第28話

 桃を追い掛けて斜面を降りた先で吉乃よしのたちは古びた建物を見つけた。


「なんだろうここ?」


 斜面の上からだと木々に遮られていたこともあって気が付かなかったのだが平屋建ての一軒家より大きいしっかりとした建物だ。生活感のような人の気配は感じられない。緑に囲まれた周囲の状況もあってか廃工場と言った様子だった。


「はー、秘密基地感あるなあ、どれどれ」


 桃の種を吐き出し紅緒べにおは遠慮も躊躇いもなく足を踏み出した。


「ちょ、ちょっと紅緒」


「ん? なんだ? 行かねーの?」


「だって勝手に入っちゃ不味いでしょ」


「大丈夫だって誰も居なそうだし。それにあいつも」


 紅緒の示した先の地面でさっきの桃が手を振っていた。もう完全に吉乃たちを誘っている。


「うー……、分かった、行くけど、でも変なことしないでよね。店長に迷惑かけたくないし、こんなとこまで来ちゃったけどそもそも今仕事の休憩中なんだから」


「分かってるって」


 二人は桃を追って建物の方に歩き出した。


 正面に出るとやはり大きい。屋根が高い。奥行きもありそうだ。

 吉乃は改めて建物と周囲を見渡す。


 最初は廃屋のように見えたけど違うのかな。ちゃんと人の手が入ってるような気がする。


 彼女の思った通り、鬱蒼とした緑に囲まれてはいるが下りてきた斜面以外にも建物への道はきちんと通じている。車も出入りできそうだ。


「やっぱり戻ろうよ紅緒」


「んー、確かになあ……」


 窓から中を覗こうとしていた紅緒だったが上手く見えなかったようだ。


 正面の大きな扉には南京錠がかかっていてこちらも開きそうにない。とは言え鍵がかかっている時点で管理はされている訳で、しかも鍵も新しそうだし、不法侵入する訳にはいかない。


「でもさ吉乃、そいつこの中に入りたいみたいだぜ」


 吉乃の足元で、自分の体より遥かに大きい扉を押したり引いたりと桃が奮闘していた。確かに中に入りたいようだ。吉乃のジャージの裾を引っ張り入れてくれとアピールまで始めた。


 どうにもこいつら(付喪神たち)は私に犯罪行為をさせようとしてくる傾向があるな。


「うーん……」


 吉乃は一度頭を捻り、それから斜面の上の方に視線を送った。申し訳なく思うが、犯罪行為以外に、現状頼れるのは一人しかいない。






 吉乃たちは一度引き返し店長に事情を説明して(何故か付喪神に対する理解が異常に早いので助かる)一緒にこの建物まで来てもらった。桃に関しては少し驚いていたが反応から見るに建物の存在は知っているようだった。


 再び扉の前に立った吉乃と紅緒、それと店長、さらにその肩に乗る手足が生えた桃。ちなみに桃はいつの間にか店長になついていた。そこは流石店長としか言えない。


 風が木々を揺らし聞きなれない声の野鳥が鳴いている。


 到着してから依然として無言のまま扉の前に立つ面々。


 また風が吹く。


 一向に誰も喋らない。


 大きく左右に開く無骨な工場の扉は閉じたまま。


 静かだ。


 しばらくして堪え切れないと言った様子で紅緒が吉乃の方を小さく二度見した。正確には吉乃ではない、その隣の筋肉、いや、店長を見たのだった。あんたが喋る番じゃないのかと。しかし彼は喋らない。分厚い大胸筋が呼吸に合わせてゆっくりと上下しているだけだった。


 ここに来た流れから何となく紅緒と同じ風に思い黙って店長の発言を待っていた吉乃もさすがにしびれを切らした。いつまでも並んで扉を見ている場合ではない。


「あ、あの、ここは……」


 すると店長がやっと口を開いた。口調はマイペースだ。


「ここは、工場だ。中を見られるのは、少し恥ずかしいんだがな」


 徐に作業着のポケットから鍵を取り出し南京錠を外し始める店長。

 吉乃と紅緒はそれを見て目を丸くしまた同じことを思った。あんたが管理してたんかと。


 すぐに南京錠は外され重そうな扉が開かれる。すると桃が店長の肩から飛び降り薄暗い工場の中に走って行ってしまった。


「あ、待って……」


 追いかけようとした吉乃を「今電気をつける」と店長が止める。確かに自然光だけでは小さな桃を追い掛けるのは難しそうだった。


 明かりがつくと工場内の全体像が良く見えるようになった。

 高い天井、広い空間、点在する器具の数々。加えて単管パイプで組まれた謎の装置。


「しかし何の工場なんだこりゃ」


 紅緒の発言を受けて吉乃は改めて工場内を見る。


 コンクリート打ちっぱなしの床と柱。骨組みが剥き出しの壁。点在している器具は良く見ると何となく知っている形で、それは例えば駅前のジムの広告に載っているようなもので、さらにはパイプで組まれた装置は某テレビ番組で体育会系の人たちが半期に一度程熱戦を繰り広げるアスレチック的なあれのミニチュア版的なもので、床には体操マットもあるし、ダンベル、バーベル、その他名前は知らないけれど類似の目的に使用されるであろう道具の数々もある。何の、と言われればたぶんここは……。


「筋肉」


 思わず呟いてしまった吉乃。「あ」と口を抑えるも時すでに遅し。


「え、じゃあここは店長さんの筋肉培養施設ってことか!?」


 遠慮なく紅緒が大声で言った。工場内に声が反響して気まずさが増す。


「紅緒!」


 叱ろうとすると店長が間に入った。


「吉乃君、いいんだ。彼は間違っていない。ここは私のトレーニングルームだ。隠していた訳ではないんだが、あまり人に見せたことは無くてね。新鮮な反応をありがとう」


「ある意味秘密基地だ。すげえなここ。なあ店長さん、ちょっと触っていいか?」


「構わないよ」


 何故かはしゃいでいる紅緒は勝手に工場内を動き回り始めた。


「すみません」


「いや、いい。それよりあの子は何処に行ったのだろうね」


「あ、そ、そうだ、そう、ですね」


 危うくまた筋肉に押し流されるところだった。

 紅緒は放っておいて桃の行方を捜す。真っ直ぐ奥に向かって走って行ったように見えたのでとりあえずそちらに向かってみる。

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