余談 3

 突然だが、遭難した。


 道なき道を歩く吉乃よしの紅緒べにおの二人。吹きすさぶ雪で視界も悪い。


「紅緒大丈夫?」


「ん、ああ、な、なんとか」


 吉乃の肩に担がれるようにして足を引きずる紅緒。彼の方が体力を消耗している。朝ごはんの牛丼を食べなかったからだ。


 吉乃が息を切らしながら励ましの声を掛ける。


「もうちょっとだからね」


 自虐的な笑みを浮かべ紅緒が呟く。


「俺たちフリーズドライになったりしてな」


「馬鹿な冗談言わないで。絶対なんとかなるから。それにそう言うもんじゃないでしょ、フリーズドライって」


「へへ、でも確かに大丈夫そうだな。なんか寒くなくなって来たって言うか。逆にポカポカあったかくて眠くなって来たって言うか」


「ちょ、ちょっと紅緒駄目よ! 眠っちゃ駄目! それ悪化してるから! 全然大丈夫じゃないから!」


「でも眠くて……、少し休もうぜ……、ほら、あそこにちょうどいい小屋もあるし……」


「駄目……って、え、小屋?」


 上げた視線の先、雪に煙る向こうに微かに建物の影が見えた。


「良かった。あそこなら雪をしのげる。頑張って紅緒、もうちょっとだからね」


 そうして二人は山小屋に辿り着いた。






 中に入り紅緒を横にすると吉乃は急いで小屋を物色した。毛布、暖房、食糧……、躊躇っている余裕は無い。持ち主には後で然るべき対応を取ればいい。

 幸いにも発電設備は整っているようで小屋には電気が通っていた。必要なものも全て揃っていて利用することが出来た。


 湯を沸かし、見つけた粉末のスープを作った吉乃。


「私もだいぶ体力持ってかれてるな、カップが重いや」


 とは言えさっきまでの危機的状況は脱出出来た。

 そう思っていたのだが、


「紅緒、スープ出来たよ。紅緒?」


 毛布に包まって横になっている紅緒から反応がない。

 一転吉乃の緊張が高まる。


「紅緒!」


「……んん」


 声と共にもぞもぞと動き出す紅緒。


「良かった……」


 安心する吉乃の前で毛布をめくり紅緒がゆっくりと上体を起こした。そして彼が口を開く。


「吉乃さん飯はまだかいの?」


「ん?」


 しわがれた声で繰り返す。


「吉乃さん飯はまだかいの?」


 色が抜け白くなった髪の毛、乾燥し皺の増えた肌、それと微かに震えている手。そんな目の前の変わり果てた紅緒の姿を見て吉乃の頭にさっき聞いた言葉が思い浮かぶ。


(フ、フリーズドライされとる!)


「ちょ、だ、大丈夫なのあんたそれ……」


 目の前の事態に困惑しつつも場慣れ感もあり心配が勝って確認をする吉乃。それに紅緒が答える。


「飯のことかい?」


「いや、飯じゃなくて体」


「さらだ?」


「からだ」


「はらだ? 原田さんのことかい?」


「違う、原田さんって誰よ。体、か、ら、だ」


「あ、ああ、ああ、からだ」


「そう、からだ」


「飯のことかい?」


「いや、だから飯じゃなくて、からだ」


「ああ、からだね、からだ、からだ……、そうだ吉乃さん」


「何?」


「飯はまだかいの?」


「あ、いや、あの……」


(や、やべえ、爺度たけぇ! しかもだいぶ進んどる!)


「め、飯は……、あ、そうだ、これ、スープ、とりあえずスープ飲んで、温まるから」


「おお、おお、ありがとうなあ」


「うん、ゆっくり飲んでね」


 紅爺にスープを渡して吉乃は後ろを向きへたりこんで頭を抱えた。


(遭難中に後期高齢者……、ど、どうする……)


「吉乃さん」


 しんみりとした口調で紅爺が声を掛ける。


「な、何? どうしたの?」


 吉乃が振り向くと彼は話し始めた。


「乾燥させた生姜はショウガオールという成分が多くなって体を温める効果が高くなるんじゃ」


「うん……」


 しばらく二人目を合わせ沈黙、その後もう一度紅爺が口を開いた。


「吉乃さん」


「うん?」


「飯はまだかいの?」


「うん、とりあえずそれで我慢して」


(うおぉぉぉ! やべぇ! 近年希に見る緊急事態だこれ! と、とにかく私も何か暖を取らないと……)


 プルプル震えながらスープを飲む紅爺を後ろに吉乃は再び小屋の中を物色しようと立ち上がった。その時だった。


「全く困ったものだねこの雪にはトレーニングもままならないよ。おや?」


 扉が開いて小屋に誰かが入って来た。

 吉乃は持ち主が帰って来たと思い咄嗟に取り繕うように言った。


「あ、あの、私たち雪で迷ってしまって偶然ここを見つけて、それで……」


 しかし予想外にも目の前にあったのは知っている顔だった。


「て、店長!?」


 ところが当の店長は吉乃のことが分からないようだった。


「店長? 人違いではないのかな?」


「いや、え、だって……」


 戸惑う吉乃にジャケットを脱ぎながら彼が言う。


「まあ、他人の空似と言うこともあるからな」


 そう言う彼のジャケットの下は上裸にエプロンだった。


「お前絶対店長だろ!」


 思わず強めの言葉が出た。


「筋肉の空似だろう、吉乃君」


「私名乗ってねーけど!」


 その時、店長が脱いだジャケットのポケットから何かが飛び出した。

 そう言った存在に吉乃は覚えがあった。


「あ、桃、桃ちゃんもいるじゃないですか!」


 飛び出し華麗に着地したその姿は萎れて梅干しのようだった。


「フリーズドライされとる!」


 その言葉に紅爺が反応する。


「飯のことかい?」


「飯のことじゃねー!」


 そんな中、店長が言う。


「まあ、こんな雪の日さ、助け合っていこう。この小屋の物は自由に使ってくれて構わない」


「え、あ、はい、あ、ありがとうございます……」


「分かっているよ、君も筋トレ難民なんだろ?」


「いやちょっとそう言う訳じゃ……」


「ここは私のトレーニングルームだからね」


「そ、そうなんですか?」


「ああ、だから全ての家具が重く作られている」


「重くって、そんな少年漫画みたいな……、あ、だから、あのマグカップも……」


「そうさ、ここで過ごして特製のプロテインスープを飲めば君も忽ちこうなれるぞ」


「いや、そうなりたくは……」


 ポージングを繰り出した店長は何かに気が付いたように「おや」と声を出した。


「後ろの彼もどうやら超回復したみたいじゃないか」


「は?」


 振り向くと筋骨隆々の紅緒が上裸で立ち上がっていた。

 吉乃が叫ぶ。


「うおぉぉぉ! 爺はどうしたぁぁぁ!」


「吉乃さん私、生まれ変わったようですよ」


 青年紅緒になっていた。

 店長が一歩前に出る。


「君、いい体してるね」


 紅緒も対抗するように前へ。


「あなたもね、店長さん」


 微かに湯気の立つ筋肉に挟まれた吉乃が悲鳴を上げる。


「ひいぃぃぃ!」


 そして逃げられぬ吉乃の両サイドで熱い漢達のポージング対決が始まったのだった。






「や、やめてくれ……」


 苦悶の表情で寝ている吉乃をブカブカのワイシャツ姿の紅緒が見やる。


「寝言? まあ、いいか」


 特急列車の車窓には元の姿に戻った紅緒が映っていた。


「寒っ、エアコン強いな」


 それから小さく息を吐いて身を丸めて少年紅緒はまた眠りにつくのだった。

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