第37話

 状況が飲み込めないまま立ち上がり米屋よねやに問い掛ける紅緒べにお


「お前、何でこんなとこにいんだよ」


「え、何でって言われても」


「本物か?」


「本物って、何のこと?」


「いや、だってここは……」


 訳が分からず困惑の表情を浮かべる紅緒だったが、米屋もまた似たような顔をしていた。


「んー、良く分からないけど、俺たちどこかで会ったことがあるのかな? それなら心当たりがなくて申し訳ないんだけど……、人違いってことはないかな? それより君は? 君は本当に大丈夫なの? 体はなんともない?」


嘘をついている様子はない。こちらのことも本当に心配しているようだ。


「大丈夫かって言われても別に俺は……。て言うか俺どんな状況だったんだ?」


「どんなって、気が付いたらここに倒れてたんだよ。君がいつこの公園に来たのかは分からないけど。俺はそこに座ってちょっと考え事をしてて」


 そう言って米屋は後ろにあるベンチを指差した。公園の隅のベンチだ。確かにバッグが置いてありさっきまでそこにいたであろうことが分かる。


 紅緒は頭をかいた。


 米屋がここにいる理由は分からない。そもそも本物かどうかも分からない。この丼の中がどうなっているのかも。だけど今はそんなことをじっくり考えている場合ではない。優先してやるべきことは分かっている。それは吉乃よしのを探すことだ。


 神主は言っていた。


『大丈夫と言ってもあくまでまだ大丈夫と言うだけで時間が立つとどうなるか分かりません。記憶が侵食される可能性もあります。それに付喪神である紅緒さんも同じです。どんな影響を受けるか分からない。元々が記憶や想いに関わる存在です、最悪消滅なんて可能性も……。ああ、いえ、すみません余計なことを。とにかく丼の中には長くいない方がいいでしょう』


 つまりぐずぐずしている時間はないのだ。


「んあー! まあいいや。なあ、吉乃が何処にいるか知らないか? 吉乃。知ってるだろ。えーと、松谷まつたに吉乃。お前の後輩の」


 米屋が首を傾げる。


「え、松谷……、さん? 俺の後輩? うーん、ごめん、ちょっと分からないかな……」


「いや、分からないって、お前、ほら、お前が牛丼の約束したやつだよ」


「牛丼の約束?」


「そうだよ、お前のせいで俺酷い目にあってんだぞ」


「えーと、ごめんやっぱり分からないかな。松谷さんって知り合いもいないと思うし、何か約束した覚えも無いし、誰かと俺を間違えてるんじゃないかな。それにその、牛丼って、何?」


「……はあ!?」


 米屋の発言に紅緒は唖然として続く言葉を失った。






 起伏の多い街だった。幾つかの坂を上り下りして、路地を抜け、大通りの商店街に辿り着いた。ここもまた大きく緩やかな坂になっている。やはり人の姿は無い。しかしそうでなければここが丼の中であることを忘れてしまいそうだ。それほどまでに普通の街が続いていた。


 それに紅緒も歩いていて途中で気が付いたのだがどうやらここは吉乃と米屋が大学時代を過ごした町のようだった。先ほどまでいた公園はちょうど大学の裏手にあり校舎を挟んで商店街の反対側にあったので見覚えが無くすぐには気が付かなかったのだ。タマ子たちの飯田商店とも別の方向であった。


 紅緒は米屋と会ったあのあと、彼と行動を共にしていた。手掛かりがない状況でそうすることが効率的だと思ったからだ。


「ここも誰もいねえな……」


 閑散としている街を見て紅緒が呟く。普通に商店は開いているのに店員を含め人の姿が見当たらない。異様な光景だった。


「ん? 何が?」


 しかしそのあからさまな違和感に気が付いていないのか米屋は特に何とも思っていないようだった。そんな様子がまた気味が悪かった。


 こいつなんなんだ?


 行動を共にしながら紅緒の中で米屋への違和感も積もっていた。知っている人間のはずなのにそうじゃない感覚。そもそも何でここにいるのかも分からないままだ。


 て言うかこいつが牛丼を知らないなんてあり得ねーだろ。


 だけどとにかく彼のおかげでこうして吉乃の手掛かりを得られそうな場所まで辿り着いた。ここはかつて吉乃が働いていた牛丼店『一徹』のあった商店街だ。


 それに米屋が向かっているのもどうやらその方向だった。紅緒もそれに気が付いた。


「なあ、行くところがあるって言ってたけど、もしかして牛丼屋に向かってんのか? 店長さんがやってた一徹って店」


「え? んー、まあ、牛丼屋は分からないけど、いつも行く場所があって、そこに行くんだけど、あれ? でも何でそこに行くんだっけかな? まあ、いつもの習慣みたいな感じかな」


 やっぱりおかしい。まるで記憶が抜け落ちているかのような……。


 それから少し黙って歩いた後紅緒は意を決して彼に聞いた。


「なあ、お前、もしかして、丼に食われたのか?」


 しかしその問いに米屋は答えない。上手く聞こえなかったのか返事もない。彼が黙っているせいで静かな街が余計静かになったようだった。


「あ」


 やっと米屋が声を出した。突然の発声に紅緒は少し驚いた。


「な、何だよ」


「あそこだよ、やっと着いたよ」


 そう言って彼が指差したのは紛れもなく牛丼一徹があった場所だった。紅緒も吉乃と一緒に来たことがある場所だ。


「着いたって、やっぱりここは……、ん……?」


 建物を確認する前に視線が奪われる。店の前に誰かが、いや何者かが立っていた。


「んんん?」


 異様に気になるそいつ。見慣れないシルエット、けれど知っている造形。ずんぐりとした体に茶色い毛と尻尾、バランスの悪そうな巨大な頭部には大きな鼻の穴と左右に倒れた耳、そして耳にはイヤリングのような黄色いタグ。そいつはスーパーで貰ったエコバックや食器にも描かれていた二足歩行の牛のキャラクター。そう、カウカウミート君がそこにいた。

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