余談

 とある退屈な日、アパートの部屋で各々ダラダラと過ごす吉乃よしの紅緒べにお

 紅緒は床に寝転び、吉乃は何をする訳でもなく机に向かいながら窓の外の曇り空を眺めていた。


「あのさ紅緒」


「んあ?」


 吉乃の呟きに転がったまま返事をする紅緒。


「ふと思ったんだけどさ、あんた紅生姜の付喪神って言うじゃない?」


「ん、ああ」


「付喪神って言うくらいだから、何か出来ないの?」


 紅緒は上体を起こした。


「え、何かってなに?」


 吉乃も彼の方を向く。


「いや、ほら、付喪神って一応神って付いてるじゃない、あんただってそんなピンクの髪してさ、だから何かこう出来ないのかなって」


「え、何か出来ないのって、それ、え?」


「神の力的な奴でさ、何かやってよ、退屈だし、減るもんじゃないでしょ」


 雑な感じで言う彼女に何故か若干引いている紅緒。


「まじか、吉乃まじかお前」


「何よ」


「完全にツクハラだ」


「ツクハラ?」


「付喪神ハラスメントだよ」


「は? ハラスメントだなんてそんな大げさな、人聞きの悪い」


「いやいや、大げさじゃないんだって。まさにだよ。それにだって考えてみろよ、そもそも俺は紅生姜な訳。それがこうして付喪神として人間になってるんだよ。その時点で凄くない? 奇跡じゃない? その奇跡を差し置いて挙句、何かやって? 何かってなにさ? しかも退屈だから? 神の力的な奴で? これ以上何をしろと? これが奇跡だよ、今が奇跡だよ、生きてるだけで凄いんだから寧ろあるがままを褒めるべきだよ」


「……え、何いきなり、まあ、分からなくもないけど、何かうっさいわね。大体付喪神ハラスメントなんてないでしょうよ」


「あるんだよ」


「あんたが作ったんじゃないの?」


「違う。それに書いてあった」


 紅緒が指さす先には付喪委員会のパンフレット『よく分かる私たちの暮らしと付喪神』。


 吉乃はパンフレットを手に取り捲った。


『それ、ツクハラです。ツクハラとは付喪神ハラスメントの略語で、主に家庭や職場などで付喪神に対して地位や人間関係などの優位性を背景に、付喪神の身体的な特徴を揶揄したり、または神通力の使用を強要するなどして、精神的・身体的苦痛を与える行為を言います』


「……」


「……」


 吉乃はパンフレットをそっと閉じた。


「ごめん」


「まあいいけど」


 しばしの沈黙。曇り空を行く鳥の声が聞こえた。

 気を取り直して吉乃が尋ねる。


「あ、でもさ、神通力の強要ってあるけど、神通力って何? 本当に何か出来るの?」


「あー、実はそれ俺も思ったんだよね」


「特に自覚は無いんだ?」


「まあね」


「ふーん」


 何となく釈然としないと言った様子の吉乃に紅緒が提案する。


「気になるなら問い合わせてみれば?」


「問い合わせ?」


「パンフレットに電話番号書いてあったぞ」


 そう言われて吉乃は再びパンフレットを手に取った。


「ああ、これか」


 彼女は番号を見ながら少し考えたあと携帯電話に手を伸ばす。


「やってみるか」


 よっぽど暇なんだなこいつ、と内心呆れつつも紅緒も興味があるのでその通話に聞き耳を立てた。




『お電話ありがとうございます。こちら付喪委員会相談窓口でございます』


「あ、もしもし、すみません、ちょっとお伺いしたいことがありまして……」


『ただいま営業時間外の為、自動音声ガイダンスに従ってご入力ください』


「ああ、んん……」


『まずお電話の※を二、三度押してください』


「二、三度? 何だその曖昧」


「米?」


 紅緒が口を挟む。


「ちょっと黙ってて」


 吉乃は※を二度押した。


『続いてパンフレットの表をご覧いただき、ご相談したい内容を番号でご入力ください。担当部署にお繋ぎいたします』


「え? パンフレット? 表? え、何処? どのページ? あ、これ? え、何これ。内容細かいな、え、担当部署こんなにあるの? どれ? え? あれ? 並び順が、番号飛んでない? あれ?」


『プッ、ツー、ツー』


 制限時間を過ぎたのか通話が切れた。

 吉乃は電話を置いて一息吐いた。

 紅緒が彼女の顔を覗き込む。


「吉乃? 大丈夫? 失敗した?」


「ん、んーまあ、ね、うん。やられたね。うん」


「やられた?」


「初見殺しってやつね、うん。イライラしてないよ私。うん。そう、まずこれ、これ見て」


 そう言って明らかにイライラし始めている吉乃は紅緒に該当のページを見せた。


「この番号。一、二、三って来るじゃない? それで次が六なの。おかしくない?」


「四、五は縁起が悪い的なことか?」


「まあ、そうなのかもね。九もないし。でもだからって七が七一から七七まであ

るのはどう? 七福神でもいるのかしらね? それに八も何個かあるし。縁起を気にしすぎじゃないかしら、自動音声の案内ごときに。……て言うか、……こう言うさ、こう言う番号に漢数字使うなや! 目が滑るわ! 制限時間みじけーし!」


「うわビックリした。どうした急に?」


「ごめん、急に怒りが……」


 退屈と曇天のイライラもあった。


「ま、まあ落ち着けよ。とりあえず何処にかければいいかは分かったんだろ?」


「まあ、ね。この神通力についてってとこだと思う」


「ああ、それっぽいね」


 とりあえずもう一回かけてみる、と吉乃は再び問い合わせ番号にダイヤルした。


『お電話ありがとうございます。こちら付喪委員会相談窓口でございます。ただいま営業時間外の為、自動音声ガイダンスに従ってご入力ください』


「はいはい」


『まずお電話の※を二、三度押してください』


「じゃあ今度は三回押しちゃおっかな」


『続いてパンフレットの表をご覧いただき、ご相談したい内容を番号でご入力ください。担当部署にお繋ぎいたします』


「えーと、これ、で、と、良し」


 番号を入力すると数度プツプツと返音があってから再び呼び出し音が聞こえ始めた。


『こちら付喪委員会付喪神総合相談課でございます』


 そこで無言で電話を切る吉乃。

 紅緒が首を傾げる。


「あれ? どしたの?」


「あ、いやちょっと、急に確かめたいことが出来て反射的にね」


「え、あ、ああ、そう……」


 今のじゃシンプルに悪戯電話だろ、イラつきが積もる吉乃を前にそんな言葉を紅緒は飲み込んだ。

 吉乃がまた電話をかける。


『お電話ありがとうございます。こちら付喪委員会相談窓口でございます。ただいま営業時間外の為、自動音声ガイダンスに従ってご入力ください』


「うんうん、わかってますよ」


『まずお電話の※を二、三度押してください』


「四回押しちゃったらどうなるのかな、え、縁起が悪いって?」


『続いてパンフレットの表をご覧いただき、ご相談したい内容を番号でご入力ください。担当部署にお繋ぎいたします』


「はいはい、えーと、じゃあこれ、さっきと違うこれ」


 そして呼び出し音のあと。


『こちら付喪委員会付喪神総合相談課でございます』


「一緒じゃねーか!」


 電話口を押さえて叫び、「だと思ったよ」「総合相談課て」「なんのための分類表だよ」「二度手間過ぎる」と一頻り文句を言ったあと、吉乃は「ふう」と息を吐き一つ咳払いをし声色を変えて電話口に聞いた。


「あ、もしもしすみません、ちょっとお伺いしたいことがありまして」


『……頂きますようお願い申し上げます。お電話ありがとうございました。 本日は定休日となっております。誠に恐れ入りますが営業時間内におかけ直し頂きますようお願い申し上げます。お電話ありがとうございました。本日は定休日……』


「最初に言えやあ!」


 吉乃の動向を固唾を飲みながら見ていた紅緒は思った。仕事もしないで一人自動音声相手に切れるような大人にはなるまいと。




 その後、神通力については電話で神主に聞いた。


「で、結果あんたが出来る可能性があるのは紅生姜関連のことで、例えば紅生姜を操って動かしたり、水を梅酢に変えたり、石を生姜に変えたりと……、凄いのか凄くないのか分からないわねこれ」


 そんな吉乃に紅緒も頷く。


「確かにな、あ、でも、似たような話なかったっけ、神話とかで。水をワインに、石をパンにって」


 少し考えて吉乃が答える。


「……キリスト?」


「……」


「……流石に無礼すぎるわ止めましょう」


「そうだね」


「操って動かすってのはどうなんだろう。今の紅緒に出来るのかな。やってみる? ツクハラになるから強要はしないけど」


「うーん、俺もちょっと試してはみたいかもな」


「そう? じゃあやってみようよ、と思ったけど今紅生姜ないか」


「また今度だな。あ、でも待った」


 そこで閃いたように紅緒が言う。


「そうだ吉乃、ないなら呼び寄せればいいんだ。動かせるならさ、こう、念じれば近くにある紅生姜を呼び寄せたり出来んじゃないかな」


「え、何それ本当に? まあ、そう言われればそんな気もするけど、本当に出来そう? やってみる?」


「……やってみる」


 紅緒は何時になく強い意志を感じさせる瞳でそう言うと、目を閉じ念じ始めた。


「来い来い来い……」


「頑張って」


 吉乃も真剣な表情で彼を応援する。


「来い来い来い……!」


「ど、どう?」


 しかし特に何も起こらない。

 それから紅緒は最後に少し唸ったあと、水から顔を上げたようにプハッと目を開けて息を吐いた。


「だ、駄目だ……」


「まあそりゃそうよね」


 ほんのちょっとの落胆はあったものの、実際そんなに期待していなかった二人は予定調和な結果に軽く笑い合った。

 と、その時、外から窓に何かがぶつかった。


「わ、何?」


 すぐに紅緒が窓に駆け寄り驚きの声を上げる。


「吉乃!」


 紅緒が振り向いた後ろの窓に紅生姜が張り付いていた。スーパーなどで売っている紅生姜のパックだった。


 それを見て吉乃も驚く。


「え、本当に!? それ、え、凄い、本当に呼び寄せたの」


「うん、そうみたいだ。自分でも驚いてる」


「これが神通力、あんた本当に付喪神なのね」


「ま、まあな」


「呼び寄せた紅生姜が本当に来たんだ」


「あんまり自覚無いけどな」


「でも凄いよ紅緒」


「そっかな」


「凄い、……でも、これ何処から」


「そりゃ何処からって……」


「……」


「……」


 リモート窃盗。




「家にお帰り」


 結局、パンフレットを眺めながら付喪委員会へのクレームを検討している吉乃を背に曇り空に向かって紅生姜を帰す紅緒であった。

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