第22話

 学校の長期休暇中、普段のシフトとは違う曜日にアルバイトに入っていた日。時間外れに客が入り店が俄に忙しくなった時だった。


「こんにちはー! ハンダ商店です!」


 裏口から元気な声が店内に響いた。


吉乃よしのちゃん、ちょっと受け取ってもらえる? 伝票にサインするだけでいいから」


「え、あ、はい!」


 奥さんに言われて私は裏口に向かった。奥さんも店長も厨房の作業に追われていた。


 裏の戸口では知らない男の子が立っていた。

 彼が私を見て頭を下げる。


「配達に来ました」


「あ、ご、ご苦労様です」


 自分より年下、中高生にも見える予想外に若い相手に驚いてまごついてしまった。

 すると彼の後ろから別の声がした。


「ここでいいっすか?」


 そう言ったのは戸口に立っていた少年の後ろに居たもう一人。手前の子よりもさらに年下に見えるその男の子が重そうな段ボール箱を抱えていた。


「あ、うん……」


 兄弟?


 疑問に思うも束の間、伝票にサインを求められ、私がそれを終えると二人はお辞儀をしてすぐに振り返り道に止めてあるトラックに向かって走って行った。なんだか楽しそうに走る二つの背中の向こうには運転してきたであろう親御さんらしき人が待っていた。その人と目が合った気がしたので軽く頭を下げると会釈を返してくれた。


「吉乃ちゃんありがとう。あら今日は飯田はんださんのところのご兄弟も来てたのね、お手伝いして偉いわよねー」


 気が付くと奥さんが近くに来ていて手を振っていた。助手席に乗った男の子が返事をするように手を振り返している。あれは弟の方だろうか。

 私も小さく手を振って奥さんに返事をする。


「ええ、そうですね」


 やっぱり兄弟だったんだ。

 なんて改めて思いながら何気なく伝票に視線を落とし私は不思議に思う。


「あれ、これ飯田いいだ商店って書いてありますけど……?」


「ああ、それでハンダって読むのよ、珍しいわよね」


「へー……、そうなんですか」


 確かに個人的にも初めて出会った読み方だった。

 その時厨房から店長の呼ぶ声。


「おい! 頼む!」


 あらいけないと奥さんが呟き、店長に返事をしてから少し早口で私に言う。


「吉乃ちゃんその箱こっちに運んでおいてくれる?」


「あ、はい!」


 急な来訪に少し呆けてしまったけれど厨房は戦争の真っただ中だ、私も気を取り直して戦闘モードに戻る。


「んよし、じゃあまずはこれを、あよいしょっと……!」


 そして私は玉ねぎの詰まった重たい段ボール箱を持ち上げた。






 思えば数年前の飯田兄弟との出会いはあのままあの場所に置き忘れていた。あの日は特に忙しくて思い返す間もなかったからだ。別の日になれば私はいつも通り先輩のことばかり考えていたし。だけどその忘れていた瞬間をピンポイントで思い出した。


 吉乃にはすぐに分かった。


 これは付喪神の力だ。私が忘れていたことを玉ねぎが覚えていたんだ。それを私に伝えたんだ。私と飯田兄弟がすれ違っていたあの日のことを。でも、だとしたら、玉ねぎと過ごした時間が多いあの二人はもっと、私以上にきっともっと多くの……。


 そうだ、飯田兄弟はもっと多くの時間を思い出したはずだ。玉ねぎが覚えていた多くのことを。きっと大切な、あの玉ねぎの少女が思い出してほしいと願った、大切な記憶を。


 視線を上げると飯田兄弟の箸が止まっていた。紅緒べにおも同じ体験をしたのか食べるのをやめている。音もたてず、誰も喋らない静かな台所、その中でタマ子だけがほろほろと涙を流しながら小さな口で牛丼を食べていた。


 不思議と目は痛くなかった。そう言えば玉ねぎを切る時に玉ねぎの一部を口に咥えておくと涙が出ないとか、そんな裏技があった気がする。これもその類の現象なのだろうか。


 ううん、そんなのどうでもいいか。


 吉乃は思う。


 あの兄弟が忘れていたこと、いつの間にか互いに欠けてしまっていたもの、けれど玉ねぎが覚えていたもの、そして補完してくれたもの、それがあればもしかしたらタマ子ちゃんが願うように本当に元の関係に戻れるのかもしれない。心の中心に同じ大切なものを持っているあの二人なら。


「吉乃」


 飯田兄弟が大切なことを思い出して、改めて話し合ってお互いの誤解していた部分を擦り合わせて、和解し手を取り合い希望溢れる新しい明日へと向かう。うん、これで解決だ。これでこのお話もバッチリ完結だ。タマ子ちゃんの愛が兄弟の愛を取り戻し……。


「吉乃」


 密かにハッピーエンドを夢想してポエマー吉乃がほくそ笑もうとしたその時、紅緒が彼女の袖を引っ張った。


「……なによ」


 何となく水を差された気分になって不機嫌になる。


「あ、いや、今俺たぶん吉乃の記憶を見たんだと思うんだけど牛丼食って」


「ああ、そうなの」


「飯田兄弟が店に来るやつ。同じの見た?」


「見たわよ」


「あのさ、じゃあ話早いんだけどさ、もしかして知ってるんじゃないか?」


「何を?」


「何をって、レシピ」


「レシピ?」


「レシピって言うか、レシピを知ってる人って言うか、例えば一徹の店長の連絡先とか」


「店長の連絡先ぃ……?」


 ポク……、


 ポク……、


 ポク……、


 チーン。


 お待たせしました。


 吉乃の頭の中で牛丼が完成した。


「あ、ああー!」


 叫び勢い良く立ち上がった彼女を皆が見上げる。


「あ、あ、その、つ、つかぬことをお聞きしたいのですが……」


 自分自身の本流が吉乃を急き立てる。


 飯田商店は牛丼一徹と商売上の関係を持っていた。しかも吉乃の知る限り一徹の仕入先が変わったなんて話もない。つまり、二店は数年来、なんなら十年以上の付き合いがあるはずだ。てことは連絡先くらい知っていてもおかしくないはず、と言うか少なくとも手掛かりになるものくらいは残っているはずだ。


「い、一徹の、あ、その、牛丼一徹と言うお店で私、昔働いておりまして……」


 そうして彼女は勢いのままに改めて自己紹介をして、今の自分の事情を説明し始めたのだった。

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