第26話

「ん? 君は?」


 そこで店長は紅緒べにおに気が付き、何か気になると言った様子で彼の顔を覗き込んだ。


「お、な、何だ?」


 不躾な反応を見せる紅緒に、吉乃よしのは少し慌てた。


「あ、あの、連絡しておいた連れで、私の親戚でして……」


 この時のために用意していた言い訳を並べようとすると、店長が力強く言った。


「君、紅生姜だね」


 その店長の発言に続いて奥さんも。


「あら本当」


 事も無げに言い切る二人。


「……ぇええええ!」


 驚きのあまり声が出た吉乃。一方紅緒はニヤリと笑った。例えば食通に料理の隠し味を当てられたシェフのように。


「なんだ店長さん分かるのか? 流石だね。筋肉、切れてるぜ。肩に小っちゃい闘牛乗せてるみたいだ」


「はは、ありがとう!」


 筋肉スマイル。奥さんも微笑んでいる。置いてきぼりは吉乃だけだ。


「ど、どうして分かったんですか?」


 店長が簡潔に答える。


「勘だな」


 その納得のいかない答えに吉乃は奥さんに助けを求めた。


「長い間牛丼屋なんてやってるとねえ。それにほら髪の毛ピンク色だし目も赤いじゃない」


 奥さんの方がまだ具体的ではあったがいずれにしろ吉乃にはまだ早い境地であった。






 その後、四人は再会の余韻もそこそこに店長の車で彼の家へと向かう。


 駅の徒歩圏を抜けるとすぐに緑の風景に囲まれた。青々とした木々が梅雨の晴れ間に眩しく輝いている。どこまでも町が繋がる都会とは違った美しい景色だった。


 道中一番多く見えたのは果物の畑だ。この地方の特産の果樹園があちらこちらに広がっているのだ。露地栽培や、ビニールハウス、ネットに囲まれた畑などその形態は様々だったが、どれも特産品として生産されているだけあって規模が大きかった。


 店長の実家も果樹園を経営しているそうだ。彼も今はその手伝いをしているらしい。その傍ら体力作りとして体を鍛え始めたのが思いのほか嵌まってしまって、今や筋骨隆々のマッチョマンになってしまったのだとか。元々凝り性で、と奥さんは言っていたが運転席からはみ出すこれはそのレベルではない。才能的なものがあったのかもしれない。


 一方奥さんはそんな店長の農作業を手伝いながら近くの道の駅にある喫茶店で働いているそうだ。


 毎月その時期の旬の果物を使った創作スウィーツを作っているとかで、それを考えるのがとても楽しいそうだ。ちなみに奥さんの若い頃の夢はパティシエだったらしい。それがどうして牛丼屋に収まったのかは分からないが、巡り巡って今に繋がっているのは素敵なことだと思う。


 店長も奥さんもどちらも、こっちが嬉しくなる程本当に楽しそうに自分達のことを話してくれた。奥さんは盛り上がるたびに店長の筋肉を叩いた。結果的に何回も叩かれていた店長だったが、笑顔一つ崩さずびくともしていなかった。彼の筋肉の鎧は伊達じゃないってことだ。


 店長の家は新築の二世帯住宅だった。田舎に帰ってくるタイミングで実家の近くに建てたのだとか。そこで息子さん夫婦と一緒に暮らしている。ちなみに息子さんの話しはちらりと聞いたことはあったが、実際に会ったことはなかった。


 吉乃と紅緒は店長の家で昼食を食べ、その後に畑仕事を手伝うことになった。店長は予定を調整出来なくてすまないと言っていたが、急にお願いしたのはこちらだ。吉乃としてはむしろ進んで手伝いをしたいくらいだった。と言う訳で牛丼のレシピは仕事が済んだ後、夕食時に教えて貰うことになった。


 ここで紅緒が異常に感動していたので昼食について付け加えておく。


「残り物でごめんなさいねえ」


 と言って奥さんが用意してくれたのは、ご飯、味噌汁、たくあん、奥さん特製の小鯵の南蛮漬けだった。

 その中の小鯵の南蛮漬けが特に紅緒の好みだったようで、紅緒は涙を流しながら食べていた。






 店長の家からほど近い日当たりの良い小高い丘の上にある果樹園。そこが目的地。


 吉乃と紅緒は軽トラックの荷台に乗り込んだ。


 荷台の二人、紅緒は先程と同じ服装だったが、吉乃は別の格好になっていた。ワンピースだと動きづらいと言うことでジャージに着替えたのだ。それは彼女が高校生の時に着ていた学校指定のもので小さく松谷と刺繍が入っていた。


 それを見て紅緒が言った。


「あれ、着替えてるし。え? あれ? それ持って来たの? パジャマ替わりでってこと?」


 単純に疑問に思ったようだ。


「何言ってるのよ? パジャマはパジャマで持って来たわよ」


 しかし吉乃の発言で逆に疑問が深まった。


「え? あれ? もしかして手伝うこと分かってた感じ?」


「いいえ、さっきそう言う話になったばかりじゃない」


「え? じゃあ何でそれ持って来たの?」


「何でって、遠出する時は持って来るでしょ? 普通」


「普通……」


 紅緒は唖然と吉乃の顔を見つめた。

 彼女には微塵もふざけている様子は無くむしろ何聞いてきてんだこいつ感すらあった。


「俺、吉乃の遠出感が分からないよ」


 とにもかくにも、そんな風にして荷台に揺られること数分、二人は果樹園に到着した。

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