第27話

 店長の働く果樹園では主に桃が栽培されている。桃の木は二メートル程のあまり背の高くない木で、濃く茂った緑の中に無数の色付いた果実を枝をしならせ実らせていた。


 青空の下一面に広がった桃畑、今の季節からは出荷の最盛期を迎えるようで、吉乃と紅緒は収穫作業を手伝った。実際のところどれだけ力になれたのかは分からないが、店長は嫌な顔一つせず丁寧に仕事を教えてくれた。吉乃も真剣に仕事に取り組んだ。教えを乞う身としては何でも真面目に取り組みたい、出来ることなら少しでも力になりたい。そう思っていた。


 そんな吉乃にとって一つ意外なことがあった。

 紅緒だ。

 紅緒も文句一つ無く真面目に仕事に取り組んでいたのだ。それは今日まで紅緒の悪い意味での子供っぽさを目にしている吉乃としては不思議な光景だった。




 コップを限界まで傾けて中身を空にした紅緒は、腹の底から大きく息を吐き出した。


「はああー……、美味い!」


 吉乃と紅緒は果樹園の隅の傾斜に座って仕事の休憩時間を過ごしていた。ちなみに二人の渇きを見事に潤してくれたのは奥さんが用意してくれた麦茶だ。


「まさに命の水! いや麦茶! もう一杯!」


「はいはい」


 吉乃は紅緒に差し出されたコップに麦茶を注いだ。紅緒はそれをまた一息に飲み干す。


「くはー!」


「しっかし、あんたがこんなに真面目に手伝うなんて意外だったわ」


「何だと失礼な。一宿一飯の恩と言う言葉を知らんのか。あんな美味い物を食わせて貰っておいて何もしないんじゃ罰が当たるわ! もう一杯!」


「ああ、なるほどね」


 紅緒の頑張りの理由に納得した。確かに奥さんのご飯に異常に感動してたっけ。


 吉乃が紅緒から再びコップを受け取った時、風が二人の間を通り抜けた。微かに桃の香りを含んだ緑色の心地良い風だ。


 風が駆けあがって来た丘の斜面の向こうにも果樹園は広がっている。遠くで果樹園の間を走る白い軽トラックが光を反射させてキラリと光った。


「私さ、想像してなかったな。こんな感じ」


「ん? 何? どんな感じ?」


「んー、今考えるとちょっと失礼なんだけどさ、もっと良くない風に考えてたんだ。店長や奥さんのこと。仕事も辞めて、お店も無くなって、駄目になってるんじゃないかって。肉体的にも精神的にも弱ってるんじゃないかって。でも全然違った」


 紅緒はいたずらな顔で笑った。


「筋肉魔人になってたな」


「あはは、そうだね」


 その時ちょうど店長の声。振り向くと手元に桃が飛んで来た。紅緒の方にも一つ。


「わわ」


 何とか落とさないでキャッチ。

 店長は「美味いぞ」と一言言ってすぐに向こうの木々の間に戻って行った。


「びっくりした、聞こえてたかな」


「かもな、でも聞こえててもいいんじゃないか? なんか店長さん楽しそうだったぞ」


 紅緒の言う通り店長は楽しそうだった。笑っていた。今だけじゃない。吉乃と再会してからずっと、いや、きっともっとずっと前から店長も奥さんも本当に楽しいのだろう。これっぽっちも弱ってなんかいない。過去に囚われてなんかいない。今をしっかり生きている。


「うん、そうだね」


 吉乃の掌で程良く色付いた張りのある果実が軽やかに笑うように転がった。


「んん、これ結構固いけど、リンゴみたいで美味え」


 早速紅緒が小気味のいい音を立て桃を齧っている。それを見ているだけでも爽やかで甘い桃の味が口に広がるようだ。


 私も頂こう。そう思って吉乃が掌を見ると桃が立ち上がっていた。


「ん?」


 桃から手足が生え立ち上がっていた。


「……どわあっ!?」


 驚いたあまり軽く放り投げてしまったが、桃は目の前でクルクル回って地面に見事に着地した。


「え、え、は?」


 混乱する吉乃の前で手足の生えた桃は誘うように手招きをして斜面を駆け下りて行く。


「へー、流石店長さんとこの桃はアグレッシブだな」


 平然としている紅緒を見て吉乃の頭に過ってしまう単語。


「つ、付喪神……?」


「んあ? あー、そうかもな。うん。美味い」


 変わらず桃を齧りながら言う紅緒。


「あ、あんた良く普通に桃食べてられるわね」


「いやだって今更って感じだし」


「ま、まあそれは、確かにそうだけど」


 そこで紅緒が何かに気付く。


「ん、なあ、あいつなんか呼んでねえ」


 確かに斜面の途中の茂みの中から手足の生えた桃がこちらを向いて飛び跳ねていた。


 行く?


 行けば。


 やっぱり行くしかないか。


 隣の紅生姜とアイコンタクトで短い会話を交わした後吉乃は重い腰を上げた。店長に貰った桃をそのまま放置しておくわけにもいかない訳だし、しかもそれが付喪神らしき存在であると言う時点で最近の経験上どうにも無視する気にはなれなかったのだ。

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