第24話
列車は進む。
最後に停車した駅を出てしばらくたつ、車内は静かだ。平日の昼間と言うのもあるのだろうがまばらにいる利用客はほとんどがスーツを着たサラリーマンらしき人たちで特別騒ぐような人も居ない。
さっきまでは少々浮いていた二人、紅緒は初めての特急列車に月並みに浮かれ、浮かれた格好の吉乃は常識人ぶった態度で大仰にそれを嗜めていた。だけれど紅緒は少し前に眠ってしまった。牛めし弁当を何だかんだ食べ終え、必死に訴えて買って貰ったデザートのアイスクリームのカップをしっかり空にして。
吉乃は紅緒の寝顔を見て微笑み呟いた。
「また寝てら」
こいつは乗り物に乗ると寝るタイプなのかな。
なんてぼんやり考えながら食事をしていた時のことを思い出す。
食べる前は散々ぶうたれていた紅緒だったが、食べてみると普段の牛丼とは一味違うと感じたようで、ヒョイヒョイ箸を進めていた。特に付け合わせの柴漬けが気に入ったらしく吉乃の分も貰って食べていた。
結局ちゃんと食べてくれるからありがたいな。
溜め息ではないが一つ息を吐く。ふと視線をずらすと紅緒の向こうには美しい風景画のような車窓の景色が流れていた。雲間から差す光が見知らぬ街を照らし輝いている。
吉乃が視線を奪われたように眺めていた景色だったが、間も無く轟音と共に暗転して見えなくなった。トンネルに入ったのだ。
今度は真っ暗な車窓に自分の姿がはっきりと映っている。
髪を短く切りそろえた良く知った顔がどこか不安を秘めた表情でこちらを見ていた。
吸い込まれるみたいにその様に思ってしまう。
あの頃と同じ髪型の自分。偶然戻ってしまった過去の自分。今は、あの過去の続きなのだろうか? あの頃の未消化な気持ちが私を過去の続きへと連れて来たのだろうか? だとしたらこれはきっと偶然なんかじゃない。そうだ、先輩に会って気が付いてしまった。私の気持ちはあの頃のまま。私の本当はあの頃から変わっていない。変われていない。いや、ずっと分かっていたんじゃないだろうか。あの頃の自分が変わらずに胸の中に居ることに。ずっと、ずっと引きずったまま過ごしてきたことを、誤魔化すことはもう出来ない。蓋をした気持ちは保温したご飯のように冷めないまま残っている。
吉乃の頭に
でも、私の恋は叶わない。それはもう、あの頃からずっと分かっていることだったのに。じゃあ、何で私はこんなことをしているんだろう。何かを待っているのだろうか。何かを期待しているのだろうか。都合のいい変化を。私は先輩が好き。だけどその気持ちを伝えることは、先輩に迷惑をかけることではないのか。私は先輩に幸せになって欲しい。だけど思ってしまう。私は本当に先輩の幸せを願っているのだろうか。もしも、もしも私の願いが叶うのならばその時先輩の願いはどうなってしまうのだろうか。
胸が少し苦しくなった。窓ガラスに映った自分が目を逸らした。
直後、列車がトンネルを抜ける。
空は変わらず晴れている。近景に見える次々流れていく木々の向こうにさっきとは違う街並みが広がっていた。
進行方向がずれたのか車内に日の光が差し込む。
ブラインドを降ろす音が幾つか聞こえた。
「んん……」
光が眩しかったのか紅緒が煩わしそうに小さく呻き声を漏らした。
吉乃がブラインドを降ろそうと自分の席から身を乗り出した時、紅緒が何やらまた寝言を言った。
「目が……」
「ん?」
メガ? メガ盛り牛丼の夢でも見ているのだろうか。欲張りな奴。だったら今度作るときは特別に量を増やしてやろう。
ブラインドを降ろし再び席に納まった吉乃は紅緒の顔を見て今更思った。
しかし全くどういう今なんだろうか。隣に居るのが紅生姜だなんて。冷静に考えてみても訳が分からない。それにしても紅生姜か。
紅生姜、牛丼、先輩、それと私。それらを繋げてくれたのは紛れもなくあの店だ。どうして店を閉めてしまったのだろう。何かあったのだろうか。店長と奥さんは元気なのだろうか。正直今まで自分のことばかりであまり深く考えては来なかった。
だけど今、吉乃は再会を目の前にして考えざるを得なくなっていた。仕事や日常生活と距離のある今だからこそ考える余裕が持てたとも言える。
病気などしていないだろうか。仕事を辞めて鬱になどなっていないだろうか。二人の間に熟年離婚なんて話が生じたりしていないだろうか。
頭には簡単に想像できる嫌なイメージばかりが浮かんで来る。しかも後ろ向きな気持ちが良くない想像を掻き立てていた。
吉乃はまた一つ息を、今度はため息に近い息を吐くと、前の座席に掛けていた帽子を手に取りそれを目深に被った。
考えても仕方がない。もう列車に乗っているんだ。列車は私がこうしてウジウジ考えている間も目的地に向かって進んでいる。私の気持ちなんか関係なく全部もうすぐ分かるんだ。
吉乃はこれ以上余計なことを考えないように眠ることにした。目的の駅まではまだ遠い。
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