第36話

 そこで一旦神主の話が途切れた。分かったような分からないような説明に頭をかきながら紅緒べにおは改めて聞いた。


「んで、吉乃よしのは……?」


「この中かと」


 神主は丼を指差した。結局こうしてたぶん皆が思っていた通りの結論が示された。

 少しの沈黙の後、太一たいちが尋ねる。


「この中って言うのは、それはどう言う状態で、彼女は無事なんでしょうか?」


 神主が頷き答える。


「空っぽの中は異空間とも別世界とも言い伝えられています。捕らえられた者は現世から姿を消してしまう。神隠しの一因ともされています」


「……それはヤバいんじゃねーのか?」


 銀次ぎんじが眉根を寄せた。


「いえ、確かに全く無事だとは言い切れませんが、恐らくはまだ大丈夫だと思われます。空っぽは夢を見せ時間をかけ、捕らえた者の記憶を食べると言われています。そうすることで自分の空っぽを埋めるのだと。そして満たされると余計なものは吐き出すんだそうです」


「余計なものと言うのは?」


 太一が聞く。


「空っぽが欲する記憶以外の全てです。空っぽに食べられた者は記憶を失って帰ってくるのだそうです。ただそれも空っぽの力の大きさにより大小はあるそうで、ゾッとする話では、村そのものが空っぽになって訪れた人を魂ごと食べてしまう、なんて話もあるとかないとか」


 タマ子が小さく悲鳴を上げた。紅緒が顔をしかめる。


「おいおい余計なこと言うなよ。泣いたら大変なんだぞ」


「ああ、すみません。神主の性でしょうか。言いたくなっちゃうんですよね。まあ、あくまでこれは極端な例ですから。とは言え油断は出来ません。既に松谷まつたにさんがそうであるようにこの丼も人を捕えることが出来る訳ですから。もうそれなりの力を得てしまっているはずです」


「なあ、帰って来るとしても、記憶を失くしてって問題あるんじゃねーのか?」


 銀次の質問に紅緒も同意する。


「そうだよ。記憶失くすってそんなの困るだろ」


 例えば紅緒のことも忘れてしまうかもしれない。それだけじゃない、もちろん他のことだって忘れてしまう可能性があるだろう。吉乃だって失くしていい記憶なんてそうそうないはずだ。忘れる記憶を都合良く選べる訳でもない。


「大丈夫です。御見通し眼鏡で見たところ彼女は無事のようですし、記憶とて簡単に失われるものではありません。だから空っぽにも時間が必要なのです。それにもちろん記憶が失われるのをただ待っているなんてこともありません。こちらから能動的に助ける手段はあります」


「じゃあそれ、早くそれやってくれ。良く分かんない理屈はもういいから。あのさ、あいつ時間無いんだよ。せっかく店長さんにも会いに行ったのにこんなことで無駄になっちまうなんて面白くないだろ」


 紅緒の言葉にタマ子と兄弟も頷く。


「分かりました。私も元よりそのつもりでした。まさか本当に空っぽが発生しているとは思っていませんでしたが。では、少々お待ちください。委員会への報告と準備をしますので」


 それから神主は持ってきていた荷物を出したり確認したりと何やら作業を始めた。その途中「ああそれと」と紅緒と目を合わせこう言った。


「ご協力を頂くと思いますので、よろしくお願いします」


 紅緒は微かに嫌な予感を覚え訝し気な表情を浮かべた。






 仰向けに寝た状態で愚痴をこぼす紅緒。


「あー、くそ、マジかあの神主……」


 視線の先には曇り空のような先の見えないぼやけた空が広がっている。


「訳分かんねーことばっか言って結局人任せかよ……」


 神主は様々な準備をしたあと最終的に事の成否をこちらに委ねてきた。

 

 紅緒は一度渋ったが、タマ子が自分がやりますと手を上げたせいで立場的に断れない雰囲気になってしまった。神主と紅緒の前で繰り広げられた、私が助けに行くんだと泣きそうになりながら言い募るタマ子と危ないから駄目だと止める兄弟のやり取りが、その雰囲気を作り出したのだった。


「はあ、居候って身分に選択権は無いってことだな」


 一頻り溜息を吐き出して、それからゆっくり上体を起こす紅緒。頭が重く、何となく全身に痛みも感じる。まるでベッドから落ちて起きた朝のようだった。


「あー、何か体もだるいし、全くさあ、はあ……、それにしても、しっかしなあ……」


 辺りを見渡す紅緒。


「本当にここが、あの丼の中か?」


 目の前には普通の公園のような景色が広がっている。知っている場所ではなかったが特別変わったところも見当たらない。どこにでもある風景だ。見たところ車や人の姿は無いが、公園の向こうには道路があって家があってと街が続いているように見える。ここに来るまでの経緯がなければとても丼の中だとは思えないだろう。


「外と変わんねーじゃんか」


 ぼんやり景色を眺めているとコロンと何かが体から転がり落ちた。小さな玉ねぎだった。それを見て紅緒は思い出す。『通』と書かれた札を新たに丼に貼り付けて「さあどうぞ行ってください」と言ってきた神主のことを。


「あいつ本当にさ……」


 神主が提案した吉乃の助け方、それは丼の中に直接迎えに行くと言う少々乱暴な方法だった。しかも委員会の人間や神主が行くのではなく吉乃の身近な人間に行かせると言うものであった。その方が成功率が高いらしい。丼の中へ行くことは付喪委員会の技術を持ってすれば簡単なんだとか言っていた。やっぱり理屈は分からないし紅緒にとってはどうでもよかったが。


 そして前述の通りタマ子と兄弟の間で一悶着があり、いたたまれなくなった紅緒が間に入り、何故かタマ子から玉ねぎを渡され、結局紅緒が丼の中に行くことになったのだった。ちなみに玉ねぎはお守りだそうだ。


「はあ、紅生姜が玉ねぎ一つ持って牛魔王探しに丼の中か。いよいよ訳分かんねーな」


 その時背後から「あの」と突然声をかけられた。


「大丈夫ですか?」


「おわっ!」


 驚いて振り返ると屈んで心配そうにこちらを見ている人物がいた。『何だ? 誰だ?』と思うも束の間、それが『何で?』に変わって行く。紅緒にはその顔に見覚えがあったからだ。


「え? は? お前……、コメ屋……?」


 吉乃が約束をした相手、彼女の先輩、米屋よねやがそこにいたのだった。

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