第34話

 これは私の恋の話だ。幼くて、恥ずかしくて、とても人に言えるような立派なものではないけれど。少し人より牛丼色かもしれないけれど。だけど自分なりに人を想って、願って、そして忘れられない、きっと、そんな、普通の恋の話だ。




 昼を少し過ぎた頃吉乃よしの紅緒べにおは自分たちの町に帰って来た。


「あー、疲れた疲れた。長距離移動はやっぱ疲れんなあ」


 初めての遠出だろうに分かったような口を利く紅緒に微笑みつつ吉乃は相槌を打った。


 でも確かに昨日今日と随分慌ただしかった。想定外に荷物も増えた。


「今回は時間もなかったからね」


 だから今度はのんびりとお礼も兼ねて再訪したい。


「そうだな、でもなんとか間に合ってよかったな」


 牛丼のレシピのことだ。


「うん」


「もう試作品食べなくていいと思うと俺はそれだけで……、うう……」


 目頭を押さえる紅緒。大袈裟な仕草に吉乃は苦笑する。


「まだ練習するから食べて欲しいんだけど」


「えー、まだやんのかよ。はあ、流石牛魔王」


 そう言ってはいるが拒否はしない。なんだかんだ付き合ってくれるつもりなのだろう。


「どうも」




 アパートの前まで来た時、不意に声を掛けられた。


「吉乃さん!」


 その知っている声にそちらを向くと少し離れた位置に止められた軽トラックの横で玉ねぎヘアーの小さな女の子が手を振っていた。


「タマ子ちゃん」


「一郎と次郎もいるじゃん」


 太一たいち銀次ぎんじだ。弟が荷台から荷物を下ろしていて、兄が運転席から降りてきた。二人ともこちらを見て軽く頭を下げる。


 駆け寄って来たタマ子に「どうしたの?」と吉乃が尋ねると嬉しそうに答える。


「一昨日のお礼をと思いまして」


「え、お礼? そんな、いいのに」


「いいんです。ほんの気持ちですから」


「松谷さん、すみませんお忙しい時に。タマ子が今日中に行こうと言って聞かなくて」


 後から来た太一が言う。その後ろでは銀次が重そうな段ボール箱を抱えている。表情はムスッとしているが機嫌は悪くなさそうだ。


「いいじゃないですか。善は急げです。それに玉ねぎが必要かと思いまして」


 そんなタマ子の言葉に太一が付け足す。


「玉ねぎの他にも適当に野菜を見繕っておきましたので」


「え、本当にそんな……」


「なあ、早く下ろしたいだけど、どこに持ってけばいいんだよ」


 銀次が言う。紅緒も「貰っとけば」と軽い一言。どうやら遠慮しても満場一致で聞いてくれなさそうだ。


「あ、ありがとうございます。銀次君も。えと、じゃあ玄関に。あ、それと良かったらお茶でも、ちょうどお土産のお菓子もありますから」


 今度は太一たちが遠慮したがタマ子がそれを認めなかった。


「せっかくなのでご相伴にあずかりましょうよ。私吉乃さんたちとお話したいです」


 こうなるとこの兄弟は弱い。「じゃあ」とか「分かった」とかモゴモゴ言って付いて来る。何だかそれがおかしくて微笑んでしまう。これが本来のこの兄弟の姿なのだろう。タマ子もニコニコしていて一昨日より元気になっているように見える。


 それから兄弟を案内しつつ部屋の前まで来た時だった、紅緒が何かに気が付いた。


「うわあ、また何かある」


 何か、そう言われて吉乃が確認すると、そこにあったのは丼だった。丼が一つ、蓋をした状態で床にちょこんと置かれていた。


「あー、一応聞くが、吉乃、出前取った?」


「いやあ、取ってませんけど……」


 紅生姜、玉ねぎと前例があるからかどうしても警戒してしまう。紅緒もそのようだ。


「じゃあ隣んちが出前取ったとか?」


「いやそれは、どうだろう?」


 お盆も何もなく丼が一つあるだけだし、完全に吉乃宅のドアの前にあるし、とにかくそれは考えにくそうだ。


「じゃあもう確定な感じか?」


「いや、まあ、確定と言われてもそれもどうなの? 流石にただの丼でしょあれは」


 もちろん心当たりなんか無いし、まさかあの中に何か入ってるなんてこともないだろう。うん、たぶん。


 悶々としているとタマ子が顔を覗き込んできた。


「どうしたんですか?」


「ああ、ごめん、何と言うか……」


 吉乃が言い淀んでいると紅緒がタマ子に答えた。


「神主案件が発生しそうなんだよ」


「神主案件? 何ですかそれ」


「ああ、えっとな……」


 紅緒が後ろで説明をしている間、吉乃は丼に近付いた。正直今更もう一柱付喪神が増えたところで驚かないが、そうじゃなかったとしてもこのままにしておく訳にも行かない。捨てるにしても所定の場所に持っていかなければならない訳だし、どう言う意図かは分からないがいたずらなんて可能性も考えられる。そうだったらちょっと厄介だ。ううむ。


 しかしいたって普通の丼だ。有田焼だろうか。詳しくはないけれど、どこかで見たことがあるようなデザインだし、赤と青の彩色も良くあるやつだし。うん、手足が生えている様子もない。まさか中に何か……。いやいやいや、だからそんなまさかね。ま、流石にこれは普通の丼だろ。


 そんな風に思いつつ吉乃は荷物を置いてしゃがみ丼に手を伸ばした。そしてやっぱり中身が気になって蓋に手をかけそっと開けてしまった。


 カチャン。


 とやけに鮮明に音が聞こえて紅緒たちは会話を止めた。


「吉乃?」


 振り返るとそこには誰も居ない。ただドアの前にさっきまで吉乃が持っていた荷物と静かに丼があるだけだった。

 斯くして、吉乃が姿を消すと言う形で神主案件は発生したのだった。

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