっぽど強いかのどちらかだな。
やっと父親との特訓が終わった夜、俺は必死にペンを動かしていた。
「そこ!弛まない!」
差し棒でバシッと机がたたかれる。やれやれ、親父の鬼畜な特訓が終わったと思ったら次は、母親の地獄の勉強会ですかい。俺はつくづく不遇だな。
「何その不満そうな顔。そう、そんなに余裕があるのね。じゃあもっと勉強しましょうか」
おいおい、今の勉強量でさえ、全国の高校生が鼻白むのにそれにまだ追加するんですかい。俺は不満顔をする。
「何?本当に増やしてもいいのよ?」
はいはい。大人しく従いますよ。
にしても、昨日までは何の変哲もなかった日常なのに、今日になってこれが急に始まったな。なんでだろうか。そうだった。今日は俺の4歳の誕生日なのだ。つまり俺も一つ、大人になったってわけで、それを見越した両親が本格的に指導を始めたってわけか。にしても初日からこの苦行ってのはどうなんですかね。普通は段階的に上げていくもんでしょう。
「ふん!私をあっちに連れて行きなさい!」
そう言って怒ったようにそっぽを向くのはシャーロット・スカーレット、赤髪の少女である。俺たちはもう6歳になったということで、それこそ幼いころとは違い自我も出てきたわけで、シャーロットの場合はそれがわがままな娘へと変貌したということである。俺としてはもう少し大人しくなってくれても良かったのだが。そして相変わらずこいつのわがままに俺は振り回されるわけで、最近はそれも慣れてきてしまってつくづく、慣れというものは怖いものだなと俺は思うね。
で、あっちとはどっちですかね。
「いつも行っている公園よ!」
それならそうと早く言ってくれませんかね。俺はてっきりお前がさした方向にずっと歩いていくのかと思い、戦慄してしまいましたよ。
「ふん!」
とまあ、こんな感じで、最近のシャーロットはわがままに加えて強情な部分があるのだからなんとも度し難い。
「さっさと連れて行きなさい!」
シャーロットはそう言って手を前に出した。その手は褐色がよく、元気だということが一目でわかる。で、こいつがなんで俺に手を差し出したかと言うと、それは俺がその手を引くためだ。衣服などを見る限り、こいつは多分プリンセスに憧れているのだろうが、つまりこいつは王子様にもそれ相応のあこがれを持っていると思うのだが、そう考えるとこいつの手を引く役目は王子様がするべきであって、俺の役目ではないと思うのだが、そこは多分幼児特有の不徹底が滲み出ているのだろう。俺は一つため息を吐き、その手を取った。
「もうちょっとゆっくり歩いてくれるかしら」
なんだ、不満か?それだったら手を離せばいいだろ。第一その服じゃ歩きづらいだろう。次からは遊びに行くんだからもっと軽装にしろよ。
「そういうことじゃなくって……」
おいおい次は文句か?そういうのは聞こえるように言えよ。
「もう!知らない!ふん!」
あのなぁ。
やれやれ、お前は俺の言葉にいちいち怒るようにプログラミングされたロボットなんですかね。もしそうなら俺はお前の開発者に一言言いたいね。それだったらまだ税金から補われる野党の給料の方が役に立ってますよと。
「おお?ありゃあスカーレット家のお嬢さんじゃねぇか?」
「お?本当だ。見たところガキだけだな」
「公爵令嬢ともあろうものが護衛を付けずにガキ同士で遊ぶとは、いい肝っ玉してんねぇ」
「おいおい、お前ら言ってやんなよ。多分あいつはあの隣のガキにお熱なんだよ」
「はっは、ちげぇねぇ」
何やらあちらからガラの悪い大人たち数人が俺たちの方へ向かってくる。
「あ、あぁ」
そう声を漏らしたシャーロットは、何やら足ががくがくふるえている。
おいシャーロット、あいつらはお前の知り合いか?
「に、逃げて!じゃっくん!あいつらは私が狙いだから!」
いやいや、逃げるんならお前も一緒だろ。ていうか、お前が狙いならより一層お前が逃げるべきだろう。
「いいから!早く!」
俺が一歩も動かないのを見ると、シャーロットは俺の前に進み出て、大人たちと俺の間に入り込んだ。
「あ、あんたらは、わ、私が狙いでしょ!だから!私だけを連れて行きなさい!」
なるほど。この反応、知り合いではないな。
「ひゅ~、かっこいいねぇ。でもおじちゃんはね、ガキが泣き叫ぶところも好きなんだ。だから……お前ら!ガキどもをとらえろ!」
「じゃっくん!逃げて!」
刹那——
男たちがガッという音を立てて地面に倒れこんだ。
ああ、失礼。こんな態勢にして最終確認ってのもあれだが、最後にもう一回聞かせてもらう。シャーロット、あいつらはお前の知り合いか?
「ふぇ?う、ううん、多分人攫いだけど」
なるほど。俺にはまったくこのわがまま娘をさらう意味が分からないのだが、人攫いってのは良くないな。といっても俺は、お前たちが言うようにまだガキだからな。ましてやシャーロットだってガキだ。だからあんたらをここで殺してしまうと心的外傷がすごいだろうからな。だから逃がしてやらんこともない。
「て、てめぇ、何もんだ」
男たちの一人が、何とか顔を横にずらして言う。
ん?ああ、俺はただの子供だよ。マイケル・マクベイとスミス・ジャクソンのな。
すると男たちの顔から血の気が引く。やはり父と母は結構有名だったらしい。俺としても誇らしい限りだね。この親の七光りは大事に使わせてもらおう。いや、まったく世の中には親の七光りを嫌がるやつもいるらしいが俺としては最大限、それを使いたいと思っているね。
「す、すまねぇ!ほんの出来心だったんだ!俺たちは身銭を何とか稼いでいるような浮浪者だから、つい大金が入る機会に目がくらんじまったんだ!」
ほう、なるほど。いや、悪いがこいつも平民だからあんまり金は手に入らないぞ。
「……ヘイミン?」
「そ!そうよ!わ!私は平民よ!」
「な、なるほど。悪かった!二度とこんなことはしないからどうか解放してくれ!」
俺が魔法を解くと、男たちは散り散りに逃げていった。
「あ、ありがとうじゃっくん」
何、なんてことないさ。
「と、ところでさ、なんでじゃっくんってそんなに強いの?」
ん?ああ、それはな、俺の親がスパルタなんだよ。
「つ、つまりじゃっくんはもう魔法の勉強とか体術の勉強とかをしているってわけ?」
まあある程度はな。
「へ、へぇ」
それから公園についた俺たちはいつも通り遊んだが、シャーロットはいつもとは違って上の空だった。
「はぁ!」
シャーロットは俄然俺の目の前に現れると、渾身の一撃を繰り出す。
しかし、その攻撃は外れ、地面を轟かせ、砂塵を巻き上げる。
一瞬にしてシャーロットの後ろに移動していた俺は次の攻撃を待つ。というのも、こんなに強そうに見えるシャーロットも、俺の実力では赤子の手をひねるよりもたやすく倒せてしまうからだ。だから俺は基本受け身である。
シャーロットは振り返りざまに蹴り上げる。
俺はそれを軽く腕でいなすと、シャーロットはその反動を使ってもう片方の足で蹴りを入れる。連撃が上手くできている。
だが俺はそれも容易に避ける。
するとシャーロットは一回転してパンチを繰り出した。
俺は横から力を加えてそのパンチの方向をずらす。
音速を超えたそのパンチは、虚空でパンと破裂音を鳴らす。
なおもシャーロットの連撃は続く。
俺はそのどれもを見切って紙一重でかわしていく。
そうそう、後に分かったことなのだが、シャーロットは、シャーロット・スカーレットは公爵家らしい。それを知った俺は度肝を抜かれたね。なぜならあんなに親しくしていたやつがそんなに偉い方だとは思わなかったからだ。だから俺はいつもの挨拶を貴族みたく「ごきげんよう」にしてみたんだが、こいつは鼻で笑いやがった。そんな恥辱を受けて俺は腹を決めたね。こいつを敬うのはやめようと。第一こんなわがままで強情な奴を敬えってのがおかしいんだ。そして俺はこの世の不平等を憎んだね。なんでこの、愚王ここに極まれりってやつが偉くって俺みたいな公明正大な奴が平民なんだって。やっぱりあの老人はあそこであのまま閉じ込められていた方が、世界のためだろう。まあ、どうやら老人にはそこまでの力はないようだが。ただ、あいつには俺を赤子から始めさせたという、それは大きな罪がある。確かにおっぱいは柔らかくって幸せだったが、大の大人に世話をされるっていう屈辱は味わいたくなかった。やっぱりあの老人は地獄に落ちるべきだろう。
「シッ!」
シャーロットが余力で渾身の一撃っぽいものを繰り出す。
それを俺が手で受け止める。
「はぁはぁ、やっぱりあんたにはかなわないわね」
こちとら幼少期からスパルタ教育を受けていますからね。
「はぁはぁ、いや、私これでも実力はS級って言われているの。あんたなら分かってると思うけど、A級からは才能が大きいわ。だから私はこれでも才能がある方なの。でもあんたはそんな私を相手にしても汗一つかかない。間違いなくS級は超えているわね。だからあんたのそれは間違いなく才能よ」
メイドがシャーロットのところに寄ってきて、水を差し出す。シャーロットはそれを「ありがとう」と一言言って受け取った。
まあ確かに最近父親ともいい勝負をするようになってきた。
「それにあんた、魔法も規格外にできるじゃない」
そう言えばそうだ。最近は母親のものと比べても遜色ないと自負している。
才能か。確かにそう言われてみればそうかもな。
「公爵家の私でさえ、私を指導できる人間を集めるのは容易ではないの。あんたは父親と母親が最強な分、恵まれているともいえるわ。才能のあるあんたがそんな恵まれた環境で育ったら、そりゃ当然の結果よね」
なら、お前も俺の親に指導を受けたらどうだ?
「いや、いいわ。あんたの親にみっともない姿を見せるのは嫌だし」
いや、大丈夫だろ。少なくとも俺の親と俺は大丈夫だ。
「私が気にするの」
そんなもんか。
「そうよ、年頃なんだから」
そうだな。俺たちもう14歳だもんな。
「あら、練習は終わったの?ジャック」
帰ってきた俺を出迎えたのは母親だった。母親はリビングの机に就いており、その対面には親父がいる。
「お帰りジャック」
何やら嫌な予感をさせる微笑みを湛えている親父を見るのは久しぶりだ。これはあの、地獄の特訓が始まった日もそうだった。
で、おやじ、その気持ち悪い笑みの原因は何だ。
「おお、そうか、気づいたか。気づいてしまったか」
もったいぶらずに早く言え。
「なんとな」
「ジャックを冒険者学園に入れることにしたのよ」
「おいおいマイハニー、先に言っちまうのはないぜぇ」
親父は少ししょげた顔をする。
冒険者学園に行くだって?いったいどうして。
「それは私たちには教えることがもうなくなったからよ」
なるほど。確かに最近は実技演習だけだったもんな。しかしあんたらのような最強に教えられない俺が、そんなところに行って学ぶことはあるのかが甚だ疑問だが。
「それは心配しないで。あそこには現役のSSS級冒険者が教鞭をとっているクラスがあるから」
ほう、それは少し楽しみになったかもしれない。だが、その先生だけが目的だとしたら、それこそ引き抜けばいいだろう。ましてやそれだけじゃ過不足だ。しかも現にここにはありがたいことに元最強たちがいる。あんたらがまだ青いSSS級冒険者と比べて劣っているとは思わないがな。本当の目的は何だ。
「……はぁ、あんたもめんどくさい子供に育ったわね。私としてはマイケルみたいに直情的なほうが嬉しかったのだけれど」
そんな暑苦しい家庭など御免だね。
「それで、私たちの本当の目的はジャック、あんたにもっとこの世界の広さを知ってもらうことよ」
ほう、確かにこんな辺鄙な村にずっといたら、俺は井の中の蛙となってしまうからな。まあそれは納得せざるを得ない。シャーロットが云うには俺には才能があるらしい。天賦の才を持ったものが井の中の蛙であるとは、まさに嘲笑ものだしな。そこらへんはこの最強お二方の配慮なんだろう。
じゃあ、その学園に入るために俺は何をすればいいんだ。
「何もする必要はないわ。あそこは実力至上主義だから今のあなたなら十分に入れるわ」
そうか。少し手持無沙汰だな。まあいい。今後も特訓は付けてくれるんだろう?
「ええ、あなたがそこに入学するまではね」
俺としては入学するまでとは言わず、入学後も特訓を付けてほしいんだが。
「それは無理よ」
何故?
「だってあなたは寮生活になるから」
ああ、なるほど。つまりその学校は寮が完備されているってことか。ということは全国の腕に自信のあるやつらが集まるってわけだ。そいつぁちょっとは楽しみだね。
「まあ、楽しみにしていて頂戴」
「ああ、あと」
親父がようやく会話に入れたみたいな顔をして安堵のため息を吐く。
なんだ。
「スカーレット家にもそれは伝えておいたぞ」
そいつはありがたい。俺から言う手間が省けるってもんだ。
試験日前々日。俺たちはマエスタ、冒険者学園がある場所へ行く馬車に乗った。俺達というのは、当然俺とシャーロット・スカーレットのことである。こいつもわがままではなくなったものの、いまだそのころの名残か、俺にだけ当たりが強いような気がする。まあでもそれは気がするってだけで、俺の勘違いかもしれないのでここにそれを断っておくが。しかしこいつもすっかり見目麗しい少女になったもんだ。昔なんか泥だらけになりながら俺の手を引いて駆けまわっていたくせして、今じゃそれもすっかり鳴りを潜めて公爵令嬢らしい振る舞いを見せるようになってしまった。まあ、とは言ってもそれは外に対してのみで、ということは俺は内々の人間なのかと言うとそういうわけでもないだろうから、つまり俺への当たりの強さというのはそこら辺に起因するものなのかもしれない。だが、俺としてもそんな揣摩臆測など何の役にも立たないことは分かっている。この際本人に聞いた方が一番早いのかもしれないが、しかしそれが年頃の少女としてのこいつに何らかのストレスを与えるかもしれないという懸念を考えるとやはり俺が気にしないのが一番手っ取り早い方法だろう。かと言ってそれが俺のストレスではないかと言うとそうではないので俺としてはまるで神託を待ち続ける廃れた協会よろしくその日を待っているわけだが、そう言えばもっとひどいときはこれに加えてわがままと来たもんだ、と思い直し、相対的に今の人生の幸福度を上げているわけだ。まあこれが世の男の悲劇ということで、乙女心のてんで分からん俺にはそんな一種のまじないみたいなものがお似合いなのさ。
「で、あんたは入学した後どうするわけ」
やれやれ、これだから捕らぬ狸の皮算用は困る。俺たちはまだ受かってませんよ。
「それもそうだけど、私とあんたの実力ならほぼほぼ受かったも同然でしょ」
おいおい、このおてんば娘はどこまで自惚れていやがるんですかい。
「自惚れじゃない。事実よ」
こいつの脳は自惚れすぎて深海にでも行っちまったんじゃないか。おーい、シャーロットの脳さーん、持ち主はこいつですよー。俺はその言葉を鼻で笑う。
「何よ」
いいや、別に。
「大体あんたは自分のことを卑下し過ぎなのよ」
良いじゃないか。むしろそれは美徳だろう?
「ある程度まではね。でも行くところまで行くと見苦しいわよ」
だとしても受験は魔物だろ?俺くらいの慎重さがあってしかるべきだと思うが。
「どうだか」
石橋を叩いて渡る。それが俺の信条さ。
お前は素知らぬ顔して俺のそれを聞き流しているが、そうなったのもお前が一端を担っているんだからな。いいか?お前が小さい頃は本当にわがままで、おてんばで、強情で、いじらしい奴だったんだからな。それに振り回されていた俺の身にもなってみろ。毎日が心配で心配で仕方がなかったんだぞ。お前が魔物の住む森に秘密基地を作ろうとしたときは肝を冷やしたね。そんなことしたら俺たちの命が何個あっても足りやしない。もちろん大慌てで止めたさ。それから俺はお前が言い出したことを矯めつ眇めつ考えるようになった。今のそれはつまり、その時の名残さ。
「あんたは、どこにも行っちゃわないわよね」
そう言って俺の顔をのぞき込んできたシャーロットの眼は揺れ動いていた。
と言うと?
「なんでもないわ」
そう言うとぷいっとそっぽを向いてしまった。
試験日当日。俺たちは一泊した宿を出た。目指すは冒険者学園である。といっても冒険者学園の目の前の宿を選んだため、迷いようがないが。にしても辺りは見渡す限りの人である。やはりここは全国一の学園のため、受験者も多くいるんだなと思う。そしてシャーロットも広く衆目を集めている。矢張り公爵家は存在感からして違うんだな。
「おうおう、その姿は我が婚約者、シャーロット・スカーレットではないか」
そう言って辺りの人々を押しのけ出てきたのは、頬にそばかすのある、髪は金髪で切りそろえられた、少しふくよかなヨーロッパ系の少年である。
ほら、シャーロット、知り合いだぞ。
「あの元婚約者でしょ?あいつは嫌いなのよ」
シャーロットは頑なに声の方向に目を移そうとしない。
あー、すまんな、少年。シャーロットはご機嫌斜めらしい。
「シャーロット?お前はいったい誰の許可を得てシャーロット・スカーレットを呼び捨てにしている」
うーん、許可とか必要ないと思うが、まあ強いて言うなら本人じゃないか?
「そうよ。こいつには私から許可を与えている。だからちょっかいをかけるのはやめてちょうだい。元、婚約者さん」
「は?ふざけるな!お前はまだ俺にすらその許可を与えていないではないか!それを!この平民風情にだと!?俺を平民より下だとでも言いたいのか!」
「ほらね、こんな感じの男なのよ」
シャーロットは俺にそう呟く。
「何をコソコソと……貴様も貴様だ!平民風情が我が婚約者のシャーロット・スカーレットに触れるな!汚れるであろう!」
あー、これは忠告なんだが、そういう選民思想はやめた方がいいと思うぞ。平民にだって優秀な奴は——
「は!たわごとを!平民など農業さえしてればいいんだ!」
おい、少年。それでは日々刻々と変化する現代を生き残れない。なぜなら進歩というのはいつも新しいことを受け入れることから始まる——
「ふん!笑止だな!平民風情が知った口を利くではない!進歩というのは我々プロレタリアートの役目だ!第一何をお前はませているのだ!お前だって少年ではないか!これだからしったかぶった平民は」
ごめんな。俺は転生しているからお前たちは少年にしか見えん。俺は心の中で弁解しておく。おっと、そろそろ試験の時間である。
じゃあ俺は試験だから。またな、シャーロット。
「私もだわ。また後で会いましょう」
「ふっ!平民にこの学園を合格できるわけないだろう」
「4327番、前へ」
試験官がよく通る声で俺の番号を呼び出す。俺は今から体術の試験をする。試験官と実戦形式で戦うのだ。それを採点するために、周りには多くの採点官がいる。目の前には筋肉隆々で、見た目はそりゃあたいそう強そうな、試験官がいる。しかし俺はあの体形には憧れないな。だってあんなの、動き辛いし第一に威圧感が半端ないだろ?俺は今の、細マッチョを何としてでも維持したいね。腐っても目の前にいる筋肉だるまのようにはなりたくない。
「よし、では、始め!」
試験官はそう叫ぶと同時に走りこんでくる。
遅いな。
俺は一瞬で試験官の背後に回り込むと、清流が川を流れるかのような手刀を決めた。
トンッと音が鳴る。
試験官はどさりと倒れた。
ああ、もちろん適当にあしらうこともできたさ。しかしあれだな。こうやって人に見られていると名状しがたい高揚感に襲われるんだな。そして気づいたら手刀を決めていたってわけさ。
「見事!」
口をあんぐり開けていた採点官の中で、一人その結果をいい拍手で迎える者がいた。そいつはスーツ姿に紳士のかぶっていそうなハットをしていて、黒髪青目のヨーロッパ系の男だ。何やら微笑みを湛えながら近寄ってくる。
「君は名前から察するにマイケル・マクベイさんの息子さんですか?」
そうだ。
「そうですか。僕はあの人の弟子でしてね。名はクリス・フレイヤ、現SSS級冒険者をしている者です」
あー、そう言えば俺の親もこの学校には現SSS級冒険者がいるって話をしていたな。
「そうですか。それは光栄ですね。にしても君の戦い方はよくお父さんに似ていますね」
まあ、あの人に習ったからな。
「それを見ていて僕も血が沸き立つのを覚えました。それで、もしよろしければなんですが、僕と戦ってくれませんか?」
それはまた。面倒なことで。
「嫌ならいいですよ」
いや、ぜひやってみよう。
「そうですか。ありがとうございます。では開始のタイミングはあなたに任せますね。ここは僕の年長者としての配慮です」
分かった。
クリス・フレイヤさんは俺と少し距離を取る。
「いつでも来なさい」
では遠慮なく。
「シッ!」
俺の拳は空を切る。
後ろには微笑みを湛えたクリスさんがいた。
すぐさま蹴りを繰り出すが、それもよけられてしまう。
クリスさんはお返しとばかりに避けるために逸らした上体に反動をつけて、蹴り上げてきた。
俺はそれを横に避けると、もう片方の足を払おうとする。
しかしすんでのところでよけられてしまう。
それからも一進一退の攻防が続いた。
俺とクリスさんはいつの間にか額に汗が浮かんでいる。
多分この一撃が最後となる。俺は余力を振り絞り、拳に力をのせた。
ドゴーン!
空気は唸り、風となって砂塵を巻き上げる。
そしてその砂塵が落ち着くと、そこには俺の拳を両手で受け止めたクリスさんがいた。
まだ微笑んでいやがる。
そうかい余裕でしたかい。ですがあいにく俺はもうヘロヘロなんでね、ここは容赦のない年長者に勝ちを譲ってやりますよ。
「いやいや、こう見えても僕もヘロヘロなんですよ。この顔は強い人と戦うとどうしても出てしまうんです。いやあ、にしてもこの顔をするのはあなたのお父さん以来です。その他のSSS級の方でもまだ足りなかった。そう言った意味でもしかしたらあなたはすでにSSS級なのかもしれませんね」
それは誉め言葉か?だとしたらありがたいね。まあ、俺としてはあんたの背に土を付けるぐらいの芸当はして見せたかったが。
「ハハ!それをされたら最強の座が奪われてしまいますよ。僕はまだその席を君に譲るつもりはないんですが」
ああ、俺もそれを受け取るつもりは毛頭ないさ。やっぱりあんたはずっとその席についていてくれ。それがいいさ。
「ハハ!それはどうですかね」
まあ試験は終わったとみていいだろう。俺はクリスさんに背を向け、その場を後にした。
魔法のテストは、何の特徴もない、的あてゲームだったので、すべてを破壊して終わらせた俺は、帰りの馬車に乗っていた。シャーロット・スカーレットも一緒だ。
「で、どうだった」
まあ、体術では久々に汗をかいたな。魔法は余裕だったが。そう言えばみんな的を壊していなかったがあれはあえて手加減しているのか?
「いいえ、あれが普通に優秀な人たちのレベルよ。にしてもあんたが汗をかくほどの強者が体術試験でいたとはね。そっちの方が驚きだわ」
ああ、何でもクリス・フレイヤという名前らしい。
「あー、なるほど。だからか。その人一応世界最強と言われている人だから。にしてもこの学園で先生を務めているなんて意外ね」
まあ、思うところがあったんだろう。
「私の方は生ぬるかったわ。これが世界最高の教育機関だというのだから嘲笑ものね」
そう言ってやるなよ。俺のような平民が恨みがましく言うのならまだしも、公爵家のお前がそんなことを言ったらどうなると思っている。
「そうね。それもそうだわ」
お、今日はやけに聞き分けが良いな。
「何よ。悪い?」
いや別に。むしろこれからもそうあってほしいものだ。
「はぁ、私はね、心配してんの。あんたがあいつにちょっかいを出されないかってことを」
あいつ?
「マイク・アンダーソンよ。今日の朝突っかかって来たでしょ」
あー、あの少年か。確かに元気がよかったな。
「少年て、あんたも十分に少年なんだけど」
ん?ああ、そうだな。まあ気にするな。お前は自分の学校生活について考えてくれ。ほら、お前は公爵令嬢だろう?だからそれ相応の外のお付き合いも必要ってことだ。それにお前はまだ少女なんだから例えば色恋沙汰にうつつを抜かしてみるのも面白いだろう。
「私としてはあんたがそうなりそうな気がしてならないのだけれど」
おいおい、俺はこう見えてもストイックな奴なんだぞ。どれぐらいストイックかと言うと湯豆腐には何もつけないくらいだ。ああ、あれはあの素朴な味がいいね。一口口に入れるとアツアツの豆腐が大豆の甘みを感じさせながらすっと舌にとけるのがいい。まだおこちゃまのお前にはわからないだろうな。
「おこちゃまって、十分あんたと同じ年齢よ。……はぁ、まあいいわ。私がそうならないように見張っといてあげるから」
まあせいぜい無益な監視でもするといいさ。俺は大人だからそれを許容するってことだ。
後日、村に帰った俺たちのもとに来た学園からの手紙には、合格した旨が書かれた文書と、俺にはさらに新入生代表スピーチを行ってもらう要望が書かれた紙が来た。
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