第18話

 今がチャンスとばかりに一斉に口を開く。

 その中でも一瞬早かった吉乃よしの太一たいちの声が重なる。


「すみません私、なんか出しゃばってしまったようで……」

「じゃあこれ以上松谷まつたにさんにご迷惑をおかけするわけにも……」


 さっきからずっと帰りたかった吉乃。

 相手を見て落ち着いてその場の空気を読むタイプの太一。

 二人の意見の方向性は一致していた。発言をしつつも二人とも相手のそれを感じ取った。


「はあ、一体なんのために来たんだよあんた、さっさと帰った方がいいんじゃねーの?」


 溜息の分、少し遅れて銀次ぎんじが言う。

 言葉は悪いが奇しくもこれも同意見だった。何だかんだ言って兄弟、彼は彼なりに空気を読んでいた。その上での発言であり、これは吉乃へのアシストでもあった。


 つまり、人間三人はこれ以上ここで膠着状態を味わっていても意味がないと思いこの場の解散を考えていたのだ。


 しかし一方どうにも付喪神はそうではないらしかった。

 銀次の発言が終わらないうちにタマ子が吉乃を見つめ言葉をこぼしていた。


「吉乃さん、お願い、します……」


 何枚剥いても玉ねぎは玉ねぎ。

 いよいよ本当に帰る方向に舵を切ろうと思い始めた矢先、吉乃に迷いが生じる。そのせいで吉乃は「そろそろお暇します」なんて感じの続く言葉を言えなくなってしまった。


 結果、あっちとこっちの狭間で口をパクパクと動かすだけで曖昧な態度をとった吉乃。そこに出来た隙を見逃さなかったのは紅緒べにおであった。


「よーし吉乃そろそろ言ってやろうぜ、ガツンとぉ!」


 元々この場の状況をあまり理解していない紅緒、寝起きの勢いのままとりあえず火力を上げる。


 ちなみに彼が付喪神になる前にいた店では備品が少しでも減っていたら即座に補充すると言う隙間恐怖症気味の店長がいたのだが、それが今の紅緒の行動に影響を及ぼしているのかは全くわからない。いや、たぶん関係ない。


「ちょっ……!」


 迷いや憂いのない紅緒の言葉は良く響く。

 吉乃は瞬間的に反応したが、板挟みになっている現状のせいかやっぱり二の句が出ない。

 そんな彼女に代わって予想外に燃え上がったのは銀次だった。


 タマ子と言う妹的な存在があるからか、飯田はんだ兄弟は基本的にどちらも優しく面倒見がいい。それでも外から見た印象の違いはある。兄はしっかりとしていて優等生、弟は少々やんちゃで不良的と言った感じだ。


 弟に関して言えばそう言った性分は元々の気質とは別に年齢的なものでもあって、主にイラつきや短気として表出しがちなのだが、銀次自身コントロールが完全に出来ているわけではなかった。


 と言うことで、簡単に言えば、紅緒の発言と煮え切らない吉乃の態度にカチンと来てしまったのだった。

 怒気の籠った声が言う。


「あのさ、さっさと帰ればいいのにさっきからお前ら何様のつもりだよ、人ん家に行きなり来て何か出来るとか本当に思ってんのか? 頭いかれてるんじゃねーの?」


 ごもっともではある。だから図星を突かれた吉乃は何も言えない。何も言えないがこれはこれで帰るチャンスではあった。言われたままで悔しくはあるが、おずおずと引き下がる形で退場すればいいのだ。


「で、です、よね……、じゃあ……」


 視線をさまよわせ小声で言い濁す吉乃だったが、そんな彼女の代わりにハッキリ言い返した人物がいた。飯田兄、太一だ。今度は彼が吉乃の帰宅チャンスを潰したのだった。


 太一は実に長男らしく、人から「弟か妹がいるでしょ」と言われがちな青年で、どちらかと言えば寡黙だが、人当たりも良く穏やかな性格をしている。けれど、真面目に長男らしくあるからこそ、彼にも特有の怒りのスイッチがあった。それが弟、銀次である。彼のことになると太一の沸点は下がる。しかもこのところの悪化している関係性の中なのでなおさらだった。


「おい銀次なんだ今の言い方は、失礼だろ」


 もちろんこれには銀次も反応する。


「は?」


「お客様に対する態度じゃないだろって言ってるんだ」


「お客様? こいつらがいきなり来ただけだろ」


「松谷さんたちはタマ子を送り届けてくれたんだぞ。お前だって当てもないのに探しに行くところだったじゃないか」


「そりゃあ兄貴が動こうとしないからな」


「むやみに動いたってしょうがないだろ」


「ああ、そうだな、兄貴はいつだってそうだよな、見てるだけで自分じゃ何もしない。だったら俺のことにも口出さないで欲しいけどな」


「どういう意味だ?」


「そのままの意味だよ」


 この兄弟喧嘩の発端は銀次の進路について太一が口を出したことにあった。進学をやめて店で働くと言い出した銀次を太一がたしなめたのだ。


 再び揉め始める兄弟を前に場違い過ぎて「私のために争わないで」なんてヒロイン気取れない吉乃がなんとか声を出す。


「あ、あの、その……」


 しかし言葉にならない。しかも蚊帳の外。

 そんな吉乃に紅緒が気付き机を盛大に叩く。


「やいやいやい牛魔王松谷吉乃様が何か仰ろうとしているぞ!」


 一瞬の静寂。

 集まる視線。


 紅緒が吉乃に小粋にアイコンタクトで『どうぞ』と促す。


(おい紅生姜っー!)


 心が叫ぶ、が声は出ない。


「あ、あは、は……」


 緊張から笑う、それを目にした銀次のボルテージが上がる。


「いい加減にしろよ、大体何が牛魔王だ、は、なんだよそれ焼肉屋かよ!」


「銀次!」


 銀次の悪態に太一が怒り、紅緒も反論をする。


「焼肉屋!? 吉乃は牛丼一筋だ! 焼肉なんて、そんな、羨ましい!」


「牛丼!? 何だか知らねーけど、だったら牛丼食いに行けよ! 何でここにいんだよ関係ねーだろ!」


 これもその通りである。それに実はこれは吉乃も薄々感じていた。なんか本編とずれてるんだよな、と。


「あはは、まあ……」


 思うように行かない状況に溜まるフラストレーション、逃げ道としてか再びモノローグが浮かぶ。


(そうなんだよね、私はただ牛丼をね……、先輩のためにね……)


「家で散々食ってるのに外でまで食いたくないよ!」


 苦笑いの吉乃に代わって紅緒が吠える。そんな彼を見て吉乃が思う。


(散々食ってるって……、まあ、申し訳ないとは思ってるけど……)


「なら帰って家でしみったれた牛丼でも作って食ってろよ!」


「もうしみったれた牛丼は食いたくないんだよ!」


(し、しみったれたって……。確かに下手くそだけど、え、私の牛丼そんなにしみったれてたかな……)


 銀次と紅緒のやり取りを聞いて吉乃の中の牛魔王がピクリピクリと反応していた。


「いい加減にしろ銀次! 牛丼は関係ないだろ!」


(お、お兄さんまで断言ですか……)


「うるせえな! それくらい俺もわかってるよ! 兄貴は黙ってろ!」


(関係ないって……、わかってるって……、本当はそっちが、メインなんですけどね……、牛丼の方が……)


 太一も参加して男三人で揉め始めた陰で我慢できなくなった吉乃が密かに呟く。


「あ、いや、あの……、つゆだくのことはあっても、決してしみったれてるわけじゃあ無いと言うか、その、牛丼のことは悪く言わないで欲しいと言うか、あの、あはは……」


 牛丼、結局吉乃のプライドはそこにあった。


 そんな風にして勝手に喋り始めた吉乃も交え四人がそれぞれに発言する。


「とにかく銀次、進路のこともそうだ、もっとよく考えろ!」


「蒸し返してんじゃねーよ! 今する話じゃねーだろ!」


「蒸し返すってなんだその調理法!? 肉まんでも作ってんのか!? 羨ましい!」


「か、関係ないかもですが、そもそも私は本当は牛丼作らなくちゃなんで……」


「お前がふざけたことを言ってるから松谷さんが話を聞きに来たんだろ!」


「だからなんでこんな関係ねー奴らに話さなきゃならねーんだよ!」


「人類皆兄弟って言うだろ! 肉まんくらい分け合えよ! お裾分けしろ! て言うかしてください!」


「まだ上手くは作れませんが、それでもそれなりにはなってるかなって……」


「頭冷やしてもう一度真剣に考えてみろ!」


「考えてないわけないだろ!」


「待てよ……、肉まんが作れるってことは焼売とか餃子もいけんのか!?」


「そもそも一徹って言う名店がありまして、私はそこの味を目指してるわけでして……」


「半人前のお前一人でどうこうなる簡単な話じゃないんだ」


「だから……、それは……、あー! くそ!」


 ついに銀次が勢い良く立ち上がった。


「なんなんだよこの状況!」


 その的確な叫びが終わると同時に今度はゴトリと机の上に何かが置かれた音がした。なんの脈絡もなく現れたそれに四人の視線が奪われる。


 玉ねぎ。


 どこから出したのかもわからないが、タマ子がいきなり置いたのだった。


 ヒートアップしていた面々ではあったが突飛な出来事にそれぞれに黙ってきょとんした表情を浮かべたのだった。

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