第5章 地獄篇 グリード領ウルファンス山脈

第74話 真偽の境

 生物は単体では生きてはいけない。

 何故か?

 生きる為には他の生物を食う必要がある。

 生きる為には他の生物を利用する必要がある。

 生きる為には他の生物と支えあう必要がある。


 踏まえてもう一回言おう。

 生物は単体では生きてはいけない。

 だけどもしそれが出来たのなら、その生物は神様と呼ばれてもいいと思う。


 夢を見ている。

 俺が光になって宇宙に行く夢。

 とても気持ちいい夢だ。

 ずっと見ていたい夢。

 なのに。


 バフン、バフン。


 夢から現実へ強制的に引き戻される不快な衝撃が俺を襲った。


 四回目。

 今まで以上にまぶたが重い。

 眠りたい。

 今は静かに眠っていたいんだ。


 疲れた。

 そう、疲れた。

 命を保つために、命を奪うことに疲れた。


 現実から離れて、夢に逃げたい。

 あのフワフワとした空間にいつまでも漂っていたい。

 ただそう思った。


 だが、腹に受ける衝撃がそれを邪魔する。

 誰だ?


 俺はこの衝撃の正体を確認しようと、身を動かす。

 柔らかい。

 クッションのような感触。

 ベット?


 俺は目を開ける。

 目の前には、


 「起きた?」


 ダゴラスさん達の息子、スー君がいた。

 俺の腹に乗っかって、目を覗いている。


 「……は?」


 少し動揺する。

 もう二度と会えないと思っていた子が、目の前にいたから。

 俺は確か、襲撃者と一緒に転移でどこかに連れて行かれて。

 で、目覚めたらスー君がいた。

 困惑しない方がおかしい。


 周りは岩だらけだった。

 ゴツゴツしている。

 洞窟?

 でも、ちゃんと部屋として成り立っているようで、奥の方にはドアがあった。

 俺が寝ているベットをはじめとしたもろもろの家具も設置されている。


 「待ってて! すぐに呼んでくるから!」


 誰を?と聞く間もなくスー君は部屋から出て行ってしまう。

 相変わらずせわしない子だった。

 

 「……」


 一体俺はどうなったんだ?

 体を見てみる。

 怪我をした箇所が回復していた。

 服装も清潔なものに替えられている。


 「よお」

 「……ダゴラスさん」


 俺が一番会いたかった悪魔がそこにいた。

 俺を一番最初に助けてくれた悪魔。

 この世界の知識を教えてくれた悪魔。

 だが、俺を魔王側へ売ったかもしれない悪魔。


 会いたかったとは言え、複雑な気持ちになる。

 何で魔王側へ俺を引き渡した?

 何で俺をこんな目に合わせた?

 そんな疑問が頭をよぎる。


 それでも、こうしてダゴラスさんは目の前にいる。

 信じるべきか、疑うべきか。


 心情的には疑いたくはない。

 恩義があるからだ。

 ダゴラスさんや、マリアさんは味方であってほしい。

 そう思う。


 が、それは俺がただ信じたいってだけの話だ。

 信じたい気持ちと真実は、別に関係がない。

 ダゴラスさん達が味方のふりをしているだけかもしれない。

 本当は敵かもしれないのだ。


 マリアさんが転移回廊でララに俺を引き渡した後、これと似たようなことを何回も考えた。

 何も信じられないと。

 マリアさんは俺を裏切ったのかと。


 でも、逆に信じられないと考えたくもない。

 だって、この先俺はどうすればいいんだ?

 門を探せばいい。

 それは分かる。

 だが、どこを探せばいい?


 俺は悪魔を大量に殺した罪人だ。

 社会が俺を許さない。

 当然、魔王側の悪魔達も俺を許さないだろう。

 現世で言う、指名手配犯みたいなものだ。


 ポイントオブノーリターン。

 帰還不能点。

 俺は引き返せないところまで来てしまった。


 「もう何も信じられないって顔だな」

 「……分かります?」

 「まあ、一部を除いて殆どの悪魔がお前さんの敵だしな」


 ダゴラスさんは、俺の心を読んだかのように質問してくる。

 実際に心を読んでいるのかもしれない。


 「俺は、殺されるんですか?」


 きっとそうだ。

 俺は何回も殺されかけた。


 「俺はこの世界の邪魔者ですか?」


 これも散々言われてきたことだ。

 害獣と同じ扱い。

 いや、それよりもタチが悪い。

 俺は何人もの悪魔を殺してしまったのだから。

 そう、殺した。


 「俺は、何人も悪魔を殺しました。何人も何人も何人も」


 正当防衛なんて言い訳はしない。

 俺は、俺の意思で悪魔を殺したんだ。


 「俺は殺されて当然のことをしたんです」

 「そうか」


 肯定でもなく、否定でもなく、それは受容だった。


 「お前さんは頑張った。今まで大変だったろ?」

 「頑張った……?」

 「頑張ったさ。頑張ったから、今お前さんは生きているんだ。生きていて、俺は嬉しいよ」


 でも……


 「きっと沢山死にかけたんだろう。きっと沢山責められたんだろう」

 「……」

 「だから、きっと沢山の悪魔を殺したんだろう」


 ……そうです。

 殺したんです。

 いっぱい命を摘みました。

 この手で。


 「いいんだ」


 何が?

 何が良いのか?


 「お前さんは自分のやるべきことをした。それだけの話だ」

 「やるべき、こと?」

 「生き残ることだ。生き残ることこそが、お前さんのやるべきことなんだよ」


 生き残る。

 確かに俺もそう思ってた。


 「けど、他の命を摘んでまで、俺が生き残る価値はあるんですか?」


 ない。

 ない。

 ない。


 「俺が殺した悪魔は、俺よりも価値があった。家族がいたかもしれない。何かを成せる悪魔だったのかもしれない」


 そんな悪魔の可能性と未来を、俺は消したんだ。


 「悪魔を殺してまで、俺は生き残るべきなんですか?」


 正直、うんざりだった。

 これ以上俺のせいで死ぬ悪魔がいるのなら、いっそ……


 最初は確かに生き残りたかった。

 けど、殺した悪魔だって同じことを思っただろう。

 みんな俺と同じだ。

 同じなんだよ。


 「これは価値の問題じゃない」


 唐突にダゴラスさんはそう言った。


 「聞くが、価値ってなんだ?」

 「価値・・・」


 言われてみれば、即答出来ない。

 自分で使った言葉なのに。


 「価値ってのはな、曖昧な言葉なんだよ。立場によって、その意味が変わってくる。当然だが、お前さんと俺の価値観は違う。それは他の全ての奴らにも言えることだ」


 そのとおりだ。

 反論のしようもない。

 価値観が違うから、俺と悪魔達は戦っていたのかもしれない。


 「悪魔は、人間社会程に多様じゃあない。心が読めるからな。が、例外もいる。お前さんを助けたララや召喚王がそうだ。お前さんの命は、あいつらの価値観に則った行動あってこそだ」


 そうだ。

 あいつらが助けてくれなかったら、今頃俺は死んでいた。

 だからこそ、俺は命懸けでララを助ける気になった。


 「でも俺は、そんなララも死にかけさせて……」

 「でもでも言うなよ」


 優しい口調だった。


 「あいつは俺の後釜だ。こうなることくらい、想定できてる」

 「隊長、ですか」

 「そうさ。命を賭すべき対象や、そのタイミングぐらいは分かっている。俺が教えたんだ」

 「教えた?」

 「ララは俺の元弟子なのさ」


 そうだったのか。

 そういう繋がりがあったのか。


 「弟子をこんな目に合わせたのは俺のせいなんですよ? ダゴラスさんは、納得出来ているんですか」


 セスタのように、憎みたくはないんですか。

 殺したくはないんですか。


 「お前さんをここに匿っている時点で、察してもらいたいもんだな」


 きっぱりと、そう言った。

 さも当然のように。


 「俺はお前さんの味方だ」

 「……」

 「信じられないか?」


 俺の味方なら、そもそも魔王の所なんかに送らなかったはずだ。

 俺の敵なら、匿わないはずだ。


 二つの主張がせめぎ合う。

 どっちが本当?

 どっちが真実?

 真偽の境で俺は迷う。


 「何を信じていいのか、分からないんです」


 分からない。

 それだけが今、分かることだ。


 「お前さんは何がしたい?」

 「……?」

 「お前さん自身の願いって、何だ?」

 「俺の願い?」


 俺の願い。

 俺の願望。

 それは何だ?


 ……俺の目的は、門へ行くことだ。

 天獄へ行くために。


 その目的は分からない。

 とにかくここから脱出したかっただけだ。

 逃げたかっただけだ。


 でも、今は違う。

 俺のやりたいこと。


 俺が悪魔を殺した時。

 何を思った?

 答えはもう見えていた。


 「俺の元いた世界に……帰りたいです」


 自然と涙が出ていた。

 少量の液体が俺の頬を伝う。

 泣くのなんて初めてだ。

 今まで、一回も泣かなかったのに。


 「それがお前さんの願いか?」

 「はい……現世に帰って、俺を知っている人に会いたいです。記憶も取り戻したいです……」


 口にして、理解した。

 俺は現世に帰りたい。

 苦しい状況から逃げ出したいとか、そんなんじゃなく。

 ただ、ただ帰りたい。

 俺を認めてくれていただろう存在の住む世界へ……帰りたい。


 「お前さんの願いが叶うように、俺が手助けをしてやる」


 ……分からない。

 何でダゴラスさんが、俺にそんなことを言うのか。


 俺は悪魔を殺したんだ。

 恨まれてもいい存在なんだ。

 邪魔者なんだ。

 助けていいことなんて一つもないんだ。


 「お前さんはきっと、まだ俺を信じられないだろうけど。でも、信じてほしい」


 俺の目をまっすぐ見つめてくる。

 真摯な目だ。


 「まあ、信じれないのならそれでもいい。だが、それじゃあお前さんは死んじまう。ここは乗っかっておいた方がいいと思うぜ?」

 「魔物とか……悪魔が俺を狙っているからですよね」

 「そうだ。今、世界中の魔物や強力な力を持った悪魔が動き出している。一人でっ行動していたら、お前さんはすぐに死んじまう」


 弱い。

 助けてもらわないと、何にも出来ないんだ。

 一人じゃ、生き残ることなんて出来ないんだ。


 周り全てが敵になる。

 人は希望がないと生きてはいけない。

 希望は人生の目標だったり、実際の物だったり、人によって様々だ。

 今の俺には、ダゴラスさんが希望に見えた。


 そして、その先にある道。

 天獄への道。

 可能性の道。


 絶望ではない。

 少なくとも、助けてくれると言ってくれている悪魔がいるのだから。

 それが敵だろうと、味方だろうと。


 「もう一度言うぞ」


 まだ優しい表情は崩さない。

 嘘を付いているようには、どうしても思えなかった。

 思えないだけかもしれない。

 しかし……


 「お前さんの願いが叶うように、手助けしたい。俺を信じてくれ」


 なおも。

 温かく。

 だから、俺は。


 「聞いても、いいですか?」

 「ああ、なんでもいいぜ?」

 「なんで、俺を助けようと思ったんですか?」

 「困ってる者を助けるのは普通だろ?」


 即答だった。

 ダゴラスさんの家で聞いた言葉。

 俺が初めて地獄に来た時に、言ってくれた言葉。


 ああ、そうか。

 帰りたい、だけではない。

 悪魔達とも俺は……普通に接したかったのだ。

 悪魔にも認められたかった。


 悪魔と仲良くしたかった。

 何気ないことを話したかった。

 触れ合いたかった。

 ……それは叶わなかった。


 でも、希望はまだある。


 「ありがとう、ございます」


 泣きながら俺はそう言った。

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