第41話

 丼に飲み込まれ、断片的にだけれど、私は先輩のことを知った。それは付喪神の不思議な力によるものだったのかもしれないが、もっと単純に、共感のようなものだったんじゃないかとも思う。自分と同じような恋をしている、一人の青年に対する、共感。


 私が先輩に片想いをしていたあの頃、彼もまた恋をしていた。相手は所謂高嶺の花。先輩からしても高望みの恋だった。だからそんなところも、私と似ていた。


 だけど違う所もあった。私が秘めやかな片想いを続けている間、先輩はその恋を叶えようとずっと努力を続けていた。失敗しても、上手くいかなくても、人のせいにしないで、自分を磨いて、その過程で何度も何度も躓いて、それでも立ち上がって成長して。一人の人を真摯に想って。


 私はそんな先輩を傍から見ている一人だった。もちろんあの頃の私は先輩が想う相手のことなんて知らなかった。いや、本当はどこかで気が付いていたのかもしれない、けれど目を瞑っていた。恋の駆け引きなんて出来ないし、そもそもこの気持ちをどうしたらいいかなんて分からなかったから。ただ憧れていた。恋をすることにも、先輩にも。だから恋をしている彼がとても輝いて見えていたんだと思う。


 たぶんそのままで良かった。あの頃の私はそれで満足していた。叶う可能性を秘めた恋をしている自分でいられれば良かったのだ。それが楽しかった。でもあの雨の日、私は歩く二人の姿を見てこれが叶わない恋だと知った。


 私は、そこで立ち止まってしまったけれど先輩には続きがあった。私が知ったそれは叶ってなお追いかけるばかりの恋に少し疲れて立ち止まってしまうまで。ほんのちょっと迷った彼が丼に出会って取り憑かれてしまうまで。






 座る吉乃よしのの隣で紅緒べにおが目を覚ました。弁当を貰ったあのあと今度は紅緒が「疲れました」と言って眠ってしまったのだ。なんて言うか、あんな普通じゃない状態だ、やっぱり消耗が激しかったのだろう。いつの間にか姿も元に戻っている。今更ながら珍妙な奴だ。本当に今更だけど。


「おはよう」


 声を掛けると座り直しながらなんだか気まずそうにする。吉乃も同じではあったがここは気を遣う。


「お弁当ありがとうね」


「うぇ、食ったのかあれ? 正直あんまり食われたくなかったんだけどな。そもそも肉間違ってるし、味付けとかも……」


「ううん、美味しかったよ」


「……そうか」


 ピンクの髪を掻き、それから少し間を開けて紅緒が言う。


「案外難しいのな、牛丼作んのって、ちょっと見直した」


 照れているのか目を合わせない。


「そう?」


「あー……、でもあれだ、ちょっとな、ちょっとだけな。調子乗んなよ。牛丼漬けの生活なんて本当は勘弁なんだからな」


「うん、分かってるよ」


「あ、あとあれだ、今回大変だったんだからな。寿司、最低寿司だからな」


「はい分かりました」


「んなら……、いいけどさ……」


 二人で黙ると静けさが際立つ。街は再現されているがここには人の営みがない。


 自分と先輩の記憶に基づく夢を見せられている。それが今は分かる。明晰夢でも見ているみたいだ。


 ボケっとしているとまだ少し不安そうに紅緒が聞いて来た。


「なあ吉乃、本当に元に戻ったのか? 大丈夫なのか? どこも何ともないか?」


 心配しているようだ。


「あー、うん、大丈夫。ごめんね、迷惑かけたよ。まさか丼に食われるとはね」


「自分がどうなってたか覚えてるのか?」


「何となくと言うか、まあ一応ね。いやあ醜態を晒したもんです」


「本当にな」


 そう言われると笑うしかない。

 その時吉乃が気が付いた。


「ん、あ、先輩だ」


 少し遠くに米屋よねやの姿があった。こっちに向かって来ている。


「え、まじ? ……うわぁ、破れてら」


 紅緒が確認したそれは御札のようだ。恐らく神主が何か対策をしていたのだろう。


「どうすんだこれから、逃げるか? そう言えばノープランだぞ俺は」


「ノープランなんだ」


「急いでたし、吉乃をどうにかすることしか考えてなかった」


 それは嬉しくもあると言うかちょっと呆れてしまうと言うかなんと言うか。


「んー、まあなんとかなるかな、たぶん」


「たぶんって」


 たぶんはたぶんだ。でも。


「大丈夫。私今凄いスッキリしてるし。いっぱい寝て起きた休日の朝みたいな」


 そう、思うまま何でも出来てしまいそうな。まだ夢の中なんだけど。いや夢の中だからかな。なんか悟ってしまって一時的に自己肯定感マックスって感じ。


「それの何が……、あー、もういいや任せた。俺は疲れた」


 そんな紅緒を見て思う。


 だって、うん、たぶんもうあの頃に戻りたいなんて思わないから。だから自由に前に進める。


「任せてよ」


 吉乃と紅緒が話している間に近くまで来た米屋。丼が入っているであろうバッグもしっかり持っている。彼が二人の顔を見回してから不思議そうに口を開く。


「君は?」


 そう問い掛けられて寂しく思うのは忘れられたからじゃなくて彼が忘れてしまった想いを知っているから。


 目を細め微笑み答える吉乃。


「お疲れ様です先輩」


「先輩? じゃあ学校の子?」


「ええ、その節はお世話になりました。嬉しかったです、助けていただいて」


「そう、なんだ。えと、ここで何してるの?」


「私ここの店でバイトしてるんですよ」


「店?」


「ええ、ちょうどこれから開店するんですけど、良かったら食べていきませんか?」


「でもここには何も」


 先輩。先輩は運がいいです。だって私が覚えているから。私が全部覚えていますから。あの頃の、願いを叶えようと頑張っていたあなたのことを。


「何言ってるんですか、あるじゃないですかほらここに。私と先輩の思い出の店が」


 吉乃の後ろの建物が途端に姿を変える。一瞬で現れたそれは紛れもなく牛丼一徹だった。


 唖然としている紅緒を尻目に店の扉を開け吉乃が言う。


「さ、どうぞ。いらっしゃいませ」

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