豊かな冬


 新しく発足したベンサム政権による徹底的な解放運動の弾圧により、その旗手であったオースティン=シュジャアは投獄され、学生機構も沈黙した。

 私の小言を受けてここ数か月 過激な発言を控えていたニェウシは家の周りに観察官が付くだけで無事だったが、以前どおりの演説をしていれば今ごろ独房の中であっただろう。

 その間、彼の活動も自然と休止せざるを得なくなり、私は時間を持て余した彼に小説の執筆を勧めた。


「あなた演説がうまいでしょう、あれには台本はあるの?」


「ええ。あんな風に劇的にやっておいてなんですが、全部前もって決めています」


「それならなおさらいいわ。あなたも本の一つ二つ書いてごらんなさい。時間は湯水のように溶けるし書きたいことは書けるし。出版が今じゃなきゃいいだけよ。演説と小説の技術は同じではないけれど全く違う訳でもないし、ぜひとも書いてごらんなさい。私あなたの書いた話が読んでみたいわ」


 彼は照れたように頬を掻きながら言った。


「そうですね。そこまで仰ってもらえるのなら書きましょう」


 翌週、彼は書き始めた作品を私に朗読して聞かせてくれた。

 この歳になると、無理に老眼鏡をつけて読もうとするより声にしてもらったのを聞く方がまだ頭に入りやすかったから、わざわざ頼んでそうしてもらったのだ。

 整然とした理論に支えられた彼らしい文章、それは激しく美しい偶像としての姿とは全く違う、思考する知識人としての影があった。

 でも――。


「これ自伝じゃない。こういうのは年寄りになってから書くものよ? 若いうちに書くとそれを越えられなくなって苦労するわ。私、何人もそうやって潰れていった人を見てきたんですもの」


「スタイン先生」


「ええ、分かっているわ。分かっているけど、余りにも惜しいの。こんな才能を」


「俺は小説家じゃありません。活動家ですから」


「……ええ、そうね」


 彼は決して、何があろうとその本分を変えることがなかった。


 その半生を僅か数か月で書き上げた彼は、今度は獣人の英雄であるミニョオ帝についての歴史小説に着手した。

 作家の多作とは、最も素晴らしい才能のひとつである。

 透徹した文体に思わず息を呑むほどに練られた展開、思想は深刻にして主張は明確であった。

 彼はいずれ、この国随一の文筆家となるであろう。

 彼の作品を熱狂をもって称えるには私はもう老化しすぎてしまったけれど、それでも私は彼を精一杯 誉めたてた。

 何十年後でもいい、私が死んだ後でだって構わないから、いずれ彼が創作の道を選んでやってもいいと思ってくれるように。


 この期間中、もう一つ印象に残っていることがあるとすれば、ニェウシとその夫人となる女性との結婚である。

 これには何度私が奔走させられたことか。

 料理店で偶然相席しただけの女性に惚れこんだ彼はまた彼女に会わんとあらゆる手を尽くした。

 ようやく見つかったカサンドラ嬢がヒューマンの父に育てられた半亜人ハーフだったこともあって私は何かとニェウシの相談を受けた。

 こういう女性はどういった贈り物を好むのかだとかデートに誘うにはどういった言葉を掛ければいいかだの、そこにいつもの俊才活動家の影はなく、私には彼がおぼこな高等学生であるかのように思えた。


 照れて声を掛けれない彼に代わって会食の場を用意し、何かと彼のセールスポイントを吹き込んだことを思い返せば情けなさ過ぎてこちらまで恥ずかしくなってくる。

 だが、興信所だろうと友人だろうと使えるものは何でも使うほどの彼の熱意に絆されてか、カサンドラ嬢はすんなりと彼のプロポーズを受けた。

 私だったらこんな面倒くさい男などお断りである。

 あまりに歪な馴れ初めだったために、いつ破綻するかと友人たちをはらはらさせた彼の結婚生活も、うまくいっているようで、ニェウシはいつまで経っても夫人について惚気のろけることを止めなかった。


 そして幾度目かの春が過ぎ、保守過激派のベンサム大統領が退陣するとアーサー=ニェウシの活動は再び燃え盛った。

 獣人だけでなく魔族の権利までを叫び、この国全ての人々の平等を求めた。

 だが、彼にはどこか言葉を軽んじすぎるきらいがある。

 ともすれば違法な過激思想と捉えられかねないような彼の発言を私が紙面で擁護する日々が続いたが、流石にやり過ぎたらしい。

 私にも警察の監視がついた。

 何でも「自身の発言の影響力を顧みず、国家の治安を脅かす危険思想の持ち主であるワトゥ=アーサー=ニェウシの活動に幾度も協力したから」だそうである。

 以降、私たちの交流は全て文通によるものとなった。

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