『気高き獣の闘い』に寄せる追想

藤田桜

出会い


 ワトゥ=アーサー=ニェウシが死んだ。

 警察は心臓麻痺だと主張しているが、夫人に見せてもらった亡骸は全身が黒く腫れあがり、鼻の骨がひしゃげていた。

 大方、取り調べの最中に拷問でも受けて殺されたのだろう。

 馬鹿な男だ。

 私は夫人に遺体を秘匿するように頼むと、杖を頼りに書斎に向かって筆を執った。

 ――例えあなたの存在を歪めることになったとしても、私はあなたを英雄にしなければならないのでしょうね。


 私がニェウシと初めて出会ったのは新聞社が企画した対談でのことだった。

 当時、彼は獣人差別撤廃運動の急進派として知られており、その過激さを叩くためだけに用意された席ではあったが、政府と彼の暴走を苦々しく思っている学生機構の両陣営から懇願されてのものだったので、到底断る道はなかっただろう。


『獣こそが美しい存在だ。獣の権利こそが問題なのだ』


 一見 逆差別的なまでの標語を掲げて演説やデモを繰り返す彼のカリスマは、どの勢力にとっても望むべきものではなかった。

 この上なく美しい白銀の毛並み、女たちを魅了する怜悧な瞳。

 偶像として、そして獣人たちの希望として、彼より相応しい者はいなかった。

 だが、解放運動からヒューマンを隔離して「亜人だけによる活動によって差別を撤廃させるべき」と語り、穏健派を「上から目線の偽善者」とこき下ろす彼の思想は、あまりにも危うかったのだ。


 会談が行われたのは彼の邸宅。

 写真にうつるニェウシの姿は傍若無人な狼のようであったが、実際にこうして見てみるとずっと理知的で、スーツの着こなしも一級の紳士という感じがする。


「これはこれは。スタイン先生、お待ちしておりました」


「あら、私たちヒューマンのことは歓迎しないのではなかったのですか?」


「いいえ、そんな。我々の活動はあなたがたの支援なしでは成り立たないんですから、そんな恩知らずなことはできません。それに、私はあなたの小説の大ファンなんですよ。これがどうして歓迎しないでいられるでしょうか」


「ありがとう。そう言ってもらえて嬉しいわ。――でも、そのわりには随分な演説をしていたようだけれど」


「お恥ずかしい話です。ですが、ああでもしないと人々には


「言葉の綾だと言いたいのね」


「ええ。詳しいことをお話ししましょう。ずっとお立ちいただくわけにはいきませんから、どうぞこちらへ」


 彼が五本の指で指し示したのは実用一点張りのソファだった。


「このごろ足腰が弱ってきていたので助かります」


「ええ。先生に無理をしていだたくわけにはいきませんので。さて、紅茶を沸かしてきましょうか。お茶菓子もお召しになりますか?」


「素敵ね、いただこうかしら」


 数分ほどしてティーカップや皿を銀色のトレーに乗せて戻ってきた彼は、砂糖を赤い水面に注ぎながら語り始める。


「私が問題視しているのは、この解放運動においても我々獣人が卑屈にすぎると言うことです」


「と言うと?」


「ヒューマンの高度な文明を吸収して野蛮な獣性を消そうだとか、混血によってこの身を流れる未開の血を浄化しようだとか、そういうのは結局、自分たちが劣っているという思想の元に生まれるものです。

 これでは、いつまで経っても真の平等は訪れない。

 私たちは永遠にあなた方の劣化コピーにしかなれませんし、亜人である誇りを失うことは我々にとって不幸なことだと言う他ありません。

 だから、私は同胞を強い言葉によって鼓舞しなければならない」


「我々ヒューマンの自由主義者の主導による差別撤廃では、あなた方の卑屈さをより強めるだけ、だから獣人による活動と一線を画させる必要がある、そう言いたいのね?」


「はい。自由主義の勝利と亜人差別の撤廃、これらは非常に近いですがイコールにしてしまうわけにはいかないんです。けれど、今は識字率が低い傾向にある亜人の間でこれがどれほど正確に伝わるかを考えれば、前もって演説の内容を単純化するしかありませんでした」


 この頃には彼に対する私の警戒心もすっかり薄れていた。

 何より彼の柔和な佇まいがそうさせたのであったし、振る舞いの随所に見られる気遣いが彼の理知を証明していた。


「どんな危険な思想の持ち主かと思ったけど、案外まともなのね」


「先生、そんな明け透けに言われると返答に困ってしまいます」


「新聞をご覧なさい。あれでどうやったらこんな好青年が出てきますか。いつ誰かに足を掬われるか分からない時世ですからね、発言には気を遣われたほうが宜しいわ」


 夜が近づくにつれて私たちは打ち解けていった。

 真面目な話が終わった途端、彼は私の作品を一から十まで褒め出し、サインをくれだの次はどういう話を書いてほしいだのとせがんできて、嬉しいのは嬉しいがその熱烈さには閉口する他なかった。

 その時の幸せそうな顔を今でも覚えている。


 それ以降、私は週に一度彼の邸宅を訪ねるようになったのだった。

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