第21話
「いやぁ悪いね、なんか自分だけ、申し訳ない!」
小憎らしい顔でそう口にした紅緒に心で舌打ちを返しながら、吉乃は
「あの、本当にすみません。お金は払いますから」
「いえ、いいですよこのくらい」
太一は何でもないように笑う。けれど保護者吉乃としては、はいそうですかじゃあ、とは行かない。
聞くところによるとスーパーの惣菜売場で買ってくれとねだったのだとか。
うぅ恥ずかしい……。
しかし吉乃の申し訳なさや恥ずかしさを察して気を遣うなんてことは勿論なく、妙なテンションで紅緒は喋り続ける。
「吉乃さん! しかもこれただのコロッケじゃないんですぜえ。カニィ……! カニクリームコロッケですぜ! ああー、セレブな潮風が蟹の香りを運んでくるぅ」
いや、せいぜい運ばれてくるのは牛丼の湯気に乗った庶民的な揚げ油の匂いだろう。
頭を抱える吉乃の隣でさらに紅緒が言う。
「しかし
真に受けたタマ子が「え!?」と声を上げた。
焦って吉乃が否定する。
「ちょっと、人聞きの悪いこと言わないで! いつも三食ちゃんと食べてるじゃないの! あ、タマ子ちゃん大丈夫だから、それは自分で食べてね、ね」
オロオロとした顔で自分の牛丼を差し出してきたタマ子の優しさを吉乃は毅然と断った。
しかしそんな吉乃に紅緒が噛み付く。
「三食ちゃんと!? 牛丼三食は、ちゃんととは言わないね! て言うか三食ちゃんと牛丼食べさせてますって凶悪犯の自供かよ! それこそ人聞き悪いわ! それに先細るばかりの無職の家計が給付金目当てにしてんのは本当だろうが! どっちにしろ天カスコロッケが道の向こうで手招きしてるわ!」
「な、紅緒、あんたね、言わせておけば、無趣味独り身社会人の貯金額をなめるんじゃ……!」
「おいおいおいおい」
このままヒートアップして行きそうな二人を
「さっさと食おうぜ」
「あ、ご、ごめん、いや、すみません」
吉乃が謝ると銀次は頭をかいた。
「はあ、まあいいけど。なんつーか俺も人のことあんま言える立場じゃねーし」
彼は冷静になっていた。それに太一もタマ子もさっきより落ち着いている。少し時間をおいたのが功を奏したようだ。今この場では元々異質な存在である吉乃と紅緒の方がちゃんと浮いている。
そこで太一が言う。
「あの、松谷さん、コロッケはタマ子がお世話になったお礼と言いますか、それに本当はもっとちゃんとお礼をしなければいけないくらいなんですから気になさらないでください」
「え、あ、そ、そう、ですか……」
タマ子がコクコクと頷いている。
隣で紅緒が口を挟む。
「吉乃、人の好意は素直に受け取っておいた方がいいぞ」
「お前が言うな」
それから吉乃は気を取り直し咳払いをして意識から紅緒を排除した。そして姿勢を正して、テーブルを囲む面々を少しだけ見渡して始める。
「じゃ、じゃあ、あの、それでは、僭越ながら作らせてもらったので、ちょっと玉ねぎが多いかもしれませんが普通の牛丼です、タマ子ちゃんこれで良かったんだよね?」
タマ子がまたコクンと頷く。
それを見てほっとして吉乃は気が付いた。緊張していたと。そしてそれはここに来てから今まで感じてきた緊張感とは別の理由からだったと言うことにも。
そう言えば自分の作った牛丼を人に食べてもらうの初めてだ(紅生姜を除く)。
そんな吉乃が続ける。
「その、味も悪くないとは思うんですが……」
「こればっか作ってるもんな」
吉乃が鋭い視線を送ると紅緒は顔を逸らした。
もう一度咳払いをして改めて吉乃は言った。
「あの、じゃあ、早速ですが、いただきますと言うことで、あの、いただきます」
とにもかくにも彼女の変な挨拶を合図にそれぞれがいただきますと言い牛丼に箸をつけたのだった。
時間は少し進んで帰り道、空いた電車の窓に流れる景色を眺めながら吉乃は思う。
付喪神とは一体何なのか。
考えたところでそんなこと吉乃に分かるはずもなかったが、飯田家で自分の作った牛丼を、正確には具材の玉ねぎを口にしたあと彼女は確かにその一端に触れた。
幻覚を視たのだ。
いや、そう言うとヤバいもの(牛丼)を摂取してしまったかのようで語弊があるかもしれない。なので言い換えるならば、とても鮮明に記憶が蘇った、と言ったところだ。それはまるでたった今目の前で起こったかのように。懐かしい味や匂いに触れて忘れていた記憶を思い出すことがある、その極端な体験をしたと言ってもいい。そしてそれは吉乃だけではなく飯田兄弟も同じであるようだった。
では一体彼女は何を視たのか。
それは今はもう遠い記憶。吉乃が学生の頃牛丼一徹でアルバイトをしている頃のこと、そのほんの些細な瞬間のことであった。
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