第20話

 火を止め鍋に蓋をして一息吐く。

 調理は一段落したが外に出ているメンバーはまだ帰ってこない。


 さてどうしたものか。


 銀次ぎんじと二人でいてもさっきまでの気不味さは無かったが、ただ黙ったままでいると言うのは流石に気が引けた。


 するとそんな気配を察したのかテーブルに着いて携帯を弄っていた彼が呟いた。


「あんたも大変だな」


 ぶっきらぼうな言い方だが、気を遣ってくれているのだろう。兄の前では直情的な印象もあったが意外とそうではないのかもしれない。


 彼に対してなんとなく残っていた心理的な壁みたいなものがなくなった気がした。


「あのさ」


 特別何かと言うわけではないが吉乃よしのは声をかけてみた。

 銀次が少しだけ彼女の方に顔を向ける。


「ごめんね、変に首突っ込んじゃって」


「別に、いいよ、もう」


 そう言って再び視線を落とした彼に吉乃はやはり見覚えがあった。


 んー……。


 吉乃は持ってきていた荷物からハンカチを一枚取り出した。時間があれば喫茶店に持って行ってみようと思っていたものだ。


「これ」


 ハンカチを見た銀次の目が次第に見開かれる。どうやら当たりのようだ。


「何であんたが」


 それは吉乃も聞きたかった。

 だけど深く考えるとまた付喪神がどうとか言う話に至って、あの神主がちらつきそうなので止めた。どんな形であれ変な縁はあるものだ。


「あー、借りたと言いますか、なんと言うか」


 それと、あなたのせいですよ。とも言わないでおこう。


「返しておいてよ彼女さんに」


「あ、ああ……、いや……」


 言い淀む彼を前に、吉乃は考える。


 普通のハンカチだ。だけど大事なものなのだろう。例えば彼が彼女にプレゼントしたものだとか。すぐに気が付いたのがその証拠だ。それにたぶん彼は今彼女のことを考えていたのだろう。だからこのハンカチを見たときに即座に彼女を連想してしまった。


 牛丼を作ってリラックスした状況と、最近復活したばかりの恋愛脳が吉乃の勘を妙に鋭くしていた。


 今彼女のことを考えてたってことは、彼女と揉めた原因は兄弟喧嘩か。いやそもそもそれは店のことに端を発している訳だから……。進路のことで彼女と意見が食い違ったってとこかな。んー……。彼の性格からすると、たぶん……。


「はい」


 吉乃が改めてハンカチを差し出す。


「いや、俺は……」


 自分には受け取る資格がないとか、そんな感じなんだろうな。本当にこの子、真面目だなー。


 詳細は分からない、けれどこの期に及んではもうそれで良かった。吉乃は自分の中で何かが解けた気がしていた。一度硬くなったお肉でも柔らかくする方法はある。例えばもっと火にかけてみたり、玉ねぎに漬け込んでみたり……。


 玉ねぎ、ね。


 なんだかなーと思う。


 だとしたらこの状況はあの付喪神の計画通りってこと? でも計画とかそう言うタイプでも無さそうだし、本能、的な? 付喪神の? いや、そもそも付喪神ってどう言う存在? んー……。


 ドツボにはまりそうなので吉乃はやっぱり考えるのを止めた。乗るしかない状況だってあるものだ。


「ん、いいから受け取ってよ。私なんか彼女さんの連絡先も分からないんだから」


 銀次は気が進まなそうにそれでも大切そうにハンカチを受け取った。


「それとさ、色々考えなおしてみたら? 彼女さんと、あとタマ子ちゃんの為にも」


 こんなこと言ったら怒るかなとも少し思いながら吉乃は言った。

 だけど案外そんなこともなく銀次は聞いていた。彼と吉乃との微妙な距離感が逆に良かったのかもしれない。


「まだ間に合うよ」


 彼が真剣なのは分かる。彼なりに覚悟をして行動したであろうことも。だけどやっぱりそこには若さがあって、きっとだから、彼の中で少し他者の存在が欠けている。こうして見ると俯く彼の姿はどこか幼くも見える。


 ……いやいやいや。まてまてまて。


「あー、ごめん、やっぱり偉そうなこと言える立場じゃないよね」


 一瞬、色々何かを言いたくなった。だけど出かかった老婆心にブレーキをかける。吉乃だって何かを偉そうに語れる年じゃない。ましてや老婆心だなんて。そんなの紅緒べにおに馬鹿にされるのが落ちだ。


 私は私のことをちゃんとしなくちゃ。牛丼だってまだ全然上手く行ってないんだし。


 どうにも今日は本筋からずれてしまっている。


 気を取り直してせめて鍋の中でもみようかと振り向こうとした時、銀次が呟いた。


「兄貴のことが分からなくなった」


 吉乃が銀次に顔を向けると、彼は俯いたままポツリポツリと話を続けた。


「昔は仲が良かった方だったと思う。良く一緒に店の手伝いもした。その頃は兄貴も店のことを大事に思っていて、将来は一緒に店をやるんだなんて子供心に漠然と思ってた」


 彼が話し出したそれはきっと他人にとっては他愛もないことなのだけれど、本人にとっては上手く言えないわだかまりのような何かだったのだと思う。そしてその感覚は全く違うのに少し今の自分に似ていた。

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